05.学園へ
本日1話目です。
夫人が、「では、後はまかせましたよ」と踊るように食堂を出て行ったあと。
アイリーンは、優雅にコップに水を注ぐ悪魔を、ジト目で睨んだ。
「……あなた、何をしていらっしゃるの?」
「お嬢様のコップに水を入れております。喉がかわいているのではありませんか?」
「ええ、まあ」
「ではどうぞ」
ありがとう、とアイリーンはコップを受け取って飲み干す。
そして、ハッとして、「ち、ちがいますわ!」と叫んで立ち上がった。
「なぜあなたがここにいるか聞いていますのよ!」
「なぜって、お嬢様が呼び出したのでしょう?」
「そ、それはそうですけど……」
アイリーンが言い淀みながら、のろのろと椅子に座った。
本当だったら、「お帰りになって!」と言いたいところだが、そんなことを言ったら、願い事をさっさと言え、と言われてしまうだろう。
そして、何か願いを叶えてもらった瞬間、アイリーンの命は終わる。
(そ、それだけは何としてでも避けないと!)
黙り込むアイリーンに、悪魔が微笑んだ。
「まずは、食事を済ませて下さい。その後、学園に行きましょう」
「……え?」
「夫人から聞きましたよ。家人を1人連れて行ってもいいそうですね」
アイリーンが、再びガバッと立ち上がった。
「ちょっと待って! まさか、あなた付いてくるつもりですの!?」
「ええ、召喚者に付き添うのは当然のことかと」
そんなのダメですわ! と言おうとするものの、アイリーンは口を噤んだ。
夫人の様子は、明らかにおかしかった。
絶対にこの悪魔が何かしたに違いない。
こんな危ない悪魔を野放しにするなんて、危険過ぎる。
「わ、わかりましたわ……。でも、大丈夫なの? あなた目立つでしょう?」
「はい、人の目を誤魔化すのは得意ですから」
悪魔が楽しげにうなずく。
そして、アイリーンの食べている皿に目を留めると、不思議そうな顔をした。
「それは、何ですか?」
「これ? これは完全美容食よ。食べると美しくなれるの」
「そうですか……」
悪魔が微妙な顔をする。
アイリーンが尋ねた。
「ところで、あなたは何という名前なの?」
「名前は時代によって様々ですが、基本的に召喚者に付けて頂くことにしています」
ふうん、とアイリーンが考え込んだ。
悪魔さんとか呼びたいところだが、目立つし変だから、何か違うものにしよう。
「……カイン、とかどう?」
悪くないですね、と悪魔が目を細めた。
「なにか由来があるのですか?」
「絵本の中に出てくる悪魔の名前よ。あなたにちょっと似ているの」
小さい頃に童話で読んだ、悪魔を呼び出してしまう農民の話。
わくわくどきどきしながら、何度も読んだ。
(あの時はまさか自分が呼び出してしまうなんて、夢にも思いませんでしたわね……)
遠い目をするアイリーン。
そして、食事を終えると、彼女は「準備をする」と1人自室に上がった。
メイド2人に化粧と髪の毛を整えてもらう。
おしろいを塗りたくられながら、アイリーンは、メイド2人をチラチラ見た。
この2人は、あの悪魔のことを知っているのだろうか。
「新しく来た執事のこと、ご存知?」
ええ、と2人が興奮気味にうなずいた。
「すごいカッコいいですよね! しかも、優しくて紳士です!」
「さすがは夫人が信頼することだけあります!」
(どうやら全面的に受け入れられているようね)
アイリーンは身震いした。
一体何をしたらこうなるのかと、空恐ろしくなる。
そして、下に下りて行くと、カインが階段の横に立って待っていた。
アイリーンを見て、一瞬驚いたような表情になる。
「お嬢様、そのお顔、どうされました?」
「普段通りよ? うちのメイドはお化粧が上手なの」
得意げに言うと、そうですか、とカインが目を伏せる。
その後、2人は向かい合って馬車に乗ると、学園に向かった。
馬車の中で、アイリーンが、物珍しそうに外をながめるカインに尋ねた。
「……あなた、夫人に何をしたの?」
「なにも」と、カインが微笑んだ。
「少々お話をさせていただいただけですよ」
アイリーンがジト目で彼を見た。
「あれが、お話しただけ、な訳がないでしょ!」
「本当ですよ。ずっと旅行をしたかったとおっしゃっていたので、今日から行ってみてはどうかとお勧めしました。ああ、大丈夫ですよ。心を操るなどの行為はしていませんから」
やると壊れますし、とカインがにっこり笑う。
美しく笑う悪魔を見て、アイリーンはため息をつきながら悟った。
これはもう、何を言っても無駄そうですわね、と。
*
ため息をつくアイリーンをながめながら、カインは思った。
単純なようでいて、なかなか謎の多い娘だな、と。
彼は昨晩、この屋敷に到着した後、まずは屋敷中を見て回った。
(意外だな。ここは「公爵家」なのか)
書類のあて先を見て、ここが公爵家であることを知り、彼は疑問になった。
公爵家の娘であれば、婚約者の浮気相手など、どうにでもできるだろう。
金を出して人を雇えば、あっという間に解決する。
(なぜ俺を呼び出したんだ?)
悪魔を呼び出すということは、命を失うということだ。
世界征服など、自分には絶対にできないことを叶える場合に、呼び出すことがほとんどだ。
先ほどの話を聞いていて、てっきり上位貴族の娘を始末して欲しいのかと思ったが、
彼女自身が公爵家となると、恐らく違う。
(分からんな)
まさか勢いで呼び出されたとも思わず、首をひねる。
その後、彼は、廊下で屋敷内の見回りをしている男性を捕まえた。
話を聞き、「ナスティ夫人」という女がこの屋敷をし切っていることを突きとめる。
そして、その部屋を訪問し、夫人が寝ているベッドのへりに座って名前を呼んだ。
彼女は目を開けてカインを見るなり、驚愕の表情を浮かべた。
「ひ、ひい! だ、誰です!?」
悪魔は、必死に叫ぶ夫人の目を、赤い瞳でジッと見つめた。
「俺が誰であろうと、どうでもいいだろう?」
夫人の目がとろんとなる。
「……そう、ですね」
その後は、この家のことを色々と聞き出した。
アイリーンの両親は幼い息子2人と領地にこもっており、ほとんど帰って来ないこと。
この屋敷では、アイリーンと使用人たちしかいないこと。
ナスティ夫人が、屋敷とアイリーンの一切を仕切っていること。
「アイリーン様を立派な淑女に育てるのが私の役割です」
と言うのを聞いて、カインは思った。
こいつは邪魔そうだな、と。
それで、何かやりたいことがないかを聞き出し、旅行に行くように薦めた、という次第だ。
ちなみに、彼がやったのは、欲望を増幅させ、義務感や使命感などを弱めたことだ。
無理矢理心を操ると人は壊れてしまうが、元々持っている欲望を大きくしたり、誘導するくらいなら、特に問題はない。
その後、彼は執事という身分と服を手に入れ、アイリーンの前に現れた、という次第だ。
*
馬車に揺られながら、カインは疲れた表情で座っているアイリーンを見た。
(色々と謎はあるが、こっちも解せないな)
彼が解せないと思っているのは、化粧だ。
昨日見た時は、痩せすぎではあるものの、どちらかといえばおっとりとした、整った顔立ちの可愛らしい令嬢に見えた。
しかし、今の姿は、それとはかなり違っていた。
おしろいを厚く塗りたくられた肌に、濃く描かれた眉毛に長い睫毛。
髪の毛も、つやつやの金髪から一転、くるくるに巻かれてドリルのような房が複数垂れている。
何と言うか、すごく派手でキツそうだ。
良い所を潰しているような様相に、カインは首をかしげた。
これは流行なのだろうか。
そう思っている間に、馬車は立派な門をくぐる。
アイリーンがためいきをついた。
「着きましたわ。行きましょう。わたくしは公爵令嬢ですから、くれぐれも言動にはお気を付けになって」
カインは、はい、とにっこり微笑みながら思った。
300年振りの人間界だ。
ここはせいぜい楽しむとしよう、と。
今日は夜にまた投稿します。