第521話 落としどころの作り方
「まずはお座りください。お互い立ったままでは話もできません」
「……そうだな」
滝沢先生の穏やかな声を聞いた『ジャーク組』のデスタクス組長はゆっくりと頭を上げて、俺たちが席に座り直すのを確認してから、一番最後に自分もそれに従った。
自分の立場を把握して、少しでも失礼にならないように細かい気配りをする辺りが大人だよな。見た目はちょっと厳ついだけで、普通のおじさんなんだけど。
それでいて配下が不敬を働いた名誉男爵相手でも、口調は組長としてのものを貫いている。こういうのを矜持っていうのだろうか。
「お聞きしたいのですが」
「なんだろう」
「もしも今回の一件に侯息女殿下が関与せず、わたしが名誉男爵位を持っていなかったとしたら、組長はどうなされていましたか?」
沈黙を破ったのは先生からだった。当たり前か。あちらから口を開ける状況ではないのだし。
「そうだな……、まず『一年一組』のことを調べ、あなたたちが真っ当だと知ったとしてだ。シラフになった連中をぶん殴って、それからここに引きずり連れて来てから、直接を詫びを入れさせていただろう。今朝まではそう考えていた」
もしもを投げかけた先生に対し、デスタクス組長は真っすぐに答える。本当にそうだったらどれだけ良かったのかと、心から思っているのが伝わってくるような表情と口調で。
こっちも同感だよ。
というか、こういう大事にならないように、クラスの中で話し合ったりしていたのになあ。ティア様にだって恫喝紛いの激励もされたし。
「体罰は感心しませんが、わたしも同じ立場ならそうしていたかもしれません。彼らを連れてこなかったのは……」
「貴族様の気性によっては、その場で手討ちだ。ペルメッダでそういう話はまず聞かないが、それでもな」
暴力を否定したそうな先生の発言にデスタクス組長は一瞬首を傾げるが、問い自体にはすぐに答えてみせる。
友達と喧嘩をしたら両方がゲンコツをもらって、どちらともなく謝りに行くのが山士幌風なんだけど、先生はそうでもないらしい。俺たちの中で最強を誇る武力の持ち主は、敵対しない限りはとても優しいのだ。
ところで手討ちって表現が出てきたけれど、これにて一件落着的な意味じゃなく、物理的にってことだろうか。
だから『ホーシロ隊』を連れてこなかったという理屈は理解できなくもないが、俺たちのことを調べたのならいきなりそんなことにはならないって考えてくれても……。
いや、こうして殊勝に頭を下げて、とんでもない償いを提示してきたからこそこちらも好意的に捉えていられるけど、あの『ホーシロ隊』がこの場にいきなり現れて、ちょっとでも舐めた態度を見せたらどうなるやらだ。
一部のクラスメイト……、というかすぐ隣にいる中宮さんあたりが切腹を申し付けかねない。
要は向かいに座る三人はそれくらい慎重だったってことだ。
ついでにアウローニヤの貴族を信用していないのも、言外に伝わってきたぞ。
「証人がいなくても、ですか」
「そちらが認識していて、俺が知ってしまった以上は、そうされても文句は言えないということだ」
『アウローニヤの名誉男爵』たるウチの先生を試すような言い方になっているデスタクス組長は、どうやら完全に腹を括ったらしい。さっきまで青白くなってガクブルしていた姿は何処へ行ったのか。
それもこれも先生が組長として前面に立ち、穏やかな表情を崩していないからなんだろう。
あんまりな賠償内容に先生がドン引きしたままだったら、こうはいかないかもしれない。
「ペルマ=タで侯爵家に不敬を働くバカなどおらん。ましてやあの侯息女殿下になど、前例が無さ過ぎて想像が追い付かんのだ」
忌まわしげに言い放つデスタクス組長は語尾の方が震えてしまっている。恐れが再発したのか、それとも身内への怒りか。
ティア様は貴族業界ではかなり微妙に扱われているらしいけど、ペルマ=タの街では大人気だものなあ。同時にあの言動から苛烈なお人であるとも思われている節もあるけど。
付き合ってみたら、愉快な悪役令嬢ってすぐに理解できるのに。実にもったいない。
「こちらの事情からお話してもいいのですが、まずは結論からにしましょう」
デスタクス組長が再び不安定な状態に戻ってしまわないよう気を使ったのか、先生がズバっと切り込んだ。もちろん、表情と口調は穏やかなままで。
ゴクリと喉を鳴らすデスタクス組長と、目を細めて様子を窺う二人の組長だけど、安心してほしい。これはそもそもの話なんだ。
「不敬は無かった。わたしはそう認識しています。この件については侯息女殿下と守護騎士メーラハラ・レルハリアさんも同意してくれていますので、まずはご安心ください」
「あの『情無し』までもだと?」
不敬の存在自体を否定した先生だけど、『担い手』サメッグ組長の呟きは大いにツッコミどころだった。
メーラさん、そんな呼ばれ方をされてたんだ。たしかにティア様行くところにメーラさん在りなのはよく知られているだろうし、ついでに表情を固定されているのもわかってるけどさあ。
アレでちゃんと意思もあるし、意外と表情だって変えるんだぞ? 御使いな奉谷さんや俺相手では顕著なのだ。雰囲気は正反対なんだけどな。
そもそもメーラさんは侯国の騎士爵持ちだ。なんで不敬を無かったことにする場で不敬罪を働くんだよ、このおじいちゃんは。
「あ、主の傍に常に侍り、自らの意思を殺し続けるあの姿勢。あれぞ守護騎士の鑑であると、儂は常日頃から感心しておるのだっ」
本人以外七人の視線を一身に浴びた白髪おじいちゃんが、一気にまくし立てる。
おばあちゃんなイン組長なんて、殺気をはらんだ大迫力の表情で睨みつけてるもんなあ。
「……言葉というのは難しいものですね。真情ではなくても受け止め方次第で不敬ともなりかねません。『ホーシロ隊』の人たちも、そういうことだったのでしょう」
「まさに、まさにその通りだ。タキザワ組長はその若さでわかっておられる」
一瞬の間を置いてから先生が口にしたフォローに、サメッグ組長が全力で乗っかる。『ペルマ七剣』の肩書ってなんなんだろうな。
とはいえさすがは【冷徹】なる滝沢組長。拳だけじゃなく言葉ひとつを取っても切れ味が違う。
性格が変わったわけではないけれど、落ち着いてさえいればこれくらいの機転は利くのだ。スメスタさんのハンカチ事件の時だって、【冷徹】を取ってさえいれば、あんなことには……。
ポヤっと系な深山さんに続くクラス内で二人目だけど、こういうところを見せつけられると俺も欲しくなるな。
出現条件として考えられるのは【平静】の熟練度と恥辱系な精神的ストレスだけど、これまた【鉄拳】や【頑強】と別方面でイヤな予測だ。俺の場合、二つ名で喜んでしまうタイプでもあるし。
「不敬罪って、貴族がそうだと思えば成立するんじゃなかったかしら」
「思わなければいいだけだよ」
隣に座る綿原さんが、俺の耳元で白々しい会話へのツッコミを入れてくる。
そもそもティア様一行のレベリングを妨害とまではいかなくても、タイムロスさせた時点でアウトっぽいけど、先生たち大人はあえてそこをスルーしているのだ。
綿原さんだって『ホーシロ隊』の暴言にはお怒りでも、だからといって彼らの人生が崩壊してしまうところまでを望んでいるわけではない。持って行き方の無理矢理さに呆れたってところだろう。
「で、では、見逃してもらえると……」
「はい。不敬については」
サメッグおじいちゃんの大失態に唖然としていたデスタクス組長がようやく再起動し、声を震わせて確認をすれば、先生は優しく微笑んで確約した。
「感謝する。心からだ。俺が直接というわけにはいかないだろうから、侯息女殿下と守護騎士殿にもよろしく伝えてもらいたい」
「お任せください。ですが今回が最初で最後。つぎはありませんよね?」
「ああ、ああっ。もちろんだとも」
今度こそデスタクス組長の額がテーブルにぶつかったけれど、そんなことはお構いなしだ。厳ついおじさんは泣き笑いのような顔で礼を述べる。
ここに『不敬罪』は無いこととされた。
本来ならばこういう前例はよろしくないのだけど、ティア様との合意は取れている。
となれば悪役令嬢の意思が法を捻じ曲げるのは、優先されて然るべきことだろう。
目尻に涙を浮かべるデスタクス組長、汗だくのサメッグ組長、そしてホッと息を吐くイン組長。三組長がそれぞれの表情で安堵している。
ウチの先生がそうであるように、この人たちも自分たちの誇りと意地でもって組員を守ろうとしていたんだろう。そんな気概は、俺みたいな若造にもハッキリと伝わってきた。
「じゃあここからは、『冒険者』として今回の件をどう扱うか、ってことでいいのかい?」
穏やかな空気になりかけた食堂にキーが高めでしわがれた声が響く。『蝉の音組』の組長、インおばあちゃんだ。ちゃんと展開を読んでくれていたんだな。
俺たちは無条件で『ホーシロ隊』を無罪放免にしようなどとは思っていない。あくまで様子見を採用しただけで、そちらからこうして出張ってきたのなら、ここで一気に畳みかける。
組の存在自体が崩壊しかねない不敬こそ不問にはしたけれど、俺たちの先生を侮辱したことを許すつもりはないし、なあなあで終わらせて舐められたら今後が不安だ。
問題は現時点でクラスの合意ができていないってことなんだけど。こうなってしまえば流れでいくしかない。
いまさら隣の談話室からクラスの連中を呼ぶわけにもいかないしなあ。
だけどこの場には、こういう時にこそ頼れるヤツがいる。
「先生、僕が」
「……わかりました」
藍城委員長が前に出た。先生に任せていたら、当人たちに頭を下げさせる程度の罰で許してしまいかねないからなあ。
先生も自覚はあるのだろう、委員長に従うことにしたらしい。
中宮副委員長ならペルマ=タ市中引き回しとか言い出しかねないし、綿原さんだとサメ漬とかをやりそうだ。俺だったらどうなんだろう。
その点、委員長はバランス感覚を持っている。善良な性格をしながらも、理屈でもって周囲が納得できる落としどころを作れるヤツなのだ。
頼んだぞ、委員長。
「ここからは彼、藍城副長が」
先生が向かいの組長たちにそう言った途端、委員長のメガネが怪しく輝く。
「できれば穏便に」
「わかっています」
小声で自分の要望を伝える先生に対し、委員長は口元を意地悪く歪ませた。やる気だな。
「まずはこちらをお読みください。昨日の朝方にあった『ホーシロ隊』と『一年一組』とのやり取りです」
委員長が一枚の紙をテーブルに乗せる。
まさかここでそんなモノが出てくるとは思わなかったのだろう、組長たちは訝しげな顔になりながら肩を寄せ合い、ソレを読み始めた。
そして三人の表情が一気に険しくなるのも当然だ。一度は落ち着いた『ジャーク組』のデスタクス組長が狼狽え始める。
通称『白石メモ』とクラス内で呼ばれているソレは、まあそのまんまの代物だ。
迷宮三層で『ホーシロ隊』が俺たちに向かって放った暴言の数々と、対応した委員長の返答をクラスの筆頭書記たる白石さんが全て速記したメモを、昨夜の内に清書しただけ。
ちなみにティア様とメーラさんのドタバタについては省略されている。
このタイミングで委員長は最強で劇薬なカードを切ったのだ。ここまでするからには綺麗に終わらせてくれるんだろうな? 信じてるぞ?
「……いまさら言ってもなんだが、コレを許すというのか?」
あんまりな内容に体を震わせているデスタクス組長に代わり、『担い手』サメッグ組長が口を開いた。
当事者ではないものの、もしもコレをやらかしたのが『サメッグ組』の冒険者だと想像したら、そういう発言にもなるだろう。
とくにヤバい一文は、先生へのアレだ。とてもじゃないが、名誉男爵に放っていい言葉ではない。
そんなメモを目の前にして先生と綿原さんは目を閉じ、中宮さんなどは完全に目を逸らしている。
「文章を疑わないんですか?」
動揺を隠せない組長たちに委員長は落ち着いた声を浴びせた。
「いまさらだ。そちらはすでに許しを与え、それを覆すような態度を見せていない。信じ難い文面だが、信用するしかあるまいな」
「ねえスラヂオ、アンタんとこの連中は何を考えてんだい」
腕を組み唸るサメッグ組長と、そしてデスタクス組長に文句を付けるイン組長の図だ。ファーストネーム呼びなんだな。
それに対して震えるデスタクス組長は、声を出すこともできていない。
「僕は、彼らの気持ちも少しだけわかるんです。パス・アラウドからペルメッダへの旅で、ザルカット領の北を通りましたから」
声のトーンを抑えた委員長が、唐突に切り出した。
「廃村を見ました。とある村では襲われましたよ」
「……村民は?」
「怪我ひとつありません。荷車を数台残してきましたし、王都からの援助が始められているはずなので、もう少しマシになっていると思います」
物騒なフレーズにツッコミを入れた『担い手』たるサメッグ組長に、委員長は真顔で答える。こういう時の委員長は嘘の匂いを感じさせない。まあ、本当のコトしか言ってないのも事実だけど。
「王城の離宮に居た頃に、王国の法を学ぶ機会もありました。こんなの民からすればとてもじゃないって、感じましたね」
話題を転がしながらも訥々と語る委員長にはどこか雰囲気がある。皆は聞き入るばかりって感じだ。
「ザルカット領の近くでは悪さを企てる東方軍とも遭遇してしまいました。同行してくれていた騎士が叩きのめしましたけどね」
ところで委員長、さっきから語りの中に俺たちは王国の新政権と繋がってるんだぞってアピールが混じりまくっているのだけど。
「ペルメッダと国境を接するフェンタ領では、税関で悪さをしていた男爵が罷免される光景も見ました」
「回りくどいねえ。アンタらが『そう』だっていうのは、こっちだってとっくに勘付いているさね」
イライラとした口調で委員長の話に割り込んできたのは、『蝉の音組』組長のインおばあちゃんだった。
まあ気付くよな。そもそも先生が名誉男爵だって時点で、俺たちが落ちぶれ貴族じゃないことは確定しているのだし、だとすれば必然的に──。
「アウローニヤの女王陛下が手の者を送り込んだって線もあったけど、違うんだろうねえ」
イン組長の言葉に一年一組側は驚きの表情になる。先生だけは【冷徹】で微笑みを固定しているけどな。
勇者ではなくスパイか。たしかに俺たちは半分くらい女王様の手下っぽいけど、どちらかといえば盟友だ。そういう見方は考えたことがなかったな。
だけどなるほど、異世界から来た謎の存在より、女王様が子飼いを勇者に仕立て上げたという方が、まだリアリティはあるか。
勇者伝承が強いお国柄だから、ここまでワリとすんなり信じてくれる人が多かったんだけど。
「顔つきがこの辺りの人間とは違う。帝国人でもないね。いや、あそこはごちゃ混ぜか。冒険者連中はこういうのに無頓着だからねえ」
「なるほど、そういう見分け方ですか」
人種が違っていると指摘してきたイン組長に、委員長は納得顔だ。
黒目黒髪はさておき、今までこういう視点で勇者判定を受けたことがなかったものだから妙な気分だなあ。そうだったよな、俺たちは日本人なんだし。そう、日本人だ。
「なんだいなんだい、妙な顔をしてさ」
薄気味悪いといった声を上げるイン組長だけど、気付けば俺たちは何となく笑ってしまっていた。
日本人だって再確認させてもらえていい気分とでも言えばいいんだろうか。綿原さんもお得意のモチャり笑顔を慌てて引っ込めている。
「ああ、話がちょっと逸れましたね。まずは謝罪します」
「謝罪だって?」
これまた小さく笑ってしまった委員長は、表情を引き締め謝罪という単語を使った。
途端イン組長が眉をひそめる。俺たち側が謝る必要なんて、どこにあるのかと。
「僕たちは正体を誤魔化すために、あえて名乗っていません。いろいろ事情があって、これは自衛のためなんです」
「それでこっちはとばっちりだよ。けどまあ、あたしたちの落ち度さね」
軽く頭を下げた委員長を見て、イン組長はこれまでとは違う種類の苦笑を浮かべる。
『一年一組』が結成された告知には、先生が名誉男爵であることは記載されていない。そんな欄が無かったともいうが、あえて付け加えることはしなかった。だけど、それを意地悪とまでは思われたくないかな。
なにしろ王城や大使館、そして冒険者組合の資料室にはちゃんとアウローニヤの貴族名簿は置かれているのだ。
アウローニヤで新女王が戴冠してから早二十日。とっくに最新の名簿は届いている。
冒険者であっても気の利く人たちならば、アウローニヤの最新動向を探るためには閲覧していて当然なんだ。
そういう意味で目の前に座る組長たちは温かった。『一年一組』を没落貴族かと疑っていたのなら、なおさらに。
だから委員長の謝罪には、ちょっとした嫌味が含まれていると、俺にはそう感じられるのだ。
それでもおばあちゃんは笑う。
「小生意気だが、生き意地の悪い若造は嫌いじゃないよ」
「自覚しています。性分なもので」
六十くらいのおばあちゃんと笑い合う十五歳か。微笑ましくもあるが、根っこはそこじゃない。お互い黒い感じの笑みになっているのがその証拠だ。
ええっと、委員長は最初に『白石メモ』を見せることで相手をどん底に落とし、そこから『ホーシロ隊』への理解を示した。で、正体をあやふやにしていたことが不幸な事件の原因のひとつであって、そこは謝る。ここまではわかった。
全部本当のことばかりだから、委員長は悪びれる様子もない。
「組員たちには本当のことを通達して、手綱を握っておくよ。口外しないようにもね」
笑顔のイン組長はハッキリと言い切った。残る二組、サメッグ組長とデスタクス組長も頷く。
なるほど、委員長はそういう落としどころを向こうから自発的に口にさせたかったのか。
冒険者の流儀としては明確にそちらに問題があるけれど、それでも気持ちはわかるから、こちらの事情を汲んでくれって感じかな。ついでにトラブルはもう起こしてくれるな、と。
一年一組サイドが求める最低ラインとしてなら、理解もできる。
至って無難で平穏な結果だけど、相手の好感度まで考慮している委員長ならではの展開だ。
とりあえずこれで、今後のトラブルは避けられるだろう。
一回も『勇者』という単語が会話に登場しなかったのもまた良し。
「僕たちは冒険者として生きていきたいと考えています。それは『ホーシロ隊』だって同じですよね」
だけど『ホーシロ隊』だけは、ってな。いい感じの空気にはなったけど、委員長は忘れていなかった。
次回の投稿は明後日(2025/06/27)を予定しています。