おばあちゃんと、ぼく
綴 栞。これがウチの婆ちゃんの名前。
どんだけ本が好きなんだっていう名前なんだけど、実際に家の中は本棚だらけ。いつ遊びに行っても本を読んでいる。なんでも、若い頃に吸血鬼に噛まれて吸字鬼になったらしくて、ご飯は食べなくても平気だけど本を読まないと飢えて死ぬのだとか。
本当かどうかわからないけど、とにかくいつも本を読んでいる。
そんな婆ちゃんが最近奇妙は事を言い始めた。
「私もね、もうすぐアラハンですから、そろそろ終活をしようかと思うんですよ」
「就活って、ばあちゃん今から会社勤めすんの?」
「今から採ってくれる会社あるのかしらね。でもね、その就活じゃなくて人生の終わりを見据えての活動よ」
「え、遺書書いたりするってこと?」
手のひらに字を書く真似をする僕に、ばあちゃんはアメリカ人みたいに「ふぅー!」と肩をすくめて答えた。
「そんなの30年前に書き終わって毎年弁護士さんに更新して貰ってるのよ」
「じゃ、何するのさ」
「もちろん、本を読むのよ」
わけわからない。ばあちゃんの家は八畳の仏壇のある部屋と襖で仕切られている六畳間。廊下を挟んで洋風の応接間やキッチン。そして後から増築した三つの十四畳の書庫がある。これらの応接間と三つの書庫は全て本棚で天井まで埋まっているし、廊下だって体を横にしないと通れない。廊下にも本棚があるから。
「これだけ読んで、まだ読むの?」
ぼくは両手を広げて、六畳間のカラーボックスにぎっしりの本を見る。
「おばあちゃんね、好きなシリーズの外伝とか、好きな作家さんの本とかは全部読まないで取ってあるのよ」
「なんでさ。好きな本なら読んじゃえばいいのに」
「未読の本を取っておくのよ。だって絶対好きな本でしょ。初読の感動を取っておきたいじゃない!」
満面の笑みでニコニコと納戸に向かうばあちゃんについていくと、普段使っている第二、第三の書庫ではなく第一書庫を開けた。
「もしかして、ここに未読の棚があるとか?」
「いいえ。違うわ。ここが未読の書庫よ」
「ばあちゃん何歳まで生きるつもり?」
「これ読み終わるまでは死ねないわねぇ。天ちゃんも好きなの読んでいいのよ。でもネタバレだけは勘弁してね」
そういうと婆ちゃんは『グイン・サーガ』を手に取った。
「これ、80巻あたりで最新刊に追いついちゃった時に止めておいたのよ。外伝は読んじゃったから……」
婆ちゃんが言うには、吸字鬼は初めて読んだ本の心の動きを栄養にできるので、食べなくても死なないらしい。でもその代わりに一度読んだ本は読めなくなる。だから、新しい本をドンドン読んでいかないと飢えてしまう。
母さんはそんなの本気違いの趣味人が付いた嘘よというけれど、どうもぼくにはそうは思えない。
タタミが痛むのも気にせずに部屋の真ん中に置かれた安楽椅子。そこにゆっくりと腰をかけた婆ちゃんは、鼻の穴を膨らませて本を読み始めると、眼が赤く光り始めた。するとみるみる若返り始め、20代のお姉さんにしかみえなくなる。母さんより若いんじゃないかな。
「ばあちゃん、化け物って言われない?」
「あ、イシュトバーン凄く久しぶり……」
もう聞いてない。ぼくも何か読もうかな。自分が同じ本を二度読めないせいか、本の感想を話すと凄く喜ぶし、お年玉クラスのお小遣いをバンバンくれるんだ。
ぼくは第二書庫の「天地向けおすすめコーナー」の棚に向かうと、適当に一冊手に取った。このコーナーは何を読んでも面白い。
「でもなぁ……こんなには無理だよ。ぼくは吸字鬼じゃないんだし」
ポプラ社にフォア文庫に青い鳥文庫。出版社別で作者順に並んだその棚は、なんと六本もあるのだ。
ぼくはふぅーっと肩をすくめると、お小遣い目当てに読み始めた。