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 穏やかな日々が続いた。

 暖かい家族。慎ましく満ち足りた、素朴な暮らし。底抜けに大らかな人々。美しい村。優しい世界。――なんて幸せなんだろう。

 ずっと、いつまでも、こうして暮らせたらいいのに。

 お父さんもお母さんもおばあちゃんも、やんちゃで可愛い弟たちも、みんな大好き。もちろん、シゼグも。

 これといって何のとりえがあるわけでもなく何の役に立つわけでもない居候の私なんかに、この人たちは、なんでこんなに優しいんだろう。

 それを口に出したら、きっと、お母さんが、いつかと同じように、自分の娘を愛するのは役に立つからじゃないと言ってくれるだろう。そうしたら、私はきっと、また泣いてしまうだろう。だから、何も言わずに素直に優しさを受け取って、感謝と微笑みを返す。

 私、本当にこの家の家族だったら良かった。


 お母さんとおばあちゃんと私、三人一緒に炉辺で豆の筋を取りながら、お母さんが、

「ねえ、テル。あなたがシゼグのお嫁さんになって、ずっとこの家にいてくれたら……そうしたら、どんなに幸せかしら――」なんて、夢見るように微笑む。

 ああ、それもいいかもしれないなあ……。

 シゼグの面相には少々問題がないでもないけど、そんなのたいしたことじゃない。

 この家のお嫁さんとして本当に家族になって、大好きなこの人たちと、ずっと一緒に、穏やかに暮らす。

 隣には、ちょっぴり――というか、かなり――不細工だけど優しくて働き者の夫。運悪く父親に似ちゃったらちょっと不細工かもしれないけど、それでもきっと可愛い子供たち。

 お伽話の締めくくりの決まり文句のように、ふたりはいつまでもいつまでも幸せに暮らしました。めでたし、めでたし――なんて。


 今度の私の物語は、もしかしたら、そんな風に幕を下ろすんじゃないだろうか。

 世界の数だけある私の物語の中に、一つくらいは、そんな結末のものもあるはずじゃないだろうか。あったっていいんじゃないだろうか。



 けれど、その時。

 温かい風が、ふわりと私の頬を撫ぜた。

 おばあちゃんもお母さんも気づかない。

 この村の、この季節の、ひんやり爽やかな秋風とは、明らかに違う温度。違う感触。

 別の世界の風。別の世界から、私にだけ吹いてきた風。


 ああ、そうだった、私は旅人なんだった――。


 だけど、もう少し、もう少しだけ、そのことを忘れていてもいいよね?

 まだ、もう少し、時間はあるよね?

 異界の風が私を攫うその時まで、私に、この家の娘でいさせて。おばあちゃんの孫で、お父さんとお母さんの娘でいさせて。

 何も思い出さずに、シゼグの隣にいさせて。


 私は黙って俯いて、ひっそりと微笑んだ。

 お母さんは、それ以上、何も言わなかった。ただ、優しい微笑みで私を見ていた。



 何日かして、夕食の後、いつものようにみんなで炉辺でお茶を飲みながらそれぞれ手作業をしていたら、シゼグが急に立ち上がった。


「テル、ちょ、ちょっと散歩に行かないか?」


 シゼグ――。ものすごく唐突で、わざとらしいんだけど。


 お父さんもお母さんもおばあちゃんも、勇気付けるような優しい笑みでシゼグを見上げている。弟たちは、ちょっと悪戯っぽく笑って、意味ありげに目を見交わしている。


「行っておいで、テル。今日は星が奇麗よ」


 微笑むおばあちゃん。


「そ、そう、俺、星がすごく奇麗に見える場所、知ってるんだ。ぜひ、あんたに見せてやりたいんだ!」と、力みかえったシゼグ。

 星なんて、屋根や木さえなければ、村中のどこからでも奇麗に見えるのに。今日じゃなくたって、晴れてさえいれば、いつだって見えるのに。


 連れだって戸口を出てゆく私たちを、みんなが暖かく見送っている。ミードの口が、声を出さずに、『兄貴、がんばれよ!』と言う形に動いていた。

 少し肌寒い秋の夜。おばあちゃんが編んでくれたショールを羽織って外に出たら、本当に、満天の星が広がっていた。玄関脇に植えてある小さな木の花が、すがすがしく甘い香りを、昼間よりいっそう強く漂わせていた。


 月が明るいから、灯りはいらない。

 月明かりの下、何も言わずに、シゼグはどんどん歩いてゆく。

 でも、ちゃんと、私の歩調は気遣ってくれてる。

 シゼグったら、何も言わずにどこまで行く気だろう。


 村の通りをどんどん抜けて、私たちは、いつのまにか、村外れの丘の上までやってきた。

 昔、シゼグの曾おじいちゃんの時代に〈マレビト〉が住んでいたという小さな家が、半分崩れかけて残っている。

 二人で、月と星の明かりを浴びて、崩れかけた低い石組みに腰掛けた。

 小高いところだから、遮るものも無く、一面の空が見える。満月に近い大きな月と、月明かりにも負けずに降るように輝く星。


「ほんとだ。ここ、星、奇麗……」

「な?」


それきり会話は続かなくて、私たちは黙って並んで星を見ていた。


 しばらくして、シゼグが、ためらいがちに口を開いた。


「昔ここに住んでた二人の〈マレビト〉たちは、愛し合う恋人同士だったんだ。それで、俺たちの間では、ここは恋人同士で来ると縁起がいい場所ってことになっててさ。ここで告白すると恋が実るって」


 ……シゼグ、それ、すっごくベタだよ……。


「あのさ、俺、明るいところであんたの顔を見ながら言える自信がなくてさ。こんな遅い時間に、こんなとこまで連れ出してごめん」


 『言える』って、何を?

 もちろん、分かってる。

 でも、何も気がつかなかったフリをした。


「ううん。夜のお散歩って、なんか素敵ね。普段見てる景色も、ぜんぜん違って見える」

「テル……。あのさ、」


 シゼグがふと手を伸ばして、私の手を取った。と言うか、指先を取った。

 私の指先に触れるシゼグの武骨な指が、震えている。

 思いがけず、心臓がどくんと跳ねた。


 どうしよう。私、シゼグが好きだ――。

 ……こんなに不細工なのに。


 ううん、本当は、不細工なんて一度も気にしたこと無かった。

 私は、時によって、男だったり女だったり、子供だったり年寄りだったりする。美しい時もあれば、醜い時もある。そんな私が、他人の顔の美醜なんか、気にするわけがない。ただ、一般的に考えて恋物語の相手役がこの顔というのはありえないんじゃないかと思い込んでいただけ。

 私が愛するのは、ただ、その人の魂の美しさだ。

 私にとって、シゼグは、誰より奇麗だ。私は、シゼグが好きだ。――あと少し、あと少しだけ、繋いだ指に力をこめて、ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ、偶然みたいに自分のほうに引き寄せて、まるでたまたまバランスを崩したみたいにその胸に身を投げさせてくれたら、そのまま、優しい腕に身を委ねてもいいと思うくらいに。


 触れ合った指先が熱い。


 シゼグ、何も言わずに、ほんのちょっとだけ、私の指先を引き寄せてみて。分かるか分からないかくらいの力で、微妙に、この均衡を崩してみて。

 そうしたら、私、花びらの上の露が触れた指先の上に転げ落ちるように、あなたの腕の中に倒れ込むから。


 訪れる世界ごとに、男だったり女だったり子供だったり大人だったりする私が、この世界には、若い娘の心と身体を持って現れたのは、それをシゼグに与えるためだったんじゃないだろうか。私は、シゼグのために、シゼグに与えられるために、美しい乙女の姿でここに存在しているんじゃないだろうか――。

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