第639話 十三日で築き上げた絆
「えっ?」
「むう」
斜め前に座る栗毛の深山さんが【冷徹】を使うのも忘れて口に手を当てて驚き、右隣の馬那が唸り声を絞り出す。
タァンの放ったセリフにしばし固まった仲間たちだが、意味が浸透していくにつれて、それぞれが表情を変えていく。
向かいの綿原さんはなんとなく予想していたのだろう、大きいリアクションはしていないけれど、それでも顔を俯かせた。
かくいう俺も想像はできていた。滝沢先生や藍城委員長、上杉さん、古韮、白石さん、疋さん、中宮さん、そして佩丘と田村も勘付いていたんだろうな。中宮さんの顔など見ていられるようなものじゃない。
直接名指しされたティアさんはさっきまでの鋭さを消し去って沈黙を保ち、メーラさんはただ目を伏せている。
「ごめんね。元クラスメイトとはいっても、みんなをフィルダールに迎え入れるのだけでも、前例という意味じゃ結構危ない橋なんだ」
タァンによる魔王国への勧誘は完全に日本人に向けたもので、必然的にティアさんとメーラさんは対象とされない。むしろ俺たち一年一組が特別扱いされたと言った方が正確なんだろう。しかも危ない橋、か。
ここまでの会話でタァンが魔王国について、とくに新迷宮の存在を明かしたのは、ティアさんへの気遣いという側面もあったのかもしれないなんて、ふと思ってしまう。
だけど、これじゃあ……。
「問いがありますわ」
「答えられることなら」
少しの沈黙を破ったのはティアさんだった。
らしくもなく穏やかな声色のティアさんのセリフを受け、タァンは先を促す。
「この提案は間違いなく、彼らの故郷への道しるべとなるのですわね?」
ティアさんの質問は魔族の秘密に関するものでもなく、何とかして自分も魔王国に行きたいとか、そういうものではなかった。
「本当にティアさんはいい人なんだね。うん。そうだよ。小さい可能性だけど」
「……家の名に誓っていましたけれど、それはタァン、あなたが犬耳族であるということですわよね」
「そうだね。タァンは『魔族』で、『魔王国』の一員として生きているよ」
確約するタァンに対し、ティアさんの問い掛けは続く。タァンの返答は敢えて蔑称を使い、自らが魔王国に住む魔族なんだという立場を鮮明にしていた。
クラスメイトの友人である淡崎佐和を理由に、魔族としてのタァン・サワノサという立場を利用して彼女は俺たちを魔王国に導こうとしている。確かに都合のいいやり口だよな。
だけどタァンは悪びれもせずに笑っているし。それを見つめるシロゥネとチャアトに姉を咎める素振りは一切ない。
「もしも彼らに仇を成したなら」
「ペルメッダが敵になる?」
「まさか。国家間の友好はそんな些細なことでは揺るぎませんわ。ですが、わたくし個人として……」
「怖いね。だけど、やっぱりティアさんは素敵な人だよ。カッコいいや」
少々物騒な会話が続き、最後にティアさんは邪悪に笑ってみせた。
強がりなのかはわからない。それでもタァンの言うように、俺たちの仲間の悪役令嬢はカッコいい人なんだ。
ティアさんの心意気のお陰で、少しだけ気分が軽くなった気がするよ。
「じゃあこれを渡しておくね」
ティアさんとの問答を終えたタァンは、懐から取り出した封筒を委員長の手元に滑らせた。やることがいちいち演技掛かっているんだよなあ。
見たところ宛名のところに暗号っぽい記号が描かれていて、しっかりと蝋封されている。蝋に捺された紋章らしき図柄がやたらとカッコいい狼っぽいのはスルーするとして。
手紙を渡す代わりに、タァンはこうして口頭で勧誘してくれていると言っていたはずなのだけど。
「これは?」
「紹介状だよ。国境の町、テスにいるフィルダールの駐在官に渡せばいい。帰り道で話は通しておくからさ」
訝し気に手紙を手に取った委員長にタァンは軽い調子で説明をした。
なるほど、タァンたちはこのあとすぐに魔王国に帰還するのだから、俺たちが国境を超えるためには必要になるのか。
「テスの駐在官は確か『長耳族』の方でしたわね。褐色肌をした……」
ここで再びティアさんが会話に加わってくる。表情に陰りが見当たらないのがせめてもの救いだな。
で、褐色肌の長耳族ときたか。要するにダークエルフだ。途端古韮や野来の目に光が宿り、白石さんの丸メガネが輝く。
ティアさんとメーラさんの手前、簡単に盛り上がるわけにもいかないが、胸にくるものがあるな。ミアには申し訳ないが、エセと本物の差はどんな感じなんだろう。
「へえ、ティアさんは会ったことがあるんだ」
「一年程前に視察で赴いた際にお会いしましたわ。フィルダール側の交易担当者として紹介されましたわね。気さくな方だと記憶していますわ」
「パペッポー・ピッテルパート。いい子だよ」
だから名前っ!
タァンとティアさんのやり取りの中で出てきたその名を聞いて、仲間の誰もが噴き出さなかったことを称賛したい。先生もよくぞ耐えてくれた。
犬耳娘たちも変わった名前をしているとは思ったけれど、別方向で物凄いな。単語を聞くだけで魔王国の底知れなさが伝わってくる。腹筋を鍛えておく必要がありそうだ。
いや、今はそうじゃない。ティアさんは開き直った感じになっているが、俺たちの今後について話し合う必要があるんだ。俺なりに意見を決めておかないと。
◇◇◇
「最後に断言しておくね。タァンは機械仕掛けの……、ええっと何だっけ、委員長」
「もしかして『機械仕掛けの神』、『デウスエクスマキナ』かな?」
「そう、それ。タァンはそうじゃない。フィルダールそのものも違う」
幾つかなされた軽い質疑応答のあと、タァンが委員長から引っ張り出した単語は『デウスエクスマキナ』だった。
個人的に好きなワードではある。意味するところは『全てを解決してくれる、ご都合主義的存在』だ。
この場合ならば、魔王国には俺たちが地球に帰還するための直接的な何かが存在している、って意味に捉えていいだろう。
タァンはそれを明確に否定した。
「タァンはみんなが地球に戻るための手段を持ち合わせていない。伝手もだよ」
申し訳なさそうな表情をしながらタァンが念を押す。
「だからヒント……」
「そうなるね。みんなに教えることができるのは、本当に小さな『切っ掛け』だけなんだ。結果として無駄足になるかもしれないくらいの」
綿原さんの小さな呟きを拾い、タァンは不安を煽るような言い方をする。
それでもこれは俺たちが求めていた帰還への、初めて得られた切っ掛けだ。乗らない手は無い。
だけどそれが意味するところは……。
「……じゃあ、そろそろタァンたちは行くよ」
一斉に立ち上がったタァンたち犬耳娘は、椅子の背に掛けてあったマントを同時に羽織った。
見送りのために俺たちも全員が席を立つ。
◇◇◇
『みんなが来てくれる日を楽しみにしてる。ちゃんと話し合って決めてね?』
そんな言葉を残してタァン、シロゥネ、チャアトは勢いよくズバっとフードを被り、マントを翻しながら去っていった。
カッコいい仕草ではあったのだけれど、尻尾が元気よく振れていたのがなんともはやだ。絶対に狙ってやっているんだろうなあ。
タァンたちの颯爽な行動とは裏腹に、みんなが集合している談話室の空気は目に見えて重たい。
「そういえばさ、タァンは当然かもしれないけど、チャアトとシロゥネも日本人顔だったよね」
「犬耳族ってそういう種族なのかな」
思い出したように野来と白石さんがぼそぼそとしゃべっているが、そこから会話が膨らむこともなく、すぐに沈黙してしまう。
犬耳娘たちが辞去してからそろそろ三十分が過ぎようとしているが、さっきからこんなのの繰り返しだ。
隣に座る綿原さんも考え込むかのように、両手で掴んだマグカップに視線を落としているし、肩のサメも動きが小さい。話を振ってあげたい気持ちもあるが、俺も何て言ったらいいかわからないんだ。
『ワンワン迷宮』とか『ダークエルフのパペッポーさん』とか、話題自体はいくらでもあるんだけど、それでも俺の口は開こうとしてくれない。
当事者のティアさんとメーラさんは先生と一緒にテーブル席に座り、紅茶やコーヒーを飲みながら静かに俺たちの様子を窺っている。どうやら自分から口火を切るつもりはなさそうだ。
どこかで話し合いを始めなければいけないのだが、なかなかそういう雰囲気にならない。『一年一組』らしくないとも思うが、コトがコトだけに……。
「……話し合いを、始めよう」
しばしの時間が経ってから、小さく掠れた声でそう提案したのは委員長だった。
すっと席を立ったティアさんが仲間たちの作る車座に加わる。メーラさんと先生もそれに倣った。
ティアさんの所作に淀みは無いが、不安気に瞳が動いているのが見えてしまう。こういう時は【観察者】な自分が恨めしくなるな。
「前置きを長くしても仕方がないね。……タァンの言う通りに魔王国、フィルダール連合王国に行くことに賛成する人は挙手してほしい。もちろん意見は好きに言ってくれて構わないよ」
委員長の言葉に間を置かず手を上げたのは他ならぬ日本人以外の二人だけだった。クラスメイトたちは周囲の様子を窺いつつ、誰も手を伸ばすことができていない。先生や帰還強硬派の佩丘ですらだ。
「ティア、あなたはそれでいいの?」
「良いわけがありませんわ。心はかき乱れていますわよ、リン」
瞳を揺らしながら問い掛ける中宮さんに、ティアさんは口元を震わせつつも毅然と答える。
「だったらっ」
「わたくしは言ったはずですわよ?『一年一組』に加入するに当たって──」
「わかってるわよ! 忘れるはずが、ないでしょう……」
談話室に中宮さんの悲痛な声が響いた。
俯いてしまった奉谷さんの目からは大粒の涙がボタボタとこぼれている。クラスメイトたちの半分以上は涙目だ。
もしも俺たちが帰還に繋がる何かを見つけた場合、即座に行動を起こす。ティアさんとメーラさんは全力でそれを手助けするというのが、二人が『一年一組』に加入する際の誓いだ。
仲間たちの誰一人だって、そのことを忘れてはいない。だけど、だからといって、平然と受け入れられるわけがないじゃないか。
「リン、あなたはわたくしとメーラの誇りを汚すつもりですの?」
「そんなっ、そんな、ことっ」
優し気な目をしたティアさんからキツい言葉をぶつけられた中宮さんは、ついに涙をこぼしてぶんぶんと首を横に振る。
「これまでの旅路を思い出しなさいませ」
そんなことを言いながらティアさんは順番に俺たちを見渡した。唐突な話題につられ、数名の仲間が顔を上げる。
「あなたたちがアウローニヤの王城でグズグズしていたら、今頃は帝国に身を寄せていたかもしれませんわね」
ティアさんが訥々と語り始めた。
政治もあって詳細こそ伝え切ってはいないものの、これまで俺たちがどうやって異世界での時間を過ごしてきたかを、ティアさんとメーラさんは知っている。
「アウローニヤでの政争を勝ち抜いたあなたたちはペルメッダで冒険者となり、わたくしとメーラを迎え入れてくれましたわ」
絨毯の上に座るティアさんは、らしくもなくお姫様のように優雅に笑う。
「三度に渡りペルマの冒険者を救い出し、新種にも敢然と立ち向かった。そして数多の冒険者たちとの交友を広げていますわね」
そこまで言って両手を広げたティアさんは、誇らしげに俺たちを見つめる。一緒に頑張ってきたんだから、ティアさん自身の冒険でもあるんだけどな。
冒険者に憧れ、そして俺たちと行動を共にすることを望んで『一年一組』に入ったティアさんだけど、今の生活を楽しんでくれているのだと思う。
ちゃんと伝わってくるよ。
強欲なティアさんのことだ、まだまだこれからで、満足には程遠いのだろうけど……。
「そして聖法国の刺客をも打ち破り、ついには帰還への『ひんと』との邂逅を果たしましたわ。全てはあなたたちが自発的に動いた結果ですわね」
「流されて、ですけどね」
今現在までを語り切ったティアさんに、古韮が苦笑しながら合いの手を入れた。
「流されることの何が悪いのでしょう。そうでない人間をわたくしは見たことがありませんわ。さて、みなさんは機会を得た。偶然でも努力の末でも構うことではありませんわよ!」
ティアさんの声に乗った熱気が談話室を駆け巡る。そう、俺たちはここまで来たんだ。
すでに顔を伏せたままの仲間はいない。誰もがティアさんから視線を外さずに、自分たちの背中を押す言葉を受け止めている。
「ティア……」
「なんですの? リン」
「ありがとう」
感極まった表情の中宮さんがティアさんの下へと歩み寄った。それに合わせてティアさんも立ち上がり、二人は至近距離で対峙する。
「それは、何に対しての礼ですの?」
「全部に決まってるわ。仲間になってくれて、一緒に戦って、こうして励ましてくれて……。一番悲しいのはティアなのにっ」
中宮さんの声には真心が込められていた。一番悲しいって、それは中宮さんだって似たようなもののハズだけど、ちゃんと相手を思いやる言葉を口にできるのが偉いよ。
「ふぐっ」
「ぐすっ、ティアっ」
同時に顔を歪めた二人はその場でひしと抱き合い、お互いの涙で肩を濡らした。
多数決が有耶無耶になっているけど、すでに結論は出たようなものだ。
ああ、なんで俺の視界は歪んでいるんだろう。隣に座る綿原さんの頬をつたう涙がぼやけて映る。
『山士幌か。元気でな』
『ああ』
ふと中学を卒業した時に友人と交わした会話を思い出す。
もっと仲良くなっていれば、なんていうのは今更だ。それでも俺は異世界に召喚されて、そこにいる人たちと一緒に泣いてしまうことを知った。
日本に戻ったらそんな人たちをもっと増やそう。生死を共にする必要なんてない。大切なのは真摯に言葉を交わすだけなのだから。
◇◇◇
「も、もうちょっとだけ滞在を伸ばすってのはダメっすかね」
笹見さんがたくさん用意した暖かいタオルを片手に、藤永が小声で提案した。
「組合の手続きだったり……、ここを引き払う準備だってあるから、明日すぐに出発ってわけにはいかないよね」
「だよね。それに、準備もしたから」
引き払うという単語を言いよどみながらも、野来が曖昧に藤永に同調し、白石さんもそれに乗っかる。
一昨日深夜に『六本の尾』の襲撃を撃退した俺たちは、昨日今日と次回の迷宮に向けての準備だけは進めてきた。何も無ければ明日にでも潜るつもりでいたんだ。
それを理由にしてでもティアさんとメーラさんと一緒の時間を延長したいという気持ちは、この場の全員が同じくしているだろう。
「迷宮だけじゃねえ。俺たちが動くのは、ティアさんとメーラさんの今後をキチっとしてからだろうが」
佩丘の野太い声にクラスメイトたちが一斉に頷く。全く、変なところで義理堅いのがウチのヤンキーだ。
だが言われてみれば確かに、今日の明日で魔王国に出発とはいかない。
アウローニヤでは女王様たちが決めた俺たちの追放だけど、今回は自分たちで判断をしなければいけないんだ。
「そうですわね。わたくしとしては、明日の迷宮は外したくありませんわ。わたくしたちは強くあらねばいけませんもの」
「それってまさか、五層へ?」
さっきまでボロ泣きしていたティアさんもまたタオルを手にし、力強く迷宮行を要求する。綿原さんが反応するが、なるほどもっともな疑問だ。
ティアさんとメーラさんは十三階位を達成している。彼女たちが今以上に階位を上げるためには五層への挑戦が必要だ。
だけど現在のペルマ迷宮五層は、最強と呼ばれる『赤組』ですら手を焼くような魔境と化している。いくらなんでも、さあ明日は五層とはいかない。
こればっかりはティアさんの願いでも、かなり無理があるだろう。
「違いますわよ、ナギ。ユキノはもうすぐ十三階位なのでしょう?『一年一組』にはまだ十人も十二階位が残されていますわ」
そんな俺の考え違いをティアさんは一蹴する。
ティアさんとメーラさんが『一年一組』に入ってまだ十三日しか経っていない。それでも彼女たちはお互いを理解し、思いやることのできる仲間なんだ。
今のセリフだけで思い知らされたよ。
「コウシ、わたくしとメーラの力は必要ではなくって?」
「もちろんです。委員長、俺は明日の迷宮に賛成する。十三階位を増やすぞ」
鋭い視線を送ってきたティアさんに頷き、俺は右手を天井に向けて伸ばす。ここで素敵な仲間の心意気に応えなくてなんだというんだ。
「うん、僕も十三階位になりたい」
「僕も!」
階位レースで出遅れがちな草間と夏樹が賛同し、仲間たちが手を上げていく。
全員の賛成を得るまでに必要とされた時間はとても短かった。
次回の投稿は三日後(2026/04/13)を予定しています。




