第515話 らしくなってきたじゃないか
「やっておしまいなさい! メーラ」
「はっ!」
一年一組の誇る騎士連中が抑えつけている牛を冷たい目で見つめるティア様が、守護騎士たるメーラさんに命を下す。
それに答えるメーラさんの凛とした……、してないな。メーラさんの発音がしっかりしているのに、どこか澱んだ感じが含まれている声にも、もう慣れた。
とにかく命令は発せられたのだ。メーラさんに否は無い。
右手に持った両刃の片手長剣がズブズブと牛の腹に突き刺さっていく。そんな光景から目を背けるようなクラスメイトたちは一人もいない。これまた慣れちゃったよなあ。
「いいよね、あのセリフ」
「だな」
「必要なのかしら、あのやり取り」
腕組みをしたオタな古韮が嬉しそうに語り、俺は肯定、サメをフヨらせた綿原さんは首を傾げている。
視界の端では小さく頷く滝沢先生の姿があるが、果たしてあれはメーラさんの手際に対してなのか、それともティア様のセリフに向けたものなのか。
「ふっ」
剣を突き立てて数秒、動かなくなった牛を見下ろしたメーラさんが小さく息を吐く。
「……十一階位です。みなさんのお陰ですね」
「よっしゃあ!」
「うおおお!」
「やったね、メーラさん」
ほんの少しだけ感情を乗せたメーラさんの言葉に、クラスメイトたちが歓声を上げる。
これまでのメーラさんだったら、『みなさん』なんて単語がくっ付かなかったもんなあ。
今回の戦闘相手は牛が二体。両方のトドメを刺したメーラさんは、ついに十一階位を達成したのだ。
この時点でもって、『一年一組』が依頼されていたティア様とメーラさんのレベリングは完了したことになる。
迷宮やら魔獣的な意味で突発的アクシデントが無かったのが実に喜ばしい。人間絡みだと幾つかあったけど。
ともあれ一仕事が完了したのだ。俺としても胸に響くものが……、大してあるわけでもないな。
とはいえ依頼達成率十割って、いいフレーズだ。俺つえぇ系にありがちで。
「はいこれっ、顔だけでも、ね」
「ありがとうございます。ホウタニさん」
濡れタオルを手渡すロリっ娘な奉谷さんに、メーラさんは小さく微笑む。
動物型の魔獣を倒すと、どうしたって返り血に塗れることになる。
まあ、植物型や丸太の魔獣ですら急所からは『血』が噴き出すのだが。アレってふざけてるよな。何故か匂いがほとんどしないし、確かに血液っぽい粘り気があるけれど、何なんだろうこれって思っても仕方がない。
現地の人たちがフィルド語で『血』って表現しているから付き合っているけれど。
迷宮における返り血事情だが……、脳内とはいえ嫌なネタだなあ。
結論からすれば、俺たちは返り血をほぼ放ったままで迷宮を徘徊している。さすがに顔くらいは拭う様にしているけどな。
何度か対応を話し合ったこともある。迷宮内は冗談のように水路が張り巡らされていて、しかも清潔な水に溢れているのだから、都度洗い流せばいいのではないかと。
水どころか頭上からいい感じな温度のお湯を落とすのだって簡単なのだ。それくらいのことは、毎日風呂を沸かしてくれているアネゴな笹見さんならば容易くやってのける。
問題になるのは乾燥の方だ。笹見さんの【熱術】と風使いな春さんの【風術】による『合体魔術・ドライヤー』を使ったところで、時間もかかるし魔力のムダだ。
魔術、つまり【水術】を使って体表の水分を飛ばすというのができれば話は簡単なのだけど、魔力の相互干渉でそれはできない。【聖術】の様に受け入れる心を持っても失敗している。
術師の上位である『導師』な笹見さんは【魔力浸透】も候補に出ているのだけど、魔術のルール上、取り損になる可能性が非常に高い。
仮に【魔力浸透】が効果を発揮したとして、まかり間違って『体内の水分』まで動かしてしまったら、ヘタをしたら即死まであるというのが父親に医者を持つ田村の意見だ。怖い。
現実的なレベルとしてなら笹見さんが【風術】を取得して、単独でドライヤーを使うってところだろう。
ドライヤー目的だけでなく、春さんや【風騎士】の野来の様に移動用として【風術】を取るっていうのは悪くないし。
さらに言えば水使いな連中は、自分自身であるなら体表から水を飛ばすことができるのだけど、そちらでも横たわる魔術ルールが邪魔をする。水と血が混じると【水術】の効率が極端に落ちるのだ。何度もお湯を被ればそのうち水だけになるって理屈もあるけれど、これまた時間と魔力がもったいない。
『水路で泳いだら魔術使わなくても綺麗にはなるっすよね』
『冷たいし、水気を飛ばせるのはあたしたちだけじゃないか』
以上、藤永と笹見さんの過去会話である。
迷宮を流れる水は冷えていて、飲む分には最高に美味い。気温が一定の迷宮内だからこそ、冷たさが際立つのだ。だけど飛び込むのは正直勘弁してもらいたい。ウイルスの類が存在していない迷宮だから風邪をひくことはないだろうけど、寒いものは寒いし。
という流れでもって、迷宮泊における風呂は最高のご褒美なのだ。
ちなみにクラスで唯一人、直接魔術を使って血塗れ状態を綺麗にできる存在がいる。
サメ使い、というかこの場合は【血術】使いの綿原さんだ。彼女の場合、自らの体内の血は操作できないし、やりたくもないようだけど、自分の革鎧に付いた返り血くらいならば簡単に動かせる。もちろん他人には使えないけどな。
彼女の技というか芸のひとつに、体から赤いサメを生み出すっていうのがあったりする。もちろん返り血を使ってだ。自ら傷を付けるなんていうのはヴァフターに拉致られたアレっきりで十分すぎる。
だが綿原さんもまた、顔に付いた血だけを除去することしかしていない。
革鎧の方までやったら魔力消費が、というのとも違う理由で。
『そういう技能があるからって、わたしだけってワケにはいかないじゃない』
水使いたちと同じく、これまたなんとも涙ぐましい仲間への想いであるが、スプラッタ耐性が高い綿原さんのことだ、そこには血塗れでも平気っていう感情が含まれているんじゃないかと俺は疑っている。
◇◇◇
「じゃあメーラさん、新しい技能は地上に戻ってからなんだぁ」
「はい。ここで【睡眠】を取っても……」
匂いがするわけじゃないけど血生臭い俺の思考を他所に、奉谷さんとの会話ではやっぱり言葉数の多いメーラさんである。
さて、ティア様が正統な拳士の技能を取得していくのに対し、メーラさんの方向性はちょっと特殊だ。勇者的にはアリなんだけど、一般の守護騎士としてって意味で。
普通の騎士は【睡眠】なんて取らない。そんな常識はペルメッダでもアウローニヤと共通している。十一階位になったガラリエさんは取ったけどな。
勇者の意志を継ぐというガラリエさんとは違って、主の護衛ができる時間を伸ばすために睡眠を削るという発想は、確かになるほどメーラさんらしいけれど、そこまでやるのかって話だ。それをするのがメーラさんなんだけどな。
「あれはあれでカッコいいよな」
「だな。メーラさんのさしずめ……『守護騎士道』だ」
「やっぱ八津ってこっち側だわ」
「だろ?」
メーラさんと奉谷さんのやり取りを少し離れた場所から見守っていた俺に、古韮が話し掛けてきた。
我ながらいい感じのコトを言えて嬉しくなったところに、肯定的な反応をしてくれるのが古韮だ。山士幌高校一年一組で最初に出来た友人は、かくも通じ合うのである。
お互いに拳を突き合わせる俺と古韮のことをサメが見守ってくれているけれど、どうだい、美しい友情だろ?
「さあさあ、ここからはあなたたち『一年一組』の番ですわよ。存分に力を振るってくださいまし」
そんな青いやり取りをスルーして、ティア様は俺たちを煽りまくる。全く困った悪役令嬢様だ。
「前衛職の十二階位を増やすのは当たり前だけど、できれば田村と藤永も。それでいいよな?」
「おう!」
俺の確認に、全員が声を揃えて唱和してくれた。
◇◇◇
「ここ、いちおう魔力部屋だね。八ってところかな」
「魔獣の影は無い。罠も無し」
メガネ忍者な草間と俺で、いつもの様に広間の確認をする。
「やっぱり四層は違っていますのね」
「アラウド迷宮は三層でもこれ以上でしたよ」
「他人事とは言っていられませんわね」
首を突っ込んできたティア様に、俺は隠すことなく答えておいた。どうせ知っているのだろうし、これくらいなら情報流出とまではならないよな。
それに──。
「今どうなっているのか詳しくはわかりませんけど、アラウドでは数年かけてジワジワと増えていって、ここ数か月で急激に……」
脅しというつもりはないけれど、それでもこれくらいは言っておくべきだろう。
「『魔獣の群れ』。ペルマがそうならないと考えるのは、楽観に過ぎますわね。組合も無策ではないでしょうけど」
ティア様が独自ルートで手に入れた『迷宮のしおり』の最新に近いバージョンは、魔獣の群れへの対応が主題のひとつとなっている。
当然、ペルメッダ侯国の上層部やペルマ迷宮冒険者組合だって書類上では把握できているのだ。
問題なのは体感をしていないってところだけど、ここ四層では魔獣が増加傾向にあるし、魔力は低めだとはいえ複数の魔力部屋も確認できた。
この状況なら準備というか、ペルマに潜る冒険者たちが『練習』する期間があるとも考えることができる。
「王国の対応は、一隊の人数を増員しつつ斥候も複数が望ましい、でしたわね?」
「はい。十から十二くらいが推奨されています」
「そして後衛の育成も。とくに『魔力渡し』」
「ですね」
こういう時のティア様との会話は小気味いい。
アウローニヤの『緑風』が率先してやっている、魔力タンクを増やすことで前衛職がフルパワーで活動できる時間を伸ばそうという考え方は、正解のひとつだろうと思う。
そういえば昨日の夜、俺たちを見学しにきた組合の人たちや侯爵家御一行が魔力タンクに興味を持っていたっけ。
「八津くん、あっちから七体か八体……、たぶん白菜だと思う」
「こっちは転がる音だね。三角丸太が二体ってとこかな」
そんなタイミングで魔獣の接近を知らせてくれたのは、草間と春さんだった。
二人が指差す方向は真逆。そしてこの部屋にある扉は二つだけときた。
「挟み撃ちか。さすがは魔力部屋」
「一度に二種類の魔獣……、コウシ、どうしますの?」
さすがに真顔になったティア様が、いつもの邪悪さを引っ込めて問うてくる。
ペルマ迷宮では余程運が悪くでもなければ、同時に複数種の魔獣に襲われることはない。
これまでの迷宮探索では、俺たちも数の差こそあれ単一種との戦闘がほとんどだ。さっきのティア様がレベルアップした戦闘については、後発のニンニクはトレインしただけだしな。
「ティア様、【視野拡大】です。ウチの連中の顔を見てください」
「何を……、落ち着いていますわね」
周囲を見渡し、ティア様は呆れたような声を出す。
そう、こんな状況ごときで一年一組は狼狽えない。
いや、むしろ──。
「迷宮では小さな戦闘だって命懸けです。だから俺たちは油断しません。馬那と佩丘で丸太を抑えてくれ。奉谷さんは二人に【身体補強】。そっちの担当は先生、中宮さん、田村、深山さん、藤永だけで」
「おう!」
一般論的なコトを言って、そこから具体的な指示を繋ぐ。
実際の戦法なんて口にしなくても、選ばれたメンバーならば何をすればいいかなんて承知の上だ。事実、威勢のいい返事と共に、名前を呼ばれた面々はキビキビと動き出している。
視界の端と端に映った二種類の魔獣だけど、三角丸太の方はちょっと遅れてくるようだ。深山さんと藤永の『氷床』で体勢を崩してもらって、【身体補強】を掛けた馬那と佩丘ならば、ヒーラーの田村を付けておけば一人で一体ずつを抑えこめるだろう。あとは滝沢先生と中宮さんに任せてしまえば問題なし。
藤永と田村には言ったばかりで悪いけれど、レベリングは度外視の配置になる。
「で、ティア様も知っての通り、俺たちは魔獣の波を乗り越えたこともあるんです。二層でも三層でも、百以上を一度に。なのに今回はたった十体なんですよね」
「コウシ……、あなた方。笑って……」
「俺と上杉さん、奉谷さん、白石さんは中央で待機。両方に対応だ。残りは全員で白菜。ミア、海藤、夏樹、先手は任せた。初手で三体は墜とせ!」
なんかノリノリでいい感じの口調になっている俺と、それから周囲の雰囲気に、ティア様はらしくもなく気圧されたご様子だ。これって、あとで俺がメーラさんに睨まれたりしないよな?
「ひゃっはー、新鮮な魔獣だぜえ、ってね!」
「滾りマス!」
「らしくなってきたな」
遠距離アタッカーの三人が、それぞれ妙なテンションで盛り上がっている。良い傾向だよ。
ペルマ迷宮では探り当てるって感じで魔獣を狩るけれど、アラウド迷宮では向こうから勝手に襲い掛かってきたものだ。群れに当たれば連戦も連戦で。
偶然のタイミングでこうして挟み撃ちを食らっているけれど、俺たちはこんなシチュエーションに慣れ切っている。
むしろ窮地で獰猛に笑え。それこそが戦いに次ぐ戦いの積み重ねで俺たちが得たものだ。
たしかに四層の魔獣は強敵だけど、左右合わせて十体なんてのは、まだまだ温い。
こんなのぶっちゃけ日本の高校一年生が体得していい境地ではないのだけれど、帰還のために身に付けたド根性ということで誤魔化しておこう。そんな俺たちをどこか悲しそう見つめてから、同じように猛々しく笑う先生を記憶に焼きつけて……。
地球へ、山士幌に戻れたら、普通の高校生をやりますから、今はごめんなさい。
俺たちは高校生で、先生は英語の先生。そんな立場を取り戻すために一年一組は今、獣の様に笑うのだ。
「俺としてはティア様とメーラさんも立派な戦力として勘定してますけど、いいですよね?」
「当然ですわっ!」
気合いを入れ直した俺の煽りを食らい、一転ティア様が邪悪な笑みを浮かべ、メーラさんはその半歩前に出る。こちらの主従もやる気満点とみた。
「四、三……」
これまたおっかない笑みを浮かべた春さんが、白菜の乱入をカウントダウンしていく。
「イィヤァァッ!」
ミアの奇声と共に放たれた矢が、戦いの火蓋を切った。
今のところこの世界で鉄砲は確認されていないけど、それはこの際関係ないか。
◇◇◇
「三着デス!」
「ぐぬぬ」
結果として一年一組十二階位レースを勝ち抜いたのはミアだった。そもそも競争しているつもりもないんだけどな。
中宮さん、先生に続く三人目だけど、一年一組の武力トップスリーなのだから、強固な縛りを掛けていない現状では順当な結果といえるだろう。
戦前に気勢を上げた効果もあってか、ミアは凄かった。
矢を使った遠距離戦で白菜を二体、そこから追加とばかりにメイスと短剣で一体。白菜サイドの戦況が安定したと見るや反対側の丸太に飛び掛り、自身が十一階位であることを盾に十二階位の先生と中宮さんを制止して一体。
一挙に白菜三体と丸太を一体だ。これまでの積み立てを加えれば、階位が上がるのも不思議ではない。
本人は認めていないが『遠近両用』の名に恥じぬ戦いっぷりであった。
ぐぬぬっている春さんにしても、ちゃんと白菜を二体倒しているのでスコアとしては十分なんだけどなあ。
「【安眠】を取りまシタ。これで広志とお揃いデス」
「んなっ!?」
皆が戦闘後のクールダウンをしている中、胸を張ってそんなことをのたまったミアに、綿原さんが変な声で反応した。
ミアはたしか十二階位での技能取得をしない予定だったはずだけど、まあ【安眠】はコストが軽いし俺としても仲間ができるのは悪くない。
というか、問題は綿原さんの方だ。
彼女は肩を震わせ俯き、下を見つめている。そんな本体とは別に、赤紫のサメが迷宮の床を滑り三体でミアを中心に周回し始めた。凄いな、本当にサメ映画みたいだぞ。
サメに襲われそうになっている当人は、小首を傾げてきょとんとしているだけだ。ミアお得意の『ワタシまたなんかやっちゃいましたか?』モードである。
「どうするの? これ」
「知るか。八津にやらせとけ」
「ミアは天然で煽るよなあ」
なあお前ら、いくら俺の名前が出たからといって、なんで半分くらいがこっちを見てるんだ?
誰か仲介に入れよ。委員長とか中宮さん、上杉さんなら適任だろ。
「まあまあまあまあ! コウシも罪作りですわね」
ティア様とメーラさんもだよ。ミアのアレは綿原さんをからかっているだけだぞ。
悪い笑顔を俺に向けているティア様と、ジトっとしたメーラさんの視線が痛い。とくにメーラさんの場合、この瞬間にも俺に対する評価が落ちているような気がしてしまうのだ。
「ふぅ、ミアなら仕方ないわね」
「納得してくれまシタか」
顔を上げ、ため息をこぼした綿原さんは、苦笑しながらサメを自分の下へと引き戻した。対するミアはニコニコしている。
時間にすれば三十秒くらいだったろう。俺からすれば体感三十分にも感じたけれどな。
「わたしも十二階位で取ろうかしら、【安眠】」
「ナイスアイデアデス。凪もお揃いデスね!」
綿原さんの呟きを捉えたミアは、それこそ満面の笑顔である。
「そうよね。ミアだものね」
こうなると綿原さんだって折れざるを得ないだろう。どこか腑に落ちていない感じは残っているけど、もう大丈夫かな。
「解体済んだぞ。そっちも終わりにしとけ」
こちらの状況を無視して丸太の解体をしていた佩丘によって、ぶった切るように事態は収拾された。
強面でぶっきらぼうなアイツは、実に頼もしい男なのだ。
次回の投稿は三日後(2025/06/15)を予定しています。遅くなって申し訳ありません。