第496話 安心して娘さんを送り出してもらうために
「これはリン個人と『一年一組』の会談だ。リンは侯爵家の威光を持ち出すことなく語れ。我は全てを聞き終えてから口を出そう」
漢字騒動もなんとか終わり、いよいよ本題となったところで、侯王様が丸投げ宣言をした。
いや、迷宮泊の件もあるし、とりあえずは全部を聞いてからってところか。
ティア様が主役でそれを見守る親御さんたちともなると、まるで授業参観みたいだな。
ちなみに会場は食堂のままで、お客さんたちを含めた全員が元の席に戻っている。もちろんメーラハラさんはティア様の背後に控えているのは通常営業。
お茶も入れなおされて、習字セットもテーブルには残っていない。とはいえ書いたばかりのブツは、乾燥させるためにサイドテーブルに放置されているんだけどな。
それにしても王妃様のノリは凄かった。
俺の中ではすでに、おすそ分けにこだわる近所のおばちゃんみたいな感覚だ。お世話になっている矢瀬牧場でも家で作った料理を近所にばら撒いていたっけなあ。近所といっても車を使うような距離なんだけど。しかも煮物とか豆が甘い赤飯とか、高校生男子的にはあんまり得意でない品揃えなのもまた不明だ。
で、似たような別の料理がレシーブとして帰ってくるんだけど、アレっていつまでリレーを続けるんだろう。
「わかりました。では、迷宮委員のわたしから」
おっと、毎度のごとく故郷に想いを馳せているあいだに、綿原さんが席を立った。慌てて俺もそれに続く。
事前に用意をしておいたのだけど、ティア様たちが座るお誕生日席から反対側の壁には大きな迷宮の地図などが壁に貼られている。組合事務所にあるものよりは小さく模造紙くらいのサイズで、その代わりに全体ではなく今回の説明に必要な個所だけが掲載されているものだ。四層がメインで、三層は宿泊予定の一角だけ。ダッシュで俺が描いた。
メモを手にした綿原さんが説明係で、俺は指示棒を持って補助する役目だ。自由研究の発表会みたいだよな。綿原さんとのペアにも慣れたものだし、この状況に緊張は無い。むしろ、目の前を時折通り過ぎるサメが高揚感をかき立ててくれるくらいだ。
「まずは前回の迷宮について、説明させてもらいます」
「ええ、存分に聞かせてもらいますわ!」
会話の主役となれて嬉しいのか、綿原さんに言葉を返すティア様は上機嫌になっている。
「迷宮に入ったのは少し遅めの五刻。これは、わたしたちが新参で背後を持たないというのが理由です。それと『一年一組』は二十二名と、大所帯だからというのもありますね。大人数では事務所で目立ってしまうので、空いている時間を選んでいます」
真面目顔な綿原さんの説明が始まった。
「特別に持ち込んだものとしては、そこに置いてある寸胴鍋と各種調理器具になります」
「『芋煮会』ですわね」
「はい。四層の魔獣はたとえ無力化ができていても、後衛職ではトドメを刺せない硬さがあります。そこで──」
合いの手を入れるティア様に、したりとばかりに綿原さんが『芋煮会』についての解説をする。
完全に聞き手に回っている侯爵一家だけど、驚きの表情がないあたり、ティア様と同じく『迷宮のしおり』は読み込んでいるのだろう。
ちなみに食堂の壁際に置かれたテーブルの上には、寸胴や組み立て式バーベキューセットなんかが見本として置かれてある。みんなで準備を頑張ったのだ。
「ティア様は経験していますし、一層から三層の移動については省きますね。四層までの所要時間はほぼ半刻。正確には五十二分です」
こうして説明を続ける綿原さんの口調は普段とは違い、やたらとはきはきとしている。緊張も感じられないし、堂々としたものだ。どこか語り口が滝沢先生と似ているけれど、影響を受けているのかもしれないな。
ところでだけど、本当に今更ながらこの世界、というかアウローニヤ文化圏には『分』という時間単位がある。これがまた白々しいくらいに都合がいいことに百二十分で一刻、つまり二時間だ。さすがに『秒』は無い。
ただし頻繁には使われていないのには理由があって、この国の人たちは一刻、半刻、四半刻、つまり三十分刻みくらいの緩い時間感覚で生活しているからに他ならない。
五分前行動だとか、約束の時間に十分遅れたなんていうフレーズが出てこないのだ。おおらかなのか、ルーズなのかは、受け止め方次第だろう。
「マコトの『時計』が羨ましいですわ。あれもまた芸術品ですわね」
前々回の迷宮でティア様は、俺たちが迷宮内で何度も時間を確認しているのを見ている。どうやってというところもだ。
名前を出された藍城委員長は素直に懐から愛用の腕時計を取り出し、侯爵家の人たちの前に差し出した。献上品ではないぞ、念のため。
「これは? 時計と言っていたけれど、こんなに小さいモノで」
「針の位置で現在の時刻がわかる仕組みです」
思わずといった風に口を挟んだウィル様に、委員長が簡単な解説をする。長針と短針が、なんていう説明は要点でもないし省略するようだ。
この世界にある時計といえば、水時計と火時計がメインとなる。
水時計は、いわば複雑に組み合わせた鹿威しだ。べつにカッコンカッコンと音を出し続けるわけではなく、何段階かに分けた水流が一刻に一度、鐘や鈴を鳴らす仕組みだ。しかも夜間は音を鳴らさない設定にもできるという優れもので、ここペルマ=タでは街の数か所に大きめの水時計が設置されている。
数日に一度の調整が必要らしいけれど、正確さには委員長たちが驚いていたものだ。
ちょっと金持ちの家ならば小型の水時計を持っていたりして、実はアウローニヤの離宮にもあったのだけど、金属製でそれこそ芸術品みたいな見た目をしていた。金管楽器とパイプオルガンが合体したような感じで、縦横二メートルくらいのが、一刻ごとにチリンと鈴をならすオシャレなヤツだ。
一部パーツにガラス管も付いていて、そこに溜まった水の量で現在時刻を知ることもできる。
火時計については、言うなれば蚊取り線香だな。金属製のケースに紐が入っていて、端っこに火を点けるタイプの時計だ。ケースには目盛りがついているので、それで経過時間を測ることができる。
時計というよりはストップウォッチ的な代物だから、普段の生活ではまず使われないもので、ほぼ迷宮専用ってところだ。
ちなみに紐の素材は、迷宮で採れるジャガイモの蔓を乾燥させたものが使用されている。なんでも太さが端から端まで一緒なものだから燃え具合が均一で、しかもどの個体から加工しても品質が一定するのだとか。規格品の集まりである迷宮の魔獣は、こういうところでも活用されているという小話である。
「続けますね。四層からの陣形は『八十九陣』です。具体的には──」
侯爵家の人たちがひとしきり委員長の時計を堪能したのを確認してから、綿原さんが説明を再開した。俺はそれに合わせて、地図の横に貼られた陣形図に指示棒を当てていく。
「野来くんが後方警戒を担当しているのは、【風術】が使えて騎士職の中で一番動くのが速いからです」
「臨機応変に動けるというわけですわね」
クラスの一人一人がどうしてそこに配置されているのかを綿原さんは詳細に語る。それに反応して口を開くティア様のセリフは、最早合いの手というより補足説明みたいになっているなあ。
良いコンビじゃないか。
そこからも綿原さんが戦いの詳細なんかを説明し、時折ティア様が質問をしたりと、食堂には二人の声だけが響いていく。
この場で迷宮四層を経験したことのない人は、ティア様とメーラハラさんの二人だけだ。
つまり、流れるように語られている綿原さんの説明はそんな二人にとっては未知の迷宮譚で、それ以外の保護者三名にはリアルな作業報告と受け止められる。
ティア様の要望から始まった俺たちの迷宮報告だけど、一連の説明はむしろ娘さんを四層に連れていかれる親御さんを安心させる材料となるのだ。
侯王様を筆頭に、王妃様もウィル様にしてもわかっているのだろう。ティア様とは別の意味で良い表情で聞き入ってくれている。
さすがに芋煮会の説明には驚きというか、呆れたような顔になっていたけどな。
その後も説明は続き、三層でカニを食べようとしたところでフィスカーさんたち『黒剣隊』から聞いたトラブルと、新発見された区画についても全部をひけらかした。
とはいえ、侯爵家の人たちもこの件については知っていたらしい。それでもその時ばかりは真剣な顔になっているあたり、この人たちが持つ迷宮への姿勢が見えるようで、俺などは頼もしくもなってしまうのだ。
「前回の迷宮については以上です。ここまでで何かありますか?」
ほぼ一時間に渡って話し続けた綿原さんは、大きく息を吐いている。
さすがにくたびれたのか、続けざまに次回以降の迷宮の話題に移らず、質疑応答で間を置くようだ。ここは俺の出番かな。
「ならば聞きたい。貴様らの速度だ。足の遅いはずの後衛職が半数にも関わらず、我の想像よりも広範囲が探索されているようだが」
面白い視点で聞いてきたのはイケオジな侯王様だった。戦闘の詳細みたいな部分的なところじゃなくて、総合って感じの質問だな。
「比較したことはありませんが、ほかの隊との違いはいつくか理由があると思います。ひとつは陣形を変更する練習を繰り返していることですね。部屋のまたぎを素早くできるように心掛けています」
「ほう」
口を開こうとした綿原さんに先んじて、俺が答える。視線をこっちに向けた侯王様が愉快げに口の端を釣り上げた。
一瞬送った、ここは俺が対応するからお茶でも飲んでてくれというアイコンタクトは見事通じて、綿原さんは一度席に座ってくれる。ナイスコミュニケーションに胸が躍るな。
このあとは迷宮泊の説明もあるし、少しだけでも休んでおいてほしい。
「もうひとつは、口幅ったいですけど俺の目です。迷宮罠の確認は瞬き程度で終わりますし、突然の経路変更でも最適を選ぶことができますので。逃げるしかない状況になったら、その時こそ真価を発揮する自信があります」
「ほざくではないか」
「はい。だけど事実です。俺は戦えない側ですけど、できることもありますから」
侯王様の煽りにも俺は動じず答えてみせた。
二層に落ちた時に緊急措置で始めたマッパーは、いつしか『地図師』なんてあだ名されるようになったけど、直接戦闘だけが迷宮探索じゃない。
戦えない俺ができることを仕方なく、なんていう考えはとっくに消えている。何度も迷宮に潜り、修羅場を味わってきたからこそ、俺の強みがクラスの力になっているのを実感しているからだ。
そんな俺のセリフを聞いて、近くに座ってお茶に口を付けている綿原さんが、こちらを見ながら満足そうに口元をモチャらせているな。文字通りお眼鏡にかなったならば幸いだ。
「それと今回は初見の層だったので、斥候の分散は極力控えました。アラウド迷宮の経験と合わせれば、次回以降は探索範囲を二割は広げられると考えています」
もちろん既知の魔獣を全て把握してからと付け加えてから、俺は自信ありげな表情を浮かべてみせる。半分は演技だけど、ちゃんとできているだろうか。
一年一組の探索範囲が広いと指摘してきた侯王様が目をギラつかせた。俺はこれでもまだ余裕があると言ったのだから、煽ったようにも聞こえただろう。
けれども実際に可能ではあるし、現実的な数字だ。今回のコレはプレゼンテーションの場でもあるから存分に宣伝させてもらおう。
「ウチの斥候『たち』は優秀ですよ。遭遇戦なんてまず起きませんし、魔獣の呼び寄せすら手間ではありません」
規模にもよるけれど、通常の隊では斥候職なんて一人か二人が普通だ。だけどウチは違う。
メガネ忍者な草間を筆頭に、【聴覚強化】を使えるムチ使いの疋さん、木刀女子の中宮さん、そしてクラス最速のスプリンター、春さんがいる。十三階位くらいになれば、まだまだ増える予定だし。
視界さえ通れば、俺だってすかさず指示を出すことができるのだ。
一年一組に不意打ちは通らない。たぶん。
「ふははっ、十階位と十一階位が四層を自在に歩くか。大言壮語は若造の特権だが、貴様らが言うと本当にできるのではないかと思わせられる」
「僕からもいいかな」
やたらと嬉しそうに笑う侯王様に、今度はウィル様が質問を被せてきた。
「どうぞ」
「僕は【砂騎士】で、つまり【砂術】使いでもある。ワタハラの【鮫術】がどれくらい魔獣に対応できるのかに興味があるんだよ」
ウィル様は綿原さんの脇で泳いでいるサメの性能が知りたいようだ。
昨日の会談が遅くなったから、今日になってやっとってところかな。
「ほかの攻撃術師たちの戦い方も見てみたいかな。君たちの隊は普通の冒険者たちに比べて術師の割合が大きいからね。前衛職と連携して戦う姿が想像しにくいから」
さらに全体的な戦闘スタイルにまで言及するウィル様は、さすが目の付け所がいい。
さっき綿原さんがある程度は言葉で説明していたけれど、こればっかりはな。
「このあとでティア様と合わせる練習をする予定です。その時に確認してみてください」
「ああ、楽しみにしておくよ」
俺の言葉に、ウィル様は本当に期待しているような顔で頷いた。
そんな会話を聞いているティア様の目はギラギラだし、お母さんな王妃様もニコニコだ。武闘派一家って感じだよな。
そこから数分、質疑応答みたいな時間が続いた。
◇◇◇
「では迷宮泊について説明します」
一通り質問が終わったところで、綿原さんが立ち上がる。
選手交代だな。俺も一旦座らせてもらおう。
「迷宮泊は言葉通りに迷宮で宿泊することを意味していますけど、要は迷宮にいる時間を少しでも増やすための行為です」
結局は綿原さんの説明に尽きる。迷宮に入っている時間を伸ばし、その分だけ魔獣を倒すために俺たちは泊るのだ。
戦場が四層ともなれば、片道一時間、狩場によってはそれ以上をロスすることになる。そこを勿体ないと考えたからこその行動だ。
「前提ですが、わたしたちは全員が内魔力量に恵まれていて、加えて【睡眠】を持っています」
「間近で見ていて呆れるくらいでしたわ。わたくしに魔力を融通しても、まだ余裕すら感じましたもの」
綿原さんの説明に、ティア様がすかさず乗っかった。
そんなティア様に苦笑を浮かべる綿原さんだけど、俺たちの内情は結構厳しい。技能が増えればできることが増えるのはいいのだけど、そのぶんの魔力が必要になる。
前回の迷宮でレベルアップしたメンバーの中には新規技能をパスしたヤツもいたのだ。
アウローニヤからの情報で内魔力量に恵まれているという『勇者チート』がバレていても、実は相反する一年一組の事情を侯爵家の人たちに伝えるつもりはない。
とはいえティア様の安全を確保する目途は立っているし、そこで目をキラつかせている悪役令嬢が十階位になれば、普通に戦力としてカウントできてしまう。護衛のメーラハラさんなどは言うまでもない。
「難点は素材の投棄が多くなることですね。これについては冒険者の流儀と反してしまいますけど」
「なんとかなりませんの?」
「明日ですけど『雪山組』を訪問して『荷運び』をお願いするつもりです」
午前中の組合事務所で『雪山組』の事務所番がいたので、渡りは付けてある。
依頼内容も伝えてあるし、手打ちになったとはいえ、あちらは俺たちに借りがある立場だから受けてくれるとは思うんだ。『雪山組』にだって利益になる話だしな。
「もうひとつは、迷宮の中でなるべく消費することですね。前回も『黒剣隊』におすそ分けをしました。積極的にばら撒くつもりはないですけど」
綿原さんの言うとおり、捨てるくらいなら胃袋に納めた方が余程マシだ。
素材をそのまま他者に譲るのは貢献点制度の絡みもあってご法度な冒険者業界だけど、加工品ともなれば話は変わってくる。
組合事務のマクターナさんにも確認は取ってあるが、ちょっとした賄いくらいならば問題にはならないそうだ。
「ミノリとシュンペイには期待していますわ!」
「はい。二人の料理は美味しいですから」
ウチの料理長と副料理長、すなわち上杉さんと佩丘を持ち上げるティア様に綿原さんも便乗した。
名を呼ばれた上杉さんは微笑んだままで、佩丘は難しい顔になっている。つまりはいつも通りってことだ。
迷宮の中でもちゃんとした料理ができるのを、ティア様とマクターナさんには見届けてもらいたい。俺たちの仲間は、こういうところでも凄いんだぞっていうのが一年一組の自慢ポイントだ。
「問題なのは就寝ですね。いちおう……、鳴子」
「うん!」
綿原さんに指名された元気っ子な奉谷さんが、壁際に陳列されている寸胴やバーベキューセットの横にある一年一組専用装備を取りに行った。
「はい、これ。布団みたいになるの、です!」
普段は胸部装甲クッションとして使っている折り畳まれたソレを、奉谷さんが声に合わせて展開していく。何度も繰り返した作業なので、彼女の手つきに危ういところはない。ウチのクラスメイトたちもキャンプに慣れたものだ。俺はインドア派だったんだけどなあ。
「迷宮に寝具を持ち込むか」
完全展開された厚手の外套はぶっちゃけ奉谷さんの身長を超えているので、下の端っこが床にくっ付いてしまっている。
それを見た侯王様は顎に手を当て身を乗り出すようにして愉快げに声を上げた。
冒頭では口を出さないなんて言っていたけど、質疑応答のあたりからは有耶無耶になっているな。
「二日目に疲れを残してもらいたくないので、ティア様とメーラハラさんには休んでもらいたいんですけど……」
「ええ、わたくしは眠らせてもらうつもりですわ」
素直に従ってくれるティア様は、どちらかといえば体験をしてみたいという雰囲気が強い。
だけど問題なのは──。
「わたしは大丈夫です。【体力向上】と【疲労回復】がありますので」
そう、メーラハラさんは護衛で、しかも意識が高いのはこれまでの付き合いで知っていた。
仮にだけど、本当に眠ってしまったティア様の横でメーラハラさんも一緒になって寝ているところが想像できないくらいだ。逆にティア様が起きている時にメーラハラさんが休んでいるのも思い浮かばない。
俺たちはその点を懸念していたのだけど、メーラハラさんから出てきた言葉は別の方向で意外なものだった。
護衛を専門にする騎士が【体力向上】を持っているのは珍しくないけれど、【疲労回復】なんて聞いたことがない。
俺たちの知っている限りだとアウローニヤの女王様と、彼女に付き従うアヴェステラさんくらいだったはず。要は後衛職の文官系の人たちってことだ。
メーラハラさんは一体全体、どんな理屈で技能を組んでいるのだろう。
次回の投稿は明後日(2025/05/03)を予定しています。