第535話 増えたよ
「おい八津、アレなんとかしろよ」
「なんで俺なんだよ」
イケメンオタな古韮がマジ顔で俺に話し掛けてきた。
「あはははははははははっ!」
あちらでは我らが鮫女こと綿原さんによるティア様もかくやといわんばかりの高笑いが続いているが、それに背を向ける形でのヒソヒソ話だ。
ほかの面々はバツが悪そうに目を逸らすか、完全無視で倒したばかりの三角丸太、白菜、サトウキビの解体作業中。忍者な草間に至っては【気配遮断】を使ったのか所在がしれない。
一部のメンバーがチラチラ俺に視線を送っているけれど、どういう意味が込められているのやら。
本当なら大々的に感想戦をしたいはずのマクターナさんとミーハさんは、綿原さんに背を向けながら滝沢先生とヒソヒソやっている。
「あんな感じになった綿原って二度目、だよな」
「ああ。前回は『珪砂』の時だった」
「てことは八津」
「サメが絡んでるんだろうなあ」
古韮と俺は気持ちをひとつに頷き合うのだ。
◇◇◇
戦闘自体は一年一組的にはごく普通だった。マクターナさんやミーハさんとしては三種合わせて合計十四体の魔獣という時点で大事だったかもしれないが、俺たちとしては、うん、まあ。
魔力部屋とは別口で当たりを付けていた構造的に魔獣が渋滞しそうな広間には、二体の三角丸太と八体の白菜がいた。大方三角丸太が白菜の移動を遮る感じだったのだろう。魔獣の発生が増加すればこういうことが起こりうることを、俺たちはアラウド迷宮で学んだので驚きなどはない。
見学者のお二人には引き撃ちをすでに見せていた一年一組は、今度は乱戦を選択した。三角丸太の片割れくらいなら、マクターナさん一人でどうとでもしてくれるだろうという皮算用もあったので。
で、幾人かの軽傷者や麻痺者を出しながらも、三角丸太は古韮と佩丘が倒し切り、そこから白菜メインにシフトしたバトルの方は【身体強化】持ちの後衛職で十一階位な綿原さんと笹見さん、ついでに草間にトドメを割り当てた。
丸太の素材は投棄前提と決めてあったお陰で、マクターナさんはやりたい放題。ほとんど独力で二体を無力化したんじゃないかってくらいに大暴れしていたよ。一体については本体を一振りで両断したくらいだ。伊達に【斬剣士】をやってはいない。ちゃんとトドメを刺さない程度に留めくれたし、その辺りはベテランの風格だ。
戦闘中はなんかこう、とてもいい笑顔だったなあ。
そんなマクターナさんの活躍で、ワリと早い段階で丸太にケリを付けることができたクラスメイトたちは白菜の無力化にいそしんでいたのだけど、そこにサトウキビが四体乱入してきた。
ここで真っ先に警告を発したのがミーハさんだったことは特筆しておきたい。位置取りの関係っていうのもあったけど、彼女も立派に戦闘に参加していたという意味で。
『僕は一人で七体も倒したからね。今度は君たちの番だよ。一人で一体ずつなんて、楽勝じゃないか。大丈夫、もしもの時は僕が責任をもって【解毒】してあげるよ』
そんなサトウキビを見た藍城委員長が、未だ十一階位の騎士職四人組に投げかけたお言葉がコレである。
メガネをギラギラと輝かせ、口元を歪めた委員長は『一年一組』の副長権限でもって俺の持つ指揮権を一時剥奪し、組員に命令を下したのだ。ルールに則り、そういう筋を通すあたりが実に委員長なのだけど……。
委員長の矛先がこちらに向かわなかったのは、単純に俺がサトウキビを倒せないだけでしかない。もしもを想像して俺は震えあがる思いをしたものだ。攻撃力が足りてなくて良かったなんて思ったのは初めての経験である。
ちなみに同じく副長の中宮副委員長と組長な滝沢先生はサトウキビには目もくれず、白菜の無力化に専念していた。見事な役割分担である。
てな感じで戦闘も無事終了し、全員の治療も終わった。ならば解体となったところで、十二階位達成を宣言したと同時に綿原さんの狂笑が始まったのだ。
◇◇◇
「『迷宮委員』仲間なんだろ? バディだし」
「そういうの持ち出されても、アレはちょっと」
「なんなら八津を『サメ係』に推薦してやろうか?」
止めろよ古韮、俺と綿原さんは外堀から埋められるような、そういう関係じゃない。そういうのは農家ペアな野来と白石さんで十分だ。ウチのクラスはそういう推薦が通ってしまいそうで怖いんだよ。
俺たちはもっと、二人だけで距離を縮めていくような──。
「ねえぇぇ、八津くん、聞いて、聞いてっ!」
「ひぃっ!?」
突如背後から俺の肩に手を乗せたのは、他ならぬ綿原さんだ。いきなりゼロ距離かよ。
振り向かずとも俺が彼女の声を聞き間違えるはずもない。たとえ綿原さんが怪しげなモードになっているせいで、キーが高くなっていたとしてもだ。
「あ、俺、解体手伝ってくるわ。それが冒険者だもんな」
そして早々に古韮が撤退を開始する。おい、俺の最初の友達という設定としてどうなんだ? その態度は。
「で、どうしたのかな、綿原さん」
そそくさと立ち去っていく古韮の助力を諦めた俺は、【平静】をフル稼働させ、綿原さんへの想いのありったけをあちこちからかき集め、すっごいモチャモチャした笑顔な鮫女子に語り掛ける。
我ながら上出来すぎるぞ、俺。良くやったと周りも褒めてくれることだろう。だから俺の周囲を凄い勢いで遊弋している赤紫のサメには、もう少しだけでも大人しくして欲しいのだけど。
「技能が生えたの!」
「そ、そうなんだ」
もしかしたら【鮫術師】から【鮫者】にジョブチェンジしたんじゃないかと疑ってかかっていたのだけど、そこまでではなかったらしい。
とはいえ、新たな技能で綿原さんがここまで荒ぶるとは。一体全体どんなのが生えたのやら。
「聞いて!」
「もちろん聞くさ。聞かせてほしいなあ」
「【多頭化】よっ!」
ごめん、全然全く意味がわからない。【多術化】でもなければ【遠隔化】でもない……、【多頭化】?
ええっと、サメを数える時の単位ってなんだっけ。普通なら『匹』だと思うんだけど、デカブツなら『頭』もアリか。つまり【多術化】に被せてサメ専用の増量技能ってことか? 【観察】系をいくつか持っている俺が言うのもなんだけど、専用技能とか凄いな、【鮫術師】って。
いやいや、違う。綿原さんはフィルド語で【多頭化】と言った。日本語的なカウントとしての『頭』ではなく、英語ならば『Head』として。
やっぱり意味不明なんだけど。
「そ、それはそこまで重要な技能になるのか、な?」
「当然よっ!」
迷宮の天井に向かって大きく腕を広げた綿原さんが断言する。
「直ぐにでも取ろうかと思ったのだけど、いちおう八津くんにだけは伝えておこうかと思って」
「こ、光栄だよ」
気遣いは嬉しいけれど、今の彼女のノリは結構怖い。
「あ、あの、凪?」
「どうしたの? ミア」
「あの、そのデスね」
ここで会話に混ざってきた勇者はエセエルフのミアであった。大したド根性だとは思うが、普段のヤンチャっぷりはなりを潜め、どこかオドオドしている。こんなミアは珍しいな。
まあ、首だけグリンと動かした綿原さんのモチャモチャな笑顔に見つめられればそうもなるか。
「十二階位になったら【安眠】をお揃いにするって──」
「ごめんなさい。ミア。本当に、心から、謝るわ!」
「ひうっ!」
怪しげな約束を持ちだしたミアに対し綿原さんは、音を立てるようにズバっと腰を折って謝った。ただし満面の笑みと両手は広げたままなので、なんか飛び立つために力を溜める鳥みたいな異様なポーズになっている。
これにはミアでも妙な声で一歩後ずさるのも仕方ないだろう。俺だったら謝り返してダッシュで逃げてしまいそうだ。
「お詫びになるかどうかわからないけど、せっかくだから八津くんとミアの目の前で取るわねぇぇ!」
そんなことを言い出した綿原さんだけど、グワっと頭を持ち上げた反動で顎が反り返り、視線は天井に向かっている。まるで迷宮そのものに語り掛けているかのごとくだ。それと語尾が綿原さんらしくないぞ。
新技能、しかも聞いたこともないスキル取得を宣言した綿原さんに、さすがに周囲の視線も集中する。
「なんか凪が怖いデス」
「そ、そんなことはないんじゃないかな」
怯えるように……、実際にビビっているのだろうミアが俺の脇にやってくるけれど、綿原さんを刺激しかねない失言はよしてくれ。ついでに俺とミアのあいだにサメを一匹滑り込ませないでくれよ、綿原さん。
もう正気か狂気か、彼女の判別が難しすぎる。もしかしたら本能とかか?
「さて、取るわよ!【多頭化】ぁ!」
高らかと声にする綿原さんだけど、もちろん技能取得にそんなコールは必要ない。頭の中にある光の粒を意思の力でアクティベートする、俺はそんな感じでやっている。
「始めるわっ!」
モチャり顔を引っ込め、マジモードになった綿原さんが鋭い声に切り替わった。
と、同時に俺とミアのあいだに居座っていたサメが形を失い床に落ちる。術を解除した?
見れば、綿原さんの周囲を回遊してた二匹のサメの片方が、これまた姿を消していた。三匹のサメを集めるのではなく、【多術化】をオフにしたのだろう。
「【魔術強化】も解除したわ。もちろん【魔力付与】も。ここにいるのは純粋に【鮫術】と【血術】だけのサメ」
座った目の綿原さんが周囲に説明する。というよりか、自分に言い聞かせているようにすら見えるくらい、どこかのゾーンに入っているような。
さっきまでの狂的な雰囲気は消え去り、武術家である中宮さんが集中したときのような、静謐で厳かな表情の綿原さんがそこいいた。
「やるわよ……、【多頭化】」
敢えて口にした彼女の言葉に従い……。おいおいおいおい!
「マジかよ」
「何それ」
「凄い……、デス」
「ばっかじゃねえの」
「アレ、映画で見たことあるかも」
「深山っちと見たっすね、ああいうの」
綿原さんの体の正面、胸のあたりに浮かんでいたサメの頭が二つになった光景に、クラスメイトたちがどよめいた。
最後の二人、ナチュラルに仲良しを押し出さないように。それとバカ呼ばわりした田村については、あとで話があるからな。
さておきサメだ。頭のレイアウトは縦ではなく横に二つ。頭が裂けたのではなく、まったくおなじサメヘッドが均等に並んでいる。胴体は……、それに合わせて少しだけ太くなっているかな。全長は三十センチくらいで、これは綿原さんが全力を出していないってことなんだろう。
ふと、俺たちを見ていたサメが主人へと向きを変えた。挙動は自然で、まるで最初から頭が二つであることが当たり前のような動き方だ。小さな頭が挨拶をするかのように左右で別々に上下する。
周囲の視線を一身に集める綿原さんだが、本人はまったく気に掛けた様子もなく、水をすくうかのようにそっと両方の手のひらを差し出した。ツインヘッドなサメが甘えるようにソコに乗る。
「想像したとおり……、最高ね。やっぱり【鮫術師】になれて、本当に良かった」
そこから派手な何かをやらかすでもなく、綿原さんは心からの言葉をモチャっと笑顔で放ったのだ。
召喚初日、俺はアウローニヤの第三王女に【観察者】と判定されて落ち込み、すぐそのあとで綿原さんは【鮫術師】とされて喜んでいた。
今では俺も【観察者】であることに納得している。身体系技能が生えないことだけがちょっと不満だけれど、それでもだ。
だけど、ああ。目の前で愛おしそうにサメを見つめる綿原さんは、最初っからずっと自分の職を喜び、誇り、今まさに嬉しさを爆発させている。見ているこっちまでが楽しくなってしまう、そんな笑顔を浮かべる綿原さんは、やっぱり美人さんだなあ。
ところで頭が増えたからって、何かいいことはあるんだろうか。
◇◇◇
「凪ちゃん、そろそろいいかしら」
「ええ、わかっているわ。凛」
一分か二分か、サメをいじくる綿原さんに声を掛けたのは中宮さんだった。今の綿原さんを刺激しないためか、それなりに緊張を含んでいた中宮さんだったけれど、返事は軽い。
「……検証するとか騒がないのね」
「歩きながらでも地上に戻ってからでもできることよ。使い勝手も変わるだろうし、戦闘中には試さないから安心して。けれどね、凛」
「なによ」
「わたしの可愛いサメは『確実』に強くなってるわ。術師にはわかるのよ」
あまりに気軽な綿原さんの言葉が引っ掛かったのか、中宮さんは窺う様子で話を続けた。対する綿原さんは、自信満々で言い切る。
そう、術師たちは理解できるのだ。俺だって後衛系だからこそ綿原さんの言いたいことがわかる。自分の使う魔術、言い換えれば技能の特性が。
技能を取った初回の行使こそおっかなびっくりではあるが、一度でも使えば感覚的にわかってしまうものなのだ。消費魔力であったり発動限界や効果範囲、自分にとっての向き不向きなどなど。
そして綿原さんは断言した。自分のサメが【多頭化】によって強くなったのだと。そうか、強くなっちゃったかあ、サメが。
「ああ、そうだねえ」
「僕もわかる、かな」
「うん」
したり顔で頷くのはアネゴな笹見さん、弟系の夏樹、ポヤっとアルビノな深山さんあたり。三人ともがそれぞれの特色を持ち、それでいて綿原さんとタイプの近い攻撃、もしくは阻害系術師だからこそだろう。
「移動の前に一つだけ試すわね。【魔術強化】、【魔力付与】。これでもしかしたら、ミーハさんなら」
追加の技能で二つの頭を持ったサメ自体は姿を変えたわけじゃない。それでも二つの技能を被せられたソレが強化されたのは間違いないはずだ。かつて【魔力付与】を与えられた綿原さんのサメが、俺の外魔力を突き破って甘噛みを達成したことがあった。
ならばそこに【多頭化】で、綿原さんの言うように更なる強化がなされていたとすれば。
「わ、わたしですか?」
「怪我なんてさせません。見た目でわかると思います」
名指しされたミーハさんが思わずといった風に手にする杖を構えているが、綿原さんはお構いなしにゆっくりとサメを近づけていく。
そして──。
「人に触れたのに、魔術が解けない……」
唖然と呟いたのは勇者が勇者として認められた要素の一角たる【熱導師】の笹見さんだった。
綿原さんが操る二頭サメは、後衛十階位であるミーハさんの肩あたりに軽く噛みついてから、主の下に舞い戻ったのだ。赤紫の血ザメが触れたのに、ミーハさんの革鎧には血痕が残されていない。つまり完全に術が維持されていた?
これが俺の知るラノベの類であったなら、なんてことのない現象だったろう。むしろ相手を噛み千切るくらいまであってもいいくらいだ。
だけどこの世界における魔術の常識からすれば、これは異常現象となる。
「ね? 強くなっているでしょ」
綿原さんは魔術が強化されたことを強調するが、事態はそんな生易しいものではない。
ヒールやバフでもない限り、人に、正確には人の纏う外魔力に触れれば、魔力の相互干渉により魔術は解除される。夏樹の石でも笹見さんの熱でもそうだ。
この世界の魔術は魔力によって与えられたエネルギーで、いわば加熱や加速の余波でもって、結果として残った物理現象で相手にダメージを入れるのが常識となっている。
なのに綿原さんのツインヘッドシャークは、魔術がそのまま相手に到達し、状態を維持したまま戻ってきたのだ。これがどれだけ凄いことか。
「強いとか弱いとかじゃないような」
「かなり魔力を込めているのよ。物凄い消費。無理やりねじ込んだって感じね」
呆れた雰囲気の夏樹の言葉に、綿原さんは肩を竦めて答えてみせる。
なるほど、対象にミーハさんを選んだのは、この場にいるメンバーの中で外魔力が最弱だからか。
「けれどわかるのよ。明確に魔術の強度が上がってる。扱える素材の量と密度も増えているの……。たぶん速度はこれまでと変わらない、とか」
魔術の常識を覆した綿原さんは、むしろサメのパワーアップそのもののみを、素直に喜んでいるように見える。
「ワタハラさん、ご自身がなにをしたのかを、理解は」
「もちろんです。外魔力の強いマクターナさんや四層の魔獣にはまだまだ通用しないでしょうけど、これからですよ。サメは最強にして至高、そして極限。この世界の魔術の常識? そんなのが通じる領域じゃないんです。わたしのサメはまだまだ進化する!」
頬に汗を流したマクターナさんに、綿原さんは何を当たり前のコトをとばかりにモチャりとした笑顔で答えてのけた。
それくらいサメは綿原さんにとって絶対であり、アイデンティティ。こんな世界の常識に縛られるような存在ではない。堂々と胸を張り、逸脱してやるのだと言い放つのだ。
そんな綿原さんに、マクターナさんとミーハさんはドン引きしている。クラスメイトたちは慣れたものだがな。
「十二階位となった術師が魔術を強化する技能を被せると、こうもなるのですね」
なんとか舞い戻ったマクターナさんが、どうにかこうにか常識を無理やり上書きしたようだが、ミーハさんは首を横に振っている。
これで技能の名前が【魔力侵襲】とか【魔術硬化】だったらミーハさんだって納得していたかもしれない。だけど【多頭化】だからなあ。
頭が増えたら魔術が強化されたとか、納得の外側だろう。
「人が来る! 凄く速い!」
ミーハさんが現実と戦っているところで警告を叫んだのは、草間だった。
十三階位にも負けないスプリンターの春さんを知る草間をして速いと言わしめる乱入者かよ。
一瞬にして場の空気は切り替わり、草間の指差す扉に全員が集中する。先生や中宮さん、ミアなどはすでに一歩を踏み出しているくらいだ。
「──すまんっ。通してくれ!」
草間の叫びから三秒、広間に飛び込んできたのは冒険者装備の人たちだった。
人数は全部で十八人。だけど立っているのはその中でも十一人で、七名は背負われている。全員が赤紫に染まっているけど、間違いなく魔獣の返り血だ。その中に赤い、人の血が混じっているのを俺は【観察】できてしまった。
「『赤組』……」
緊急退避してきたとしか思えないズタボロな冒険者たちを見たマクターナさんが、驚きの表情でとある単語を口にする。
『赤組』ってまさか、ペルマでも最強の一角を誇る冒険者じゃないか。
次回の投稿は明後日(2025/08/03)を予定しています。