朧 その4
その年の冬休み、神戸から大倭の親戚がやって来た。
俺は大倭に呼ばれて、日下部家当主と、当主が連れてきた薄い金髪の、綺麗な人に挨拶した。
当主はちょっと怖そうなおじさんだったが、俺は当主の横にいる綺麗な人に釘付けだった。
サラサラの髪は耳を隠す程度の長さで、後ろ髪は短く、すっきりとした首が見えていた。
ショートボブってやつかな。
薄い金色の髪にグレーの瞳。陶器のような肌に整った顔立ちで、服装もなんか変わってて、アシンメトリーでモノクロのざっくりしたデザインだ。女の人かと思ったけど、大倭の親戚のおじさんより背が高いので男の人かも。
年齢は20歳くらいに見える。
日本語、通じるかな。
どこから来た人だろう。
日下部の当主が話している間中、その綺麗な人はずっと俺達を観察していた。
俺がじっと見ていたから、仕返しに見られているのかもって少し思ったけど、なんか様子が違う。
しばらくすると、その人は奥の方に何か合図を送る。
すると、奥から巻毛のメチャクチャかっこいい人が現れた。
日下部の当主はそれに気づかない様子で、ずっと説明らしきものを続けている。
するりと近寄ってきた巻毛の人は、俺たちより年上で高校生くらいに見える。まるで作り物みたいな顔のその人は、金髪の綺麗な人に近寄り、説明を受けている俺達をじっと見ていた。
綺麗なものが2つ並んで立っているが、巻毛の人だけ異世界に存在しているように見える。
不思議だなってぼんやり見ていると、巻毛の人の視線が急に強くなった。
鋭く、重い。
先ほどよりも、もっとずっと緊張しながら、その圧に耐えていた。
心臓が破裂しそうなほどドキドキして、しっかりと見返す事ができずにいた俺は、日下部さんの話を半分以上聞き漏らしながら、相槌も忘れてその2人を見ていた。
なんとか覚えている話は白い煙を纏った存在についての事で、移動するモノもいれば、その場に留まるだけのモノもいる。悪さなどせず、ただそこに存在するだけのモノらしいって事くらい。
しばらくすると巻毛の人は、隣の金髪の人に小さく何事か囁くと、そのままどこかへ行ってしまった。その様子がまるで絵の中の出来事のようで、白昼夢でも見ている気分になった。
もしかすると、本当に幻覚なのかも。白くもないし、煙も出てないけど。
「ねえ、あんた達」
薄い金髪の綺麗な人が、突然口を開く。
声までもが中性的だったが、日本語だった事に安堵した。
日下部の当主は、その人が口を開いたからか、説明をやめて様子を伺っている。
「本当に朧しか見えないの?」
小首を傾げて聴くその姿勢はしなやかで、色気ってこういう事なのかと思った。しかし問われている内容が分からない。2人して首を傾けていると、その綺麗な人は言い直してくれる。
「白くも黒くもないモノも、見た事あるんじゃない?」
俺と大倭は目を見合わせた。
「えっと、今のところはないと思います」
顔を金髪の人に戻した俺はそう答えて、グレーの瞳をじっと見た。グレーだけじゃなくて、中心にオレンジとかグリーンとかが散りばめられた、不思議な瞳だった。
やっぱりこの人もめちゃくちゃ綺麗だ。男だとしたら、横に並ぶ女子は大変だな。でも女なら、さっきの人とお似合いかもしれない。
「ふうん、そう。おかしいわね」
そう言って、ぶつぶつ何かを呟いている。
「若月さん。この2人、才能ありですか」
日下部の当主が、丁寧な感じでその人に問いかけている。
「ええ、そのようね。でも、見えていないのなら危険はないかしら」
「今後の可能性はいかがでしょう」
「年齢的に微妙ではあるけど、可能性は高そうよ」
「そうですか。大倭、黒いモノが見える様になったら、すぐに連絡しなさい。お友達もだ」
「は、はい」
おもわず返事をした。
「綺麗な人だったな」
俺達は2人で話すためにあの公園に来ていた。
手にはそれぞれ新しい鈴。コロコロと綺麗な音が鳴っている。
白い人がいた場所にはもう何もなく、あの時と同じように、冬でも枯れぬ垣根が生い茂っている。
「うん、あれが噂の人だったんだ」
「え、有名なの?3人とも?」
「3人?」
訝しげな大倭に、首を傾げながら言った。
「話の途中で、もう1人来たじゃん。髪の毛くるくるのスッゲーかっこいい人。すぐにいなくなったけど。金髪の人が合図したら奥の方から出てきて、金髪の人に何か言ってすぐに消えた」
「そうだったんだ。全然気が付かなかった。日下部のおじさんの話に夢中で、合図したのも知らねえや」
思い出そうとしているのか、大倭は少し上を見ながら答える。
「日下部のおじさんも、その業界では有名なんだろうけど、綺麗な人の方は別格だって」
大倭は少しきまり悪そうな表情をして俺を見る。
「話に集中してたのもあるけど、ちょっと綺麗すぎて、そっちを直視できなかったんだよね」
「あ、それはわかる」
「もう1人のことは分からないけどさ、あの金髪の人はお父さんも有名なんだって、母さんが言ってた。革命児みたいな人だったらしいよ」
「革命児?」
「詳しくは知らないけど、あの人は本家の人なんだと思う」
俺は大倭を見て、どう表現して良いか分からない違和感を探るように声を出す。
「じゃあ、あの人も日下部さんなんだ。当主がワカツキさんって呼んでたな。日下部 ワカツキ?」
「あの人はタマキさんじゃないかな。たぶんタマキ ワカツキって人だと思う。あ、そうか。うん、なんて言ったらいいんだろう。日下部家が傍流で、あの人の家が本家なんだよ。日下部家を中心に見たら、オレの家が分家とかで、おじさんのところが本家って事なんだけど」
ますます分からない。
ボウリュウってなんだ?
難しい顔をして考えていると、同じように難しい顔の大倭が考えながら口を開く。
「えっと、この業界には名家と呼ばれる家が10あって、その中の派閥みたいなものの、トップの家って言えばいいのかな」
「つまり……宗家?」
俺がそう聴くと、大倭はパッと顔を上げて頷く。
「そんな感じ!」
「10あるトップってことは、日本の頂点?」
あの綺麗な人が?
でも、なんとなく納得してしまえる雰囲気の人物だった。
「10ある家が4つの派閥になっていて、うちの派閥のトップかな。シンジュがどうとか、母さんが言ってた」
「シンジュ?」
真珠の事だろうか。
「うん。日下部の叔父さんはそうだって。ワカツキさんの家から枝分かれしたのが日下部家で、他にはアオキとかコウズバラとか、なんかそんな名前の家があるみたいだよ」
ふうんと、声に出して言ってみたが、よく分からない。それが伝わったのか、大倭がさらに噛み砕いて教えてくれる。
「つまり、ワカツキさんをお祖父さんとしたら、日下部は3兄弟の1人で、母さんはその子どもって感じかな」
「暖簾分けみたいな?」
俺がそう言うと、大倭は上空を難しい顔で睨みつける。
「……俺も鈴もらってよかったのかな」
大倭がパンクしそうだったので話題を変える。
「魔除けだからいいに決まってんじゃん!まあ、母さんの様子聞きながらもう1個くれたから、そっちがメインなんじゃないか?」
「そうなんだ。やっぱり娘のことが心配なんだろうね」
コロリと掌の上で音が鳴る。
「うん、綺麗な音だ」
俺がそう呟くと、大倭はえっと言ってこっちを見る。
「音、聞こえんの?」
「え?ああ、うん。ずっと聞こえてるけど、大倭は聞こえないとか」
「ショックだ。オレは聞こえないのに。将生が聞こえたのは、あの時だけだと思ってた」
驚いた。てっきり大倭も聞こえていると思っていたのに。
ふと、校舎裏での事を思い出す。
「前に校舎裏で白い人見ただろ?スーツの」
「メタボハゲ?」
「俺はそこまで見えなかったし、優しそうって言ってたじゃん?それって目線か何か?」
大倭は思い出すように上を見ながら答える。
「うん、まあそうかな。ニコニコしながら、花壇に水やってるみたいな動きしてた」
「へぇ。俺はそこまで見えなかった。ひょっとして、見えない分聞こえるのかも。だから大倭も聞こえない分、目がいいって事なんじゃないか」
「そっか。その可能性もあるな。新学期始まったら、また校舎裏で見てみようぜ」
学校は来週からだ。
部活終わりにでも話の続きをしようと言って、俺達は解散した。
「あの後、家で何か話した?」
翌週の放課後、部活の片付けをしながら、大倭に声をかける。
教室はすでに俺達だけだったが、なぜか少し小声になって聞いている自分が少し可笑しい。
「それが母さんもオレと同じレベルみたいでさ、ただ見えるだけで何も出来ないから、大した訓練もしてないらしい」
「って事は、ワカツキさんの事も知らない?」
がっかりした顔をしない様に、気をつけながら聞いた。チラリと大倭の八重歯が見える。
「ううん、そこは知ってた」
えっ!と口に出しそうになって、慌てて飲み込む。そのまま大倭の続きを待った。
「ちょっと変わり者で有名なんだって。シンジュっていうのは伝統的な家の集まりみたいなんだけど、そこから独立して何か始めようとしてるって言ってた」
その相棒にって、あのかっこいい人と連んでんのかな。
「ふーん、起業って事?」
かっこいいと思ったついでに大倭に質問。
「あの人って、男の人?」
「た、たぶん」
どうやら大倭も自信ないようだ。
ギターのネックを拭いていた大倭の手が止まり、目線が上を向く。つられるように、俺も上を見てワカツキさんを思い出そうとした、その時。
じりりっ!
鈴の音が聞こえる。新しくもらった魔除けの鈴。
「お、まだ誰かいたのか。もう下校時間過ぎてるぞ。早く帰れよ」
「!」
「ぃ!」
俺は僅かに息を漏らし、大倭と同時に背筋を伸ばして固まった。
そして鈴の音が、消えた。
一気に思い出す、ワカツキさんの言葉。
『白くも黒くもないモノも、見た事あるんじゃない?』
なんでこの事を忘れていたんだろう。話を聞いて、色々解ったような気になってた。
鈴が壊れるほどの事だったのに。
白いお爺さんとか、横断歩道を一緒に渡る人とか、そんな全てのモノを通り越して異常だったのに。あまりにも普通のように見えていたから、不自然だったのに忘れていた。
今日も背後から光が射しているのだろうか。北側の廊下から、日なんて射さないはずの入口に手をかけて。
振り返るのが怖い。
大倭も同じように感じているのか、動く気配がなかった。
「見えているのに無視するのか」
左耳に口をつけるようにして言われているような、そんな距離だと思った。
近いだけじゃない。
先ほどよりも低くざらりとした声だ。
恐怖が腰から背中を駆け上がる。
目だけを横に動かしてみるが、視界に変化はない。
怖い。
怖いが、振り返らなくても怖いのなら、ちゃんと見て対処した方がいいに決まっている。
俺はそう思い直して、左からゆっくり振り返った。
その怖いモノは隣にはいないかった。しかし安堵することなど出来ず、ぎこちない動作のまま教室の入口に体を向ける。
あの日と同じように、入口に立っている人がいた。背後から光が出ていて、表情が見えない。
ギターをぎゅっと握る手が、汗ばんで楽器が滑り落ちそうだ。
大倭も俺に倣うように振り返っていたが、やはり何も出来ずに固まっている。
「お前達、2人でいい波長をだしているな」
いい獲物を見つけたと言われているような気分だった。顔の見えない男がこちらに近寄ろうとしているが、どうしていいのか分からず固まっている。
いや、違う。
これは、動けないんだ。
恐怖で動けないのか、何か不思議な力で動けないのか分からないが、指先すら動かない。
どうしよう、怖い、どうしよう。
「どっちが俺の適正だろうなぁ。どっちも簡単に乗っ取れそうで迷うなぁ」
愉快そうな声色に恐怖がピークを迎えそうだと思ったその瞬間、呆れたような声が入口の方から聞こえた。