第585話 専属担当はとても忙しい
序盤における短剣の受領を巡るやり取りに修正を加えました(2025/11/20 21:00)。
「これは……」
テーブルの上に置かれた短剣を見た藍城委員長は、眉を下げて困った表情になった。
見たところ、一昨日ニューサルが佩いていたモノに間違いない。こんなものを差し出されたら、ウチの悪役令嬢が──。
「どういうことですの?」
で、案の定ティアさんの機嫌が一気に悪くなる。
それもそうだ。俺たちが神剣と呼称する五層素材の短剣は、決闘でティアさんが『勝利』した場合に譲り受けることになっていた。その上でティアさんは相手への恩情を込めて引き分けを宣言したのだ。
決闘に至るまでとなったニューサルのバカ発言を隠しておく建前としてではあったけど。
気遣いを仇で返されたとまでは思わないが、これは違うのではないかと俺ですら考えてしまう。さっきまでちょっと欲しいという気持ちがあったのはさておき。
引っ掛かるのは何故なのかってとこだな。
会談をしてきて理解できたが、ハルス組長代理は温厚で真っ当な人だ。そんな人物がティアさんの勘気を買うことを予想できないはずもない。あのニューサルとは違うのだ。
「先日行われた決闘の取り決めとは違う意味で、これをお受け取り願いたいのです」
「……続けなさいまし」
顔に緊張の色を浮かべながらもそう語るハルス組長代理に思うところがあったのか、ティアさんは不機嫌さを少し引っ込めて先を促す。
「この短剣こそユイルドが犯した愚挙の象徴であり、これを失う事実を持って『ニューサル組』を戒めたいと、そう考えております」
「そういうことですの。ニューサルはその短剣を三代前のモノと言っていましたわね」
「はい」
ハルス組長代理が口にした言葉の意味を、ティアさんは即座に理解したようだ。
俺なんてティアさんが三代前って単語を持ち出してくれなかったら、何言ってるんだって思っただろう。
どうにも今日は俺の脳みそが不甲斐ない。【思考強化】を使ったところで頭が良くなったり記憶力がアップするわけでもないからなあ。
目の前に置かれた短剣こそがニューサルに三代前の組長を想起させていた。『ニューサル組』の全盛期を作った組長を。
ニューサルがいなくなると同時に短剣を失うという事実を持って、『ニューサル組』の組員たちに団結の大切さを刻み込むといったところか。
「売り払うなり、蔵に押し込めるなり、それこそニューサル子爵家の預かりにしてしまえばよろしいのでは?」
「それも考えましたが……、この短剣は代々の組長が迷宮で使い続けてきたものです。金銭とすることはもちろん、ホコリを被せるような扱いはしのびなく」
「冒険者らしい心意気は買いますわ」
嘲るようなティアさんの提案だったが、ハルス組長代理は落ち着いた態度で思いを並べる。
これにはウチの悪役令嬢もニッコリだ。こういうのは彼女の大好物だからな。
「『一年一組』はこれを必要としていると聞き及びまして」
「それをどこで?」
ズバり核心を突いてきたハルス組長代理に、ティアさんが目を細める。
一瞬、決闘の取り決めをしていた折に俺が物欲しそうにしていたのに勘付かれたかと思ったが、あの時のハルス組長代理は冷静ではなかった。俺たちの様子を見ている余裕なんて無かっただろう。
ティアさんにしても釣り合いの取れない賭けの対象だと嘲笑するために持ち出しただけで、本当に欲しがっているような態度はしていない。
さて、ハルス組長代理はどこでそんな話を拾ってきたのやら。
「伝聞ではありますが『赤組』から五層素材の短剣を譲り受けたとか」
ニュエット組長か。『唯の盾』なんて朴訥そうなあだ名を持っているけれど、けっこうおしゃべりだもんなあ、あの人。
というか、冒険者は総じてか。
「冒険者は噂話を好みますから。ましてや『一年一組』に関することでしたら、私としても注目せざるを得ません」
「『一年一組』は逸話が多くて大変だったでしょうに」
ハルス組長代理の言葉になんてこともないという風に返してはいるが、ティアさんの機嫌は急上昇中だ。いつも通りにアップダウンが激しい人である。
「そうですね。洩れ伝え聞くものだけでも、驚きを隠せません」
「ええ。昨日などもわたくしとメーラを置き去りにして単独行動を──」
そこにはもう、ニューサル絡みの重苦しい空気は残っていない。冒険者同士の気安いやり取りがあるばかりだ。
ハルス組長代理だって元は『槍列組』の一員で冒険者の流儀を知り尽くしている人なのだから、本来はこうなんだろうと容易に想像できる。
ところでティアさん、俺のことを褒めてるのか貶しているのかどっちとも取れる表現は止めてもらえるかな。
「リン様」
「あら、珍しいですわね。何かしら、メーラ」
と、そこで思いもよらぬ人物が口を開いた。
背後からティアさんの肩に手を置いたメーラさんは、俺を含む日本人三人に無言で視線を送る。
メーラさんが意図するところは、まさか──。
「あらまあ。つい興が高じてしまいましたわ。わたくしの癖ですの」
「そ、そうなのですね」
ティアさんのその言葉は、ハルス組長代理だけに向けられたものじゃないだろう。
その証拠とまでは言わないが、俺たちに向けた彼女の瞳は揺れていた。まるで言い訳の言葉を選んでいるかのように。
だけど、第三者がいる場でティアさんから素直な謝罪などは出てこない。彼女はそんなキャラじゃないからなあ。
そう、メーラさんは新メンバーでしかないティアさんが会話の主導を握っている状況を、立ったの一言と視線で窘めたのだ。
信じ難い出来事だけに、俺の口からは言葉が出ない。
「どうしても場を仕切ってしまいますのよ。わたくし『一年一組』では新参なのですけど──」
「ウチは新入りでも、適任者には役を担ってもらう主義ですから」
口調が少し早くなったティアさんに委員長がセリフを被せる。ついに出動か。
「ティアさんは侯爵家の出身ですし、交渉事には長けているでしょう? 僕としては適任だと思うのですが」
「マコト……」
続けた委員長の言葉にティアさんは、少しだけ複雑そうな表情を浮かべた。
ウチの委員長はティアさんの持つ肩書をひっくるめて、仕事を任せてしまうタイプなのだ。
ティアさんがどう思おうとも、今は諦めて使われてもらいたい。
五層素材の神剣を手に入れるというのは俺たちにとっても助かる話だし、ここまで話が進んだ以上、多数決はさすがに無粋だ。
見守る滝沢先生は【冷徹】で、もちろんメーラさんは澱んだ瞳で表情を変えもしていない。俺の頬が緩んでいないことを祈るばかりだな。
「わかりましたわよ、もう。……ではその剣、『一年一組』が使い潰して差し上げますわ」
「本望です」
そうしてティアさんは高飛車に五層素材の短剣をもらい受けると宣言した。
◇◇◇
「あの、僕が言うことでもないかもしれませんが、ご健闘を」
「ありがとうございます。お互いに、ですね」
応接室から移動して談話室にちょっとだけ顔を出したハルス組長代理は、柔らかな表情で委員長の言葉を受け止めた。
そんなやり取りを見ていたクラスメイトたちも、そう酷い話ではなかったのだろうと察したのか、談話室の空気が一気に軽くなる。
「それでは私はこれで」
全員での見送りは不要ということで、先生と委員長と一緒に立ち去っていくハルス組長代理の背中は、前回よりも遥かに大きく見えた気がした。
「さあさあ、わたくしがせしめた成果物ですわよ!」
で、短剣を高く掲げるティアさんは、普通に談話室に残る側なんだよなあ。
あんまり声が大きいとハルス組長代理に聞こえてしまいそうだから、もうちょっと抑えてもらえると助かるのだけど。
いや、あの人なら聞かれたとしても苦笑いで流してくれるか。
「名前を決めなければいけませんね」
「あらあら、ミノリは命名に乗り気なのですわね」
「ええ、趣味なんです」
「楽しみですわね。『にほん』語の響きは面白くて、わたくし好ましく思っていますの」
早速とばかりに歴女な上杉さんが命名競争に名乗りを上げたのに対し、ティアさんはどうやら自己主張をしないようだ。
「上杉だけにいい恰好はさせられないな」
「今度こそ北欧神話だね」
「タカノリ、『ほくおう』とは何ですの?」
上杉さんには負けじとイケメンオタな古韮と文系オタな野来も参加を表明し、すかさずティアさんが日本語チェックに入る。
現在『一年一組』が『赤組』から譲り受けた神剣は『エクスカリバー』と『アメノムラクモ』、『カンショウ・バクヤ』の三本。『エクスカリバー』って北欧神話には……、入らないか。
まあいい、俺も候補を出させてもらうとするか。
◇◇◇
「引きましたわよ。何と書いてありますの?」
せっかくだからとくじ引きを担当してもらったティアさんが、文字の書かれた紙を書道家の中宮さんに見せる。
はてさて、誰が当選したのかな。【観察】と【遠視】を使えば覗き見もできるのだが、それはヤボというものだろう。
「……『ムラマサ』ね」
「やったあ!」
中宮さんの読み上げを聞いて、ゲーマーな夏樹が両手を上げて喜んでいる。
上杉さんのネタかと思ったが、なるほどゲームには出てきそうな名前だ。
かくして『一年一組』は四本目となる神剣、その名も『ムラマサ』を手に入れたのだった。
「もういいだろ。そろそろ本命の話を聞かせろや」
上杉さんやティアさんを筆頭にノリノリだったメンバーの顔を立てていたのか、ここまでダンマリだったヤンキー佩丘が、イラっとした表情でニューサル裁きの顛末を要求してきた。
ブスくれ田村や中宮副委員長だってそうだろう。サメと遊んでいる綿原さんも。
「八津。頼めるかい」
やっぱりそう来たか。委員長はこういう時にナチュラルに他人に振ってくるからなあ。
「了解。じゃあ『ニューサル組』の悲しく切ない物語だ」
「なんだそりゃ」
おどけた俺の口ぶりにピッチャーの海藤がツッコミを入れてくるが、この話についてはこれくらい砕けた方がいいと思うんだ。
◇◇◇
「全員無事、ですか」
「はい。徹夜組も含めて」
確認をする委員長にマクターナさんが笑顔で頷く。
時刻は夕方の五時。組合事務所に訪れた俺たちは、定番の第七会議室でマクターナさんから話を聞いているところだ。
メンバーは委員長と寡黙な馬那、綿原さんと俺、そしてティアさんとメーラさん。
朝イチで事務所の掲示を見に行ったのとは別口でこうしているのには、もちろん理由がある。
俺たちが気にしているのは本日迷宮に入った国軍、とりわけ侯王様とウィル様の安否についてだ。だからこそティアさんも同行者としてここにいる。
ティアさんなら直接王城に問いただすことも簡単なのだが、敢えてこうして組合を経由する辺りが律儀なものだ。まあティアさんの場合はまだ四日目の冒険者ムーブに則っているだけで、イザとなれば強権発動をためらわないのも想像できるのだけど。
父と兄の無事を知らされたティアさんは悪い笑顔のままだが、目じりが少しだけ下がっている。もちろん俺は見ないフリだ。
ちなみに『徹夜組』というのは昨日の『シュウカク作戦』失敗に伴い、唯一トウモロコシ区画に繋がる仮拠点広間に夜通し詰めた人たちを指す。
グラハス副組合長が急遽決定したもので、任務としては丸太で作った柵を含めた仮拠点の維持と、トウモロコシが一般区画に出てくるのを阻止することだ。
メンバーは後詰となった組合の『第三』と志願した冒険者たち。
図らずも彼らは冒険者業界では異例となる迷宮泊をすることになった。迷宮事故でもない限り、まず聞かない話だな。
「夜間、新種が一般区画になだれ込むようなことは無かったそうです」
「それは良かった」
「ですが全員一睡もできなかったようですし、精神的な疲弊も……」
やっかいな事件が起きなかったことに委員長は喜びの声を上げたが、続くマクターナさんの説明でみんなが揃って黙り込む。
普通に迷宮泊をやっている『一年一組』が異常だと言われているようなものだからなあ。
冒険者界隈に迷宮の怪談が当たり前に存在している中で、バーベキューをしたり簡易布団を持ち込み交代制とはいえ普通に寝ている俺たちは、まあ異端だ。
「状況次第では常設という案もありましたが、人員的に難しいでしょうね」
「三層ならまだしも今の四層では、ちょっと」
マクターナさんの持ち出した『常設』という単語に委員長は濁しつつ無理だと答える。
「この件で『一年一組』を特別扱いはしませんのでご安心ください」
当然察したマクターナさんは笑顔で頷いてくれた。
如何に『一年一組』が迷宮泊に慣れているからとはいえ、今の四層はさすがに危険だ。かといって三層で宿泊したら、仮拠点に設置された諸々は迷宮に吸われるだろう。
本気で仮拠点を維持するつもりなら二十四時間体制で人を配置しなければならないので、昼はまだしも夜間が厳しい。
そもそもそこまでする意味が本当にあるのかどうかあやふやという時点で、普通に却下だよな。
「本題に戻しましょうか。さすがは守護騎士と国軍精鋭といったところでしたね。見事に目的は達成されました」
ツラっと話題をポジティブな方向に切り替えたマクターナさんは、笑顔で掃討完了を告げる。
夜間にトウモロコシの襲撃が無かったのと合わせて、国軍による残敵の殲滅は成功した。
これにより『シュウカク作戦』における目標の残り半分、つまり『新区画の一時的な完全掃討』は達成されたことになる。
「マクターナさんこそお疲れ様です」
「お仕事ですから」
スラスラと情報を提供してくれたマクターナさんに委員長が労りの言葉を贈る。
なにしろマクターナさんは今日も迷宮に入っていたのだ。
昨日行われた『シュウカク作戦』は遂行半ばで断念された。本来侯王様たちは掃討された区画を確認するという予定だったのだが、結果としては冒険者の取りこぼしを殲滅するハメになったのだ。
これについては侯王様ならむしろ喜ぶだろうとベルハンザ組合長などは言っていたのだが、マクターナさんの表情からするに、それについては本当だったようだ。
ではなぜマクターナさんがってとこなんだけど、道案内兼予備戦力兼事後調査という名目で、組合最強部隊の『第一』と『第二』と一緒に国軍のうしろに続いていたらしい。
事後調査という名の魔力量計測もあって、【捜術師】のミーハさんまでもが同行していたのだ。
昨日事故ったマクターナさんと『第一』まで出動するとか、組合はどれだけブラックなんだろう。まあ『手を伸ばす』マクターナさんのことだから、自ら進んで名乗り出た可能性は高いのだけど。
ちなみにグラハス副組合長は地上で書類作り。やっぱり黒い職場である。
余談だけど、マクターナさんとミーハさんが朝から迷宮だったものだから、事務所に掲示されたニューサルの件をその場で聞くことができなかったという小話がくっ付く。
なにせ引退の理由が『一身上の都合』だったのだ。知らない職員さんに尋ねるのもはばかられるわけで。
「一部の兵士は階位が上がったそうです。国軍も本気だということですね」
「むう」
「さすがに十階位は連れて行かなかったようですけれど」
苦笑交じりなマクターナさんの暴露にミリオタな馬那が唸る。
昨日の作戦に参加した冒険者たちは【聖術師】と『一年一組』以外は全員が十三階位以上だった。要はレベルアップの余地がない集団だったのだけど、国軍は十一階位と十二階位まで連れて行ったのか。
豪放な侯王様はさておき、あのウィル様のことだ、安全性を取りつつもってところかな。
余程の混戦でもない限り、前衛で受け止めてから弱らせた魔獣をうしろに流せば何とでもなる。何しろ後方に控えているのは『一年一組』みたいな後衛職ではなく、前衛の兵士たちなのだから。
冒険者の流儀ではちゃんとした戦いも階位上げのひとつって風潮が強いから好まれないやり口だが、国軍はレベリング重視だから、全然アリの手段だ。
なんで俺がこんなことを知っているのかといえば、迷宮泊でウチのクラスが魔獣芸を披露した際にウィル様から直接聞いたからだったりする。
あの時ウィル様は十階位の兵士の階位上げを目論んでいたから、興味本位で尋ねてみたのだ。
芋煮会はさておき、ウチでも似たようなことをやっているので、目新しい発見が無かったのが残念である。
いや待て!?
「階位が上がったんですか?」
「唐土を倒して?」
メガネを光らせた委員長と綿原さんが続けざまに問い掛けた。
そうか。妙なタイミングで無口な馬那が声を出したのはそういう意味だったんだ。
俺たちとのやり取りが多いティアさんもそれに気付いたのか、口の端を持ち上げている。メーラさんはいつも通り。
「はい、間違いないそうですが……」
こちらの熱量にマクターナさんはちょっと引きながら答えてくれた。
ペルマ迷宮では以前にタイが新種として登場し、それが階位上げに繋がることは実証されている。だからこそ、マクターナさんはトウモロコシも当然そうなのだと考えていたのだろう。
例外なんて想像もせずに。
なんにしろだ。トウモロコシは経験値を持っている。
そしてそいつらをそれなりに倒してきた『一年一組』は、階位の階段を確実に登っているのだ。
◇◇◇
「討伐割合についてですが、概算で昨日の掃討率は七割から七割五分といったところでした。昨夜の内に発生した魔獣がいたとすれば八割に届くでしょう」
「組合の面目は立ったということですか」
トウモロコシでレベルアップが確認されたという情報で盛り上がる俺たちが落ち着くのを見計らってから、マクターナさんは結論っぽい数字を持ち出した。
それに対して委員長はメンツに言及する。こういうところが委員長らしい。
政治はさておき、昨日の戦いで八割か。最強レベルの冒険者集団が遭難事故まで起こしたとはいえ、やはりアラウド迷宮に比べれば数という点ではまだまだ小規模と感じる。四層の魔獣ってことを考慮したら、かなり厳しいけれどな。
やたらとトウモロコシの数が多いのが引っ掛かるが、さて、これからどうなっていくのやら。
「そうなりますね。掃討自体は二刻も掛らず終わりました。むしろ魔力調査に時間が必要だったくらいです」
「傾向とかはありました?」
「いくつか新しい魔力部屋が見つかりましたが、やはり全体的な魔力量の増加が認められます。一般区画と新区画との突合せはこれからですね。大変なのはミーハさんでしょう」
魔力量調査について話が及んだマクターナさんに、綿原さんが目を細めつつ確認する。
ウチのメガネ忍者な草間から魔力量の数値化を伝授されたミーハさんは、どうやらそっち方面の仮責任者みたいな感じになっているようだ。組合も容赦ないよなあ。
ミーハさんの悲劇は置いておいて、こっちも草間が計測していたから把握はしていたが、魔力量はやはり増加傾向で間違いないようだ。
こうなるとペルマ迷宮の四層はいよいよきな臭い。
対応の基本となるのは緻密な調査なのだけど──。
「マクターナさんは、まさか明日も迷宮ですか?」
俺と似たようなことを考えたのか、綿原さんはマクターナさんを労わるような発言をした。
「いえ、明日の確認はほかの者に任せます」
「良かった……」
「わたしは書類と格闘ですね。『一年一組』の報告にも参加させていただきます」
ペルマ迷宮冒険者組合が黒どころか暗黒な職場であることが確定した瞬間である。
マクターナさんの場合一等書記官と戦闘員を掛け持ちしているっていうのもあるのだけど、なんかもう俺は泣きそうだ。社会人になんてなりたくない。
◇◇◇
「わたしからもお伺いしたいのですが」
「『ニューサル組』ですね」
「はい」
「ハルス組長代理と会談をしました。終始穏便に話せましたよ」
ひとしきり国軍と迷宮の話を聞き終わったところで、今度はマクターナさんが俺たちに問い掛けてきて、察しの良い委員長が卒なく応対する。
「何ですの? わたくしが事を荒立てるとでも?」
「まさか」
委員長のセリフを聞いたマクターナさんがチラっとティアさんの方を見たのだが、二人のやり取りは心臓に悪いんだよなあ。
昨日の遭難絡みで打ち解けた感じはあるのだけれど。
そんな感じで、やたらと忙しいはずのマクターナさんとの対話は一時間近くにも及び、ホームに戻った俺たちは料理番の佩丘にひと睨みされることになった。
夕食に遅れてしまってゴメンって。
代わりというわけじゃないが、トウモロコシでレベルアップした人がいたという情報を教えてあげるとしよう。
◇◇◇
「イヤァァ!」
夜の裏庭に奇声が響く。決して悲鳴ではないので、念のため。
こんな掛け声を発するのは、もちろん我らがワイルドエセエルフなミアだ。
いくつかの松明が灯された庭を、妖精のような金髪美少女が『短剣』を抜き身にして駆け抜ける。
「これでトドメデスっ!」
スコンと軽い音がしたのと同時に、ミアが両手持ちした短剣が鍔の部分まで丸太にぶっ刺さった。
「いっちょう上がりデス」
短剣を引き抜いたミアが満面のドヤ顔をしつつ器用に鞘に納める姿は、まあ確かにサマになっている。
さて、夜にもなって、何故俺たちがこんなことをしているのかといえば──。
『これ、長いよね』
夕食後の談話室で、ハルス組長代理から譲り受けた神剣『ムラマサ』を手にした弟系男子な夏樹が放った言葉が発端だった。
俺たちが魔獣へのトドメのために使っている短剣は、刃渡りが三十センチで柄がニ十センチくらいの両手で使うことが前提とされたものだ。手っ取り早く表現すれば片刃のドスだな。
『赤組』から分捕った……、交渉の末に手に入れた神剣三本も、ほぼ同様のサイズだった。
ところが元となった素材のサイズが影響したのか、昼間に受け取った『ムラマサ』は刃の部分が五センチ程長いのだ。
一センチや二センチならまだしも五センチともなれば、刃物素人な俺たちにとっては最早別種の武器となる。如何に【身体操作】があるとはいえ、使い手を選ぶことになるのは明白だった。
「雪乃、パスデス」
「ウン」
ミアがひょいと放り投げた『ムラマサ』を受け取ったのはアルビノ少女の深山さんだ。
そう、新たなる神剣『ムラマサ』の使い手は、立候補と承認によって選ばれることになった。手を挙げ、そして使いこなせるところを見せて、使用許可が下されるのだ。
ジャッジをするのは安定の先生と中宮さん。
そんな過酷な試験に名乗りを上げたのは七名。エセエルフなミア、冷徹なる深山さん、チャラ子な疋さん、イケメンオタの古韮、文系オタの野来、ミリオタの馬那、そして悪役令嬢ティアさんだ。
意外なことに鮫女子な綿原さんは手を挙げなかったけど、彼女の場合は残る三本の神剣で十分だからなあ。クリティカル忍者な草間は刃が長くなったらむしろ失敗率が高くなりそうだということで辞退していた。
「頑張るっすよ、深山っち」
相方たるチャラ男な藤永の声援を、珍しいことに深山さんはスルーする。
立候補者の中で唯一の後衛職である【氷術師】の深山さんが『ムラマサ』を使いこなせれば、確かにレベリング効率が良くなるんだよな。
当たり前のように【冷徹】をオンにして、ポヤっとした表情で短剣を構える彼女の姿は、ちょっと危ない人にも見える。松明に照らされた瞳が赤く光っている辺りがポイントだ。
アウローニヤ時代に『めった刺し』と呼ばれた彼女ならば──。
「さあ八津くん、見物はこのくらいにして、わたしたちは報告書よ」
「あ、ああ」
深山さんの刺突に期待していた俺に、サメをまとった綿原さんがすげない言葉を掛けてきた。
「野来くんは短剣の方だから仕方ないわね。鳴子、頼めるかしら。碧は残って見ていて」
「うん、いいよ!」
「……ありがと」
綿原さんはロリっ娘な副官役の奉谷さんにも声を掛ける。野来の相方たる白石さんに対する気配りも見事だ。
この手の作業は迷宮委員な俺と綿原さん、記録と書記で奉谷さん、白石さん、野来が定番なのだけど、二名が欠員か。
遅れてから来るだろう野来と白石さんには最終チェックをお願いするとしよう。
「えいっ」
屋敷に戻る途中、背後からなんとも儚げな掛け声と共に、クラスメイトのどよめきが聞こえてきた。
やったか?
次回の投稿は明後日(2025/11/21)を予定しています。




