第518話 備えなければいけないのだけど
「そうでしたか。三種類の魔獣がひとつの部屋に現れる様な状況……」
俺たちの説明を受けた組合書記官のマクターナさんは、普段の朗らかな笑顔を引っ込めたマジモードだ。
組合事務所二階にある第七会議室にいるメンバーは少ない。
組合からはマクターナさんと、同じく事務のミーハさん。『一年一組』側からは滝沢先生、藍城委員長、綿原さん、俺、書記の白石さん、護衛として寡黙な馬那の六名。護衛といっても対象者は俺と白石さんくらいだな。ほかのメンバーは、綿原さんを含めて普通に戦えるし。
地上に戻った俺たちは階段前の部屋でティア様とメーラさんと別れた。
そのあと素材を納品してから、ダッシュで風呂に入って、身ぎれいにしてからここに来ている。
ほかのメンバーは先に拠点に戻って、二日に渡り警備を担当してくれていた『オース組』の人たちに任務完了を伝えているはずだ。ついでに夕食の準備も。
ちなみに俺たちのホームとなっている邸宅には正門の脇に警備員詰め所があって、キッチンやトイレ、仮眠室も完備されている。元大使が私邸として使っていただけあって、そのあたりは超豪華な仕様なのだ。
「確認できたのは合計四部屋で、こことここ、それから──」
テーブルに広げられている組合側が用意した白地図を白石さんが指差し、ミーハさんがそこに詳細を書き込んでいく。
もちろんこの場で説明するのは四層にあった魔力部屋と、そこで遭遇した魔獣の群れについてだけで、『ホーシロ隊』とのアレコレはおくびにも出すつもりはない。
『雪山組』のウルドウさんが昨日の時点で伝えてくれているはずの一部屋、今日見つかった新たな三部屋、そして小さな魔獣の群れ。チンケな冒険者同士の諍いよりも遥かに重たい事実を共有しなければいけないのだ。
「複数種の魔獣と戦いになったのがこの広間で、内訳は──」
書記モードになった白石さんは、まさに淡々と事実だけを並べていく。
そんな白石さんが三角丸太と牛と、そしてジャガイモとの遭遇を伝えたあたりで、マクターナさんとミーハさんの表情がハッキリと曇った。
三体や五体どころじゃなくって、合計で十七体だもんなあ。六人パーティの、たとえば『オース組』のフィスカーさんたち『黒剣隊』でも苦戦するんじゃないだろうか。丸太が三体、牛が三体の時点で手数が足りないだろうし、なにより十階位で防御ができない【聖術師】のヒュレタさんが危ない。
ベテランな『黒剣隊』なら逃走を選ぶだろう。
そしてティア様に中宮さんが解説していたように、運が悪ければ逃走経路で別の魔獣とかち合う……。
「あえて勇者の皆さんと呼ばせて頂きます。見解をお願いできますか?」
「小さくても魔獣の群れですし、悲観的に捉えた方がいいと思います」
苦渋の色に染まったマクターナさんに容赦なく進言したのは委員長である。
三種類、十七体の魔獣が一度に現れただけのことであって、俺たちとしてはまだまだ序の口だ。アウローニヤではこんなものじゃなかった。
とはいえ異常の兆候は明らかだし、アラウド迷宮の現状については組合だって把握できている。目の前で顔色を悪くしているお二人は、現在ではなく未来を想像してしまっているからこそ、こうして訊ねているのだ。
「昨日から四層で二種類の魔獣と同時に遭遇したという報告が上がってきています。ミーハさん」
「念のためという体裁で報告されただけでも五件です。一番多かったので……、牛が三体と白菜が七体でした」
マクターナさんから話を振られたミーハさんがハキハキと答える。
昨日の時点ですでに兆候があったのか。
「えと、冒険者の人たちは」
「怪我人こそ出ましたが、引退にまで追い込まれた者はいません。全員が無事です」
そこで口を挟んだのは自衛官志望の馬那だ。如何にも馬那らしい質問を受けたマクターナさんの返答に、思わず一同がホッとする。
「狩り甲斐があったと喜んでいましたよ。冒険者ですからね」
悪くなった空気を吹き飛ばすかのように、マクターナさんが苦笑しながら付け加えてくれた。そうか、冒険者だもんな。
ところでマクターナさん、会話の流れ的にさりげなくミーハさんを試していなかったか? 抜き打ちテストみたいな感じで。
「ですが今日、明日と、難しくなっていくのでしょうね。日を追うごとに」
何がとまでマクターナさんは言わなかった。要は全部が、ってことだから。
一年一組にはまだ余裕があるけれど、少人数パーティが十体以上の魔獣に遭遇したらどうなるか。冒険者を続けられないような怪我人や、あるいは死者が出る可能性は低くない。
となれば冒険者によっては四層から手を引く人も出てくるだろう。アウローニヤの兵士たちと違い、冒険者は自己裁量で行動を決めることができる。三層で粘っていれば一定水準の生活を送ることができるのが冒険者という職業だ。組の規模や方針次第ではあるけれど、四層に向かう人が減ればどうなるか。
四層の事情は悪化する一方になりかねない。
俺たち一年一組にとって、それはよろしくない事態だ。魔獣を独り占めしてラッキー、などとは思えない。
アラウド迷宮でだって、近衛騎士や王国軍の兵士たちが一緒になって群れに立ち向かってくれたから、ある程度の安定状態に持ち込めたのだから。
侯国としても状況は嬉しくないだろう。さっき田村が苦戦していたサトウキビは、ペルメッダにとって大切な砂糖の供給源だ。
どんなモノだって、今まで普通に手に入っていたはずの品やサービスが、突如値上がりしたり無くなったりしたら混乱が起きる。
以前そんなことを教えてくれたのは、商売に詳しい聖女な上杉さんだったかな。
ペルマ迷宮の場合は今のところ二層と三層が無事だから 国の根幹となる石や鉄、塩、そして銅などは問題ないだろう。
四層素材の白菜や馬くらいは我慢できても、牛やサトウキビ、カニ、なにより太めで上質とされる丸太はどうなのかな。カニは嗜好品? 俺にとっては違う。
そもそもこの異変が三層まで登って来ない保証もない。
だからこそティア様は侯王様を動かすはずだ。いや、昨夜の侯王様たちの様子からすれば、自発的に対応するに決まっている。
そして冒険者組合だって──。
「手をこまねいているわけにはいきませんね」
マクターナさんが決意の表情で言い切った。
この人だって俺と同じ様なコトを、もっと深く考えていたのだろう。もしかしたら昨日からずっと。
「対応しなければなりません」
「『手を伸ばして』もらえますか?」
自分自身に言い聞かせるかの様に呟くマクターナさんに、委員長がカッコいいセリフを突っ込んだ。
ペルメッダが誇る『ペルマ七剣』がひとり、『手を伸ばす』マクターナ・テルト。迷宮で冒険者が事故に遭った場合、真っ先に動く者であるという称号だ。こんな状況を黙って見過ごすはずもない。
ところでやっぱり二つ名っていいよな。
「個人では限界がありますね」
「組合として手を広げるのはやって然るべきだと思います。バスタ顧問なんて、手伝ってくれると思いますけど」
「昨夜はグラハス副組合長と一緒になってイタズラをしたらしいですね。ですがその通りです。個人ではなく、組織として行動すべきでしょう」
お互いに得たりとばかりにマクターナさんと委員長が会話を転がす。こういう展開になれば委員長は強い。
これなら冒険者組合は確定で、同時に侯国も動くことになるだろう。
希望が持てる状況になってきた。アラウド迷宮では一気に押し寄せた異常だけど、今のペルマでならば備えることができるのだから。
「それに際して、幾つかお尋ねしたいことが。わたしも『迷宮のしおり』やほかの資料を確認はしたのですが、理解が難しい箇所がありまして」
「どうぞ」
繋がっているけれど、話題を少し切り替えたマクターナさんの言葉に委員長が頷く。
委員長、どうして俺の方を見るかな。
「魔力が増加することで魔獣の発生が促進されるのは想像できるのですが、群れを形成する理屈がわたしには少し……」
ちょっとだけ恥ずかしそうにしながら、マクターナさんが質問をぶつけてきた。横では同じくミーハさんも興味深げな目でこちらを見ている。
だから、どうして全員が俺に視線を送るのだろう。
とはいえなるほど、『迷宮のしおり』にはどう行動すればいいのかを書いてあるだけで、どうしてそうなったのかって部分は薄いからなあ。
シシルノさんがこの場にいれば、ノリノリで説明してくれるだろう。
ああ、アウローニヤの勇者担当者たちと語り合っていた頃が懐かしい。
◇◇◇
「迷宮の構造と、部屋ごとの魔力量を相対的に測定した結果を組み合わせる、ですか」
「なるべく正確に群れの規模と位置を絞り込むならそんな感じになります。魔力量が測れなくても、魔獣の動向から予測できますけど、詳しい報告が必要になるので……」
「魔獣の種類、数、どこから現れたかを記録というのは、たしかに大変そうですね。ですが理屈はわかりました。組合所属で十階位の【捜術師】は居ないわけではありませんが……」
「ウチには自慢の斥候がいるので、助かっています」
「クサマさんですか。前衛職で【魔力察知】ができるのは凄いですね」
ため息を吐くマクターナさんに対し、俺はこの場に居ない草間を自慢してみせた。
だってこのままじゃ全部が俺の功績みたいに聞こえるし。
再確認だが一年一組が誇るメガネ忍者は、実は凄い存在だったりする。通常の斥候は前衛系の【探索士】と後衛の【捜術師】がメジャーだが、草間の様に【魔力察知】が使えるのは後者。つまり、後衛系なのだ。
当然階位もペルマ迷宮の常識では十階位が限度になるので、四層で魔力量を測るために連れて行くにしても護衛が必要となる。そんな斥候事情の中【気配遮断】を使って飄々と迷宮を歩くことのできる草間は、未知のジョブを持つ【観察者】な俺や【鮫術師】の綿原さんと並んで、レアな存在なのだ。
勇者としてのネームバリューは【聖騎士】の委員長、【聖導師】の上杉さん、【熱導師】な笹見さんに軍配が上がるけど、一年一組にとって草間は不可欠なピースとなっている。
もちろんクラスメイト全員がそうなんだけどな。
そういえば──。
「新しく見つかった区画ってどうなんです?」
「『黒剣隊』が発見した新区画ですが、みなさんが言うところの魔力部屋らしきものは確認されていません。新たな魔獣についてもです」
せっかくだからと尋ねてみれば、返ってきたのは意外と素っ気ない結果だった。
新区画の出現に対応してくれている冒険者組合だけど、どうやら現場は空振っているようだ。それこそ【捜術師】を投入したはずなのに、魔力調査を進言した側としてはちょっと申し訳ない。
アラウド迷宮で魔力部屋が『珪砂の部屋』に変化した時、その場の魔力は一気に減少していた。迷宮の変異には多大な魔力が必要とされ、結果的にその場ではなにも起きない可能性もあるか。
シャケが飛び出してきたり、新しい素材が見つかったりする経験があったものだから、どうしても警戒してしまっていたのだけど。
それでもマクターナさんの表情は暗くない。
そりゃあ、あるかないかもわからない新発見よりも、何もない方が安定という意味で良いに決まっているか。
「特段の異常も見つかりませんでしたので、明後日にも開放する方向でいたのですが……」
「今日になって四層全体で、ですもんね」
「まずは警告を掲示しますが、詳細な対応を検討する必要があります」
そんな明るさを苦笑に切り替えたマクターナさんが肩を竦め、すかさず流れを理解した委員長が合いの手を入れる。
組合の事務員さんたちも、ましてや上の方はもっと大変なんだろう。
「本日は迷宮から戻ったばかりにも関わらず、情報提供をありがとうございました。本当に助かります」
マクターナさんとミーハさんが同時に頭を下げる。そして当然の様に同じくしてしまう日本人な俺たち。
そろそろ事情聴取と情報交換も終わりかな。
それでもたった二日の迷宮泊で侯爵家、副組合長、顧問、そしてティア様とマクターナさんに、魔獣の群れが持つ脅威を多かれ少なかれ伝えることになった。あとは俺たちを含めて情報共有するなりしながら挑めばいい。
必要なのは構えること。心でも、組織でも、ルールでも、そういうのが整っていないと難しいと思う。
そう、俺はこの時点では気付いていなかったのだ。こうしてベラベラとマクターナさんに説明をしたこと自体が、壮大なフラグになっていたとは……。なんてな。
「各組から本日の報告を聞き取った上での判断になりますが、『総会』になると思います」
「総会……、ですか。やっぱりそれくらい大きい話になりますよね」
「アイシロさんの言う通りです。この件については全ての組に説明をする必要がありますので、可能な限り早急に。三か月程前に四層の魔獣が増加傾向にあるという名目で開催したばかりなんですよ?」
ため息交じりなマクターナさんに委員長が哀れみの表情を向ける。一年一組サイド全員もだ。とくに先生なんかは同情の色が強い。
いつも笑顔なのがマクターナさんのキャラ付けなのに、今日はクルクル表情が変わる。本当にお疲れ様だ。
マクターナさんの言う『総会』はペルマ迷宮冒険者組合に所属する全部の組を集めた会議だ。
年に一度の定例総会のほかにこういうイレギュラーに対し『臨時総会』が開かれるのは、組を立ち上げた時に渡された資料に載っていたから知っていたけど……。
俺たちが『一年一組』を立ち上げた時ですら、各組への通達は掲示板だけで行われた。
新しい区画の立ち入り制限についてもそうだったし、組の昇格なんかでもお披露目とかはされないらしい。
つまり今回の異変は、組合の一等書記官がかなりの重要性を持つと判断するだけの事態なのだ。そして実際、俺もそうすべきだと考える。ここでやらなきゃ嘘だ。
もちろん説明会には『一年一組』からも代表者を送り込むことになるだろう。先生と委員長あたりは確定だな。迷宮関連なので俺や綿原さん、加えて書記として白石さんや野来とかかな。
人数制限とかあるんだろうか。
「つきましては──」
ん?
「その場で『一年一組』から説明をお願いしたいのです」
マクターナさんの発言に一瞬思考が停止する。それってつまり……、俺たちの誰かが説明者として発言するってことだろうか。
委員長をはじめ綿原さん、白石さん、そして馬那までもがどうして俺を見ているのかな?
先生は一瞬眉を動かしたけど、やはり俺に視線を送る。そういえばこの場のメンバーって、五人で構成される『メガネ四天王』のうち四人が居るのか。何故か全員のメガネが光っているんだけど。
そんな光景を見て、この場で初めて明確な笑顔になったマクターナさんと、期待に満ちた表情のミーハさん。だからどうして、組合サイドも俺を見ているのだろう。
「組合側から現状を説明することはできますが、現実を見たことのない将来予測までは……。先ほどの説明を聞いて感じたのですが、やはりヤヅさんが適任かと」
とてもいい笑顔でマクターナさんが俺を指名してきた。
フラグ回収が早すぎるんじゃないかなあ。
◇◇◇
「で、逃げ帰ってきたってことか」
「持ち帰って検討、だ。半分は海藤の言う通りだけど」
キャッチボール仲間の海藤が、悪い笑顔で俺を煽ってくる。
マクターナさんの要望に対し、委員長が得意とする『持ち帰って検討します』が咄嗟に発動され、俺たちはなんとか拠点に戻ってくることができた。
今は食堂で夕食のメインおかずであるカニコロッケを食べながら、いきさつを説明し終えたところだ。主に喋ったのは委員長と綿原さん。二人とも半笑いであった。
「騒ぎになってたんだ。やっぱり早上がりして良かったね」
あっという間にコロッケを食べきり、満足そうな表情になっている春さんがそんなコトを言ったのは、俺たち報告組が帰り間際に事務所で見た光景も説明に混じっていたからだ。
「結構な人混みだったな」
「逆に目立たず帰って来れたけれどね」
馬那と委員長が真顔で頷きあっているように、事務所の一階には早い時間にも関わらず多くの冒険者であふれていた。
話しかけることまではしなかったけれど、『白組』のサーヴィさんやピュラータさん、つまりトップクラスのパーティなんかも混じっていて、四層の異変について語り合っていたのだ。
一層の階段近くには組合が派遣している【聖術師】が居るので、目立った怪我人こそ見かけなかったものの、冒険者たちの表情は様々だった。
雑踏に加わらなかったのは、どこから『ホーシロ隊』みたいな連中が飛び出てくるかが怖かったから。センシティブな問題だけど、毎日事務所には顔を出さなければいけないので、明日から時間帯をズラすのは確定している。
「喜んでいる人と疑わしく思っている人、半々ってところだったかな」
「アタシが一緒してたら良かったかもねぇ」
俺の言葉にチャラい声で疋さんが乗っかった。たしかに【聴覚強化】持ちが居れば、もっと詳しく会話を拾えていたかもしれない。
とはいえ彼らの騒ぎの原因は明白だ。『四層がおかしい』。そこに尽きる。
四層で活動する冒険者は各組のエースクラスだ。最強戦力であり、もちろん稼ぎ頭でもあるので、四層の異変には敏感にもなる。
喜んでいた人たちは上手いことをやって、狩りのノルマを早々に達成したお陰で早上がりができたのだろう。学校の授業もそうだけど勤務時間が短いっていうのは喜ばしいことだ。
訝しげな冒険者たちは、明日以降を想像してしまった人たちってことだな。サーヴィさんなんかはそっち側な表情だった。
白石さんが帰り道で指摘していたのだけど、もしかしたら四層素材がダブついて買い取り価格が、なんて辺りまで考えが及んでいるのかもしれない。
俺たちはレベリングと帰還へのヒントを探すのが主目的だから、儲けについては食べていければそれでいいかって感じだしなあ。
「それでどうするの? 説明係やるって話」
「うっ」
こういうところで空気を読まない夏樹が話題を巻き戻した。
せっかく冒険者たちの動向っていう話題にすることで自分を誤魔化していたのに、なんてことを。親友なんだから、もっと俺の心をだな……。
だから全員、なんで俺を見てるんだよ。
次回の投稿は明後日(2025/06/21)を予定しています。