朧 その5
「やだ、やっぱり見えてるじゃない」
男の背後に、薄い金の頭髪が見える。
ワカツキさんだ!
そう思った瞬間、なぜか安心して力が抜けた。その流れでヘタリそうだったが、なんとか踏ん張って立っている。
「まあ、さほどグロくないからOKよ」
そんな言葉が聞こえてきた直後、青い光が辺りを包んだ。
「きいぃいいイィぃぃい」
「うっ」
高周波の音に、思わず耳を塞いだ。
耳障りな高音は断末魔なのか、ワカツキさんがやっている何かの影響かは分からない。
「まぶ……し……い……」
まだ鳴り続ける高音に、大倭の声がほとんど聞こえない。
青い光の収束とともに、ワカツキさんの全身が見える。
「消えた」
ボソボソと言うようなくぐもった大倭の呟きが遠くに聞こえる。
高音の残響が、まだ耳に残っているようだ。
「さて、あなた達」
教室に入ってきたワカツキさんは、俺達から少し離れた机に青い小箱を置いた。そのまま同じ机に腰掛けて、優雅に足を組む。
背が高いから、椅子より机が丁度いいのかも。
「無事かしら?」
「はい。ありがとうございます」
大倭が答え、俺は頷いた。
「もう聞こえるかしら」
ワカツキさんは俺にだけそう聞いた。
「はい。まだ少しだけ耳の奥で鳴っていますけど、あなたの声は聞こえます」
そう言うと、2人から別々の言葉が出た。
「え、将生……耳鳴り?」
「あなたじゃなくて、若月と呼んで」
俺は2人を交互に見る。大倭も俺とワカツキさんを交互に見た。
「若いに月でワカツキ。あたしの名前よ。それより、あなたは目の方がいいわね。あなたは耳」
若月さんは先に大倭を、次に俺を指差しながら言った。
「日下部の子は視界の中心にまだ光の残像があるんじゃない?」
大倭が頷き、すぐに俺を見た。
「将生は残像ない?」
「うん。俺は耳鳴りがすごくて。もうほとんどないけど、まだ少し鳴ってる。あの、若月さん」
呼びかけると、グレーの瞳がまっすぐこちらに向かう。
俺は少しドキっとしながら口を開いた。
「ありがとうございます。どうしていいのか分からなかったので、助かりました」
「オレからも、ありがとうございます。ところで、どうして学校にいるんですか?」
若月さんは魅惑的な笑みを浮かべると、髪をサラリと揺らして言った。
「リクルートよ」
「「リクルート?」」
2人同時に聞き返す。
「そ、来年会社を作るつもりなの。そこで将来有望な従業員候補を探しているってわけ」
本当に起業するんだ。
凄いなぁ。
「将来有望って、オレ達がですか?」
大倭がキョトンとした顔で若月さんを見ていた。
「ええ、そうよ。見える子はなるべく多くほしいの。祓える様になるなら、なお良いんだけど」
若月さんは机から離れ、俺達に近寄ってきた。
「今の時点で見えているなら、そのまま定着するでしょう。もし15を過ぎても見えていて、日下部に骨を埋めるつもりじゃなかったら、連絡してちょうだい」
俺達は顔を見合わせてから、若月さんを見た。
「来年ってまだ15じゃないですけど」
これは俺から。
若月さんは少し首を傾け、自分を抱きしめるようにして言う。
「日下部の子は家の事もあるでしょうし、2人とも強制はしないわ。あたしは全く別の組織を作って、業界を変えたいの。シンジュに対立しようってわけじゃないけど、革命的ではあるわね。だから5年かけて態勢を整えるつもりよ。5年後はあなた達の能力も定着しているでしょうし、進みたい道もできているでしょう。5年以内に連絡がなければ、あなた達の事は忘れる事にするわ」
自分の5年後なんて、考えたことなかった。
高校生になっているんだろうな、くらいの認識だ。
なんとなく漠然と、大倭と地元の高校に行くんだろうなって想像はしていたが、それくらいだ。
「どこで働くんですか」
俺と同じことを考えたのか、場所を聞いたのは大倭だった。
「本拠地は大阪に置くつもり。後は京都に飲食店を、横浜か東京にショップを置く予定よ。首都圏には学校も作りたいわね。ま、でもあなた達はそのまま進学しなさい。拠点に常駐する必要はないのよ」
飲食店って聞こえたけど、気のせいかな。ショップって何を売るところ?
「若月さんは大阪に住んでいるんですか」
俺がそう言うと、しなやかに立つその人は静かに首を振った。
「今、住んでいるのは藤沢よ。本拠地を置く場所は、経度と緯度から大阪になったの」
俺と大倭は同時に首を傾げる。
「ま、そんな事はどうでもいいわね」
手を顔の前で振って続けて言う若月さん。
「あたしと一緒に新しい風を起こしたいのなら、歓迎するわよ。恐ろしくて関わりたくないって怖気づくのなら、それはそれで仕方ないけど」
軽く肩を竦めた若月さんは、日本語の上手い海外の人に見える。
「ま、これからじっくり考えて」
そう言うと、いつの間にか指に挟んでいたカードを俺達に渡し、ひらりと踵を返した。
「卒業する頃、能力がどうなったのか教えてちょうだい。もし住所が見えたのなら採用よ」
ヒラヒラと手を振りながら帰る背中は、頼もしくかっこよかった。
「男の人だったな」
帰り道、手に乗った壊れた鈴を見ながら、大倭はポツリと呟く。
「え!どこで分かったんだ?」
俺は手に乗せていた、やはり壊れた鈴を思わず握って大倭に顔を向けた。
「胸、ぺちゃんこだったじゃん」
なんてことない調子で言う大倭。俺は思わず前後左右を見回して、誰もいない事を確認した。
「女の人だったら失礼だぞ」
若月さんが聞いていないと分かっていても、ヒヤヒヤした。
「背も高かったし。綺麗な人だけど、別に化粧とかしてなかったしさ。ありゃ、男だよ。で、将生はどうする?」
問われた俺はしばし考える。
制服のポケットから、もらったカードを出して見た。
『はなちるさと 若月』
そう書かれた下には連絡先の記載がない。住所が見えたら採用って、どういう意味だろう?
疑問に思ってカードをひっくり返すと、手書きの文字があった。
『緊急時は破きなさい』
「どういう事?」
首を傾げた俺に、大倭も首を傾げて言う。
「さあ?それよりもさ、職業としてはすっげえ特殊だけど、面白そうだな。でもちょっと先の事すぎて……」
『怖気付くのなら、それはそれで仕方ないけど』
何故かそこだけ思い出した。本当のことを言うと、怖い。
でも、それを認めて笑われるのは嫌だ。
若月さんに認めてもらいたい、何故かそう思った。
俺が言葉に詰まっていると、大倭が自分の胸に手を当てて自答するように言う。
「オレはさ、実はちょっとビビってたんだ。得体の知れない存在が後ろから声をかけてきて、見てないのに存在だけ感じる。それが怖くて何も出来なかった。本当は振り返りたくなかったし、全力で逃げたかったけど、それすらも怖くて出来なかった。でもさ、これが体質なんだとしたら、これからもあんな事があるかもしれない」
そう言うと、大倭は立ち止まる。俺も合わせて立ち止まった。
「それは将生も同じなんだと思う。それなら、オレ達はこの能力を磨かないといけない。危険なものから身を守れるように、もしくは危険を察知して逃げるなり、対処したりする必要がある」
なんだか、急に大倭が大人になったように見えた。
「日下部の家って神戸にあるんだけどさ、時々訓練しに行こうぜ。将来、どんな仕事に就くかなんてまだ分からないけど、自分の身は守らなきゃいけないって、今日思ったんだ」
もしかすると、と大倭は続ける。
「ピンチの時、このカードを破くと誰かが助けてくれるのかも。でも、オレは助けられるんじゃなくて、助ける側になりたい。このカードはお守りで持ってるけど、使う事なく若月さんのところに行きたい」
「な、なんか大倭、カッケーな」
自慢げな顔がこちらを見る。
「あ、じゃあさ」
俺は湧き出た発想を口に出す。
「1枚はピンチの人がいたらあげよう」
大倭は同意の頷きをくれる。
「いいね、それ」
「後は住所かぁ」
俺の言葉に、大倭は再び自慢げな顔を作る。
「多分親戚頼っていけば、若月さんにも会えるし、連絡取れると思う」
「あ、そうか!親戚って偉大だな」
止まっていた足を出して、歩みを再開する。
「後2年でやっておく事を決めようぜ」
そう言いながら人差し指を立てた。
「まずは白い人を見たらお互い報告する」
大倭が先に案を出した。
「黒いのもいるみたいだから、それもな」
そう補足した。
「そうだな。んで、最終的には、今日みたいな奴を祓う、だよな。あ、それと、卒業までに15のインベンションをレパートリーにする」
大倭のインベンション熱はまだまだ冷めそうにない。
俺は苦笑しながら頷き、話を戻した。
「大倭の親戚にさ、チューニング・フォークを修行にどう使うのか、聞いといてよ」
「了解。祓えるようになろうな」
青い光と共に消えた怖い存在。守ってもらうんじゃなくて、守る側になる。
「そうだな。15になるまでにそれを達成して、若月さんに連絡するか相談しよう」
未来の事は分からない。
でも、複数の選択肢がある。
関わらない選択もあるかもしれない。
自分の考えがこの先変わる可能性もあるが、今は逃げずに戦うと決めた。
そんな自分が少し誇らしかった。
大倭と別れてから、俺は横断歩道を渡っていた。
ふと横を見ると、頭上が揺らめく白い人が、俺と並行して歩いている。
ああ、あの人だ。
そう思って、じっくり観察した。
怖くない。
ただ、そこに存在しているだけのモノだった。
祓わなくても良い存在なのだろうか。祓い方はまだ知らないからどうしようもなけど。
そんな事も、これから学んでいくのだろう。
俺はなんとなく、その人と歩調を合わせて横断歩道を渡り切った。
「あんなに怖かったのに」
ポツリと呟いた時には、白い人はすでに消えていた。
前に見た時は、あんなに怖かったのに。
相談できる友達がいて、頼れる大人がいる。
それなら、もう怖くない。
自然と口角が上がり、軽い足取りで帰途へとつく。
ちょっぴり大人になったと思いながら、ギターケースを持ち直した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「終わったようだな。光、感想は?」
ゴーグルを外した光は、目前にいる巻毛の男に興奮した声で感想を告げた。
「す、凄いです!師匠、若月さんは天才ですね。11年も前の事を、まるで本人が見てきた様に体験できるなんて。大倭君と将生君、いいコンビでしたね!」
顔を紅潮させて言う光。ふと、真顔に戻って首を傾げた。
「あれ?でも11年前に中学生ってことは年上だから大倭さんと将生さん?」
その様子を見ながら、師匠と呼ばれた男は自分の顎を掴んで言う。
「大倭と将生……そうか、吉佐将生と外間大倭。冬香に音叉をせがむ2人組か」
「え、師匠の知り合いですか?」
「若月の手下。この辺りをよく巡回しているよ。ま、ともかくこれで、京都の坂で見た白いやつの正体は分かったな」
「はい!必要以上にビビらなくてもよかったんですね。それじゃあ後ろの黒いのも……」
巻毛の男は頷いて次のカードを引く。
「このカードは黒いヤツが題材だと思うけど、続けて見るか?」
光は頷いてゴーグルを装着する。
「はい。今のが初級なら、次は中級ですか?」
「いや、初級2」
巻毛の男はカードを持ち、ゴーグルの前に掲げる。すると、カードは霧散する様分解され、ゴーグルに吸い込まれて消えた。
次の物語が始まる。