第561話 元侯爵令嬢の独壇場
「決闘……、とおっしゃいましたの?」
「ええ。青き血を持つ者同士、それこそが相応しいと考えますが?」
「面白い言葉を使います、わねぇ」
ニチャっと笑うニューサルを見て、ティアさんが実に楽しそうに嗤う。ああ、ここまで我慢していたのに、ついにスイッチが入ったか。
ティアさんの横に座る滝沢先生は不動の構えだ。これは完全に【冷徹】だな。事態の推移を見守るしかないってところだろう。
まあ先生のことだから、本当にイザとなれば止めに入るのは間違いないけど。
俺たちは『決闘』という単語自体は知っていても、冒険者としてそんなルールが存在していないことも理解している。
冒険者オタな野来と古韮が中心となって、一年一組の面々は時間こそ使ったものの組合の決まりを完全に把握しているつもりだ。一部怪しいメンバーもいるが、そこは役割分担だな。
その上で断言できるのは、冒険者同士、もしくは組同士であれ、暴力による決着はご法度だということ。先日運動会を開催して和解した『ホーシロ隊』の一件は不敬罪が絡んだのでチクりはしなかったが、基本的に冒険者の問題は組合が仲裁し、話し合いで結論を下す。
今回のケースならティアさんがハッキリと断り、こんなトラブルが起きたと組合の……、我らが専属担当のマクターナさんに訴え出れば、あの威圧でもって『ニューサル組』などダンマリとなるはずだったのだ。
だからこそ、ここまでの会話で『一年一組』サイドは冷たい熱を腹に抱えつつも激高すること無く、ニューサルのバカ話を左から右に流していた。
それなのにここで決闘などという冒険者的にあり得ない単語が飛び出し、ティアさんがモードに入った感じなのがヤバい。
「メーラ、説明して差し上げなさい」
意味がわからず首を傾げる俺と藍城委員長、そして古韮の心中を察したティアさんが、メーラさんに解説を申し付けた。
「……貴族の古い風習です。明文化はされていますので法としては有効ですが、現在の侯国では推奨されていません」
うん、ここ最近のメーラさんは長ゼリフが増えて嬉しいよ。キャラ崩壊というなかれだ。
無国籍である冒険者とはいえ、住居している国の法律にはもちろん縛られる。
税金こそ組合経由で払う形でそれ以外は無税みたいなものだが、刑罰に関しては別だ。ペルメッダで犯罪とされる行為をすれば、当たり前に罰せられる。
だからウチのクラスでは先生や委員長、上杉さん辺りが中心となって国の法律も調べてはいた。
それでも決闘法なんていうモノを見つけることができていないということは、余程マイナーで古い法律なんだろう。貴族関連ということもあって、後回しになっていたパターンかな。貴族同士のイザコザなんて俺たちには無関係なんだし。
「貴族同士の意地の張り合いで、金銭での決着をつけることができなかった場合に行われるものです」
「面子ってやつですか。けどそんなの、平民には適用されないんですよね?」
続くメーラさんの説明に、軽い調子で古韮が合いの手を入れる。
「はい。ですが、決闘を禁ずるという法は、ありません」
「つまりこの話、私闘でしかないってことですか」
メーラさんと古韮のやり取りで状況は整理されてきた。
結局、冒険者同士で決闘なんて、意味がないってことじゃないか。むしろ組合の規則に反する行為でしかない。
いや、ティアさんなら、もしかしたら──。
「よろしいですわ。受けて立ちましょう。ウチの専属に手間を掛けさせることもなくなりますわね」
そう、相手がティアさんならこういう展開はあり得るのだ。元侯爵令嬢だからとかではなく、性格を突く形で。
相手が想定していたかは不明だが、さらにティアさんの中にあるマクターナさんへの対抗心までトッピングされているのがなあ。
ティアさんのキッツい気性はペルメッダ貴族たちに知れ渡っている。お陰で同世代の、しかも同性のお友達が少ないなんていう噂も聞くくらいだ。
煽りに煽れば意味のない決闘を受ける可能性は十分にあり得るという推測は、なるほど悪くはない筋だ。
だけど大丈夫なのか? ニューサルは。
冒険者同士のトラブルで終わらせておけば組合からの厳重注意くらいで済まされた話が、ヘタに悪役令嬢を突けばコトがデカくなりすぎる可能性を理解しているんだろうか。地雷原で各種ダンスという言葉が脳裏に浮かぶ。
そこまでしてティアさんの身柄が欲しいのか、組に箔が必要なのか、俺たちド平民に盗られて悔しいのか……。
ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべているニューサルと、その横で顔を青くしているハルス副長の対比を見れば、これがチャラ男による自分勝手な浅い考えの暴走に思えるんだけど。
「と、言いたいところなのですが」
「まさか、お逃げになられると?」
前言を翻すようなコトを言い出したティアさんに、ニューサルが厭らしい笑みを引っ込め煽りを入れる。
「『一年一組』ではこの手の揉め事は、全員が揃った場で結論を出すことになっていますの」
「……組長と副長がここにいるではありませんか」
「それでも、ですのよ」
トップで決めることもできないのかという嘲りが混じったニューサルの言葉に、ティアさんが少しだけ声を低くして念を押した。横に座る先生やその背後の委員長は、ティアさんを肯定するかのように無言を貫いたままだ。
俺としては、独断で決闘を受けて高笑いのティアさんを想像していたのだが、うん、ちゃんと『一年一組』してくれている。不謹慎だけど、そういうちょっとしたところが嬉しくなるのだ。
隣の古韮もイケメンスマイルを浮かべているし、気持ちは一緒か。
「では場所を変えましょう。『談話室』に参りますわよ」
セリフと同時に颯爽と立ち上がったティアさんがメーラさんを引き連れ歩き出し、俺と古韮は扉係としてドアを開ける。
先生と委員長はニューサルとハルス副長の案内係だ。組長と副長同士だから確かに適切な担当だよ。お互い全くの無言だけど。
ところで扉の向こうでパタパタと複数の足音が遠のいていったが、まあ普通に盗聴していたんだろう。談話室へのアナウンス係をよろしく。これぞ一年一組の役割分担ってな。
◇◇◇
「これはまた、妙な様式の広間ですね」
「そう思いますわよね。わたくしとても気に入っていますの」
談話室に入った途端にサゲてくるニューサルに対し、ティアさんは言葉で殴り返す。
本当ならこんなヤツを入れたくはなかった談話室は、確かにペルメッダ基準では怪しげな部屋だ。
基本的に土足禁止な飾り気のない格子模様の大きな絨毯が敷かれ、そこかしこにクッションが並んでいるのが最大の特徴で、それ故に殺風景にも映るだろう。部屋の隅には何か所かに小さなテーブルと椅子が配置されているけど、オマケという印象しかない。
色どりとしては、アウローニヤ大使となったスメスタさんから贈られた花瓶に飾られた地元の花くらいなもので、壁にはそこそこ豪華な額縁に収められた『一年一組』の認定証が掛けられているだけ。これもまたニューサル的にはマイナスなんだろうな。品格とやらで。
ちゃんと『帰還旗』が隠されている辺り、ダッシュで先行したメンバーが指示を出してくれたんだろう。ナイス判断だ。
「こちらにどうぞ」
「姫自ら。感謝いたします」
ニューサルたちが間違っても絨毯の上を歩かないようなルートで、ティアさんが壁際の一番大きなテーブルに手招きする。
席に着いたのは『ニューサル組』の二人と、こちらからはティアさんと先生だけ。さっきはソファーで対峙していた二組が、丸テーブルに着席した形だ。
「……ほう」
立ったままでニューサルたちの動向を見届けたクラスメイトたちがバラバラと絨毯に座っていくのを見たニューサルが、眉をひそめてから嘲るような声をこぼした。さっきから器用に表情を変えるヤツだよなあ。
でもまあこれで、クラスメイトたちにもニューサルの人物像は完璧に伝わっただろう。同時に顔色を悪くしたままのハルス副長の立場も。
アウローニヤ文化圏の内側にあるペルメッダ侯国には、地べたに座るという文化は知る限りで存在していない。本当の貧民層ならそういうのもあるかもしれないが、少なくともペルマ=タの内市街でお目にかかることはないはずだ。
和風はもちろん、アラビアンだったりもしないんだよな。
「どうぞ」
「ふむ。器だけは立派なものだ」
料理番の上杉さんがテーブルについた人たちに紅茶を置いていく。
ニューサルがバカしたような鼻を鳴らすが、茶器は侯爵家からの持ち込みで、葉っぱは内市街の最高級品。そして淹れたのは聖女様だぞ? ついでに同席者は元侯爵令嬢と功績で爵位を得たアウローニヤの名誉男爵ときた。
子爵家の三男程度なら一生に一度モノの栄誉だろう。本来泣いて感謝すべき状況なのに。
ティーカップに手を付けようともしないニューサルを置き去りに、上杉さんは気にした素振りもなく俺たちの輪の中に戻る。
ニューサルはさっきから本当にティアさんにしかまともに視線を合わせていない。同席している先生にすら最低限で、しかも大抵は嘲りだ。
表情からするに、こちらの剣呑さにビビったとかではなく、単に俺たちを視界に入れる必要を感じていないといったところか。
そういう謎な度胸だけは認めてやるよ。モブ扱いのこっちからはビシバシ殺気のこもった視線が飛んでいるというのにその態度は大したものだ。むしろハルス副長の目がうろちょろしているのが哀れを誘う。
「まずは状況を説明させていだきますわね」
ニューサルの方を見もせず俺たち観衆側に向き直ったティアさんが、優雅に紅茶で口を湿らせ、おもむろに足を組んでから語り始めた。
「こちらの、なんと言いましたか……、そうそう『ニューサル組』の組長さんが、わたくしに組を移れと申し入れてきたのですわ」
軽く思い出すようにして首を傾げることでニューサルを煽りつつ、ティアさんが端的に現状を解説する。
当然のことだが、クラスメイトたちからは怒りと呆れのオーラが立ち昇った。メッセンジャーの言葉をリアルで再確認し、沸騰状態ってところかな。
「断り続けたのですがどうにも話が通じず、しまいには決闘を持ち出してきましたの」
深刻さの欠片もなく、ティアさんはサクっと結論を述べる。わかりやすいなあ。
「決闘……、ですか。随分と古風ですね」
「わたくしもそう思いますわ」
決闘という単語に理解が及ばないクラスメイトが大多数の中、歴女の側面を持つ上杉さんが感想を口にした。とっくに暗黒聖女モードである。
「ここまでが前提ですわね。そこで相談がございますの。『一年一組』を代表し、わたくしが直々にお相手して差し上げたいと考えているのですわ」
「ティアが出るまでもありまセン! ここはワタシが成敗──」
「ミアっ……、ごめんなさい。少し黙ってて」
「なんかワタシの扱いが雑な気がしマス」
敢然と立ち上がったティアさんが自ら出陣すると言い放ち、ミアが悪ノリする。それを中宮さんが押し留めるところまでがワンセットってヤツだ。昨日も似たような光景があったなあ。
まあティアさんの性格を考えればこうもなるのは理解できるのだけど、実際のところ、アリ寄りのアリだとは思うんだ。
何しろ相手は元侯爵令嬢の身柄を確保したがっている。つまり、ティアさんに怪我などは負わせたいなどとは欠片も考えていないはず。
逆にこの決闘を受けたとして、ティアさん以外が戦うとしたら……。
「……我々が姫の御身に傷を付けられぬことを知った上で、でしょうか」
「あらあらあらまあ! 冒険者を名乗る者が傷を厭う? バカげたことを仰いますわね。わたくしを打ち倒すことができないのであれば、あなたが傷付くだけのことですわ!」
決闘という単語とティアさんの宣言をクラスメイトたちが受け止めかねている中、ニューサルはニューサルで動揺していた。ほんと、何を今更だぞ。
ティアさんはニューサルなんぞの薄っぺらい妄想なんて破り捨てて、ハイヒールで踏みつけるタイプの悪役令嬢なのに。
「だっ、代理人を立てるのが当然でしょう。こちらからはこのハルスが立ち合いをいたします。『一年一組』には男爵閣下がいるのでしょう? 姫ご自身などというのは──」
慌てふためくニューサルが、あらかじめ用意していたのだろうセリフをまくしたてる。
なるほどそういうことか。自分は戦わず、たぶん『ニューサル組』最強格なんだろうハルス副長を最初から前に立たせる気だったと。ついでにこっちの組長、滝沢名誉男爵に恥をかかせる思惑までってことか。
どうせ先生のコトを平民男爵だとか思っているんだろうな。
実に貴族的な陰湿さだよ。
昨日ティアさんたちが冒険者登録した際に、せっかくだからとその場にいたメンバーも【識術師】のキッパおばあちゃんに【神授識別】をしてもらい、全員ではないけれど『一年一組』最新の階位は掲示されている。残りのメンツは今日の夕方、『シュウカク作戦』説明会の前に更新する予定だ。
何しろ大規模作戦に参加することになるわけで、最新の階位はハッキリさせておく必要がある。自己申告は昨日の時点でグラハス副組合長に紙の資料で渡してはいるけれど。
さておき、先生は昨日時点で十二階位の【拳士】と掲示されている。そしてティアさんは十二階位の【強拳士】。お揃いだな。
それを確認した上で決闘を申し込んできたニューサルは、それなりに自信があるのだろう。つまり代理人であるハルス副長はそれなり以上の強さを持っているはずだ。
「ハルス副長は十四階位の剣士で、ニューサルは十三階位の騎士だ」
「階位と職まで知ってるのかよ、古韮。それとアレ、十三階位なんだ」
俺のすぐ隣でボソっと呟く古韮には驚かされる。『ニューサル組』の概要は知ってても、あの二人の神授職や階位なんて情報はクラス内で共有してないぞ。
それにしてもニューサルが十三階位とはな。とても強者には見えないのだけど。
これは雲行きが微妙になってきたか?
「要警戒だからな。副長はほかの組にいた傍系の男爵家出身を引っ張ってきたらしい」
「職場って選びたいよな」
「全くだ。八津はまず、コンビニのバイトとかやればいいんじゃないか?」
古韮のおせっかいな推薦は置いておいて、『ニューサル組』は貴族子弟が多数所属しているだけに、ティアさんが『一年一組』に加入するにあたり、警戒度が引き上げられた組でもある。
結果は案の定だったが、冒険者オタを兼任する古韮はしっかりと情報を得ていてくれた。
ところで俺を挟んで古韮の反対側に座っている綿原さん、メガネを光らせるのをよしてくれ。コンビニって単語が大好きなのは知っているから。
「あら、タキザワ組長にお願いしてしまっては、あなた方……、二人掛かりでも敵いませんわよ?」
もちろんそういう事情に勘付いたティアさんが黙っているはずもない。
口元に手を当てコロコロと嬉しそうにチャラ男を嘲笑うティアさんは実に楽しそうだ。
そのタイミングでティアさんが先生にチラリと視線を送る。奇麗な緑色をした瞳に宿るモノは、信じてほしいという切実な想いだろうか。【冷徹】を解除した先生は少しだけ眉をひそめて軽く頷き、ティアさんの決断を肯定した。
勝算アリと先生は見たか。
途端、ティアさんが輝くような悪い笑みを深くする。
嬉しいんだろうなあ。わかるよ。先生に背中を押してもらえるのって、本当にアガるんだ。
「リン、ミア。タキザワ先生は了承してくれたようですわよ? あなた方はどう思いますの?」
「……仕方ないわね」
「ワタシが出たらイチコロデスけど、手柄は新入りに譲るものデス」
先生の許可を得た悪役令嬢は、中宮さんとミアに答えを迫る。二人の出した結論はゴーサインだった。
そこから最終確認とばかりに先生と中宮さんはアイコンタクトを交わし、お互いに頷き合う。
つまり武術家な二人は、何かしらの理由を持ってティアさんとニューサルの強さを比較したということだ。能天気でも仲間想いなミアについては、野生のエセエルフセンサーってところかな。
「信じていいんだよね? 今更ウチからいなくなるなんてダメだよ?」
「もちろんですわよ。ハル」
両拳を握り締めて立ち上がった陸上少女の春さんの言葉を受けたティアさんは、この時ばかりは表情を柔らかくして頷いた。
「ティアさんがやるなら、ボクは応援するよ!」
「負けるとこが想像できねえなあ」
「ティアなら大丈夫っしょ」
「怪我とかしないよね? 大丈夫だよね?」
一年一組の武力サイドからの太鼓判を受け、一部心配の声こそ混じっているが、クラスメイトたちから賛成の声が上がる。
「まあ、ティアさんなら問題ないだろ」
「なにか企んでいる顔ね、アレって」
俺の両脇に座る古韮と綿原さんが意味深なことを言いながら手を挙げた。
同感だよ。あのティアさんが勝算も無しに、こんな展開に持って行くはずがない。だよな?
「……満場一致ですわね」
談話室にいる二十三人からの挙手を浴びたティアさんは、それはもう嬉しそうに悪い笑みを浮かべるばかりだ。
そう、手を挙げた人の中にはメーラさんも混じっていたのだから。
「では改めて──」
ティアさんの声が談話室に響き、一部立ち上がってしまっていたクラスメイトたちが座り直した。
「そちらから申し込んできた決闘とやら、受けてあげますわ。ならば条件はこちら側。決闘は『ニューサル組』の組長、なんとか・ニューサルと、このわたくしの一対一で行いますわよ。負ければわたくしは『ニューサル組』に移籍いたしましょう」
「……ユイルド・ニューサルです。そのお言葉に偽りはないのでしょうね」
見事、獲物が罠に引っ掛かったとばかりにティアさんは邪悪な笑顔でセリフを言い切る。
微妙に腰が引けた様子の『なんとか』・ニューサルだけど、それでも勝ち目は十分と踏んだのか、席を立ちつつ振り絞るような声で確認してきた。
十三階位の騎士と十二階位の拳士。確かに単純な字面だけなら前者が勝つだろう。
しかもティアさんの場合、つい先日まで七階位だった事実は貴族界隈で広く知られている。相手は接待レベリングの急造十二階位で、神授職的にも間合いは騎士に有利。ニューサルはそんな考えなんだろうな。
俺はニューサルが戦うところを見たことがないので、ティアさんが確実に勝てるなんて確信は無い。
それでも先生や中宮さんが保証しているから、口出しはしないけど。
「もちろんですわよ。わたくし、誓いを違えるような輩ではありませんわ!」
一見不利とも思える状況だが、それでもティアさんは自信満々で胸を張る。
「わかりました。姫と私との決闘ということで、お受けいたしましょう」
「よろしくてよ! その勇敢な心だけは褒めて差し上げますわ!」
すっと息を吐いたニューサルが笑みをこらえるように表情を歪めつつ決闘を受け入れた。
申し込んだ方が受けるという展開に違和感を覚えたりはしないんだろうか。すっかり主導権がティアさんに移っているぞ。
「アイツ、バカだよな」
「そうね」
左と右の耳に古韮と綿原さんの呟きが入り込んでくる。右側がちょっとくすぐったいかな。
ともあれ同感だよ。やっぱりバカだな、アイツ。その宣言が悪手であることくらい、俺でもわかる。絶対にこの段階で言っちゃいけないセリフだぞ。
相手がティアさんであるにも関わらず、会話をしている段階で勝負が始まっているって気付けていない辺りがヌケまくりだ。大事な、とても大切な確認をいくつも忘れている。
「ところで、そちらの要求は聞きましたが、わたくしが勝利した場合を考えなければなりませんわね」
「……そうですね。では、金銭ではいかがでしょう」
「あらあら、わたくしの身柄が金銭で贖えるとでも?」
「ならばどうしろとおっしゃるのでしょうか」
実に厭らしい言い回しで、ティアさんが対価の交渉に入った。
完全にティアさんワールドが開催されているなあ。伊達に商人侯爵の娘をやっているわけではない。
「あなたの腰に付けている短剣、良い物なのでしょう?」
「……三代前の組長が五層で得た素材を用いています。これを差し出せと?」
悪い笑みを浮かべたティアさんが視線をニューサルの腰に向けた。
ニチャニチャしている人物が、さっきまでと逆転しているな。
「あらまあ、そんな剣がわたくしの身に釣り合うと、あなたはそうおっしゃるのですわね」
「それは……」
ネットリとした物言いをするティアさんに、ニューサルは押し黙る。
ここでそうだとは言えないよな。たとえそれが六層素材の宝剣だったとしても、ティアさんの価値とは比較にもならない。
こういうところがやっぱり浅いと思うんだよ、ニューサルは。ダンマリで俯くハルス副長が、このやり取りをどう思っているかはわからないが、状況はティアさんが押しまくりだ。
自分のところの腐った組長をまともに制御できなくて、何のための副長なのか。そもそも今回の訪問自体、『ニューサル組』内で合意ができているのかすら怪しい。
「まあ、あまり意地悪をしても仕方ありませんわね。このわたくしと釣り合う価値のあるものなど、そちらから提示できるはずもありませんもの」
言いたい放題のティアさんは左手の甲を口元に寄せ、嫌味な苦笑を浮かべてみせる。
「ですのでここからは『ニューサル組』の処遇ですわ」
「処遇、ですと?」
そんな権限などないはずのティアさんの言葉だけど、それでもニューサルは気圧されまくりだ。
「ニューサルとやら。あなたが勝利したならば、精々美談を語りなさいませ。なんでしたらあなたの強さを実感したわたくしが、喜んで移籍を求めたと吹いてもいいですわよ?」
「……では、私が負けた時は」
「勝負の内容も含め、あなたの突然の訪問からなされた会話を、一言一句違えず界隈に広めますわ! もちろんその短剣も忘れてもらっては困りますわよ?」
「それはっ……」
ほら、ティアさんの勝ちじゃないか。ちなみにここまでの会話は俺と古韮で全部をメモってある。一年一組お得意技、事実陳列ざまぁの準備はいつでも万端だぞ。
そもそもそこでたじろぐってことは、自分の言っていることが無理筋だという自覚があるという証明だ。……意外だな。もっと突き抜けたバカだと思っていた。
けれども哀れみなどは欠片も感じない。事前の取り決めすらあやふやな時点で決闘を承諾したニューサルの落ち度だ。自分の要求を前面に出すだけで、降りかかってくるリスクを考えていなかったんだろう?
ここでやっぱりやめますなんて、言えないよなあ。
「勝てばよろしいのですわ。勝つことができたのならば、ですけど」
それに、まだまだティアさんのターンは終わっちゃいない。
次回の投稿は明後日(2025/09/28)を予定しています。