第609話 戻るか否か
「申し訳ないけど、僕は反対させてもらうよ」
数秒の沈黙を破ったのは藍城委員長だった。
初手で反対の声が上がったことに、気弱な提案者の白石さんが体をビクリとさせる。相方の野来は委員長に恨みがましい視線を送ることもなく、複雑そうな表情だ。
こういう場面でも理性的なんだな、野来は。俺なら綿原さんが絡んだら、理屈抜きで味方をしてしまいそうなのに。
「一度決めたことだから、なんていうつもりじゃない。地上が不穏だっていうのがどうしてもね」
委員長が含みのある言い方をするが、色々な人たちに迷惑を掛けているのが気になるのだろう。
もしかしたらマクターナさんの言っていた『一年一組』の悪評すら判断要素に入れているのかもしれない。ともすればそれが今回の騒動で俺たちの危機に結びつくことだってあり得るのだし。
さておき、ここで委員長が率先して反対意見を出したのは大きい。
白石さんが迷宮泊の延長を提案し、委員長が反対したことで、場は多数決モードに入った。さて、どうなるか。
「俺も反対、だなぁ」
ちょっと言いにくそうに、それでも田村はハッキリと反対という単語を口にした。
「後衛の二人を十三階位にしたとこで、上杉は【魔力凝縮】で笹見は温存だろ? 強さに直接繋がらねぇ」
数字を使った田村の理屈は俺の心の中にあったものと一緒だ。俺としてはそのちょっとが大切なのだが、アイツは割り切る方を採ったらしい。
「あたしは当事者だからねえ。降りさせてもらってもいいかい?」
「わたしも……、棄権」
レベリングの対象者で、しかも間に合うかも怪しい笹見さんと深山さんは棄権を申し出た。
まあ気持ちも理解できるし、仕方ないか。
「どうしようかな……。ボクもみんなに任せるよ。ごめんね」
同じく奉谷さんも判断が付かないようだ。
今回の多数決はハウーズ救出の時のように棄権が増えそうな気がするが、アレは心の中では反対だけどそれを口にはしたくないというタイプのものだった。
対して今、奉谷さんが悩んだ末に白票を投じたのは、不確定要素が多すぎて判定が難しいからだ。
『雪山組』の奮起から覚えた危機感を原動力に地上に戻ることを一度は決意したものの、マクターナさんたちとの模擬戦を経て力の必要性を感じ、さらには今後の展開に繋がりそうな新情報が得られなかったことが大きい。
微妙に状況が変わったんだよな。
「君たちは……、一体何を?」
「いいんですよ。これが彼らのやり方ですから」
突然始まった多数決に『第一』の隊長さんがいぶかしげに首を傾げるが、マクターナさんは余裕の表情だ。俺たちの専属担当は『一年一組』の多数決を見たことがあるからなあ。
時間を取らせるのはちょっとだけなので、もう少しだけ待っていてもらいたい。
それにしても最近は全会一致が多かったのに、ここでこうなるか。
いかんせん判断すべき要素が多いから、個人の考えに違いが出てくるんだろう。どこに重きを置くかっていうのもあるし、委員長は否定していたけど、一度決めたことだからっていうのもアリといえばアリだ。
「わたしは反対よ。意味を持って地上に戻ると決めたのだから、そうした方がいいと思う。ごめんね、碧ちゃん」
まさにそういうスタンスの中宮さんが反対を表明した。ちゃんとフォローを入れている辺りは彼女らしいけど、白石さんは申し訳なさそうに俯いている。
「延長に賛成します。本音を言えば、わたしたちが迷宮にいるあいだに決着がつくのが最良だと思っていますので」
「昇子姉、先生は……、そうですよね」
対して滝沢先生はもう一泊を主張した。初めての賛成票は先生か。
中宮さんが残念そうな顔になっているけど、こればかりはどうしようもない。中宮さんだってわかっているはずだ。先生は守れる範囲を切り分けている。未成年が絡むと強硬派になりがちだが、基本的には自分の手の内側を大切にする人だから。
「ハルも賛成。ほら、みんなはアラウド迷宮で戦いながら階位を上げたよね。ギリギリまでっていうの、すごく大事だと思う」
「僕もレベリングする方に賛成かな。春姉の言ってる通りだよ」
陸上女子な春さんがギリギリの大切さを語り、弟の夏樹が乗っかった。
言われてみればだけど、俺たちはアラウド迷宮で総長たちと戦いながらレベリングをしたことがある。
あの経験を踏まえれば、本当に際どいところでの一階位は大切だと考えるのは理解できる話だ。
「うん、アタシも碧の側かなぁ~。いいじゃん。一日伸ばして強くなれるんならさぁ」
「面倒くせえ。とっとと地上に戻って白黒つけた方が早えんじゃねえか? 俺たちが出張れば敵が他所に手を出すコトもなくなるだろ。何だぁ、疋」
「べっつに~」
チャラいノリの疋さんは延長に前向きで、強面の佩丘が反対に回った。
疋さんがそんな佩丘に意味深な視線を送って睨み返されている。
早期帰還過激派であるにも関わらず、佩丘の義理堅さはクラスの中でも上位に入るだろう。
要するにほかの冒険者たちに魔の手が伸びるのを嫌がっているのだ。異世界の人たちとはいえ、出会ってしまった以上は……。
中宮さんが真っ直ぐな人情派なら、佩丘はひねくれ者だな。
「わたくしは居残りを推しますわ。お父様やウィル兄様を信じていますもの」
「わたしはみなさんの判断に委ねます」
すっかり身内ムードなティアさんは優雅に賛成に回り、メーラさんは無表情で棄権を告げた。素直にティアさんに賛同しないとか、メーラさんも変わったよ。
でもまあ、確かにティアさんの言うことももっともだ。
帝国関連の刺客を一掃した手腕といい、ウィル様の指揮と侯王様の武力は信頼すべきものがある。
「ですがいつまでも迷宮にいたままでは不埒な者共をウィル兄様が始末してしまいそうですわね。できることならば、わたくしのこの手で叩き伏せてやりたいものですわ。なにせ彼奴らは、わたくしの大切な──」
ティアさんが長台詞で気を吐いているのはさておき、みんなの判断基準がおぼろげに見えてきた。ううむ、俺はどうしたものか。
「俺は……、みんなの判断に従う」
「わりい、俺が戻る方を推して流れを作ったかもしれない。だから棄権だ」
寡黙な馬那とバツが悪そうにしている海藤も棄権。
確かに『雪山組』の勢いを見て戻ろうと主張したのは海藤だけど、そこまで気に病むことはないだろうに。
「僕は棄権するよ。碧ちゃん、ごめん」
「……わたしが変なこと言い出したからだよね。わたしこそごめんね、孝則くん」
で、白石さんと妙なムードを醸し出している野来も賛否を避けた。
ここで賛成したからといって白石さんに従ったってことにはならないのに、むしろ甘ったるいぞ、その選択は。
「賛成するっす。階位だけじゃなくって、熟練だって上げた方がいいっすよ。あんまり言いたくないけど、上杉っちや奉谷っちの【鋭刃】、レベリング対象なんだから上がるっすよね」
下っ端言葉でチャラ男な藤永はいつになく饒舌に、しかも冷たい理屈までくっ付けて賛成側に回った。
階位だけじゃなく上杉さんや奉谷さんの【鋭刃】を磨けときたか。
確かに迷宮内の方が魔力回復も有利に働くし、レベリング対象者の二人には魔獣を刺しまくってもらう予定だ。取得してから間もない彼女たちの【鋭刃】だって育つだろう。
そう、自衛という意味だろうとは思うが、藤永は彼女たちに刃を振るえと言っている。
敢えて名前を出さなかったが、同じく【鋭刃】使いで後衛の深山さんにもだ。
藤永……、深山さんが絡むとはいえ、そんなことを言うキャラだったか?
お陰でクラスメイトたちの表情がキマったり怯えたり、いろんな方向に変わっているんだが。
とはいえ藤永は、なんだかんだで深山さんの覚悟に応えたってことか。ホラーな彼女にビビり散らかしていたクセに。
「カッコいいね。藤永クン」
「陽介の意気や良しデス。ならばワタシは【剛力】を鍛えマス!」
藤永を見てポヤっとしたままの深山さんが惚気を撒き散らし、ミアは得たりと頷く。えっと、ミアは賛成ってことでいいんだよな。
「……僕は、ごめん。決められないや」
そしてメガネ忍者な草間は逃げた。
どうやら藤永の言葉に込められた意味にビビったらしい。
それもまた判断のひとつとして認めるさ。誰もがスパっと割り切れるものじゃない。
「白石さん、八津くん。一日伸ばせばわたしは十三階位になれそうですか?」
「八津くん次第、かな」
真顔な上杉さんは、さっきの模擬戦でいろいろ思うところがあったのだろう。ちょっとしたオーラを立ち昇らせて白石さんと俺に尋ねてきた。
白石さんはスルっと俺にパスを送る。ずるくないか?
「保証はできないけど、努力は約束するよ」
「そうですか。では遠慮なく指示を出してください。先程の二の舞を演じたくはありません」
「あ、ああ」
カッコいいコトを言ったつもりだが、上杉さんの返事に乗った圧が結構キツい。彼女は微笑みを取り戻して俺を見つめているのに対し、俺は曖昧に頷くだけだ。
これは破ることが許されない約束だな。ウチの聖女様は完全にキマっている。
クラス全体の問題とはいえ、マクターナさんたちとの模擬戦を一番重たく受け止めてるのって、上杉さんじゃないだろうか。
「となれば俺も賛成だ。盾は任せろ。せっかくだから俺を十三階位にしてくれてもいいんだぞ?」
「ありがとうございます。古韮くん」
聖女シンパな古韮は軽い口調で抜け抜けと言ってのけた。上杉さんにお礼をされてまんざらでもなさそうなのがなあ。
「……わたしは」
そして綿原さんがおずおずと口を開く。
普段は裏表がハッキリしている彼女らしくない態度だが、気持ちはわからなくもない。双頭サメも片方ずつ頭を上げ下げしているし。
「マクターナさんに言っちゃった手前もあるし、だけど階位上げをしたいっていう気持ちも捨てきれないし」
やっぱり『一年一組』を代表して地上に戻る宣言をしたことが引っ掛かっていたか。それと気恥ずかしいが、俺が敵に狙われる可能性があるっていうのも影響しているんだろう。
残念だけど綿原さん、サメと一緒になってこっちをチラチラ見てるのはいいのだけど、出遅れてる俺は二日あっても十三階位は無理だぞ?
むしろ綿原さんの十三階位の方が遥かに近いくらいだし。
「気にするとこ、おかしくないか?」
「でも、わたしは迷宮委員として……」
煮え切らない態度に古韮がツッコムも、彼女は妙なところにこだわっているようだ。そこまで迷宮委員を誇りにするのは俺としても嬉しいけれど……。
「綿原お前、そんなにめんどくさいヤツだったか? もういいから棄権でもしとけ」
「……そうね。どっちつかずでごめんなさい」
顔に面倒臭いという文字を貼り付けた田村の言葉に、綿原さんはうなだれつつも流された。
皮肉屋な田村の言いたかったことは明白だ。
綿原さんが賛否に迷っている時点ですでに『一年一組』二十四人中の二十二名が投票を終えていた。
途中経過は棄権が八で、予定通りに地上に戻ろうという票は四。そして迷宮泊延長に賛成が十だ。俺もまた迷宮委員としてメモっていたから間違いない。ミスがあったら同じく記録を付けている奉谷さん辺りが指摘するだろう。
ここに綿原さんが棄権票を入れたわけだが、とっくに決着はついている。
最後の方で上杉さんと古韮が反対していたら、綿原さんと俺の選択にも意味があったんだけどなあ。
それでも全員の意志を聞き遂げるのがウチのやり方だ。
「で、八津までグチグチぬかすんじゃねえだろうな?」
田村の口の悪さは留まるところを知らないな。
それと俺に対する評価はどうなんだろう。佩丘と田村は微妙なツンデレを使ってくるから困るんだ。
「延長に賛成だ。元々レベリング派だったけど、藤永の意見が刺さったよ」
「俺っすか!?」
正直な気持ちを口にしたというのに、藤永はどうしてそう驚くのか。ワリとリスペクトしてるんだぞ?
「みんなの考え方や覚悟、どこに重点を置いたのか、全部聞けて良かった」
「お? 八津がいいこと言い出す展開か?」
俺が本音を口にしたところで古韮が茶々を入れてくる。
実際、春さんのギリギリも響いたし、上杉さんのキマりっぷりも凄いと思う。ティアさんの身内を信じるという姿勢も頷けると同時に、反対に回ったメンバーからだって気概を感じた。
複雑な感情で棄権した連中だって、それぞれ考えた上での結論だ。
意見が異なる全員が、ちゃんと自分なりの答えを口にしたのがカッコいい。俺はそう思うんだ。
なんていう胸の内を晒してもいいけれど、時間も押しているしな。
「無いって。それより委員長か白石さん、結果発表してくれよ。マクターナさんたちを待たせてるし」
だから俺は肩を竦めて委員長と白石さんに水を向けた。
「そうだね。結果は棄権が九、反対は四、賛成が十一。合計二十四で間違いないね?」
「……うん」
こちらもまたご丁寧にメモを取っていた委員長が結果を告げ、発議した白石さんが頬を赤くしながら小さく頷く。
組長の先生こそ賛成したものの、副長二人が反対に回るという中々イカれた投票結果だ。救いなのは棄権よりも賛成が多かったってところか。
ほかの組でこんな事態になったらどうなるんだろうな。最終的に組長の意見が通るとしても、遺恨とかが残りそうな気もするし。
だけど『一年一組』はそうじゃない。
「マクターナさん。前言を翻してしまって申し訳ありません。地上に戻るのを一日伸ばして、明後日にしてもいいですか?」
結果が出たことにスッキリとしたのだろう。綿原さんは真面目顔をしながらすっと立ち上がり、マクターナさんに頭を下げる。
「はい。もちろんです。ではこちらを」
こちらも腰を持ち上げたマクターナさんは、降ろした背嚢から取り出した紙を綿原さんに手渡した。
「……明後日の狩場、ですね」
「はい。拠点の警備と荷運びの手配もお任せください」
こういう展開もあるだろうと想定していたのだろう。マクターナさんは明後日『組合が魔力調査』をすることになっている区画を準備してくれていた。
さらには運び屋やら拠点警備のお膳立てまでしてくれるらしい。
敵わないよな。そういうところ。
正直を言えば運び屋はまだしも拠点の警備は外してもらいたいくらいだが、現時点ではそうもいかない。
周囲をウィル様の手配した衛兵が巡回しているとはいえ、無人の拠点に侵入されて部屋の中で待ち伏せなんていう展開は絶対にゴメンだ。
「明日の荷運びは『ジャーク組』でしたね。狩場については本日『野薔薇組』が──」
てきぱきと共有すべき情報を並べていくマクターナさんは、まさに組合事務職員って感じだ。バリバリの武闘派だけどな。
「あ、そうだ。マクターナさん」
「なんでしょう」
「ごめんなさい。アウローニヤの大使館に一日延長することを伝えてもらえますか?」
「はい。わかりました」
申し訳なさそうにしながらも白石さんは、マクターナさんに大切なお願いをする。
決定的な単語は出してはいないが、定期便の遅れについてだ。スメスタ大使なら伏せるまでもなく簡単な言葉で意味は通じるだろう。
わかっていて頷いてくれるマクターナさんにも感謝だな。
手紙自体は昨日までの出来事は書き上げてあるので、本当なら明日の夕方にでもアウローニヤ大使館に出向く予定になっていたのだが、現状ではそうもいかない。
かといって書きかけの『アウローニヤへの手紙』をマクターナさんに手渡すのも筋違いなので、女王様には二日ほど待ってもらうことになる。こんなことなら迷宮泊の詳細を追加して一日遅れで送るよりも、事前に状況を伝えておくべきだったか。
聖法国の件で奔走してくれているだろうリーサリット女王だ。俺たちからの手紙が二日も遅れるとなれば、ちょっと怖いことになるかもしれない。
俺なんかはすっかり迷宮モードで頭からすっ飛んでいたが、ナイスな気配りだよ、白石さん。
「私なら迷宮に泊まるなど壮絶な覚悟が必要に思えるのだけど、君たちに掛かれば訓練の延長か。迷宮の申し子とでも言うべきか……」
「彼らにぴったりの言葉ですね」
前向きに迷宮泊の延長を決めたことでテキパキと動き出す俺たちを見た『第一』の隊長さんが妙なコトを言い出し、マクターナさんが笑顔で同意する。
「それ、広めないでくださいね」
念押しをする中宮さんに、俺たちの輪の外で警戒をしてくれている『第一』の人たちから、小さな笑い声が聞こえてきた。
◇◇◇
「ふぅーっ」
「すっ」
先生と中宮さんがやたらとゆっくりな組手をしている。聞こえてくるのはいつもの奇声染みた掛け声ではなく、深くて低い呼吸音だ。
組手といっても『腕』は動いていない。足の運びと腰の捻転、ちょっとした肩の挙動。
それだけの動きが達人二人に掛かれば壮絶バトルなのだ。もちろん伝聞であって、俺に戦いの光景が見えたりはしない。【観察者】の目を封じ込める技術ってか。
何度も見ている光景だが、あれが二人の大事な基礎らしい。ゆったりとした繊細な動作を確実に実行することこそが、その先にある超スピードの実戦に繋がるのだとか。
そんな二人の組手を絶対に見落とすまいと凝視しているのがティアさんだ。
彼女は必殺の右正拳突きを主体としつつも、先生の左ジャブやローキックを学び、それだけではなく『北方中宮流』の歩法も身につけようとしている。どれをメインに取り入れようとしているのかはまだ判然としていないが、ティアさんの目指す先はもしかしたら先生と中宮さんのハイブリッドかもしれない。
マクターナさんと『第一』が立ち去ってからこちら、テンションの上がったウチのクラスの面々は技能を使いまくりながら、それぞれ強くなるための行動中だ。
「イィヤッ!」
「とうっ!」
静かな戦いを繰り広げる先生と中宮さんに対し、ミアは春さんと一緒になって広間を駆けまわっている。ときおり壁や柱を使った三角跳びとかを繰り出しているのはマクターナさんのアレを見た影響だろう。
元々飛び跳ねるのを得意としているミアだから、あの手のアクロバット染みたアクションだってモノにしてしまうかもしれないな。
『この一件が終わったら必ず取得します。八津君とミアさんのお勧めですからね。今から楽しみです』
多数決が終わった時に、先生はあれだけ大騒ぎした【安眠】を取るのを一度止めにした。
内魔力を温存し長時間戦闘に備えることと、イザとなった時に状況に適した技能を取得するためだ。
俺たち以外の人に危険が及ぶかもしれないという不安は消し去れないし、敵が戦力を増やして準備を万端にする時間を与えることになるかもしれない。
そんなリスクを背負った上での一泊追加だ。悠長になどしてはいられない。
先生はいつも身を張った覚悟をみんなに伝えてくる。だから俺たちだって負けるわけにはいかないのだ。
俺も馬那に教わったスクワットの最中だったりするのだが、そろそろ生えろよ、【身体強化】。
「こう?」
「はい。それくらいの大きさでお願いします」
体を動かすメンバーが多い中、部屋の片隅では奉谷さんと上杉さんが大盾を下敷きにして牛や馬の肉を切り分けている。佩丘は敢えて不参加。
二人がやっているのは明日の朝食の仕込みだが、むしろ【鋭刃】の熟練上げという意味が強い。
素材自体は大量にあるので、廃棄になったとしても構わないくらいの勢いだ。イザ余ったら明日の朝イチでやってくる予定の『ジャーク組』のみなさんに腹いっぱいになってもらうことにしよう。
「えいっ」
すでに【鋭刃】を鍛えまくっている深山さんは、丸太に短剣を突き刺す練習をしている。倒した丸太は魔力が抜けて柔らかくはなっているものの、それでも強靭で柔軟な四層の素材だ。
なのに深山さんの刺突は五回に一回くらいだけど、刀身が半分くらいまで埋まっているんだけど……。
「よいしょおぉ!」
「どっらぁあ!」
そしてまた別の場所では笹見さんと綿原さんがドスの利いた声を響かせている最中だ。
綿原さんは元から武闘派だったが、笹見さんにも思うところがあったのだろう。二人は交互に振るうメイスを盾で受ける動作を繰り返している。
彼女たちの近くではサメと水球が飛び交っているが、物理による攻防と魔術の両立が【身体強化】を持つ二人の強みだ。
騎士たちはメーラさんに見てもらいながら盾で受けてからの刺突を練習しているし、夏樹なんかは腕立て伏せをしながら複数の石を操っている。
『エマージェンシー。影が迫る。さあ立ち向かおう。僕らは、ああ、デッヒィー──』
白石さんの歌を背に、俺たちはそれぞれ考え、行動するのだ。
皆が自分にできることを考えながら、迷宮泊の二日目は更けていった。
次回の投稿は明後日(2026/01/11)を予定しています。




