62話︰モコよ
モコは不機嫌だった。とにかく、不機嫌だった。
『モコちゃん、颯夜の為にお願い。颯夜が今よりも強くなる為には乗り越えなければならないの』
唯衣の頼みとはいえ、颯夜から離れることに納得していなかったのだ。
だが唯衣の言い分も理解出来たし、モコ自身そのことは理解していた。
颯夜はお人好しだから人を殺せない。
でもそれがどうした。
私はお人好しな颯夜が好きだ。
いつも私に甘えてくる颯夜が好きだ。
いつも私を甘えさせてくれる颯夜が好きだ。
唯衣にデレデレしている颯夜は嫌いだ。
颯夜に何かあっても私が守る。
颯夜の敵は私が全て倒す。
それでいいじゃない!
『颯夜の望みは誰よりも強くなることよ』
颯夜はすでに強い。
初めて、ダンジョンで会った時から颯夜は強かった。
私と一緒になってからも颯夜はどんどん強くなってる。
これからも颯夜はもっともっと強くなる。
『でも、颯夜が誰よりも強くなる為には確固たる信念を貫く意思が必要なのよ。だから今回は・・・』
でも、それで颯夜が今の颯夜じゃなくなったら?
・・・そんなの嫌だ。
そんなの絶対に嫌だ。
だけど・・・。
『モコちゃんも知ってる通り、颯夜はそんなに弱くないわ。だから一緒に信じましょう』
・・・わかった。
唯衣に説得されるようにモコは渋々、了承した。
『モコちゃん、敵を転移させるからお願いね』
さっさと終わらせる。
それだけ言うと転移の魔法陣が発生し、モコは自分の前に転移された敵の背を見ていた。
その男は憤りを感じているのか注意力が散漫に見受けられた。
グゥルルル!(どこ見てのよ!)
声を掛けて、気付かせてやれば男は飛び上がるようにして距離を取る。
「貴様もかぁ!獣の分際で!俺を舐めるなぁ!」
自分が気付けなかっただけなのにモコに向かって怒なり声で罵ってくる。
その時点でモコは男の実力の底が知れると思った。
ただでさえ、今は不機嫌なのに余計に気分を害する男。
この嫌な気持ちを忘れる為にも颯夜のところに今すぐにでも行きたいのに行けない状況。
何もかもが面倒くさい。そんなことを考えながらも腰を上げて、男を再び見定める。
ガァルルゥ!(どう見ても大したことないわね!)
モコは鼻で男を笑うとスイッチが切り替わるように雰囲気が激変する。
「っ!?」
その雰囲気を感じ取り、男は萎縮する。
萎縮した男の前にいるのは普段、颯夜から可愛い可愛いと撫でられているモコではなかった。
ウオォーン!!(私は今、機嫌が悪いのよ!)
ウオォーン!!(楽には殺さない!)
ウオォーン!!(恐怖に平伏しなさい!)
咆哮を上げる度にモコの戦意は高まっていく。そして、空間に広がるプレッシャーも高まる。
世界に混沌を振り撒く、迷宮喰いの相棒。
混沌を纏いし漆黒のモコが暴力性をあらわにする。
「くそっ!くそっ!くそっ!」
たかが獣に男は一瞬でも恐怖を感じた自分に苛立っていた。
この闇ギルドに入ってから男は戦いに明け暮れていた。
いや、闇ギルドに入る前から大手クランで探索者として、数え切れないくらいのモンスターを狩ってきた。
クランでは名の知られた探索者として、羨望と尊敬の眼差しを向けられていた。
素行が悪くてその地位と名声を失うことにはなったが闇の住人になってからは畏怖と実力で邪魔な奴は消して、新たな地位と居場所を勝ち取った。
なのに目の前にいる獣は俺を狩る気でいる。その現実がどうしようもなく苛立しかった。
「ふざけるなぁ!俺が狩る側でお前は狩られる側だ!」
男は腰に差していた剣を抜くと両手で構える。
「お前を殺した後、毛皮を剥いでコートにしてやるよ!」
酷い言い様だがモコは気にならない。何故なら取るに足らない存在が何を言ったとしても所詮は戯言。
この戦いの結果が変わることはないのだ。
寧ろ、戦いになるのか…。
ウォーン!(闇影の領域!)
モコが遠吠えすると水に大量の墨汁を流し込んだように自身の影が波及していく。
その勢いは衰えることを知らず、訓練室全てを覆い隠す。
「な、なんだ!?これは影魔導か!?」
男は元高位探索者ということもあり、影狼と戦闘した経験があった。
思い出すのは追放される切っ掛けとなった嫌な記憶。
男は苦戦を強いられた影狼戦で仲間を囮にすることで影狼を討ち取った。
その後、命からがら生き残った仲間の告発により、責任を問われて追われる身になり、闇ギルドに入ったのだ。
そんな経験豊富な男もこんな規模の影魔導など見たことがなかった。
真っ暗な空間に認識できるのは自分と目の前にいる影狼の紫の双眸だけ。
これから何が起こるのか想像さえ、つかなかった。
モコの双眸が静かに消えると途端に男は平衡感覚を失ったかのように上も下も分からなくなり、自分が立っているのかさえ解らなくなる。
モコが発動した闇影の領域は闇魔法と影魔法の混合魔法。
深い闇の中に敵を閉じ込め、精神異常を誘起させる魔法。
耐性がない者は5分と保たず、精神崩壊を起こす凶悪な精神汚染魔法である。
静寂が支配する影の領域に男の荒い息使いだけが響く。
やがて、時間感覚が鈍くなり、視覚情報の不足によって自身が生み出した幻覚が見え始める。
「そこかっ!?」
男は闇雲に剣を振り回すが当たる訳もなく、何度も何度も剣を空振りをする。
どれだけ剣を振っても手応えがないことに不安を感じ、真っ暗な空間は男に閉塞感を覚えさせる。
視覚情報がなくなったことで、男は本能的な不安感が増し、心理的な閉塞感やストレスで徐々に発狂していく。
「死ね!死ね!死ね!」
最早、正常な思考も冷静な判断も出来なくなった男は死ねと叫びながら剣を振り回すのみ。
振り回す剣が自分の身体に当たってもお構いなしだ。
男の様子を見ていたモコは呟く。
グゥルルル(飽きた)
あれだけイキっていたのでもう少しは粘ると思ったのに壊れるのは呆気ないほど早かった。
もう目の前の壊れたおもちゃに興味はない。
そもそも、最初から興味はなかったがもう目障りでしかない。
・・・終わらそう。
ウオォーン!!(混沌月食!!)
闇影の空間は男に殺到するように収束すると見る見るうちに男を包み込んで小さくなっていく。
漆黒の球体はついには音もなく消える。
訓練室に残るのは音のない沈黙だった。
憂さ晴らしにもならなかったモコは不機嫌なまま、その場に座る。
その顔には早く、颯夜に会わせろと書いてあった。
作者︰俺のモコ愛が出ちゃったかな。www
モコ︰ウォン!(シャドウスパイク!)
作者︰ぐふっ




