第523話 異世界運動会
「静まらんかっ!」
一人の冒険者の叫びを発端として騒然となってしまった大広間で、『サメッグ組』組長、『担い手』のサメッグさんが一喝する。
「みっともない姿をさらすもんじゃないよ。この子たちを羨んだり憐れんだりするのは構わない。けれどね、謂れの無いコトで騒ぐのは感心しないねえ」
続けて『蝉の音組』のおばあちゃん、イン組長が正論で諭す。この子たちときたか。
インおばあちゃんの隣では『ジャーク組』のデスタクス組長が腕を組んで頷いている。
そんな組長たちの態度と言葉で、やがて喧噪はかき消えた。
「みなさんがやるせなさで憤る気持ちは……、少しだけなら理解しているつもりです。ペルメッダへの旅の途中でいろいろと見てきましたから」
静かになった大広間に藍城委員長の落ち着いた声が響く。
「ですが僕たちがアウローニヤに現れてから、まだ百日も経っていません。そこでずっと大人たちの都合で振り回された結果が今です。申し訳ない……、とすら言える立場じゃないんですよ」
一年一組的にはすでに百日近くと表現したいのだけど、委員長はあえてそう言った。
同時に事実だ。この世界に呼ばれて百日……、正確には九十五日で、超チートなんて持ち合わせていない俺たちに何ができるというのか。クーデターの負け組からならまだしも、少なくともこれから救われる可能性を持つ人たちから責められる謂れなんてどこにもない。
けれども委員長が言ったように、流民たちが叫びたくなる気持ちもわからなくもないのが、切ないな。
「みなさんが貧困に喘ぎ、国を捨てる羽目になった事情は知っています。それに対して僕たちは、恵まれていることも」
そんな委員長の言葉だけど、目の前にいる冒険者たちには本質を理解できないだろう。
日本とこの世界の違い。俺たちが日本にいた頃なんて、こっちの王様たちよりも豊かな生活ができていたのだから。恵まれている? 冗談ではない。
それでもあえて委員長は恵まれていると言った。悔しさや悲しさを見せずに、冷静に。
「僕たちは身近な人を喪った経験すら……、ほとんどありません」
そこで委員長は一瞬だけ俺に申し訳なさそうな視線を向けた。それに対して俺は薄く笑って返す。
大丈夫。父さんのことを思い出す暇もないくらい忙しない毎日だから。むしろそれが申し訳ないくらいなんだ。山士幌に戻ったら、真っ先に墓参りに行かないと。
「だけど、だけどこれだけは!」
突然委員長の語気が強くなった。いつもならば状況次第で飄々と、もしくは淡々とした語り方をするイメージが強いのだけど……。
少なくとも俺は、こんな風になった委員長を見たことがない。
「ペルメッダの隣にはアウローニヤがある。国境の門は開かれ、みなさんは選択肢を得ています。もう少し経てば冒険者のままで戻ることすら……。けれど僕たちは、未だ帰郷に繋がる道筋の欠片すら見つけることもできていない」
一年一組の持つ全ての意思を吐き出したかのような、かつて見たことのない委員長の強い言葉に、冒険者たちが気圧されている。
「僕たちだって巻き込まれて、翻弄されている側なんです。そこだけは……、それだけは、理解して欲しい」
ギラギラとメガネを光らせた委員長が前のめりに言葉を放ち、目の前にいる人たちが一歩足を引く。組長たちまでもが……。
「こんな分不相応な邸宅なんて安全を得るための単なるガワです。貴族としての富貴なんて要らない。ほかの何よりも故郷に残した家族との再会! みなさんだからこそ、わかってもらえると思うのですがっ!」
委員長らしからぬ熱弁だった。
あえてそうしたのか、それとも本心からなのか、俺には判別できない。けれどもこれが一年一組の総意を代弁しているのも事実だ。その証拠に、クラスメイトの一部は涙ぐんでいる。
勘弁してくれよ、委員長。思い出してしまうじゃないか、山士幌を。
気圧された流民冒険者たちが、バツの悪い顔でこちらの様子を窺っている。
苦労や貧しさなんて人それぞれだ。アウローニヤの平民たちが、日本にいた頃の俺たちよりもよっぽどひどい目にあっていたのは理解できる。
それでも望郷という点で、一緒なんだよ。
「委員長、気は済んだだろ。そこまでにしとけ」
居たたまれない空気のせいで静かになってしまった状況を気軽い声で破ったのは、『実行委員』の海藤だった。
「あとは任せていいかい?」
「ああ」
声を聞き一年一組の側に振り返った委員長は、片手を挙げた海藤と軽くタッチをしてから列に戻る。選手交代をした海藤が最前列に立った。
「今日はそういう湿っぽいのじゃないんすよね」
そしてケロリと笑う。さっきの委員長とは大違いだな。そこには冷静も激高もない。目上向けに切り替わった語尾だけど、それがまたサバサバしているのもこの場に在ってはいい感じだ。
そんな落差がポイントだったのだろう、大広間にあった沈んだ空気が入れ替わる。
多人数を相手にしたこんな場で海藤が単独で舞台に立つのは、こっちに飛ばされてきてからはたぶんだけど初めてのはずだ。
中学の野球大会とかで選手宣誓したなんて話は聞いたことはないが、こっちよりも大人数で、しかも年上ばかりを相手にしているのに、随分堂々としている。ムスくれコンビの田村や佩丘の仲介をしたりする元から社交的なタイプだとは思っていたけど、ここまでかよ。
もしかしたらこっちに来てからの経験もあるかも。
「お互いに精一杯ぶつかり合って、汗を流す。俺はそういうのだと思ったんすけど」
一年一組には『言い出しっぺ』ルールが存在している。綿原さんと俺が迷宮委員になった経緯もそれだな。
海藤が提案した『合同練習』はみんなの意見を組み合わせることで『合同体育祭』に化けたのだけど、実行委員は自動的にアイツになった。サブは如何にも運動会向きの春さん。
「どうせなら明るくやりたいんすよね。結構楽しみにしてたんすよ、俺」
海藤の笑顔がカッコいい。なんというか、体育会系特有のニカっていう擬音が聞こえてくるような笑い方をするんだ。
「ああ。こっちこそ、よろしく頼む」
そんな海藤に答えてみせたのは、デスタクス組長に背中を押された『ホーシロ隊』のリーダーだった。うむ、坊主頭だなあ。
「んじゃあ、いくっすよ!」
言葉を受けた海藤は嬉しそうに笑い、そして腰から取り出したボールを左手に持ち、振りかぶる。
ゆっくりとしたモーションから放たれた白球は、見事リーダーさんの手に収まった。海藤め、手を抜いて投げたな。俺を相手にした時と球速が違い過ぎるじゃないか。
これぞ海藤流の開会宣言、またの名を始球式だ。野球しようぜ、ってか。
ちなみにこれ、『ジャーク組』との仕込みだったりする。当たり前だよな。打ち合わせ無しでこんなことをしたら、それこそ攻撃になってしまう。
◇◇◇
『走れー、走れー、君たーちー、空を貫く、稲っ妻!』
「いっちゃーく!」
俺たちの住む拠点の裏庭に歌い手白石さんの【奮戦歌唱】がBGM代わりに流れ、勝者となった元気な春さんの声が響く。
誕生日に贈られたハチガネが鉢巻きのごとくなびいているあたりが運動会っぽいなあ。春さん一人だけなんだけど。
緑の芝……、普段の屋外練習で結構剥がれちゃってるけど、まあ、そんな空間はワリと広い。
具体的には縦百メートル、横は二百メートルくらいの長方形。どっちが縦でどちらが横っていうのはさておき、要は運動会の会場としては十分な広さがあるってことだ。
で、今まさに決勝が行われたのが百キュビ徒競走である。さしずめ、約八十五メートル走だな。
迷宮で行動するのがお仕事である冒険者たちは、長距離行軍や瞬間的なダッシュなんかには慣れていても、こういう中途半端な距離の全力疾走には向いていない。純粋にこの手の技術が存在していないのだ。
それでも彼らは明確でわかりやすい競技に、勇んで挑戦してくれた。
ちなみにティア様なんかは短期間で急激に上昇した階位を持て余して、予選ですっ転んでの敗退を悔しがっていた。それでも権威を使って敗者復活的な措置を採らせないのが、ティア様の立派なところだと思う。
もちろん俺は予選敗退。『一年一組』以外の組の後衛職は、参加すらしていない。
「くっそう!」
「十二階位なんだろ? なんであんなに」
この場に集まっている流民冒険者たちは七階位から十三階位だ。
その中でも十三階位まで到達しているのは、『サメッグ組』所属の一部隊のうち四名のみ。そんな連中を遥かに置き去りにしたのは、スタートから並ぶ間もなくトップに立った春さんだった。
ロリっ娘バッファーな奉谷さんの【身体補強】こそ禁じているものの、それ以外は全部アリなルールで、【風術】使いの春さんを上回る者などいやしない。
持ち前の身体能力と地球仕込みの短距離走技術でミアと海藤、【風術】を持つ野来がかろうじて追いすがるも、それでも話にもならないレベルだ。
まさに孤高のスプリンター。
春さん曰く足の裏、もっと具体的には踏み切った直後の踵に風を纏っているらしい。それを反動に使った結果、顎が地面にくっ付きそうな低い姿勢になる。これこそが絶対的短距離走者のランニングフォームなのだ。
風を敵の行動阻害にも使う春さんではあるが、やっぱりメインは速力アップだよな。
「『氷瀑』」
「魔力足りない人はまだいないっすかー?」
百キュビ徒競走は上位を『一年一組』が独占したわけだが、サービスだって忘れない。
氷使いの深山さんが疑似的な雪を降らせ、魔力タンクの藤永が声掛けをして回っている。
出場選手たちには遠慮なくフルで技能を使ってもらっているが、魔力不足になっても大丈夫。こちらには四人も魔力タンクが控えているからな。そんな面々は基本的に競技には参加していない。裏方お疲れ様だ。
初夏のペルマ=タは標高こそ高いものの盆地であるせいか、比較的気温は高い。湿度が低いお陰で不快感はないけどな。
本日は晴天ということもあって、いかにも運動会日和りって感じがいい。
「あたしたちも力比べくらいはするけど、こりゃあ面白いねえ」
「故郷ではこういう祭りみたいなものがありましたので」
「儂も参加したいところなんだが」
「サメッグさん、若い連中の交流だぞ」
庭の一角に作られた、ただ椅子を並べただけの観客席には四人の組長が座り、こちらを見物している。滝沢先生も競技には不参加で、組長たちを接待中ってところだ。
不参加組としてはメーラさんもそうなのだけど、席にはつかず、なるだけティア様の近くに位置取っている。
「んじゃあ、つぎは『間合い競走』すね。出場者は──」
体を動かすのが楽しくて仕方がないといった表情の海藤が、プログラムを進めていく。
俺なんかは完全にインドア派なのに、最近ではこういう空気が嫌いじゃなくなったなあ。
◇◇◇
「しゃあ!」
「やったぞ!」
「おお。すげぇぜ」
会場に轟いたのは元流民たちの歓声だ。
今まさに決着がついた競技は、綱引きならぬ『丸太引き』の決勝戦。喜びの声からもわかるとおり、勝者は流民冒険者の側だ。
一定のラインまで丸太を引き込めば勝利というルールで、『一年一組』からの出場者は騎士職の佩丘、古韮、馬那、そして野来。相手は『サメッグ組』に所属する『ハレーバ隊』の前衛職で、全員が十三階位だ。隊の名前は出身の村から取ったというのが、ちょっと悲しい。
結局こちらは全員十一階位というのもあって、純粋なパワー勝負では敵わなかった。体重の関係もあって、十二階位の女子メンバーが出場しても結果は変わらなかっただろう。
まあ接待でもあるのだけどな。
ひとつ前の競技、『間合い競走』では一年一組が誇る木刀使いの中宮さんが優勝してしまった。
二メートル間隔で引かれた三本の線の両端二本に立った二人が合図で踏み込み、どちらが深く間合いに入り込めるかっていう競技なんだけど、普通に勝っちゃったんだよなあ。
魔獣との戦いは、基本的に盾で受けるかヒットアンドアウェイが基本だ。ウチのクラスの場合、そこに魔術による阻害とかミアや海藤の飛び道具が加わるけど。
つまり素早く力強い踏み込みというのは、冒険者として必須な技術ってことになる。故に長年の経験が生きてくるのだ。
俺たちは武術素人の集まりで、十一階位やら十二階位こそ達成しているものの、それこそ百日足らずの訓練と実戦しか積んでいない。
その結果、流民冒険者の十階位組と結構いい勝負になったのだ。ちなみにトーナメント表はこちらで調整してあって、なるべく決勝は『一年一組』と元流民たちがぶつかるようにしてある。
で、中宮さんは開始の合図と共に低い姿勢でヌルリと踏み込み、中央に引かれた線の半歩手前まで来ていた相手の胸に手を当て、そこで終了。うん、経験者はズルい。
ティア様がミアと衝突事故を起こしていたのが前座のネタみたいな、誰もが納得せざるを得ない光景だった。
「やったっすね!」
「さすがだぜ」
「いやあ。相手も中々だったぞ」
なんていう経緯があったものだから、丸太引きでの勝利は元アウローニヤ組に大きな喜びをもたらしたのだ。ところで藤永っぽい口調の人もいるんだな。
俺たちは手を抜くなんていう失礼はしない。ガチでぶつかって、その結果を大切にしたいのだ。
考えてもみれば、相手だって十三階位。アウローニヤでもペルメッダでも、普通ならば頂点に近い人たちである。ウチのクラスはそこに手が届くところまで来ている。
向こうが喜んでいるように、こっちもそれが実感できたのが嬉しいな。
いつしか裏庭には暗い表情をしている人などいなくなり、懸命に競技に立ち向かう真剣な顔や笑い声が大きくなっていた。
◇◇◇
「さて、最後は『三層と四層体験会』す。これは競技とかじゃなくて、芸みたいなもんすね」
その後もいくつかの競技が行われ、司会進行の海藤が最後のプログラムを発表した。時刻はほぼ正午ってところか。
さすがにリレーや玉入れは競技に入れなかったけど、直前の『丸太倒し』と『丸太運び』で負けたのはちょっと悔しかったかな。やはり俺たちはもっと丸太に慣れる必要がある。丸太競技が多くなったのは、もちろん俺たちよりもベテランな冒険者たちの顔を立てるためだ。
競技ごとに得点を付けたりはしなかったので、勝ち負けは存在していない。あくまで親睦を深めるための行事だからな。まあ、六対四くらいで『一年一組』って感じだろう。
「できればだけど『ハレーバ隊』も手伝ってくれると嬉しいす」
「おうよ。何すりゃいいんだ?」
で、最後は俺たちお得意の疑似魔獣ごっこだ。
海藤の掛けた声に気持ちのいい返事が返ってくるくらい、会場は気軽い感じになっている。この時点で目標は達成されていると言ってもいいくらいだ。
ペルマの冒険者たちは振り降ろした丸太を受け止めるなんていう常軌を逸した訓練は導入しているが、それ以外の魔獣までは想定していない。
そこでウチのクラスが可能な魔獣の真似を、限界階位を超える形で体感してもらおうっていう趣向だな。四層で活躍している『ハレーバ隊』にはジャッジ、つまりこちらの動きがどれくらい似ているかを判断してもらう。
「じゃあ、三層の青リンゴ。いきます!」
うむ、リンゴ担当の夏樹が生き生きしているな。
夏樹が青リンゴを模した石を飛ばす先では七階位、つまり二層の限界階位となる冒険者が盾を構えている。
「うおっ!?」
「ちょっと遅くなかったか?」
盾にぶつかった石の勢いに驚いた声になる冒険者だけど、審判たる『ハレーバ隊』の判定は、これでもまだ遅いらしい。
「ワザと遅くしてるんです。僕の石はリンゴよりちょっと重たいから、盾に当たる勢いを調節してるんだ。です」
「おお、そこまで考えてるのか」
言われた夏樹が明るく説明すれば、『ハレーバ隊』の面々ほか、三層経験を持つ十階位クラスの冒険者たちも納得した様子だ。
ウチの夏樹は深い理由があってそうしているのだよ。敬語の語尾は怪しいけどな。
「速さだけなら海藤くんの方が上手だよ」
「言ったな、夏樹ぃ。んじゃあ、投げるすよ」
夏樹に振られた海藤がニカリと笑い、木で出来た特製の模擬リンゴを取り出した。
四つの石を同時に扱う『数の夏樹』と、『一球入魂な海藤』。両者ともに精密さは兼ね揃えている。
軌道が自由自在な夏樹の石だけど、速度調整ならば海藤が上だ。ピッチャーだけにってところかな。
「うわっ!」
「速さだけならこんな感じ、すね」
海藤の投げた木製の球が、軽い音を立てて盾にぶつかる。受け止めた人は驚きの表情だ。それでもさっきの夏樹のより衝撃は軽いはず。
「結構速いんだな」
「真っ直ぐ飛んでくるから、慣れればいけるんすよ」
「そんなもんか」
三層への畏怖を抱く冒険者に対し、海藤はチームメイトの先輩に向けるような励ましの言葉を掛ける。
野球少年だけあって、仲間への応援はお手の物ってか。
「じゃあ、僕は羊です」
「おう……。ホントに四つん這いになるのかよ」
「羊ですから」
リンゴ組と別の場所では、野来が両手足を地面に付けている。あれでは早く動けないように見えるのだけど、アイツの場合は【風術】で補助を入れるのだ。
「はっ、はははっ。面白いよな、お前ら」
「なんで笑ってるんですか。僕は真剣なんですからねっ」
「真剣だってわかるから笑えるんだよ」
俺たちの拠点、庶民からすれば豪邸と呼ばれるだろう庭のあちこちで笑い声が上がっていた。
そこにはもう、暗い色を浮かべた人なんて居たりはしない。
ところでこの練習スタイル、侯王様は本当に軍に取り入れる気なんだろうか。
次回の投稿は明後日(2025/07/02)を予定しています。