第601話 見えてきた全容:【聖騎士】藍城真
「アウローニヤからは証拠と共に敵対者が存在する可能性が伝えられ、息子さんを告発したニューサル子爵の勇気によって確定したんです。両国には感謝しかありません」
ベルサリア様の浮かべた表情から心の中を想像し、そして僕は真実を口にする。
ついでにニューサル子爵に対する援護もだ。
「今も地上で頑張ってくれている人たちにも、ですね。もちろんこうして深夜に渡ってまで付き合ってくださるみなさんも」
「ふむ、そういうことではあるな」
「相変わらずこざかしいぞ、アイシロ」
侯王陛下とベルサリア様は、この辺りを落としどころにしてくれるらしい。
王妃殿下とラハイド侯爵が小さく笑って頷いてくれる。
「あの、ニューサルさんをそのまま情報収集役に据えるというのは」
僕の思惑に便乗するように上杉さんが提言した。
敵方に情報源を置いておくのは確かに手段としては有効であるし、上杉さんはニューサル子爵家のみならずユイルド・ニューサルさんという個人にも恩赦を求めているのだろう。
僕たちの安全が第一なのはもちろんだけど、それでもそういうところにまで気を回す辺りが彼女らしい。
「考えもしたのだがな。アレにその手の演技は無理だ。消される可能性の方が高い」
「そう……、ですね。詮のないことを言ってすみませんでした」
けれども侯王陛下はバッサリと否定した。
上杉さんも半分はわかっていたのだろう。間を置かずに提案を取り下げる。
仕方がないとはいえ、さっきと似た、居たたまれない空気が再び広間を満たす。
ニューサルさんの心配をしてしまうお人好しばかりなウチのクラスの面々が誇らしくもなるが、今はそれを表に出す場面ではない。
「だが、自ら名乗り出たこと自体、子爵らしく殊勝ではあるな」
苦笑を浮かべる侯王陛下だが、この件についてはこの国の法律で罪となる……、はずだ。
市民への拉致行為は行われればもちろん犯罪だが、ニューサルさんのしたことはその計画への加担止まり。しかも親が成り代わる形で自首もした。だが、それでも。
犯罪の準備は罪となるし、ましてや対象者、つまり僕たち『一年一組』にはティアさんという侯爵令嬢が所属している。たとえ貴族籍を抜け、国籍すら失ったとしても血の繋がりは消えたりしない。
ニューサルさんはそれを知りつつ犯罪計画に乗りかけた。聖法国の狙いが勇者だからティアさんとメーラさんには手を出さない、なんていう言質くらいは取ったのかもしれないが、そんなのに意味はない。
そしてその責は父親のニューサル子爵にも及ぶ……。それがこの国の法。所謂連座が存在している。
古韮たち『異世界オタ組』の言うところの、中世ヨーロッパ風な世界、か。
「そんな顔をするな。ニューサル子爵は降爵を願い出ているが、この国の王は我だ。アウローニヤの女王がそうしたように、我も王権を振りかざしてやろう」
苦笑から一転、侯王陛下は目をギラつかせて豪快に言い放つ。まるで僕たちの周囲にある澱んだ空気を吹き飛ばすかのように。
「悪いようにはせん」
ニヤリと笑うこの国の王に、全く似ていないにも関わらず、どこか父さんの姿が被る。一国の王様と町長じゃ格が違いすぎるのに。
「一日と半分で情勢が動き過ぎた。ペルメッダと商談をしていた頃が昔のようだ」
「なんの、そちらも続けるぞ。平行して事に当たるのが施政者の務めであろう?」
すでに日付も変わった深夜の迷宮に、ベルサリア様と侯王陛下の笑い声が響いた。
◇◇◇
「さて、貴様らに迫った危難とは別口になるのだが……、いや、ある程度は関連するか」
ひとしきり政治のグチを侯王陛下と言い合ったベルサリア様が、表情を改め僕たちに向き直る。隣に座るラハイド侯爵も笑顔を隠し、真面目な表情となった。
「侯王陛下と王妃殿下にも聞いていただきたい。我らが女王陛下からの許可は下りているのでな。そのうち伝わる情報ではあるだろうし、外交の手札にしないでもらえるとこちらとしては助かる」
「むう」
ベルサリア様の物言いに侯王陛下が訝し気に唸る。王妃殿下こそ微笑みを消してはいないが、少し雰囲気を変えたかな。
「……だが、やはりわれから伝えたくはないな。ライド、頼めるか」
「サリア様がそうおっしゃるのなら」
口をもごもごさせたベルサリア様が、説明役をラハイド侯爵に振った。ああ、これは女王陛下関連の、しかも楽しくないだろう話だ。
「では僕から……。本国からの連絡ですが、本日は二度目があったのです。『六本の尾』については昼過ぎの第一便でしたな」
「故にラハイド侯夫妻は我と話を擦り合わせるために会談の場を求めた」
「はい。そこでニューサル子爵の件をお聞きした時は驚きましたぞ」
ラハイド侯爵の説明に侯王陛下が合わせていく。
『六本の尾』の情報が飛び込んできたのとニューサル子爵絡みの騒動がほぼ同時に起きたということか。僕たちが迷宮泊の日程を伸ばすための準備と、マクターナさんとの話し合いをしていた頃だな。
「ウィルの協力もあり、伝えるべき情報がまとまった時点で貴様らはすでに迷宮だ」
「だから急遽、階位上げの場が設けられたんだよ。商談をしながらだけどね」
侯王陛下は誰に対しても同じだけど、ラハイド侯爵は外と内で口調を使い分ける。若輩の僕たちに向けては柔らかくなるんだ。
さておき、やっぱりという思いがクラスメイトたちに広がっていく。
ラハイド侯爵夫妻の階位上げに政治的な意味があったとしても、本命は僕たちへの配慮だった。綿原さんが言い出したおもてなしは、やっぱり良い発案だったよ。
「そして二度目の報は僕たちが一旦王城を辞去し、迷宮の準備をしていたところに入ってきたのです」
ラハイド侯爵の口調は芝居がかりつつも、軽く苦みが混じっている。
「誤解の余地のないよう、真っ直ぐに申し上げますぞ。聖法国アゥサ使節団は、現アウローニヤ王国を正統と認めておりません。簒奪による不当なものであると主張しているのです」
「なっ!?」
「ほう」
短い前置きをしてから語られたラハイド侯爵の言葉にクラスメイトの多くが絶句し、対して侯王陛下は顎に手を当てる。ベルサリア様は非常に面白くなさげな表情だ。
だけどこれは……、言い分としてはアリとしても、無理筋なんだよな。言い掛かりに近い。
リーサリット陛下は歴とした嫡流で、第一王子殿下は立太子を済ませていなかった。同時に女王陛下は書類すら整えていたのだから、法的にも真っ当だ。長子相続は明文化されていないし、レムト王朝の初代は女王様だから性別を理由にもできない。
なにより戴冠式では勇者が見届人となったのだ。
だからこそ親戚筋に当たるウニエラ公国や、ここペルメッダ侯国もアウローニヤの新政権を認めている。たとえ交易を重視しているからだとしても。
当然聖法国にだって思惑はあっての主張だろう。温度差があるとはいえ共に勇者を讃えていて、帝国に対峙しようとしている両国なんだ。連絡が細くなっているとしても、消極的には友好国だったはずなのに。
「勇者が見捨てた事実こそが何よりの証拠だそうですぞ。来訪翌日の会談で説法をされたと……」
「あの、初日は『放逐』でしたよね。何で俺たちが見放したことになってるんです?」
「古韮、お前……」
僕たちが原因だとするラハイド侯爵の言葉に、古韮があっけらかんとツッコミを入れた。
蛮勇染みた言動をしてのけた古韮を見つめて八津が唖然としている。うん、八津の反応の方が自然だよ。
「ははっ、女王陛下によれば、彼らは聖句を多用して同じ単語に複数の意味を持たせるらしい。都度翻訳と要約が必要なくらいだとか。陛下のご苦労が偲ばれる」
太っちょな肩を竦めて苦笑するラハイド侯爵の隣では、ベルサリア様がどす黒い気炎を上げている。上杉さんといい勝負ができそうだな。
現実逃避をしている場合じゃないか。
これは政治だ。つまり聖法国には外交的な目的がある。
「聖法国の要求は?」
「浄財だとか。勇者に対する狼藉は、正当なる教会に貢献することで贖われるようですぞ」
真正面から切り込んだ侯王陛下に対し、ラハイド侯爵は見てきたかのような物言いで返す。
なるほど、金か。そしてここまで強硬な交渉をしてくるということは──。
「具体的な数字は控えますが、大層なご要望であったそうです」
「……縁切りの前に掠め取れるならば、か」
「どうやら聖法国は、帝国に呑まれるであろうアウローニヤとの協調路線を諦めたようですな」
答え合わせはラハイド侯爵と侯王陛下の会話がそのままだ。
女王陛下と帝国第二皇子との密約を察知したのかまではわからないが、元々アウローニヤの寿命は短いとされていた。
そんなタイミングで政権転覆が起きたのだ。本来なら挙国一致で立ち向かうべきところでのドタバタを見れば、聖法国が見限ったとしても不思議ではない。
要はアウローニヤが帝国となる前に、金を毟り取っておきたいということか。
勇者うんぬんは浄財という名の金を引っ張る体裁だ。いや、こうして特殊部隊が動いている以上、僕たちの身柄を含めた両取りまである。
「女王様はどうするんです?」
質問をする綿原さんの声には明らかな怒りが混じっていた。
勇者という肩書を利用されたこともあるが、アウローニヤは立て直しの真っ最中だ。大金を持たされた僕たちが言うのもなんだけど、国家承認のために一方的な搾取なんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。
いつだか八津が言っていたな。帝国よりも聖法国が嫌いになりそうだって。
同感だよ。余程明確な帰還へのヒントが提示されない限り、絶対に近寄りたくない国だ。
「あしらう」
熱くなった僕の耳に飛び込んできたのは、酷く冷めたベルサリア様の声だった。
「リーサリットは正式な手続きに基づき玉座を得た、正統たるレムト王家の頂点だ。他国にどうこう指図される謂れなどない!」
いつの間にか立ち上がっていたベルサリア様は、小柄な体のどこにそれだけのエネルギーを持っていたかと思わせる迫力で叫ぶ。
さっきまでの階位を上げたとか、食事が美味しいと言っていた時とは別人だ。
「初手で吹っ掛けるのは交渉の基本だ。だがな、そこで勇者の名を持ち出すとは……、聖法国はリーサリットを敵とする道を選んだようだ。敢えてであったとしても、理解不足であろうとも、どちらでも関係などあるものか」
国ではなく個人の名を持ち出すのはどうかと思うけど、あの女王陛下ならそうするだろうという確信がある。
ベルサリア様の言う通り、事実アウローニヤは国を挙げて聖法国の蠢動に対応してくれているのだから。
気掛かりなのは気を吐くベルサリア様に対し、クラスメイトの一部が表情を暗くしていることだ。
みんなの気持ちもわかる。そもそも僕たちの安全のために取った措置で、女王陛下が面倒ごとに巻き込まれているのだから。
帝国と聖法国、そしてアウローニヤの反体制派から狙われる可能性が高かったから、僕たちはペルメッダに落ち延びた。要するに逃げたんだ。
それが今になって……。
「貴様らっ、何を情けない顔をしておるか!」
ベルサリア様による一喝で、俯きがちになっていた仲間たちが顔を上げる。その迫力に誰もがこの人から目を離すことができない。
「リーサリットが王冠を得たのは貴様らの尽力があったからこそだ。それに対する報酬として貴様らはここにいる。アウローニヤを甘く見るなよ? これしきの難癖、リーサリットが片手間で蹴り飛ばすわ」
最早全方面に怒りをぶちまけているかのようなベルサリア様だが、これは叱咤激励だ。
そう、アウローニヤで出会った人たちは聖法国を相手取りながら、今も僕たちのために力を尽くしてくれている。僕たちがここで折れてどうするんだ。
そう、ベルサリア様は敢えてこの話をすることで、俺たちを奮起させようとしている。
「故に勇者たちよ、屈することなど許さぬ。貴様らが故郷へ帰還を果たすことこそが、リーサリットのみならず、アウローニヤが総意と知れ!」
侯爵夫人にして元第二王女であり、女王陛下の姉からの命令に、僕たちは大きく頷いた。
◇◇◇
「凄い迫力だったよね、ベルサリア様」
しみじみといった調子で奉谷さんが小声で語る。
「奉谷とは偉い違いだったなぁ」
「なにさっ!」
それに乗じて口の悪い田村がベルサリア様と背丈が近い奉谷さんをからかい、肩をバシバシと叩かれ始めた。いつものじゃれ合いだ。
「遊ぶのは構わないけど静かにしてね。眠っている人がいるんだから」
「わかってるって」
「はーい」
そして綿原さんに諫められるところまでがワンセットになる。
普段は中宮さんの役どころだけど、彼女は現在就寝中だ。
幾つもの重要な情報を伝えてくれた侯王陛下御一行が立ち去ってからもうすぐ三時間。『一年一組』は半交代で迷宮泊を行っている。
周囲への警戒こそ怠ってはいないが、戦闘詳報も作り終わり、今は完全な自由時間だ。
広間の片隅で横になっているクラスメイトを除いた面々は、思い思いに雑談をしたり、静かに体を動かしている。馬那はそろそろ腕立てを終わりにしてもいいんじゃないか?
「聖法国の暗躍を事前に阻止できなかったこと、戦力を送ることができなくて申し訳ない、か」
「女王様らしいわよね」
僕の呟きを拾った綿原さんが二匹のサメを小器用に泳がせながらこちらを向く。
去り際にベルサリア様は封が切られていない手紙を僕たちに手渡し、そして侯王陛下は──。
『最後に伝言だ。明日の夜、貴様らの専属担当が訪問するそうだぞ。我の時のように警戒しておくがいい』
そんな言葉を残していった。
「わたしたちも覚悟を決めて選ばないといけないのよね」
「綿原さん、わかっていると思うけど、迷宮では──」
「ええ。八津くんに指揮に専念してもらいたいのは、わたしも一緒よ」
僕と会話をしながらも、こちらに背を向け眠っている八津に、綿原さんは優し気な視線を送る。
女子が相手なら時折あったけど、男子にそういう表情を見せる人じゃなかったんだけどな。綿原さんも変わったよ。
『時間も遅いし、期限はマクターナさんが来るまでってことでいいんじゃないかな』
遅番が就寝する前に、僕は全員に向けてそう提案した。
僕たちは警戒の意味を込めて一泊二日を二泊三日に変更し、マクターナさんの協力もあって居場所を特定し難い状況を得ている。
だが新たな情報、明確な悪意を持つ存在がペルマ=タに潜伏しているという事実を知り、今後の行動に選択肢が発生してしまったのだ。
そう、コトが終息するまで迷宮に籠り続けるという選択が。
正直を言えば、全てを力ある地上の人たちに任せたい。聖法国の戦力が五十を数えるとしても、ペルメッダの軍だけでなく冒険者たちだっている。
放っておけば勝てるんだ。
だけど同時に思う。それでいいのかと。
僕たちは地球への、山士幌への帰還を願っている。全員が五体満足にだ。その中には心だって含まれるはず。
迷宮に潜み続けることで僕たち以外の人々に累が及んだ場合、みんなはそれを許容できるのか。
マクターナさんたち組合の人たち、気さくな冒険者たち、侯国の兵士たち、アウローニヤ外交官の人たち。僕たちが動かないことで、代わりに誰かが害されたとしたらどうする。
顔を知る人が聖法国に誑かされて犯罪者になってしまったら。それこそニューサルさんのように。
それを想像しなければいけないくらい、僕たちはこの世界の人たちと交流してきてしまった。
「だけど八津くんは、考えちゃうと思う。そういう人だから」
「そうだね」
さすがは綿原さん、八津のことを良く知っている。なんて言葉は付け足さない。古韮と違い、僕は進んで危険に身を投じる趣味は無いから。
冗談はさておき、八津にはあまり暗いことで思い悩んでもらいたくはない。彼が調子を落としたら『一年一組』全体が機能不全を起こしてしまいそうなくらい、僕たちは『指揮官』を頼りにしているから。
「妹さんには手紙で謝られて、お姉さんは発破を掛けてくる。酷い人たちね」
「全くだよ。だけど何も言われないよりもずっといい」
「そういうものかしら」
「高校一年生だよ? 叱ったり励ましたりしてくれる人が必要さ」
そんな会話をしている僕の視界の端に、軽く体を動かしている滝沢先生の姿が映る。
もしも召喚されたタイミングが英語の授業中ではなくて、先生が一緒じゃなかったら……。考えるだけで震えがきそうだ。
「そういう言い方をする委員長こそ高一らしくないのよね」
「こっちのセリフだよ」
綿原さんに言い返し、二人で薄く笑う。
先生だけじゃない。クラスメイトの全員が凄いヤツらで、僕の心の支えになっている。僕だってみんなの力になれていると、信じてもいいのかな。
「どう思うよ『異世界組』。これがどうやったら日本語に繋がる?」
ふと耳に届いたのは田村が野来と白石さんに絡む声だ。
とはいえ議論としては真っ当か。僕も気になるところではあるし。
「どうなんだろう。伏線かもしれないけど……」
「伏線って、メタいよ孝則くん。でも、日本語には見えないよね、これ」
相変わらずとぼけたコトを言う野来に白石さんがツッコミを入れた。あの二人も距離が縮んだよな。
「だよなぁ。どうやったら『五』の発音が『ブリャ』になるんだか。やっぱり聖法国が勇者どうこうってガセじゃねぇか?」
ボヤき声の田村が見下ろしているそれは、リーサリット陛下からの手紙に入っていた機密書類の写しだ。
僕たちを狙う聖法国の特殊部隊『六本の尾』。その名が記されているという書類は古アァサ語と呼ばれている文字で書かれているらしい。
元は勇者の故郷の言葉とされているが、もちろん聖法国の自称だ。
どう見ても原型が日本語とは思えないし、むしろメソポタミアの楔形文字に近いくらいなんだよな。田村がツッコンでいたように、発音だって日本語には繋がらない。
「そもそもなんで六なのかな。教会の秘密部隊なら四とか九とか、それこそ十三じゃないとさ」
「わかる。それはわかるよ、孝則くん」
オタクな夫婦漫才はそっとしておこう。
◇◇◇
「交代だよ、八津」
午前四時。交代の時間がやってきたので、八津を起こす。
風紀に厳しい先生や中宮さんのお達しで、平時において男女でしてはいけない行為のひとつとされているからだ。綿原さんがこっちをちらりと見ているが、気付かなかったフリの一択だな。
「ん、ああ。おはよう。伝達はあるか?」
「いや、問題なしだよ」
「それなら良かった」
そんな八津は目を開けたかと思ったつぎの瞬間に確認をしてきた。伊達に【安眠】を持ってはいないってところか。僕の【睡眠】ではこうはいかない。
「お疲れ、委員長。短いけど休んでくれ」
「あとは頼むよ」
布団もどきに潜り込み、目をつむってから【睡眠】までのあいだにふと考えてしまう。
昔から寝入る前の僕の癖。
この世界と地球との差は、はっきりと異常だ。
オタグループは『そういうもの』だと半ば思考を放棄しているが、僕にはできそうにもない。
僕にとっての異世界とは、言うなれば目の前の石ころを蹴とばすかそうでないかで分岐する、そういった類の並行世界だ。蝶が羽ばたくことが起因となり、様々な可能性が枝分かれして作り出された無数の並行する世界。
だが、ここはどうだ。
あからさまに根底から違うルール、魔力という物理法則が存在する世界は、とてもでもないが気軽に平行世界などと呼ぶことができない。まさに『異世界』なんだ。
そんな世界が存在し、僕たちはここにいる。
悩んだ末に受け入れる余地があるとすれば、この世界と元いた地球とのあいだには何らかの接点があるという考え方だ。石を蹴とばすのではなく、箱に入れた猫の生死でもなく、もっと明確で強固な理屈がある。
ここまで大きくかけ離れていながら、それでいて冗談のように似ている世界に僕たちを引き寄せた、何かが。
逆説的に、帰還の手段は明確な形で存在しているはずだ。たとえそれが僕の思い込みだったとしても──。
◇◇◇
「こんな状況だから考え事をするのは仕方ないけど、戦いに集中するようにしましょう」
「うーっす!」
迷宮委員の綿原さんによる訓示に、クラスメイトが緩い声を上げる。うん、これくらいの方がいい。
「序盤は丁寧に、そこから少しずつ力を入れていこう。『雪山組』が来るまでは……、中宮さん、どうしよう?」
「白々しいわよ? 各自で体を温めておいて」
無理やり冗談を飛ばす八津に中宮さんが呆れ声で返し、周囲からは笑いが起きる。
迷宮泊の二日目は緊張感に包まれつつも、それでも陽気に始まった。
次回の投稿は明後日(2025/12/27)を予定しています。




