第504話 胸に響く主観と客観
「魔獣が生まれる前兆が、見える……」
「はい。ただし負担がキツいので、頻繁には使えません。魔力の高い部屋だけで使う様にしています」
説明を聞いたティア様は、愕然としていた。傍に控えるメーラハラさんは淀んだ瞳がさらに暗くなったような。まるで俺自身が魔獣なんじゃないかって疑ってる感じかな。
これから現れるであろう魔獣を待ち伏せるための部屋移動を終え、ティア様とメーラハラさんに【魔力観察】のコトを教えたらこれだ。
これで『吸われる』ところまで見えてしまった、なんて教えたらどうなるんだろう。
今は念のために草間の【気配察知】をカットしてもらっている。つぎの機会があったら【気配察知】を使っていても魔獣が生えるか検証しておくとしよう。これまたシシルノさんへの報告案件だな。
正面から白菜を待ち受ける陣形になっているが、この部屋には扉が三つある。そこで、余計な二つの扉の向こう側には【聴覚強化】持ちのスピードスターな春さんと、チャラ子な疋さんに出張ってもらった。
こちらからはギリギリ視界に入っているけど、二人とも物怖じしないタイプだからか不安そうな雰囲気は感じ取れない。
白菜が来るだろう扉の手前には、木刀女子の中宮さんが仁王立ちだ。
草間が斥候として使えない現状、このフォーメションが一番安全だろう。そういう条件の部屋を選んだのだし。
もしも春さんと疋さんの方から魔獣が接近してきたら、白菜防衛戦は放棄して、作戦を立て直す。臨機応変ってやつだ。
「魔獣の発生なんて、迷宮最大の謎のひとつですわよ!」
ティア様は完全に高揚した感じになっている。そして、なんか近い。距離を詰めてこないでほしいのだけど。
最大の謎、か。迷宮は謎だらけだけどな。
魔獣の発生と消滅。死者を含む、迷宮で置き去りにされた物の行方。この二つについては、すでに当たりがついている。
吸収と再構成。犯人はもちろん迷宮で、使われているのは魔力なんだろう。
『気持ちが悪いと思うけど、地球だって一緒だよ』
魔獣の材料の一部が迷宮に残された物だと想像して、みんなが具合悪そうな顔になった時、藍城委員長は無理やり笑顔を作って言ったものだ。
食物連鎖という言葉くらいは俺でも知っている。もっと大きく、正確に表現するなら『生物地球科学的循環』とかいう表現になるらしい。
要は生物を形作る部品は原子、分子レベルで循環し続けているってことだ。地球上にある物質ならばどんなものがどういう経緯で取り込まれるかなんてわかったものじゃない。
『兵士や冒険者の行方不明率を考えたら、……ちょっと考えにくいよ』
委員長のセリフからは『魔獣の材料としては』という単語が省略されていた。言いたくないのは誰だって一緒だよな。
考えたくもないけれど魔獣の材料に『人間』が必要だとしたら、行方不明者の数が少なすぎる。お話にもならないくらいだ。風呂桶一杯の水に、一滴血を入れたからといって俺たちは血液風呂を楽しむ猟奇的存在となるのかってことだな。
普通に想像すれば微生物を含む土、大気、水分、それと魔獣の残骸なんかが原料のはず。そもそも迷宮の魔獣には白々しいくらいモデルとなる生物があって、キメラとすら表現できない。さらには人型も存在していないので、もしかしたら人のDNAが、なんていう考えも放棄できるのだ。
俺たちはそうだと納得して、魔獣を食べている。
「落ち着いてください、ティア様」
「ナギ」
そうやって思考に耽る俺の目の前にサメを滑り込ませ、ティア様の進行を押し留めたのは我らが綿原さんだ。頼りになるぜ。
神授職の正体、階位はどこまで上がるのか、迷宮は一体何層まで深いのか、そもそも迷宮とはなんなのか、不思議はまだまだたくさんあるけれど、とりあえず今はティア様への対応だ。
「たしかに大発見ですけど、だからといって迷宮探索が変わるわけじゃありません」
ついには本体までもが俺とティア様のあいだに入り込み、綿原さんは堂々と言い放つ。
そうなんだよ。こうして待ち伏せ作戦なんてやってはいるけれど、だからどうしたってレベルの話なんだ。
実体化した魔獣を待ち伏せるか、予兆の段階からそうするかの違いでしかないのだから。
バックアタックを避けやすいという利点はあるかもしれないけれど、そんなのは警戒がシッカリしていれば普段と変わらない。
「そうですわね。全ての隊にコウシがいれば別かもしれませんけど」
ティア様、邪悪な笑顔で俺を見ないでほしい。分身は忍者な草間の領域だから。
「その【魔力観察】、組合には伝えていますの?」
「いえ。だけど魔力異常で迷宮が封鎖なんてことになったら、明かして調査に名乗り出るかもしれません」
俺の返事にティア様は悪い笑みを深くした。組合、この場合はマクターナさんが知らない勇者の秘密を自分が掴んだのが嬉しいのかもしれない。バラすのではなく、秘密の共有って点で。
「その時はわたくしも同行したいものですわね」
「いやあ、ムリでしょう」
冒険者と軍の共同調査なんてことはあり得ても、そこに侯息女様が入るのは無しだ。侯王様が出張るっていうのは、あるかもだけど。
「それより問題なのは今ここです。小規模でも魔力部屋があって、そこから魔獣が発生するのはほぼ確実だろうっていう状況は……」
「ですわね」
「前回の四層だと三とか四は幾つかあったんですけど、七っていうのは初めてで」
魔獣の誕生と接近を待ちつつ、俺とティア様の会話は続く。横には綿原さんがいてくれるので、なにかあれば指摘してくれるだろう。ボロを出さないように気を付けないとだな。
澱んだ瞳でメーラハラさんが成り行きを見守っているけれど、はてさてなにを考えているのやら。
「さっきの話ですと、アラウドでは十を超えたのでしたわね。そして魔獣が群れを成した」
「特徴としては、複数種の魔獣が混じるところです」
「厄介、なのでしょうね」
「結構キツいんですよ」
俺の説明している内容は、文章だけならティア様だって知っている。
だけど、実際の迷宮四層で魔力部屋を見つけた状況で話をしていると、お互いにリアリティが増してくる。ここでも同じ事態が起きるんじゃないかって、思えてしまうのだ。
それでもティア様は不敵に笑う。これがこの人の性根だとはわかっていても、あの現場に立ったことがなければ想像は難しいだろうな。
「それでもアラウド迷宮は二層と三層を安定させたのでしょう?」
「魔力異常は続いているはずですし、まだまだ大変だと思いますよ」
「コウシはそう言いますが、わたくしとしてはあちらが羨ましくもありますわね」
羨ましいという単語を持ち出したティア様のセリフに、周囲で聞き耳を立てていた連中がピクリと反応する。もちろん悪い意味で。
怒気とまではいかないが、反感が出ても当然だ。魔獣の群れとの戦闘を振り返れば、よくも今まで二十二人のままでいられたものだとすら思ってしまうのだから。
実際はそこに派閥抗争に巻き込まれることでの対人戦も多かったのが、より印象を深くしているんだけど。
滑落、拉致、近衛騎士総長との戦い。俺なんて三回くらい死にかけたんだぞ。
「そう睨みつけることもありませんわ。もっと大局で見てごらんなさいな」
一部からのキツい視線を受けても動じないティア様は、堂々と続けていく。
横に立つメーラハラさんの方が、むしろ剣呑な空気だ。
悪役令嬢の面目躍如だな、なんてふと思ってしまえば、頭も冷えてティア様の言いたいことも見えてくるんだけどな。
「あなた方はここにいるではありませんか」
そこでティア様の一言だ。
「異なる世界から呼ばれて百日も経たずに全員が十一階位となり、アウローニヤの頸木から解かれ、自由の体現者たる冒険者として、ここにいる。あなた方はそれがどれだけ凄いことか、わかっていますわよね?」
なんだか始まってしまったティア様の独演会に、ここが迷宮で、しかも白菜を待ち受けているという状況を忘れそうになってしまう。隣の部屋で頑張ってくれている春さんや疋さんにも聞こえているくらいの大声だ。
だけど彼女が言っていることは、悔しいけれど正しい。
アラウド迷宮二層で最初の迷宮泊をやった時に発覚した、魔力異常に起因する魔獣の群れの存在。アレと戦い続けたからこそ、今の俺たちがある。
こんなにも急激に階位を上げて、アウローニヤでの政変を成功させることができたのも、元を辿れば魔獣のお陰だ。
対して、政治的理由があったとはいえ七階位に留まっていたティア様に、俺たちはどんな風に映っていたのだろう。
「混乱も苦労もあったのでしょう。ですが塩と鉄への道を確保できているならば、現在のアラウドはむしろ素材の宝庫といえるのではなくって? 強者も増え、戦いも洗練されていくのでしょう?」
ティア様の正論アタックに、一年一組は口を挟まない。とはいえ、そもそもの視点が俺たちと違っているんだけどな。
まあ、ティア様の主張は正しいよ。魔獣の群れは、安定した対応にさえ成功してしまえば、プラスに転じることだって可能だ。
それはそのまま素材の安定に繋がり、そして──。
「それが新女王による統治に一役買っている。もしもあの政変がなければ、アラウド湖の城は迷宮に溺れていたかもしれませんわね」
アウローニヤのリーサリット女王を上げてるのか下げてるのか微妙な言い方で評するティア様だけど、それもまた事実だ。
女王様の才覚と実権掌握があったからこそ、アウローニヤはアラウド迷宮を中心にして、急速に回復しつつある。
「これが羨ましくなくてなんなのですわっ!」
悪役令嬢らしく自分勝手で堂々とした演説だったのに、なんで最後のセリフだけ癇癪っぽくなるかなあ。
「言い過ぎよ、ティア」
誰が返事をするのかという空気の中、俺と綿原さんに視線が集中する。だけど、ティア様に声を掛けたのは中宮さんだった。
「本当のことでもね、その場にいなければわからないことだって、あるの」
中宮さんの言葉には、俺たちの思いが込められている。
本来山士幌で高校一年生をやっているはずの俺たちは、たしかに力を手に入れつつある。
だけど、それは必要に駆られてだ。望んでなどいない。日本では必要のない能力だ。
階位の無い世界との温度差、なんだろうな。ついでにティア様が侯爵令嬢っていう特別な立場を持っているというのもあるのだろう。
ほんと、ヤンキーな佩丘や皮肉屋の田村あたりは、よくぞ黙ってくれていたものだ。
ティア様自身俺たちの境遇を知っていて、これまでの道のりを彼女らしく讃えているのがわかるからだろう。これが初対面だったらブチ切れ案件だよな。
「……それはそうなのでしょうね。言い過ぎましたことを認めますわ。ですが、あなた方が見事に辿り着いたこの場所に、わたくしが共にいるという事実を喜ばしく思っても、それくらいはよろしいですわよね?」
「そうね。わたしもペルメッダでティアに会えたことを、嬉しいなって思ってる」
中宮さんのストレートな物言いにティア様の表情が一気に明るくなる。わかりやすいなあ。
結局は主観と客観、もしくは権力者と翻弄された側から見た光景のぶつかり合いだ。
そして俺たちとティア様は、お互いにこんなことを言い合える関係になっている。
「それと、お喋りはここまで。来たわよ、八津くん」
ティア様に優しい目を向けていた中宮さんが、戦闘モードのキリっとした雰囲気に切り替わった。来たか。
それぞれの表情で会話を窺っていたクラスメイトたちも、一気に雰囲気を変える。
一年一組お得意の、おちゃらけからガチへの即時転換だ。今回はちょっと違ったけどな。
「草間っ」
「うんっ……。中型より小さいのが五体」
俺の声にすかさず【気配察知】を使ってくれた草間が、秒で報告をしてくれる。
「葉の擦れる音がするわ。白菜ね」
「本当に、コウシの言ったとおりでしたわね」
追加で中宮さんのお墨付きだ。確定だな。
全部を疑っていたわけではないのだろうけど、ここまで完璧な答えが出たことにティア様が声を低くした。
なにしろ【魔力観察】の結果って、その場では誰にも見えないからなあ。いちおう輪郭線だけのスケッチはしたのだけど。
「春さん、疋さん、戻ってくれ。ここからの周辺警戒は草間に切り替え。位置取りは、あそこで」
「せっかく【鉄拳】取ったのになあ」
「いくらでも出番はあるって」
今回の戦闘における草間の役目は、とにかく索敵だ。
なにしろ魔力部屋の近くだからな。どこから魔獣がおかわりされるかわかったものじゃない。
それでも草間はステルスアタックを狙って【気配遮断】を掛けていく。うん、それでこそ忍者だよ。イザって時には頼りにさせてもらうからな。
「白菜戦だ。先手重視!」
俺の叫びに合わせて盾持ちの騎士たちが少し下がり、アタッカーの攻撃が通りやすくなるように間隔を広げる。
逆に綿原さんと夏樹は、それぞれサメと石を浮かべて前に出た。本来中衛の疋さんも前のめりの位置取りだ。
これから登場する【葉脚五眼白菜】は一メートルくらいもある長い蔓をメイン攻撃に使ってくる魔獣で、盾で防ごうとすると絡みつく傾向がある。もちろん首でも腕でも足でもだ。
そうして取っ掛かりを得た白菜は、蔓を引っ張るようにして体当たり攻撃を仕掛けてくる。しかも蔓の先端には麻痺毒のオマケ付き。
なので先手で崩す方が安定する。
一度受け止めてからの戦い方が多い一年一組だけど、白菜に対しては例外だ。とにかく蔓を無力化するのを優先させる。
「奉谷さん、ティア様とメーラハラさんに【身体補強】。二人は一度後退してください」
「わかりましたわ!」
イザ戦いともなればさっきまでの語りとは打って変わり、ティア様とメーラハラさんは素直に指示に従ってくれるのが助かるよ。
さあ、ロリっ娘バッファーが力を授けてくれるぞ。
「四、三……」
滝沢先生と並んで最前衛ど真ん中に構える中宮さんのカウントが広間に響く。
「八津くん、ティア様だけど、たぶんあと三体」
「了解」
隣からメモに目を落とした書記の白石さんが教えてくれた。
さっきはカニも倒したし、たしかにそれくらいで十階位か。やっぱり適正階層超えのレベリングは効率がいい。
「今っ」
中宮さんの放った鋭い声と同時に、白菜が広間に乱入してきた。まずは三体。
ソイツらの本体自体はスーパーで売られている白菜とよく似ている。大きさも違和感を感じない程度で三十センチをちょっと超えたくらいだ。ただし胴回りに目が五個くっ付いているんだけどな。ただし、売り場に並んでいるように横倒しではなく、言うなれば逆立ちだ。
緑の葉っぱをガサガサと鳴らしながら足代わりに使って移動し、白い芯と言うべきか頭頂部から伸びた緑色の蔓がヒュンヒュンと振り回されている。
あんな移動方式のせいか、白菜は『氷床』であまり崩れてくれないので、今回は使わない。
弱点部位は胴体のど真ん中。五つの目がぐるりと並んでいるあたりだ。
ちなみに『煮込み戦法』がギリギリ通じるタイプの魔獣なので、普段は後衛にトドメが回ってくる。
今回については、【身体補強】を受けたティア様とメーラハラさんに回すので、手間をかけることもないだろう。
「イヤァッ!」
いつもの奇声と共に、先頭を歩く白菜に矢が突き立った。トドメにならないように、蔓の根っこあたりだ。やったのは当然のミア。
カニと違って白菜は柔らかい。とはいっても、活動している状態だと後衛メンバーは【身体強化】無しではトドメなんて無理だけどな。
続けて海藤のボールと夏樹の石が残りの二体に命中する。うん、一年一組の先手遠距離攻撃は安定しているな。二人のパワーアップが素直にありがたい。
体勢を崩した三体の白菜に、後続からやってきた二体がぶつかる。さっきのヒツジでは不覚を取ったが、今回は狙い通り。
さらに横から赤紫のサメが三匹、体当たりをカマしていく。馬の血を使った重量感のあるサメだ。【鮫術】と【血術】の熟練のせいか、以前よりもちょっとだけ大きさが増している。
みんなが少しずつ成長しているのが良くわかってしまうのが、とても嬉しい。
『指揮官』なんて立場はさておき、【観察者】はこういうところが全部見えてしまうのだ。
さっきまでは望んで得た力なんかじゃないなんて考えていたのにこの高揚っぷりだから、俺も大概だよな。
「いっくよ~」
「しゅーえぁっ!」
「あぁぁい!」
体勢を崩した魔獣の無力化に向けて、ウチのアタッカーたちが動き出す。
俺の指示など必要なく、前線の呼吸はクラスの中で共有できているんだ。
「ワタシも出マス!」
弓を腰のうしろに戻したミアが前に向かって駆け出していく。たしかに蔓を叩き斬るなら、ミアは得手な部類だろう。
「コウシ、まだですの!?」
「もうちょっとです」
目を爛々と輝かせたティア様が俺を急かすけれど、ステイだステイ。
彼女の視線は前を向いたまま、まるで眩しいモノでも見るかのようになっている。アレに混ざりたいんだろうなあ。もしかしたら、十階位、そして十一階位になった自分を想像し、どうやったらあそこでみんなと連携して戦えるのかまで想像しているのかもしれない。
気持ちはわかるよ。俺だって憧れてしまう、自慢の仲間たちだから。
次回の投稿は三日後(2025/05/21)を予定しています。申し訳ありません。