第490話 ベテランの風格
「事故ってしまってね」
「ええっ!?」
『オース組』所属の『黒剣隊』隊長にして大剣使いなフィスカーさんの言葉に、一年一組から驚きの声が上がる。
「あたしがやらかしたんだよ」
「……俺の見落としだ」
髪を黒く染めている短槍使いのシェリエンさんが苦笑を浮かべ、これまた苦い顔をしている斥候担当のギャルマさんが責任を主張していく。
とはいえ空気はそれほど悪くはないんだ。
なにしろ『黒剣隊』のメンバーは全員無事で、怪我をしたとか装備を失っているようには見えない。強いて言えば着ている革鎧が魔獣の血塗れなのに、ほとんど素材を担いでいないってところくらいか。
トラブルの原因となった二人をほかのメンバーが咎めている様子もないし、このあたりはベテランパーティの余裕なのかもしれないな。
「あの、こちらで食べていきませんか」
「いいのかい?」
迷宮事故と聞いてザワつく一年一組だけど、そんな中でも料理長の上杉さんは落ち着いたものだ。
湯気を立てている寸胴鍋に『黒剣隊』の六人をごく自然に招き入れてしまうあたりは小料理屋の面目躍如ってところか。
俺たちが冒険者になることができたのも、いくら大金を払った依頼だったとはいえこの人たちの案内があったからだし、拠点の警備も含めて今後とも『オース組』とは仲良くしておきたい。
なんていう打算を抜きにしても、『黒剣隊』はカッコよくて気の良い人たちだって知っているからなあ。ここは是非とも一息入れてもらいたいのだ。
せめてものってところだろうか、フィスカーさんたちはタオルみたいな布を水で濡らして、革鎧から血を拭い始め、それを見たアネゴで【熱導師】な笹見さんが、急いでお湯を作ってあげている。
軽く食事でもして、ゆっくり落ち着いてくれるといいのだけれど。
◇◇◇
「……変わった味だが、美味いな」
そんな感じでおすそ分けしたコンブ出汁のカニと白菜スープを口にしたフィスカーさんが、目を見開いて感嘆している。
俺たちと同じく入れ物のコップは『黒剣隊』の自前だ。こういう共通さが冒険者の嗜みっぽくていい感じ。
「こちらを使っているんです」
「これは?」
フィスカーさんの家族が料理屋をしているのを承知の上で、上杉さんがネタバレをかましていく。隠す意味もないからな。
手渡されたコンブを不思議そうに見つめるフィスカーさんの目は、結構マジだ。だけど料理番の上杉さんと佩丘は一歩進んで、粉末化を視野に入れているらしいぞ。
フィスカーさん以外の五人も、それぞれの表情で美味しそうにスープを飲んでいる。うん、こういう温かいスープって落ち着くよな。事故のあとならなおさらに。
「お湯に潜らせるとですね──」
「ふむ、そうやって使うのか──」
という心温まる光景はさておき、そろそろ事件の真相を知っておきたいんだけど。
「買占めは勘弁してくださいね」
そこは釘を刺すのか、上杉さん。
彼女がイタズラっぽく微笑んでみせれば、『黒剣隊』の六人も笑顔になる。
さすがは上杉さん、やるじゃないか。
◇◇◇
「『隠し扉』に引っかかったんだよね」
全員がカニスープで人心地ついたところで、黒髪のシェリエンさんが事故について説明を始めてくれた。
「床に罠があってさ、それを避けるようにして壁伝いに歩いてたらそこが、ね」
苦笑を浮かべるシェリエンさんだけど、たしかにそれは悪質だ。ダブルトラップみたいなもんじゃないか。
いくつか種類のある迷宮罠だけど俺が食らった『滑落罠』のほかには、這い上がることのできる『落とし穴』、逆にせり上がる『浮上床』なんていうのがある。
お約束な『毒ガス』、『ボルト』、そして『テレポーター』なんかは確認されていない。『山士幌へ』なんて書かれたテレポーターがあったら速攻で飛び乗るんだけどな。
で、シェリエンさんが引っかかったのは滑落罠の横バージョンだ。稼働する瞬間を迷宮で見たことはないけれど、忍者屋敷に在りがちなくるりと回る壁ってイメージらしい。
しかも一度稼働した迷宮罠は消失するので、事実上一方通行になる。
「近くに柱があったものだから、その部分が暗くなっててさ。迷宮も意地が悪いよ」
「それを見落とさないのが俺の仕事だ」
「まあまあ、それはもういいじゃない」
肩を竦めるシェリエンさんだけど、口数が少ない斥候職のギャルマさんの言っていることは、役割として真っ当だ。
宥めるシェリエンさんをはじめパーティメンバーは気にしていないようだけど、同じく罠検知担当として俺も身につまされるなあ。一度やらかしたこともあるんだし。
迷宮罠はほんの少しだけ色が違うので、時間さえかければハッキリと見つけることができる。
俺の場合は部屋を移動するたびに【観察】と【視野拡大】、【視覚強化】を使うので所要時間は一秒程度。完全に自慢ではあるが、それを怠って一度やらかしているからデカいことは言えたものじゃない。
ちなみに門の前後には罠は無いという経験則があって、扉を潜ったら即トラップなんていう地獄は設定されていないらしい。
ただし迷宮らしくやたらと装飾が施された柱とか梁があるので、死角となる箇所も出てくる。ギャルマさんが悔しがっているのはそういうちょっとした影の部分を見落としてしまった点だろう。
「よく合流できましたね」
滑落経験者の綿原さんが驚き顔のままで訊ねた。横では白いサメがピチピチしている。
一方通行の罠とはいえ、滑落トラップと違って横方向の移動なら難易度が変わってくるはずだ。
極端な例ならば、すぐ横に隣の部屋への扉があって数秒後に合流なんてケースも考えられる。
「それがね」
そこまで言ってからシェリエンさんはチラリとフィスカーさんを見る。
「ウチの隊長さんが凄かったのよ。倒れるあたしごと、隊の全員を罠に押し込んだの」
「すげぇ」
どうやらフィスカーさんのファインプレーが発生したらしい。
一年一組の面々からは歓声が上がる。滝沢先生までもが尊敬の視線を送っているくらいだ。
俺と綿原さん、上杉さんとミアが転落した時のように、トラップが稼働するのは数秒が精々である。ただしだれかが手を繋いで引っ張ったりした状態ならば罠は閉じない。迷宮は直接的に人を殺したりはしないってことだな。
そうでなかったら、近衛騎士総長との最終バトルの時に、俺の下半身は消し飛んでいたはずだ。仕様として知ってはいたが、実体験などするもんじゃない。
「引き戻せれば最高だったんだけどね。位置的に俺が一番離れていたからやむなくだよ」
謙遜するフィスカーさんだけど、これぞまさに正しい判断ってヤツだろう。
迷宮で恐れるべき事態のひとつに『分断』がある。
スマホがあるわけでもなく、通信系の魔術だって存在していない。せいぜいが【騒術師】な白石さんが使う【音術】か【大声】ってところだろうか。
罠に掛ったシェリエンさんは十三階位の騎士職だ。四層で活動するには十分なスペックと経験を持っている。だからといって単独ともなれば、たとえばもしも五体のカニに囲まれたら、まずアウトだろう。
それくらい分断系の罠はヤバいのだ。
さっきこの部屋に来た時、『黒剣隊』の人たちは魔獣の返り血に塗れていた。そういう区画を通ってきたのだろう。もしもシェリエンさんが一人でそういう状況に陥っていたらどうなっていたことか。
だけど六人は揃っていて、こうして生きている。フィスカーさんが成し遂げたのはそういうことだ。
先日救出した『雪山組』のウルドウさんの判断だって見事だった。五階位のフュナーさんが三層に一人で転落していたら……。
やらかしてしまった『ヤーン隊』には目をつむるとして、ペルマ迷宮の冒険者たちは優秀だよな。みんなからベテランの味を感じるんだ。
「そこからも大変だったの」
自分の体験に興が乗ってきたのか、シェリエンさんの口調は大仰になり、ズバっと背嚢から四層の地図を引っ張り出して広げてみせる。
「あたしが引っかかったのがココ」
地図の一点を指差したシェリエンさんが、そのまま壁表記の上を横断させた。
「うわぁ」
思わず声が出てしまった俺にみんなの視線が集中するけど、それどころじゃない。これは酷いな。
「やっぱりヤヅはすごいのね。そうなの、完全に別区画」
苦笑を浮かべるシェリエンさんだけど、彼女がフィスカーさんを持ち上げた真の理由が身に染みる。
ファインプレーどころじゃない。超スーパーファインプレーだぞ、これは。
なにしろ隣の部屋なのに、最短距離で合流できる地点が階段前の広間まで行かなければならない。
「そこ、今日はどの組も狩場にしてませんよね。階段まで最短で、三十三部屋……」
説明する俺の声は震えていたかもしれない。
狩場予約がされていなかったのを知っているのは、たまたま俺も候補に考えていた区画のひとつだったからだ。ほかの人が近くにいなさそうだな、っていう理由で。
「凄いんだね、フィスカーさんって」
ロリっ娘な奉谷さんが言う様に、一年一組の面々にも理解の色が広がっていく。
元々大剣使いということで、中二な心を持つクラスメイトから大人気のフィスカーさんだけど、好感度が爆アゲだ。
誇るでもなく、照れくさそうに短くした金髪を掻いている姿も、これまたカッコいい。
「だから素材が少なかったんだね」
そんな明るいムードに乗っかって、感心しきりだけど遠慮に欠ける夏樹が、悪気なくぶっちゃける。これには『黒剣隊』のみなさんも苦笑いだ。
本来ならば姉の春さんあたりから後頭部をひっ叩かれそうなものだけど、そうはならない。春さんも似たように素直タイプなので、夏樹が口にしていなければ、やらかしていた側かもしれないからだ。
冒険者のルールを調べていた時に知ったことだが、迷宮内でこの手のトラブルが起きた場合、狩りは中断して即地上を目指すのが基本なのだ。たとえ全員が揃っていたとしても、想定外が起きたならばってことだな。
この人たちはちゃんとセオリーを守ってここにいる。戦った痕跡は山ほどあったのに、素材をそれほど持っていないっていうのはその結果だ。
これができている『黒剣隊』と、そうでなかった『ヤーン隊』の違いがこういうところに出ている。伊達にベテランをやってはいないってことだ。
「ただね、道中で変な区画を見つけちゃったの」
「やっぱりそうだったんですね」
トラップとは別の一点を指差すシェリエンさんの言葉に、俺は納得する。ざっとシェリエンさんの地図に目を通した段階で気付いていたからだ。
『黒剣隊』の人たちが罠に嵌ってしまってから階段を目指す最短経路の途中に、明らかに手書きで一部屋が追加されている。
一見遠回りにも見えるルートなんだけど、そこが本当に最短だっていうのがまた凄いよな。どれだけ冷静に行動したんだろう、この人たちは。
問題なのは手書きのその部屋に、さらに複数の扉マークが入れられているということだ。
「一部屋だけ調べてきたってことですか」
「いちおう遭難中だったからね」
「そりゃそうですよね」
俺の指摘にシェリエンさんが肩を竦めて答える。
ぶっちゃけ一部屋だけでも調べただけ偉いと思うんだ。予定の行動中だったらまだしも、イレギュラータイミングだなんて、俺だったら怖くてスルーしていたかもしれない。
こうして時折迷宮は『成長』することがある。逆に衰退したという記録は見たことがないので、迷宮は拡大を続けているという解釈ができるのだ。『黒剣隊』はそういう現象を見つけてしまった。俺たち的には稀によくあるって表現できる事態だな。アラウド迷宮で二度もあったのだし。
ただまあ、四層ともなれば未踏破区画もそれなりにあるので、新発見をしようと思えばそこに赴けばいい。
ではなく──。
「あ、新しい魔獣とかは……」
「その部屋に魔獣はいなかったね。ギャルマの【気配察知】でも引っかからなかった」
上ずった声で草間が問うけれど、フィスカーさんはあっさりと返す。
たぶんだけど、フィスカーさんたちには実感が無いんだろうな。以前俺たちが『オース組』を訪問した時にアウローニヤでの戦歴を語ったものだが、その中には『鮭氾濫』も出てきた。というか主に俺が説明したんだけど。
一年一組が二回も見つけてしまった迷宮の変動。一回目は『鮭氾濫』で、二度目は『珪砂の部屋』だ。
ペルマの冒険者たちには新区画を発見したなんていう経験があっても、それが事件に繋がっていないんだろう。俺たちからしてみれば特大のフラグなんだけどなあ。ましてや四層だなんて。
「そこの魔力量が気になります」
「魔力量?」
「えっと、その部屋の」
「……すまん。俺は魔力を感じる技能を持っていないんだ」
新発見のヤバさ具合を重々承知しているメガネ忍者な草間がギャルマさんに確認するけれど、首を横に振られてしまう。
ギャルマさんは十三階位で前衛系斥候職の【探索士】。つまりアタッカーとして戦える側の斥候ってことになる。【気配察知】は基本として、【身体強化】、【視覚強化】、【視野拡大】、【遠視】、【聴覚強化】あたりは確定として、そこからは戦闘系技能とかなのかな。たとえば【鋭刃】とか【剛剣】あたりの。
考えてみれば、明確な魔力異常が起きていないペルマ迷宮で活動する冒険者たちは、【魔力察知】みたいに魔力を検知するタイプの技能を取っていなくても当然か。
「今回の新区画の件、組合に知らせるんですよね?」
「もちろんだよ。俺たちのやらかしも含めてね」
俺の問いかけにフィスカーさんは素直に答えてくれた。真面目な人だよな。
「魔力量を見ることができる者を調査隊に入れた方がいい、ってことかな?」
「はい。『一年一組』が言っていたって」
察しのいいフィスカーさんがこっちのセリフを先取りしてくれた。なので、俺は責任のありかを付け加えておく。
今回の四層で、草間は魔力部屋と呼べるような魔力増加を捉えてはいない。
たしかに三層よりは多めだけど、部屋ごとにちょっとした違いがあるってくらいで、今のところアラウド迷宮の様な露骨さは無いようだ。
シシルノさんと決めたアウローニヤの基準で表現すれば三とか四くらいだったので、十一なんていう数字になる『魔力部屋』みたいな場所は見つかっていない。
だけど、フラグを抜きにしても調べることくらいはするべきだと思うんだ。ペルマ冒険者組合の調査隊マニュアルがどうなっているのか知らないから、余計な助言かもしれないとしても。
本当だったらもう一歩踏み込みたいのだけど、そっちは多数決案件だし、伝言で申し出るようなことでもないからなあ。
「こんなところかな。俺たちはそろそろ戻るよ。予定時間を過ぎているし、これ以上は捜索願いを出されかねない」
手にした火時計を見たフィスカーさんたちが立ち上がる。
そんな大人たちの判断に、俺たちはもちろん口を出せるはずもない。
本当だったら素材回収談義とかもしたかったんだけど、状況が状況だ。さすがになあ。
「コレ、歩きながらでも食えるんで、持ってってくれ。です」
「ハキオカだったな……、ありがとう」
完全に立ち去るモードになっていた『黒剣隊』に、ヤンキーな佩丘が悪い顔をしながら手渡したのは、炭火で炙ったカニの足だ。
真ん中の関節で折り砕いたので一本は二十センチちょい。ひとりが食べる分量としては十分だろう。
冒険者用のグローブを嵌め直した彼らなら、普通に持っても熱を感じることはないはずだ。
「やっぱり君たちは楽しいね。今度実家の店を訪ねてくれると嬉しいかな」
「またどこかで会いましょうね」
「食事、ありがとな」
カニの足を持ちながら『黒剣隊』の人たちが軽く手を振ってから立ち去っていく。
「情報ありがとうございました」
「気を付けて戻ってください」
「また会いましょう」
こっちもクラスメイトがそれぞれの言葉でお見送りだ。
最後まで気のいい人たちだったな。あれぞ冒険者って感じで。
日本への帰還が最優先な俺たちだから、冒険者に染まり切るのもアレだけど、ここにいるあいだくらいは見習いたいものだ。
「さあ、おにぎりもできマシた!」
フィスカーさんたちの背中が階段に消えたところで、米を担当していたミアが大きな声を出す。
会談の最中も深山さんや藤永と一緒になって、黙々と作ってたんだよな。上杉さんもカニスープを追加作成していたし。
「さてさて、カニパーティだな!」
「最高だよね、カニ尽くし」
「ガンガン食べようぜ!」
トラブルに遭遇してしまった『黒剣隊』には悪いけど、一年一組の饗宴はもうちょっと続くのだ。
次回の投稿は明後日(2025/04/20)を予定しています。