第516話 ペルマ迷宮でもまた
「たった三部屋先で、か」
「ここは九だよ。魔力部屋、結構増えてるんじゃない?」
「魔獣の影は無い。いいんだか悪いんだか」
俺のボヤキを受けて、メガネ忍者の草間が肩を竦める。
三角丸太と白菜との戦闘終了から三十分も経たずに、一年一組は新たな魔力部屋を発見した。
戦闘後にあったミアのやらかしという一幕は記憶の片隅に置いておくとして、これはちょっとどうなんだろう。幸いというか、付近に魔獣の気配は無いし、影もしかりだ。
なるほど、近くにこんな部屋があれば、さっきみたいな挟み撃ちだって起きるかもしれない。魔獣の移動が盛んになるからな。
むしろこの部屋に魔獣が滞留していなかったのが不思議なくらいだ。
「偶然と考えるのは、緩んでいますわね」
「前回の四層ではひとつも見つかりませんでしたけど……」
少し離れた場所ではティア様と藍城委員長がマジ顔で会話をしている。
「八津はどう見る?」
そこで委員長が俺に見解を求めてきた。この場合、俺が答えるべき要素は明白だな。
「探索範囲ってことなら、ここまでで前回の二・五倍ってところだ。たまたまってコトで済ませたいけど……」
『魔力の増大や局在が異変を生むと、わたしは考えているのだけどね』
問いに答えつつも、シシルノさんの言葉を思い出す。
ついでについ先日、遭難しかけたフィスカーさんたち『黒剣隊』が見つけたという新区画の件も引っかかるんだよな。こことは離れた区画ではあるけれど、フラグ的な意味で。
迷宮の異変は魔力がトリガーとなって起きるというのはほぼ確定事項だと、俺もそれには同意している。
それと同時に、今回は異変が起きたからこそ魔力増加が顕著になったような、そんな気がするんだ。
アウローニヤでもペルメッダでも言われたことがあるけれど……、記憶が定かだったら、こっちに来てからあのフレーズを使ったのは『オース組』のデリィガ副長だったかな。
曰く『勇者のせいで』ってヤツ。
もちろん誰もが否定してくれているけれど、嫌なタイミングだよなあ。どうして俺たちがペルメッダで本格的に活動し始めたらこうなるのだか。
「備えなければいけませんわね」
「はい。それが無難でしょう」
決意を込めたティア様の言葉を委員長が肯定する。
さっきの魔力部屋でもそれなりに感じるモノはあったのだろうけど、ここに来て確信するかのようにティア様がキリっとした表情になっている。
アラウド迷宮で起きたことがペルマでも起きると、ティア様はそういう考えに至った。
根拠になるのが一年一組の、主に草間と俺の意見というのがかなりのプレッシャーなのだけど、受け入れてしまうティア様の柔軟さは立派なものだと思う。
通常に慣れすぎると、異常への対応が遅れるというのは当たり前のことだ。
なんだっけ、たしか正常性バイアスだったかな。異常事態をヤバい状況だと把握できない心理的作用のこと。カッコいい単語だからなんとなく覚えていたけれど、正確な意味に自信はない。
さておき、リアルな魔獣の群れをまだ見たことがないティア様は、コトが始まる前に動き出そうとしている。そういうところが立派だよな。
「ペルマ迷宮はまだ良い方ですわ。前例を知ることができているのだから」
「本当にそうなるかはわかりませんけど、『指南書』が役に立つと僕も嬉しいです。一年一組全員で作ったのが原型になるんですから」
「『しおり』でよろしいでしょうに。マコトは妙なところで律儀ですわね」
「僕たちは自分で『しおり』を新しくしますよ。そちらもですよね? アウローニヤは始めていますし」
決意することで調子を取り戻したティア様が悪い笑みを浮かべ、応対する委員長も得意な言い回しで会話が転がる。前向きに煽るよなあ、委員長って。
委員長は勇者の中の勇者だけど、物語に出てくるような無条件で全部を安請け合いするようなタイプではない。ちゃんと自分たちの領分を弁えて、その中で最善を目指すような思考をするのだ。
「たしかにマコトの言う通りですわ。勇者に守られているだけでは、国としてお話になりませんわね」
RPGで銅貨十枚と木の棒だけ渡す王様を全否定するようなティア様の発言だけど、内容はごもっとも。
成長速度が凄いとはいえ、超絶チートを持っているわけでもない一年一組なのだから、自分の国は自身の力で何とかしてもらうしかないのだ。
「組合は組合で、わたくしは国として為すべきことを……」
「じゃあティア様と一緒なのは今日でお終い?」
「寂しくなるわね」
グッと拳を握りしめ決意を秘めた様子のティア様に寂しそうな声を掛けたのは、ロリっ娘な奉谷さんと親友枠の中宮さんだった。
アウローニヤやペルメッダへの旅でもそうだったけれど、同じ時間を共に過ごせば、ましてや相手が良い人だったら情だって移る。具体的にはアヴェステラさん、アーケラさん、ベスティさん、シシルノさん、そしてガラリエさん。ヒルロッドさんや、ラウックスさん、キャルシヤさん、ジェブリーさん、シャルフォさんたちだってその中だ。ヴァフターについてはなんとも微妙かな。
女王様とは直接語る時間こそ短かったものの、感情的には身内に近い。そう、友人、味方、仲間、そういう存在。
いつの間にかそんな人たちと並んでしまっているのが、目の前にいるティア様とメーラさんだ。知り合ってから二十日も経っていないけど、それでも。
そういう枠に入ったメーラさんまでもが、どこか寂しげな空気を醸し出している様な……。
俺って今回の迷宮でメーラさんの顔色ばっかり【観察】しているような気がするぞ。ヤバいな、ストーカー容疑を掛けられてしまう。ちょっと控えめにしておくか。
どこかお別れムードになってしまった場で、何を言われているのかわからないといった様子のティア様だけが置いてけぼりになっている。
「メイコ、リンっ。それとこれとは別ですわ!」
なんかティア様が必死だ。
だよなあ。一年一組全員がお別れを寂しがるムーブをしているけれど、さぞやティア様には効くだろう。
俺たちがティア様やメーラさんに親交の情があるならば、当然そちらだってといったところだ。
「検証はウィル兄様にお願いして、専門の部隊を結成してもらいますわ!」
「あははっ」
「だよなあ」
大慌てで叫ぶティア様を見たクラスメイトたちが笑う。
「わ、わたくしは勇者の戦いを観察して、ウィル兄様に報告する役目があるのですわ!」
「さっすがティア様」
「そうこなくっちゃ」
レベリングという建前は何処へ行ったのやらだ。
そうだよ。悪役令嬢からは簡単には逃げ出せない。無茶をしたら、ざまぁという天罰を下されそうだしな。
「もうっ、なんですのよ!」
そんな一年一組の様子に怒りの言葉をぶつけるティア様がどこか嬉しそうに見えるのは、俺の気のせいではないだろう。
◇◇◇
「さっきから気になってるんだけど、なんでここに魔獣がいないんだろう」
「そうよね。群がってきてもおかしくないのに」
ひとしきりティア様が喚き散らして、それを中宮さんがなんとか宥め終わり、みんなが人心地ついたところで、俺が引っかかっていることを切り出した。
綿原さんも同意して、その横ではサメまでもが頷いている。
時刻は丁度昼くらいで、予定ではあと四時間くらい迷宮に居座る予定だ。
魔力部屋の存在は重要な情報ではあるけれど、行動予定をキャンセルする程でもないだろう。
それよりも現状だ。この状況をどう考える。
まあ、なんとなく想像はできているんだけどな。
「魔獣は魔力の多い方に進む。その途中で人間を見つけたらそっちを優先して。ついでに魔力が多い部屋の方が魔獣が発生し易いんじゃないかっていうのを付け加えてもいいかな」
アウローニヤで得られた知見を、再確認するように並べていく。
「ここは魔力部屋で、人間がたくさんだ。だけど……」
「近くには来てないよ。それと八津くん、ワザとシシルノさんっぽくしてる?」
俺の言葉をすかさず草間が肯定してくれた。それとだけど、俺がシシルノさんが憑依したゴッコをしているのは指摘しなくていいから。
この広間に到着してから十五分以上になるが、魔獣の接近はないのだ。
大半の時間がティア様を宥めるのに使われたのは、コレを検証するためだったのもある。かなり後付けな理由だけどな。
「それくらい周囲の魔獣が少ないのか、それとも──」
「めんどくせえぞ、八津。結論知ってる顔だろ、お前」
皮肉屋の田村には、俺の考えなどバレバレだったようだ。
ここも含めて二つの魔力部屋がある状況とこの辺りの区画を考慮したら、魔獣の溜まりそうな場所が近くにある。
最初に『迷宮のしおり』を作った時に導入したハザードマップ。その頃は魔力の多寡ではなく、構造だけを考慮していたけれど、まさにそれが適合するパターンだ。周囲で発生した魔獣がこの魔力部屋を目指した場合、どうしても通らなければいけないっていう部屋がある。
「アラウド迷宮でもあった、魔獣の群れが形成される原因のひとつです。空振る可能性もありますけど……、ティア様、確かめてみますか?」
「『地図師』コウシの予測。楽しみにしていますわ」
床に広げたマップの一角を指差した俺に、ティア様は邪悪に笑ってみせた。
◇◇◇
「これが……」
「ええ、魔獣の群れよ」
思わずといった感じにこぼれたティア様の呟きを中宮さんが拾う。
ティア様を挟んで隣に立つメーラさんが心持ち目元を細めて、警戒の色を見せている。なんか俺に向ける視線と似ているような。
魔力部屋から移動すること五部屋目にソイツらは居た。
『三種類……、丸太が三体、中型も三体で、小型は十体くらい。たぶんジャガイモ』
そんな草間の索敵結果を受けて、俺たちはティア様に『見学』を提案したのだ。速度を出せる春さんにトレインしてもらってからの引き撃ちもできたのだけど、初回だけはってことで。
連戦と混戦だと、やっぱり違ってくるからな。ここでちゃんと実感してもらいたかったんだ。
ついでとばかりに、魔獣が溜まっていた広間が魔力部屋であることも発覚している。魔力量は七程度なので軽いとも表現できるが、昨日と今日で四つ目。しかもその内三つは距離が近い。
「これでも小規模よ。アラウド迷宮なら、こういう部屋が連続していたから」
「真っ当な兵士や冒険者なら、一時撤退してから防衛戦、ですわね」
「それをして、撤退先で別の群れと遭遇するっていう流れなの」
「リン……、あなた方、よくも無事でいられましたわね」
中宮さんの説明を受けたティア様が顔をしかめる。そこに苦さが混じっているのは、以前の『羨ましい』発言の記憶が蘇っているからかも。
「『しおり』を読んだのでしょう? 群れからは『適切』に逃げるか、食い破るか」
「でしたわね。『一年一組』ならば人数が多くて、ソウタたち斥候も居る。なにより……」
「そう、八津くんも。わたしたちが自信をもって迷宮に挑めている理由よ」
妙に俺を持ち上げてくる中宮さんが凛々しく悪い笑顔をこちらに向けてくる。そこにティア様も邪悪な笑みも追加だ。
そんな視線にたじろいでしまう俺に対し、横にいる綿原さんは赤紫のサメを浮かばせ自慢げにしている。この差はなんなんだろう。
「さあ指揮官の八津くん、ここからどうするの?」
「一部屋戻って牛とジャガイモを迎え撃つ。丸太が来るまでに、牛だけは始末したいかな。簡単だろう? 木刀使いの中宮さんなら」
中宮さんとそんなやり取りをしながらも、すでにクラスメイトたちは後退を開始している。
「草間は後方警戒。芋煮会はちょっと難しいかもだけど、笹見さんは準備だけでも頼む」
「わかってるよ」
「あいよぉ!」
こういう戦闘で一番怖いのは想定外の乱入だ。草間には戦ってもらわずに、周辺警戒に集中してもらう。こういう指示が多いから、草間の階位が上がりにくいのが申し訳ない限りだけど、本人も納得はしてくれている。
「深山さんは『氷床』をしてから、笹見さんの手伝いってことで」
「ウン」
すでに一年一組はゆっくりした後退ではなく、敵に背を向けてダッシュで逃走状態だ。
戦場に指定したつぎの部屋に入ると同時に、氷使いの深山さんに『氷床』を張ってもらう。俺が口出ししなくても、相方の藤永は合わせてくれるはず。
「景気よく行こう。奉谷さんは任意で【身体補強】。白石さんは【奮戦歌唱】で!」
「わかったぁ!」
「うんっ」
さあ、戦闘開始──。
「碧。ハルってあと一体とか二体だよね?」
「う、うん。そうだと思う」
イザ歌い上げようと口を開いた白石さんに、春さんからの質問が飛んだ。
春さん、どういうつもりだ? 普段の彼女はこういう場面で自分の意見とかは言わないタイプなんだけど。
「【鉄拳】先取りしちゃっていいかな、八津」
「もちろんだ。その代わりに今回で絶対に──」
「うんっ! 必ず十二階位になるよ!」
炎のようにギラギラしている目を向けられれば、ダメと言えるはずもない。そもそも技能取得の最終判断はさっきのミアがやったように自分自身で、というのが一年一組だしな。
個人的にもここで春さんの【鉄拳】はアリだと思う。
自分の技術が足りなくて、頻繁に治療してもらいながら戦わざるを得ない彼女が持つ悩みは、【鉄拳】を候補に出すために盾を殴る姿を見ていて痛いほど伝わってきた。
だったら俺にできることは、燃える陸上女子の背中を押すくらいだ。
「取ったよ。さてじゃあ、いっちょ十二階位になろうかな!」
陸上女子兼鉄拳女子と化した春さんの声が広間に響くと同時に、ジャガイモを引き連れた牛が乱入してきた。
◇◇◇
「あたたた」
「大丈夫ですか?」
『肩』を痛めた春さんを、聖女な上杉さんが治療中だ。
「大丈夫じゃないけど、やったよ! なんたって【頑強】が出たんだし」
「……そうですか」
ちょっとだけ黒いオーラを漂わせている上杉さんだけど、それでも喜ぶ春さんに微笑んでみせる。
嬉しそうに【頑強】が出現したと報告している春さんだけど、戦いの序盤、牛を二体倒した時点で十二階位は達成された。一体目で届かなかった時はどうなるかと思ったけれど、先生と中宮さんのフォローが光ったな。
【鉄拳】を取得したこともあって、全力全開で牛にメイスを叩き込んだ春さんは、見事に肩を壊した。手首と肘は大丈夫だったんだけどなあ。
それでも治療を待つこともせずに、無事な方の腕だけで短剣を牛に突き刺す春さんは、なんかバーサーカー染みていた。
という流れで春さんに【頑強】が生えたのだけど、十二階位になったお陰か、それとも肩を痛めたせいなのかは現状不明。アウローニヤの資料では騎士系は確定で、前衛に出やすい技能とされているけれど、出現条件が見えてくれば連鎖するのが『クラスチート』だ。後衛でも出せるんじゃないか?
そういえばウチのクラスの【頑強】持ちって、先生を除けばワリと肘やら肩を故障したことがあるメンバーばっかりなんだよな。いや、先生だって俺が二層に転落した時にあちこち怪我を負っていたっけ。
俺は嫌だぞ、そんな発生条件にチャレンジするなんて。
「十三階位じゃ厳しいかな。十四かあ」
「ほら、治りましたよ。無茶は控えてくださいね」
「サンキューね、美野里」
やっぱりちょっと黒ずんでいる上杉さんのお小言をスルーできる春さんは中々強い。
持ち前の脚力と【風術】を組み合わせて戦うスタイルを持つ春さんって表現すると、華麗な風の剣士なんてのをベタに想像してしまうけど、どうやら硬くなる方向を目指すようだ。
まあ神授職が【嵐剣士】なんだし、それくらい荒っぽい方がボーイッシュで元気な春さんらしいか。
「硬いですわねっ!」
なんて春さんの目指す姿はさておき、終盤ではあるものの戦闘は続いている。
残り二体になった三角丸太の片方に正拳突きを叩き込むティア様だけど、こちらはパンチの修行を積んできたせいもあって、どこかを故障する様子もない。悪役令嬢は殴りのプロなのだ。
「ふっ!」
同じく十一階位になったばかりのメーラさんも、ティア様と入れ替わりつつ敵の硬さを確かめるように盾を叩きつけている。
普段からそういう練習をしているのを知ってはいるが、迷宮でやっているのは初めて見たな。いい連携だと思う。
「ほらほらぁ、早くやっちゃいなよ~」
「丁寧にやれよ。食材なんだ」
戦闘序盤で手際良くジャガイモを倒して十二階位を達成した疋さんと、こちらは十一階位のままだけど料理にこだわる佩丘が、煽りとも思える言葉でトドメを刺している二人を応援している。
このジャガイモって迷宮で食べたりせず組合に売り払うことになるのに、佩丘はそういうところですらシビアな男だ。
「っす」
「うるせえよ。こっちは非力な後衛職だぞ」
そんなキツい声援を受けている二人は、現在重要レベリング対象となっている藤永と田村。
全ての牛が倒され、ジャガイモの間引きも終わり、三角丸太は騎士たちが対応することで、すでに戦局は安定している。そういう状況なので、奉谷さんから【身体補強】を貰った二人は、せっせとジャガイモのトドメを刺して回っているのだ。アイツらなら芋煮会無しでもイケるからな。
ちなみに十二階位になった疋さんは、大事なムチを手放さない様に【握力強化】を取得した。これは事前申告もあった通り。
「こんな戦いが何度も続くのですわね」
「ですよ。分刻みで魔獣に遭遇できます。階位も上がるってものでしょ?」
「笑えませんわね」
ティア様の呟きに答えたのは、彼女の殴っていた丸太にトドメを刺した古韮だ。
古韮らしい軽口ではあるものの、ティア様は真面目顔のままで冗談をスルーしてしまう。
安定した終盤ではあるが、決して楽な戦いなどではなかった。
肩にダメージを負った春さんを筆頭に、牛やジャガイモの体当たり、丸太の抑え込みなんかで、前衛職の半数以上が大小なんらかの怪我をしたのだ。
治療は終わっているけれど、こういうのに慣れてしまったのはどうなんだろう。
「これが魔獣の群れ。しかも小規模。いい経験をさせてもらいましたわ」
「あ、階位上がったっす。十二階位っす!」
しみじみと、それでいて熱さを込めたティア様のセリフに、チャラい声が被った。
そういうお前の間の悪いとこ、俺は嫌いじゃないぞ、藤永。
次回の投稿は明後日(2025/06/17)を予定しています。