06.公爵令嬢、いつも通り過ごす
本日2話目です。
馬車が学園内のロータリーに到着すると、まずはカインが馬車を下りた。
続いて、アイリーンに「どうぞ」とにっこり手を差し出す。
その顔を見て、アイリーンは目を丸くした。
「あなた、いつの間に眼鏡なんて」
細い縁の眼鏡をかけた悪魔が微笑んだ。
「目立たないようにということですので」
アイリーンはため息をついた。
この悪魔は本当に美しい。
冴え冴えとした黒髪に、誘うような赤い瞳。整った顔立ちからは、とてつもない色気を感じる。
悪魔だと分かって警戒しているアイリーンですら、思わず見とれてしまうほどだ。
こんな執事を連れていたら、間違いなく注目の的だろう。
(ここまで目立つ容姿だから、眼鏡なんてあってもなくても同じだと思うけど、少しはマシかしらね)
そして、その意外と力強い手に支えられて降りて、「あら?」と目をぱちくりさせた。
注目を集めていると思いきや、誰も見ていない。
不思議に思って見上げると、悪魔がにっこり笑って、眼鏡のふちに手をかけた。
「便利でしょう? 昔エルフに作ってもらったのです」
「エルフ?」
「ええ。さあ、行きましょう。私は初めてですから、お嬢様が教えて下さるんでしょう?」
「そ、そうですわね」
アイリーンは、つんと顎を上げた。
「では、行きますわよ。着いていらして」
彼女は教室に向かって歩き始めた。
廊下を歩いていると、家(ブライトン公爵家)と取引のある下位貴族の娘や子息たちが近づいてきた。
「おはようございます、アイリーン様」
「ごきげんよう、お嬢様」
「……」
丁寧に挨拶されるが、チラリと見るだけで黙ってやり過ごす。
その他の生徒たちは、好奇心の目でアイリーンを見ており、こそこそと内緒話をする者もいる。
(……やはり噂になっているわね)
王子が婚約者ではなく別の女性を連れて留学に出たのだ。
さぞ悪い噂が飛び交っていることだろう。
アイリーンは、ギュッと拳を握った。
顎を上げると、背筋を伸ばして進む。
そして、教室に到着すると、カインに後ろに立っているように言い、授業を受け始めた。
(授業中は他の目を気にしなくていいから楽ね)
そして、彼女は盛大なため息をついた。
(……あの悪魔、どうしようかしら)
朝になって改めて考えると、「婚約者の浮気相手を何とかしたい」なんて、間違いなく悪魔を召喚して何とかしてもらうレベルの話ではない。
夜に色々思い出したり思い詰めたりして、突発的にやらかしてしまった。そんな感じだ。
何とかこのまま帰ってもらいたいのだが、多分そういう訳にもいかないだろう。
なんで悪魔なんて呼び出しちゃったのかしら、と心の底から後悔するが、なかったことにはできない。
(とりあえず、何とか誤魔化しつつ、帰ってもらう方法を調べないと)
ブライトン公爵家には、アイリーンしか知らない隠し地下室がある。
幼少の頃、祖父が入っていくのをたまたま見て、2年前に初めて実際に入った。
そこは書斎のようになっており、壁一面の古い書籍の中に、悪魔召喚の方法が書かれた手帳が置かれていた。
(あの書物は、悪魔に関するものが多かった。あそこを調べれば、多分何か分かるわ)
そんなことを頭の隅で考えながら、黒板の内容をノートにとる。
そして、昼時になり、彼女はカインと共に食堂に向かった。
悪魔は結構楽しく授業を聞いていたらしく、300年の空白期間が埋まったと喜んでいる。
「そうなのね」と相槌を打つが、300年って何よ、と空恐ろしくなる。
そして、食堂に到着し、カインが小さな声で尋ねて来た。
「教室でも思ったのですが、全員が執事やメイドを連れているわけではないのですね」
「ええ。上位貴族に限られますわ。この学園だと、5人にも満たないかしら」
「なるほど、それはそれは」
「上位貴族には様々な特権が与えられる代わりに、ふさわしい態度をとることが求められているのよ」
アイリーンが誇らしげに答える。
そして、食堂に到着し、上位貴族用の少し立派なスペースに行くと、アイリーンは椅子を引いてくれるカインに言った。
「食事をとってきてちょうだい、料理長に、ブライトン公爵家用、と言えば分かるわ」
「仰せのままに」
そして、カインが厨房に向かって10分後。
彼はやや訝しげな表情で、お盆を持って来た。
お盆には、雑穀入りのスープと小さなライムギパン、水が載っている。
お盆をアイリーンの前に置きながら、カインが口を開いた。
「これで、よろしいのですか?」
「ええ、これでいいわ」
「他の方を見ると、別の食事をされているようですが」
「これは特別製の完全美容食よ。食べると美しくなれるの」
「そうですか。私はてっきり、家畜のエサか何かかと」
「え? 聞こえなかったわ。何と言ったの?」
悪魔が「何でもありません」と微笑む。
彼女はゆっくりと食事をとりはじめた。
特に美味しい物ではないが、お腹が少しだけ満たされる。
カインは、アイリーンのすぐ後ろに立つと、
他の席で楽しそうにおしゃべりをしている生徒たちを、黙ってながめる。
その後、教室に戻って午後の授業を終えた後、
アイリーンは生徒会室に向かった。
ドアを開けると、生徒会員である下位貴族たちが仕事をしている。
「アイリーン様、こちらの書類をお願いします」
持って来られた書類の山を見て、アイリーンはため息をついた。
参考資料も含め、10cmはある。
(さすがは4人分ですわね……)
げんなりしていると、後ろから悪魔が声を掛けてきた。
「ずいぶんと多いように見えますが」
「ええ、4人分ですもの」
「なぜ4人分も?」
「昨日言った通り、殿下と側近たちが隣国に留学に行きましたの。それで、その仕事が私に回ってきているというわけですわ」
「他の者には、仕事をまわさないのですか?」
「上位貴族として、これらは全部やるべきですわ」
それを聞いて、そうですか、と悪魔が微妙な顔をする。
アイリーンは作業を開始した。
途中で、下位貴族の女の子が、「手伝います」と申し出るが、無視する。
そして、夕方遅くになって、ようやく仕事が終わり、彼女は席を立った。
誰もいない生徒会室を出て、人がまばらな薄暗い校舎の中を、馬車乗り場に向かって歩く。
そして、馬車に乗って屋敷に帰ると、すぐに夕食をとった。
今日のメニューは、煮込んだ野菜スープ、ナッツ、ライムギパン、水だ。
カインが、その食事をジッと見た。
「これも美容食ですか」
「ええ、そうよ」
その後、勉強したりお風呂に入ったり、メイドに顔をパックさせる。
そして、全てのやるべきことが終わり、
「今日も疲れたわ」
と、うとうとしていると、ノックの音がいてカインが中に入ってきた。
「お嬢様、少しよろしいでしょうか」
「ええ、なにかしら」
眠気に襲われてボンヤリしながら答えると、カインがにっこり笑った。
「お話が2つあります」
「2つ」
「ええ、1つは願いごと、もう1つはお嬢様のことです」
アイリーンの目が一瞬で覚めた。
あまりに違和感なく馴染んでいたため、途中から彼が悪魔だということが頭から飛んでいた。
(そ、そうでしたわ! ど、どうしましょう!)
色を失うアイリーンを、カインが妖艶な微笑を浮かべながらながめた。
後ほどもう1話投稿します。