第487話 カニカニカニ
「キモっ!?」
四層の広間にチャラ子な疋さんの声が響くが、皆の気持ちはひとつだ。
たしかにアレはキモい。
ガチガチと迷宮の床を踏み鳴らしているのは、ひっくり返ったカニとでも表現すればいいのか、ペルマ迷宮特産品たる【十脚三眼蟹】である。
文字通り五十センチくらいの足が十本もあり、食材的な意味で美味しい部位がたくさんあるのが魅力な魔獣だが、実際に動いている姿はなんというかこう……。
円形の甲羅は日本人の想像するカニとは表裏が逆になっていて、そこから左右五本ずつではなく、等間隔で十本の足がぐるりと取り巻いている。天を向いた腹からは長さ八十センチくらいの巨大なハサミが二本、横向きに伸びている。
本体はコマみたいに回転しながら移動するものだから、ブンブンと音を立ててハサミが振り回されている格好だ。
体は紺色で、弱点となるのは地面側の甲羅にある三つ目の中央部。これは硬そうだ。ちなみに毒はもたず、物理攻撃特化タイプの魔獣である。
「厨房で見た時は足と甲羅に解体されてたから平気だったけど、これってまるっきりモンスターだよな」
「宇宙怪獣だよ」
大盾を構えたイケメンオタな古韮がボヤけば、後方警戒をしながらもカニをチラ見している文系オタの野来も乗っかる。
迷宮の魔獣はベースとなった動物や植物の原型をとどめながら、決定的に違っているのが最高に狂っているのだが、カニもなかなか格別だ。十本の足を器用にステップさせてハサミを振り回しながら、上下動も最小限にこちらに向かってくる光景は、なんともおぞましい。それが五体も。
「後衛組のトドメは諦めよう。ミア、海藤」
あの様子からして後衛メンバーが短剣を刺せるような相手ではないと判断し、まずはアーチャーミアとピッチャー海藤に遠距離攻撃を要請する。
大迫力でこちらに迫ってくるカニどもだけど、速度はそれほどでもない。彼我の距離は十五メートルを切ったくらいだし、こっちの二人ならまず当てられる。
「イヤァ!」
「おらっ!」
すでに投射準備を完了していた二人は、俺のコールの直後に攻撃を行った。
十一階位のミアが放つ矢は真っすぐに、十階位の海藤の投げたボールは前衛の頭上を越えてから急降下して、吸い込まれるようにしてカニに迫る。両方ともが【魔力付与】によって魔力が乗った状態だ。
「シクりまシタ」
「硬い、な」
しかして結果は、ミアの鉄矢は回転するハサミに弾かれ、海藤のボールは胴体と足の付け根に当たったけれど、少々魔獣を揺るがせるだけだった。
たしかに硬い。そして安定している。攻撃力も恐ろしそうな感じだが、むしろ防御に優れたタイプかな。
「奉谷さん、海藤に【身体補強】。海藤、前に出てくれ。野来はこのままで」
「俺かよ」
「海藤の盾を信じてるからだよ」
「なあおい。俺の神授職って飾りなんじゃないだろうな?」
敵が五体で前にいる騎士は四人。盾が一枚足りない勘定だ。本来なら野来を前に戻すところだけど、ここは慎重にいきたい。純粋な防御力なら野来の方が海藤よりも上なので、後方警戒として残ってもらう。
グチを垂れる海藤に対するフォロー役は俺ではない。
「はい。がんばってね、海藤くん」
「ったく。あいよ」
ロリっ娘バッファーの奉谷さんから【身体補強】を受け、言葉も貰った海藤が前方に走りだした。
「藤永、深山さん、『氷床』。距離は藤永のとこから十二キュビ。深山さんは合わせて」
「っす」
「蟹には氷。ウン」
チャラ男な藤永が俺たちとカニのあいだに素早く水路から水を引き寄せてぶちまけ、ちょっと不思議ちゃんなコトを言う深山さんが素早くソレを凍らせる。
藤永・深山ペアお得意の技はピタリと息が合っている上に、積み重ねてきた熟練度もあってか、ものの数秒で見事なスケートリンクを作り上げてしまった。
直後、氷の上にカニが乱入してくる。
「効果薄?」
「ああ。つま先が尖ってるからかな。術師、各個判断で攻撃!」
これが牛や馬が相手なら確実に足を滑らせていただろうが、どうやらカニはそうではないようだ。
【冷徹】使いの深山さんがポヤっとした表情で小首を傾げているのを視界に納めながら、俺は術師たちに攻撃を要請する。
「音は、ダメか」
「うん」
真っ先にカニの背後で炸裂音を鳴らした【騒術師】の白石さんだったけど、相手は無反応。これはまあ、仕方ないだろう。
「食らえっ」
音に続いて物騒な掛け声とともに可愛い顔をした夏樹の放った石がハサミに当たる。
「回転速度が……、うん、落ちてる。夏樹、このまま続けてくれ。味方に当てるなよ?」
「当ったり前だよ!」
褒め口調で煽ってやれば、やたらと嬉しそうに夏樹は笑い、それに乗ったかのように石の動きが鋭くなっていく。逆側に当てて回転速度を上げたらどうなるのかな。転んだりして。
アネゴな笹見さんの熱、深山さんの冷気、藤永のスタンは効果あり。ただし若干といった程度なので、前衛が接敵したら無理をしてまで攻撃を続けることは止めでいいか。そんな状況を書記な白石さんがメモ帳にガリガリと記録していく。
二層の魔獣が相手なら、料理番の佩丘が推奨したように『綺麗な』倒し方を狙ったかもだけど、ここはあいにく四層だ。初見の魔獣だし、素材のことまで考慮はしていられない。
ついでにもう一射をしたミアだけど、そっちもまた弾かれた。決してミアは下手くそなんかではない。単にカニに弓は相性が悪いだけだな。
そして──。
「ダメ、ね。【魔力付与】でも通らない」
自慢のサメが全く通じなかった綿原さんは、ちょっとしょんぼりだ。
軽い敵や柔らかい相手ならば抜群の阻害効果を持つ綿原さんのサメだけど、硬い魔獣には通用しない。振り回されるハサミに触った瞬間に術がかき消されてしまっている。弱点部位の目玉にしても、十本もの足の向こう側なので、そこまで魔術が到達しないのだ。赤サメに切り替えても多分ダメだろうな。
「相性だよ。綿原さんは上杉さんのガードに回って。疋さんは前に出てくれ。ムチを千切られないように気を付けて」
後衛組で最強の防御力を誇る綿原さんにメインヒーラーたる上杉さんの護衛を任せ、カニ相手ならば確実に効果的な攻撃ができそうな疋さんは前衛を送りこむ。
「ふぅ、了解よ」
「りょ~かいっしょ」
俺の指示に二人はそれぞれの口調でちゃんと従ってくれる。ため息交じりな綿原さんだけど、一息で気持ちを切り替えてくれたようだ。
「ここから藤永は魔力タンクに専念。笹見さんと深山さんは防御に──」
戦いの舞台は前衛陣に移行する。
◇◇◇
「絶妙に高さが卑怯だよなっ」
整った顔を歪ませた古韮が、大盾でカニのハサミを弾く。
回転するハサミの高さはほぼ五十センチだ。普通に立っていたら膝から上、太ももに食らう形になる。対応する騎士たちは片膝を突いてしゃがむようにしながら大盾で受けるしかない。
俺たちが旨としている膝への攻撃が、逆に敵に実践されている状態だ。
速さこそないものの、硬くて低いカニはなかなか手ごわい。
「めんどくせぇ」
盾メンバーが必死に防御する中、【剛力】持ちでヤンキーな佩丘だけは、膝を落とし切ることもなく、大盾の下の部分で攻撃を受け止めている。あれは【広盾】も試しているな。
各自が初見の魔獣に、自分自身にできることを試していく。事前に資料から考えて、それを実戦で昇華させていくのだ。
頼もしいよなあ。
「八津くん」
「ステイだ野来。我慢してくれ」
野来が前に行きたそうに声を掛けてくるけど、そっち側になっちゃったかあ。騎士道精神っていうのは、盾で魔獣を受け止めるのとは違うと思うんだけど。
「僕は行かないよ」
「言わないさ。草間は手裏剣とか覚えられないかな」
「そんな技能は無いんだよねえ」
出たがる野来に対してメガネ忍者な草間は引け腰だ。
本人が一番分かっているんだろうけど、カニと草間は相性が最悪だよな。なにせ得意技が【気配遮断】で近づいてザックリなのに、コマみたいにハサミをぶん回すアレはちょっと……。
「立派だよね。みんなちゃんと防御できてる」
メモを取りながら前を見守る白石さんが前衛盾たちを褒めているけど、すぐうしろにいる野来にダメージが入るぞ、それ。
「そろそろアタッカー、どうぞ!」
五体のカニに対し、五枚の盾が対応できているのを確認したところで、そろそろこっちの攻撃ターンだ。滝沢先生が混じっているものだから指示が敬語になってしまうのはご愛敬。
「ええいっ!」
「あぁぁい!」
俺の声が届いたところで、まずは藍城委員長が一体のカニを押しのけた。すかさず頼もしい奇声が轟く。
ズドンという踏み込み音の直後にバキバキと、いかにもカニを割るような響きを立てながらハサミが折れて、飛び散った。
ミドルの軌道から斜めに振り下ろされたローキック。あれぞ先生の『脛斬り』だ。五十センチくらいの高さにあったハサミの付け根に放たれた右足による蹴りは、甲で一本、切り返した踵でもう一本を斬り飛ばす。たった一度のキックで、先生はカニの無力化にほぼ成功していた。
ハサミを失ったカニは、最早体当たりくらいしかできることはない。それでも回転しながら十本足で先生に向かって進むのだけど──。
「あぁぁぁあぁいっ!」
再び広間に叫びが響く。
懐までカニを招いた先生は腰を落として上から右の貫手を突き落としたのだ。十一階位の【豪拳士】による【身体強化】と【剛力】と、そして【鉄拳】を乗せた一撃。
十二分に強化された先生の指先は、カニの甲羅のど真ん中を突き抜けていた。つまり急所を反対側から貫いたのだ。
ああ、これをティア様に見せてあげたいなあ。
「ふぅぅぅ」
息を吐きつつ腕を引き抜いた先生の目の前には、足を畳みつつ崩れ落ちたカニだった物体が転がっている。
「お、お見事です」
「藍城君が回転を抑えてくれたからですよ。最高速に合わせるのは……、ひと手間必要でしょうね」
弟子みたいな口調になった委員長に、先生は平然と返す。そうか、ひと手間あれば一人でできちゃうんだ、先生。
びゅっと腕を振るって赤紫の血を払う姿が、滅茶苦茶カッコいいぜ。
「おらぁ」
先生が注目される中、今度は古韮がカニを押し飛ばす。
「しゅーぅ、しゃうっ!」
よろけるカニに滑るような歩法で距離を縮めるのは、美少女剣術家の中宮さんだ。
そこから彼女は先生が足でやったことを木刀で成し遂げた。さっきと同じように二つのハサミが宙を舞う。木刀なのに、どうして斬れるのかなあ。
やっていることは同じなのに、そこに至るまでの流れは大違いだ。なのに二人ともが『北方中宮流』ベースのスタイルなのだから、これはもう武術素人な俺の脳みそがバグるのも仕方がない。
「ミアっ!」
俺の心中などお構いなしに、ついでにハサミを失ったカニには目もくれず、残りの三体に意識を向けた中宮さんが、ヤツの名を呼ぶ。そう、ワイルドカードを。
「任せてくだサイ! イヤァァ!」
それは空から降ってきた。
細身でフラットな体を限界までのけ反らせ、距離は五メートル、高さに至っては三メートル近い跳躍。両手持ちした鉄製のメイスが背中に担がれている。最近は打撃でも【上半身強化】を使う様になった野生のエセエルフは、腹筋をフル稼働させメイスを振り下ろした。
「トドメは譲に譲りマス」
「そのネタ通算何回目だよ」
「百から先は数えていまセン」
甲羅をバキバキに砕かれて横倒しになったカニの傍に着地したミアは、未だ十階位の古韮にトドメを譲る。
本人としてはクールを気取っているのかもしれないが、実体は満面のドヤ顔だ。
「十年来だもん、なっ」
苦笑を浮かべた古韮がカニの急所に短剣を刺しこみ、二体目が沈む。
「アタシらはああいう芸当、ムリだからねぇ~」
呑気な声のチャラ子な疋さんは、見事にカニのハサミをムチで絡めとり、得意の【魔力伝導】で拘束中だった。
それでもジタバタともがくカニだけど、海藤が斜め上から盾で抑え込んでいるせいで動きが止まっている。
「いっくよー!」
そこに駆け込んできたのは両手に二本のメイスを装備した、スプリンターな春さんだ。
低い姿勢でダッシュしてきた彼女は、なんとカニのすぐ手前で足からスライディングした。いくら拘束されているからといって、五十センチの高さでバタついている巨大なハサミの下を潜るというクソ度胸たるや。
滑り込んだ春さんは左手のメイスでカニの足を二本同時に折り、それを反動にしてその場に停止したつぎの瞬間、今度は右手の得物でさらに二本の足を砕くことに成功した。
「もう一丁。ほら、海藤」
「よかったっしょ、海藤さぁ」
完全にバランスを崩したカニに【風術】をぶつけて転ばせた春さんは、これまた十階位の海藤にトドメを譲るようだ。
ムチで拘束を続けている疋さんが意地悪い笑顔で促す。
「はいはい。ありがとよ」
女子ばかりに活躍されてしまっている状況に古韮と同じような苦笑いになっている海藤が、それでも慎重に短剣を引き抜き、カニの急所に刺しこんでいく。
先生や中宮さんの薫陶を受けた一年一組は、刃物の扱いについては丁寧なのだ。
「草間、うしろは?」
「今のとこは大丈夫かな」
背後からのウズウズオーラがあまりに激しいものだから草間に確認をしてみれば、どうやら周囲はクリアらしい。
ならいいか。
「よっし、野来。海藤とスイッチだ」
「うんっ!」
俺の声を聞いた瞬間、【風術】を全開にした野来が、文字通り前に飛んでいく。そんなアイツの背中を見る白石さんの目は優しいのが、なんか羨ましいな。
一分後、戦闘は終了した。
◇◇◇
「治療が必要な人、自己申告でお願いします」
「美野里、ワタシの肩をお願いしマス」
「あ、俺も肘のあたりがちょっと」
後方から戦闘終了を見届けた上杉さんが治療を必要とするメンバーを募集すると、アホな挙動をやらかしたミアと、ワリと普通に頑張っていた古韮が名乗り出た。
ミアはともかくとして古韮もとなれば、やっぱりハサミの打撃力は結構なものなんだろう。カニの相手に後衛職は出しにくいな。
「盾の枚数までならイケるかな」
「わたしと先生、それと朝顔ちゃんも勘定に入れてくれてもいいわよ」
「えぇ~、アタシもかぁ」
「となると九体か。食べ応え十分だな」
上杉さんと田村による治療も終わり、一年一組はまだまだ元気いっぱいだ。
主に足を千切る形でカニの解体作業をしながら、今さっきの戦闘をみんなで振り返る。
ちなみに倒した内訳は先生と海藤、佩丘が一体ずつで、古韮が二体。これは先生以外が十階位の前衛というのが理由だ。結果として誰の階位も上がらなかったけれど、古韮あたりはそろそろだろう。
勢いでカッコよくカニを貫いてしまった先生は、この結果にちょっとバツが悪そうだけど、全然問題ない。むしろ先生には早いとこ十二階位になってもらって、さらにはその先、つまり十三階位を目指してもらいたいのだ。
迷宮業界でひとつのゴールとされる四層限界階位。俺たちはそれが見えるところまで来ている。
アウローニヤの人たち、とくに戦技教官だったヒルロッドさんに伝えたら、喜んでくれるかな。
「挟むようにして、盾二枚が安定だろ」
「ハサミだけに?」
「そういや大使館じゃハサミは無かったけど、コレって食べられるのかな?」
倒した五体のカニの内、甲羅がダメになったのが三体。足が砕けてしまったのが十八本。なんとハサミは全部が無事で、これが食べられるとしたら、一回の戦闘だけでまるまる二食分になるくらいの食材が手に入った勘定になる。しかも高級食材とされる四層のが。
さすがはカニだ。地球でも異世界でも高級食材なのだから。
「凍らせて縛っとくか。いや、何本かは昼飯に使えるから、全部でなくてもいいか。深山、頼む」
「ウン」
「割れた甲羅も出汁に使えそうですね」
料理担当な佩丘と上杉さんに混じって、冷凍係の深山さんも素材の選別を頑張ってくれている。
そうか。今日は昼からカニなのか。素晴らしいじゃないか。
「あ」
カニの予感にクラスメイトたちが湧き上がってるそんな時、小さく先生の声が響いた。
滅多にあることではないので一瞬にして全員が先生に注目し、浮かれたムードは一気に消え去る。
「新しい技能候補が……」
「おおっ!」
先生の言葉に、カニとはまた別方向で場が沸騰した。
この世界のシステムは、技能が候補に出ても取得しなければノーコストだ。資料では消失やストック制限も確認されていないので、おそらくノーリスクでもあるはず。
ましてや一年一組は発現した技能が身内で連鎖しやすい、たぶん『クラスチート』が機能しているから。ほぼあり得ないとは思うが、たとえ先生に不向きな技能であっても、ほかのヤツなら有益ってケースだってあるのだ。
「それがその……、【握力強化】が」
なにそれ、凄く欲しいんだけど。
次回の投稿は明後日(2025/04/14)を予定しています。