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6.

 やがて、私たちは起き上がって、まだクスクス笑いながら、お互いの服や髪の毛についた草の葉を取りあいっこしながら家路についた。

 ふたりとも、ほっぺたを燃やして、目を輝かせて、時々抑えきれずにクスクス笑って。

 火照った身体に、冷たい秋の夜風が気持ちいい。

 いつのまにか、手も繋いでいた。幼い兄妹みたいに。


「ああ、可愛い妹ができて嬉しいなあ~!」


 心底嬉しそうなシゼグ。


 そうなんだ、嬉しいんだ……。本当に妹が欲しかったんだ……。

 それにしても、この人、きっと相当振られ慣れてるよね。振られテクがすごい……。




 シゼグの家族は、普段ならもう寝ているはずの弟たちまでまだ起きて、炉辺に集まっていた。

 手を繋いで頬を染め、にこにこしながら帰ってきた私たちを見て、一瞬、みんなの顔が輝く。

 そこに、シゼグが大声で宣言した。


「みんなっ! 今日からテルは、俺の、妹になったから! お前たちも」と、これは弟たちに向って、「テルのこと、姉ちゃんって呼ぶんだぞ。わかったかっ! じゃあ、おやすみ! テルもおやすみ、また明日な!」


 そして、さっさと、弟たちと共有の寝室に引っ込んでしまった。


 みんなの複雑な顔……。特にお父さんは、露骨にがっかりした顔をしている。

 お父さん、無口であまり自己主張しない人だけど、その分、感情がモロに顔に出るのよね。

 ごめんね、お父さん。


 おばあちゃんが、優しく声をかける。


「テル、星は奇麗だったかい?」

「うん、とっても。楽しい散歩だったわ」

「そう、良かったねえ……。寝る前にお茶でも飲むかい?」

「ううん、ありがとう。私も、もう寝るね」


 背を向けた私を、お母さんが背後から抱きとめて、優しく囁いた。


「ねえ、テル。あなたがシゼグの妹なら、私たちの娘よ。今までだって娘だと思っていたけれど、これで、本当に娘よ。ずっと、ここにいてね。どこにもいかないでね……」


 ……ごめんね、お母さん。私も、ずっとここにいたい。ここにいたいよ……。





 夕方、シゼグは私をまた〈女神の杯〉亭に連れて行って、扉を開けるなり、集まっていた若者たちに力いっぱい言い放った。


「おいっ、悪い虫ども! 今日からテルは俺の妹だからなっ! 俺の妹に手を出すなよ!」


「悪い虫って……。俺たち、まだ何もしてないじゃん、なあ?」と、ぶうぶう騒ぐ若者たち。


 娘たちは、

「シゼグ、振られたのね」と、訳知り顔を見合わせて苦笑を浮かべた。


 違うの、振ったんじゃないの。私はシゼグが大好きよ!


 大きな声でそう言いたかったけど、例のエクボの娘――名前はマーリと言ったっけ――が探るようにこっちを見てたから、黙って、困ったように笑っておいた。


 マーリ、シゼグの隣は、もうすぐあなたに明け渡すからね、待っててね。

 でも、それまでは、私にシゼグの隣にいさせてね。





 雨の日。みんなで炉辺に集まって仕事をしていたら、風が吹いてきた。

 私の周りだけに。

 ああ、いよいよなんだ……。

 みんな、何も気づかない。

 もうちょっと待ってね。もうちょっとだけ、みんなと話をする間だけ。


 私がいつかここを去らなきゃいけないことは、あの後、私がいないときに、シゼグがお母さんに話してくれた。私は辛くて、自分で話せなかったから。

 お母さんは、ふたりだけの時に、こっそり、『話は聞いた、とても残念だ、でも、その日までは、〈マレビト〉ではなくこの家の娘として、ここを自分の家だと思って暮らしてほしい。家族全員がそう願っている』と言ってくれた。

 それから、みんな、何も言わずに、それまでどおりに接してくれている。ときどき、ふっと寂しそうな顔をしたりはするけれど。


 私は、何気ない風をよそおってジャガイモの皮を剥きながら、農具の手入れをしているシゼグに話しかけた。


「ねえ、シゼグ、私、前に、私は〈マレビト〉じゃないから幸運をもたらせないと思うって言ったけど、もしかすると、そうじゃなかったかもしれない。近々、あなたに幸運が来るような気がするの」

「えっ? どんな?」

「そう、たとえば、一年後くらいに、可愛いお嫁さんが来るとか」

「……なぁんだ。まさか」

「まさかじゃないわ。なんとなくわかったの。えっと、そのお嫁さんは、茶色の巻き毛で、ソバカスがあって、ちょっとぽっちゃりしてて、そんなに美人じゃないかもしれないけど、笑うととっても可愛くて、右のほっぺたにエクボができるのよ。名前は、たぶん、『マ』で始まるんじゃないかな……」

「……『マ』??』


 きょとんとするシゼグ。


「……わかった、マーリだぁ!!」


 大声で叫ぶ弟たち。顔に浮かぶ、ニヤニヤ笑い。ははあ、このふたり、マーリがシゼグを好きなのを知ってるのね? おませさん。

 お母さんも、納得したような顔をしてる。マーリの想いに気づいてないのはシゼグだけ?


「マ、マーリ? なんでマーリなんだよ! 俺、最近は、マーリとなんかほとんど口きいたこともないぞ? そりゃ、子どものころはよく一緒に遊んだけどさ。テル、突然ワケのわかんないこと言いだすなよ……」


 真っ赤になって狼狽するシゼグ。

 マーリがシゼグのところにお嫁に来るのに何の障害もないことは、村の女の子情報網を駆使して、ここ数日でしっかりリサーチ済みだ。一人娘でもないし、家同士の仲が悪いわけでもないし、何の不都合もない。何より、マーリは、とてもいい娘だ。


「きっと、幸せになるわ……」


 微笑む私の前髪を、風が揺らす。


「みんな、突然でごめんね。私、もう行かなくちゃ」


 手にしていた鎌を取り落として、がたっと立ち上がるシゼグ。


「行くのか? 今か?」

「うん、そうみたい。今まで、ありがとう。私、幸せでした。なんのお返しも出来ないけど、みんなの幸せを祈ります」


 お母さんとおばあちゃんが、静かに立ち上がって、両側から私に抱きついた。


「ああ、テル、とうとう行ってしまうのね。あなたがうちに来てくれて嬉しかったわ。幸せだったわ。あなたのこと、忘れないわ……」


 お父さんも横に来た。弟たちも駆け寄ってきて、お母さんとおばあちゃん越しに私に抱きついてきた。


「姉ちゃん、行かないで!」

「あなたが、ただの、身寄りのない行き倒れの女の子だったら良かったのに……。もしそうだったら、ずっとここに……」


 お母さんの声が、涙で途切れる。

 おばあちゃんも、お父さんも、弟たちも泣いている。


 この人たち、なんでこんなに泣いたりするの? へんだよ。おかしいよ。だって私、ここに、ほんの一月もいなかったんだよ? ただの居候だったんだよ? それなのに、みんなしてこんなにおいおい泣くなんて、どうかしてるよ……。


 そう思いながらも、私も涙が止まらない。とめどなく零れ落ちる涙が頬を伝う。

 抱きしめあってだんごになった私たちを、シゼグが全員まとめてぎゅっと抱きしめた。


「そうだよ、テル、あんたが〈マレビト〉なんかじゃなければ良かったのに……。俺、〈マレビト〉が持ってくる幸運なんて、何もいらないよ! ただ、あんたがいてくれれば、それでよかったんだ! 妹でも何でも、あんたがずっとうちにいてくれるだけでよかったのに……」


 不細工な顔を涙と鼻水でよけいぐしゃぐしゃにして、人目もはばからず啜り泣くシゼグ。

 ああ、シゼグ、好きよ。あなたに会えてよかった。マーリと幸せになってね。


 私の周りで、風が騒ぐ。風が渦巻く。前髪を揺らし、ショールを舞い上げる。

 今はもう、きっとみんなにも、この風が見えている。

 みんな、風に吹かれる私を、涙に濡れた目で呆然と見ている。

 抱きしめるみんなの腕の中から、私の身体が隔てられてゆく。

 もしかすると、私は、半分透き通りかけているのかもしれない。


「テル、テル!?」


 必死で私を抱きしめようとするお母さん。

 ごめんね、今はもう、その優しい腕が感じられない。

 でも、なんでだろう、ぬくもりだけは感じるよ……。


 突然、シゼグが私たちから離れたかと思うと、テーブルの上においてあったカゴの中から、ジャガイモを一つ、ひっつかんだ。


「テル、こ、これを! このジャガイモを俺だと思って、持って行ってくれ! このジャガイモは俺の誇りだ! 俺が育てた、村で一番、いや、この世で一番美味しい、自慢のジャガイモだぁーッ!」


 胸元に押し付けられたジャガイモを、気づくと受け取っていた。私の手は、もう、半分、ここにはなくなっているのに。

 号泣しながら、また抱きついて来るシゼグ。


「俺のこと、兄ちゃんのこと、忘れないでくれよ! ジャガイモを見たら、俺のことを思い出してくれよ! テル、テルーーー!!」


 ありがとう、シゼグ。ありがとう、みんな。

 私は泣きながら微笑んで、手の中に包み込んだジャガイモを胸に抱きしめた。


 私はこれを、新しい世界には持っていけない。

 新しい世界には、私は、なにひとつ――身に付けている衣服さえ、持っては行かれないのだから。

 そして、私は、ここでのことを、何もかも忘れてしまう。

 この物語とはまた違う、新しい別の物語が始まるのだから。

 私も、別の私になる。


 抱きしめるみんなの腕の中から、私の存在が薄れてゆく。

 みんなの姿が、遠い空から見るみたいに、遠く、小さくなって消えてゆく。


 でも、私は、一つ一つの世界のことを何もかも忘れてしまうけれど、それでも、初めてここに来たときから、シゼグの顔が馬という動物やメイクイーンという品種のジャガイモに似ていることを知っていた。恋物語の相手役は、普通は馬面だったりジャガイモに似ていたりはしないものだということも知っていた。服を渡されれば着方がわかったし、料理の皿とスプーンを渡されれば、食事をすることができた。親切にされたらお礼を言うものだと知っていたし、愛されれば愛を返すすべを知っていた。

 だから、きっと、たとえ忘れていても、いろんな記憶や経験は、本当に私の中から消えてしまうわけではないのだ。たくさんの世界の思い出は、ただ、私の中の奥深くに眠るだけ。思い出せなくても、いつもそこにある。


 もうこの世界からほとんど姿を消した私――たぶんもう身体を持たない私が、私を抱きしめるみんなの優しい温もりだけを、まだ、感じている。

 私を包むシゼグの温もりが、みんなの優しさが、手の中のジャガイモに結晶する。

 ジャガイモの形をした温もりの記憶は、何もかも忘れても、きっと、いつまでも、私の中に残る。私の心の中で、私を温め続ける。

 いつも心に、ジャガイモを――――





 そうして私は、風になった。


    *


 私の名は、テル。私は風。

 語るべき物語を、探し求めている――。


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