第481話 魔族という存在
『新しい食材を楽しめないのが名残惜しいですわ』
感動のハンカチ贈与が終わってすぐ、ティア様とメーラハラさんは城に戻っていった。
なんでも今夜は貴族たちとの晩餐会に出席するのだとか。侯爵令嬢も大変である。
お二人は不要と言ったのだけど、【聖騎士】の藍城委員長、【豪剣士】の中宮副委員長が護衛として、ついでに【忍術士】な草間は隠密チックに【気配察知】と【気配遮断】を使って同行し、そんな三人はついさっき帰ってきたところだ。
「マジかよ」
その声は俺の口から出たものだった。
ティア様の残したセリフにあった『食材』なんだけど、どうやらヤンキーな佩丘が笑っていた理由は、ティア様の行いではなくこっちの方だったらしい。
食堂のテーブルの上には、白い結晶が浮かぶ黒い物体が鎮座していた。
「砕いたのを味見させてもらったんで、大丈夫だ。干したコンブで間違いねえ」
「コンブらしき物体、だけどね」
「うるせえよ、野来」
副料理長を拝命している佩丘は、コレをコンブと言い切った。
野来が茶化すけど、佩丘は一蹴する。だけど新食材、しかも和風方面なものだから、ヤンキーの威圧は軽い。先日の焼き干しに続く大成果だ。
「売り子さんの言っていることが本当なら、コレは迷宮産ではありません」
「海があるところから持ち込まれた、ってことかな」
出所を説明する料理長な上杉さんは、佩丘と違って普段通りの小さい微笑みだ。
それを聞いた委員長が顎に手を当て考え込む。複雑そうな表情だけど、どうしたんだろう。
「海。海かあ」
海というフレーズに、ポヤっとした深山さんが陽キャなコトを言い出した。
とはいえ、深山さんはなにも海水浴をしたいと言いたいのではないのだろう。【氷術師】の深山雪乃さんは、文字通り雪が似合っても真夏の太陽の下でっていうイメージが湧かない。それともチャラい藤永と連れ立ってっていうパターンもあるのかな。
山士幌は内陸部の町だ。身内の雑談でも出てきたことはあるが、海水浴文化はあまりない。家庭の事情次第で、夏に一度か二度でも多いくらいだとか。ちなみに酒季姉弟の家と、ミアのカッシュナー家が該当する。
俺は札幌育ちで海は近いのだけど、インドア派なので年に一回ってところかな。
海水浴はさておき、むしろ俺たちが求めているのは海産物だ。カニやタイはペルマ迷宮で入手できるが、ほかの魚やエビだって食べたい。干しコンブがあるならば、カツオ節だってあるかもしれないし、もしくはホタテの貝柱とか。
「高かったのかい?」
温泉宿の娘な笹見さんは、仕入れ価格が気になったようだ。
なにしろここは山に囲まれたペルメッダだ。迷宮に生えていたのでなければ、遠方から運び込まれたモノとなる。
この世界の物価は迷宮産でない限り、地球以上に距離で大きく変動するのだ。
「これだけで一万五千ペルマでしたね」
「高級食材だねえ。けれど、日本でも」
「ええ。天然ものなら、これくらいは」
上杉さんと笹見さんによる物価談義であった。片や小料理屋の娘さんで、もう一方は温泉宿の娘。高級な食材とは馴染みがあるのだろう。コンビニ娘の綿原さんには縁遠いのか、サメと一緒に首を傾げている。
折りたたまれて紐で縛ったコンブの束は、さっきチラっと手にした時の感覚では一キロもなかったと思う。
料理の仕方によって使う量は変わるのだろうけど、俺の感性からすればコレが一万五千とか、超弩級高級食材だ。カニとかウニとかイクラとかカズノコとか……、そういうレベルの。まあ、カニは迷宮にいるんだけどな。
それとだけどアラウド迷宮のシャケからイクラは採れない。迷宮の生物は総じて卵を持たないからだ。妙なところで律儀な法則である。
「ペルメッダには海がありませんから、輸送代が高いんでしょうね。ところで──」
ここで上杉さんが言葉を区切った。なんとなく上杉さんらしくない語り口で、真顔になっているんだが。
買い出し組だったクラスメイトたちの様子もおかしい。
妙な空気に嫌な予感が浮かび上がった俺の目の前を、綿原さんのサメが視界を遮るように泳いだ。このサメ、海の近くならパワーアップとかしたりして。
待ておい。海、そうか、海なんだ。
「聖法国は論外。だったら北、か」
口を開いた委員長はとっくに気付いていたんだろう。
この時点でわかっていないように見えるのは、藤永と深山さん、笹見さんだけだ。
ペルメッダから遥か西に位置する聖法国アゥサは海に面している。だけどペルメッダとアゥサのあいだにはアウローニヤがあるのだ。ただでさえアゥサとアウローニヤは関係性が薄いのだから、ペルメッダともなればほぼ没交渉だ。ならば一番近い海は北側となる。
ペルメッダの北にある国といえば──。
「魔王国。コレを持ち込んだのは『魔族』なんだね?」
「そうらしい。いちおう聞き込みはした」
決定的な単語を繰り出した委員長に、寡黙な馬那が答えた。
そうか、きっかけがコンブだったというのは微妙なところだけど、ついに魔族との接点が見えてしまったのか。
「それよりメシにしようぜ。話はあとでもできるだろうが」
一気に緊迫ムードになったけれど、それを佩丘が霧散させる。
「今日は鍋だぞ?」
ニヤっと笑う佩丘だけど、お前、早くコンブを使いたいだけなんじゃないだろうな。
◇◇◇
「美味しいね!」
「ますます醤油が欲しくなるけどね」
ロリっ娘な奉谷さんがニパっと笑い、釣られた草間も言っているコトとは違って嬉しそうだ。
食堂の大テーブルの中央には大きな土鍋が湯気を上げながら四つ並んでいる。対面に座った十一人ずつが近くの鍋から好き勝手に個人用の小ぶりな土鍋に自分の分をよそっていくスタイルである。
四層で採れる高級食材な白菜、近くの山に生えているらしい各種キノコ、そして迷宮産カエル肉のツミレ。これをコンブと、普段より薄くした鶏ガラ出汁で煮た鍋だ。
口に入れてみれば、なるほどちょっと和風な感じが増した気がする。ちなみに出汁に使ったコンブは一口サイズにカットされて、鍋の具として泳いでいる。
土鍋については元々アウローニヤで米を炊くために作ってもらった一年一組用の特注品だったので、当然とばかりに荷車で運んできた。
今となっては拠点にある数少ない陶器の一部である。ペルメッダの皿が高いのが全部悪い。
「前から思ってたんだけど、普通のテーブルに椅子と鍋って合わないよな」
「そうか? ウチなんてずっとこんな感じだけど」
「ローテーブルって見ないけど、この世界にあるのかな」
「王城の廊下に小さいのなら。ほら、花瓶を置いてたの」
「脚を落とすだけだし、特注?」
「職人さんに怒られそう」
魔王国やら魔族の話は一旦置いておく感じになったので、食事中の雑談はワリとどうでもいい内容だ。
「なんであっちの鍋は一緒じゃないの?」
「そんなもん、シメの雑炊に決まってるだろうが」
テーブルの端に蓋を被せたまま放置されている土鍋を見ながら弟系の夏樹が訊ねると、佩丘からの返事はシンプルで最高なモノだった。
「卵もだよね!」
「当たり前だ」
必死な夏樹に対し、佩丘は腕を組んでふんぞり返る。それを見る上杉さんがクスリと笑っているけれど、あえて卵をキッチンに隠していたのは仕込みなんだろうなあ。
普段は真面目なクセに、こと料理となると、こういう演出を入れてくる二人なのだ。
ともあれ、食堂はクラスメイトたちの歓声に包まれた。
◇◇◇
「店員は直接会ったことはないそうだけど、相手は『猫耳族』らしい」
「ぷふっ」
「……なんで笑うんだよ」
ガタイがデカくて寡黙な筋トレマニアの馬那から飛び出した単語に、一部のクラスメイトたちが噴き出した。俺もだけど。
困った顔で馬那は抗議をするが、受け付けられないだろ、それは。笑うに決まってる。
食事も終わり場所は変わって、ここは談話室だ。フィニッシュの雑炊は最高だったな。
新しいカーペットはまだ目途が立っていないので、みんなは地べた組とテーブル組にわかれて適当に座っている。
そんな中で一人立ち上がっている馬那だけど、何故かといえば地理担当という立場があるからだ。弁えているのか、聞き込みもしてくれたらしいし。
役どころとしては上杉さんも近いのだけど、彼女は文化方面をメインにしているので、今は見物側だ。
「まあまあ。続けてくれ、馬那」
「……『彼ら』は内市街には入らないそうだ。外市街のどこかで荷を物々交換しているらしい」
委員長の取り成しを受け、渋い顔のままだけど馬那は説明を再開した。
「交易品……、しかも海産物っていうのがあると、実感が湧くね」
馬那の説明に委員長が合いの手を入れる。
さて、ここで地理と歴史と政治だ。
ペルメッダは交易を大切にしている国であり、その対象となるのは西のアウローニヤ、南の帝国たるジアルト=ソーン、そして北の魔王国。アウローニヤと帝国は敵対していて、魔王国はアウローニヤと帝国とは国土を接触させていない。
そこでペルメッダがあいだに入り、周辺三か国を相手に貿易で稼いでいる。
つまりペルメッダ侯国はアウローニヤと違って、魔族を排斥しているわけではないのだ。だけど──。
「内市街に入ってこないって、嫌われてるってこと?」
草間が口を挟むが、必要といえば必要な情報だ。俺たちにとってはとくに。
けれども馬那は困った顔で周囲を見渡す。わかってないってことか。
「どっちがだ?」
「んーと、どっちも?」
「そうだよな。そこがいまいちわからないんだ」
曖昧なやり取りをする馬那と草間だけれど、意思は伝わってきた。
この国でも勇者伝承は根強い。しかも勇者に友好的な形で。だからこそ冒険者たちのあいだで髪を黒く染めるなんていう行為が流行しているのだ。
それについてはまあ、俺たちがアウローニヤに召喚されたっていう噂が後押ししているのだけど。
そして勇者の伝説といえば『魔族との闘争』。この地は魔王討伐のために勇者が立ち寄ったとされている。
だからこそ魔族はペルメッダの人たちから嫌われているのではないか、そして逆もまたしかりなのではないかということだ。
そもそもペルメッダ侯国は三十年前までアウローニヤ王国ペルメール辺境伯領だったわけで、当然当時は魔王国との交流など存在しなかった。帝国の後押しで独立を勝ち取った初代侯王様がペルメッダを交易中間国家として成立させるために、魔王国と接触したというのが歴史となる。
そう、この国の人たちだって魔族だって、貿易を始めて三十年も経っていないのだ。それまでの悪感情は、現状でどんな風になっているのか。
一年一組としては、是非ともそれを知っておきたい。
「この手の話は資料に残るものじゃないだろうし、マクターナさんとか『オース組』に聞いてみるのもいいかもしれないね。それとスメスタさんやティア様も、かな」
委員長の提案に皆が頷く。
魔族の存在は知っていたものの、ペルメッダに入国してからの一年一組は冒険者として認められることに注力してきた。どう考えても立場と生活を安定させることが最優先だったからな。
そこにきて、コンブ経由という微妙な情報とはいえ、リアルに魔族の存在が検知されたのだ。
「仲良くできたらいいのにね」
「関わるのは微妙だぞ。敵対されたら面倒くせぇことになる」
持ち前の性根が光属性な奉谷さんと、捻くれた田村の意見にはどっちも同意だ。
五百年前に先代勇者たちは魔王に挑んだとされている。
故に、俺たちとしては魔族に興味を持ってはいるものの、進んでお近づきになり難いという、非常に微妙な状況なのだ。
だってそうだろう、相手は魔族だ。もしも超長命種族が混じっていたとしたらどうなるか。五百年前の出来事とはいえ、当時を知っている人がいるかもしれない。
自分たちに襲い掛かった連中の係累がここにいると知られたら、どういう行動を起こすか想像できないのだ。
そう、『長命種』である。
「しっかし『猫耳族』ときたか」
「わたし、会ってみたいかも」
口元に厭らしい笑みを浮かべた古韮はイケメン顔が台無しだし、メガネをギラつかせる文学少女な白石さんはガチだ。
俺もそうだけど、異世界オタからしてみればなんとかしてお会いしたいんだよな、魔族の人たちと。
俺たちが知る限り、目に見えない魔力やらを除けば、魔族の存在は現状『地上における唯一のファンタジー』だ。
すぐそこを泳いでいる白いサメはさておき。
それくらいこの世界の地上は地球と同じとしか思えない。月と太陽、空気、植物、動物、そして人間。委員長をして異常、もしくは同じである正当な理屈が存在しない方がおかしいと言わしめる、そんな世界なのだ。なにしろコンブもあるんだし。
そこに混じったファンタジー要素。しかも『猫耳族』だぞ。是非ともお目にかかりたい。
アウローニヤで見た資料には、彼らの姿かたちを描いた絵もあった。コレ絶対誇張してるだろっていうくらい邪悪なイメージなヤツが。ティア様とどっちが上だろう。
とはいえ魔族といっても額に角が生えていたり、背中にコウモリみたいな羽が生えているテンプレではない。むしろ──。
「今さらだけど、普通に『エルフ』だよな。なんだよ長耳族って、ベタなのは」
今回の話し合いのためにテーブルに置かれた絵を見た古韮が半笑いになっている。
そう、俺を含むオタグループが長命種を想定したのは『長耳族』の存在だったりするのだ。
あくまで物語のテンプレでしかないから無用の心配になる可能性も高いけれど、いちおう念頭には入れておきたい。
もちろんクラスメイトたちと意識は共有している。
「なんだかやたらと可愛いけど、八津くんの主観入ってるのよね、これ」
サメをフヨフヨさせている綿原さんが疑わしそうに見ているのは、まさに話題に上った猫耳族のイラストだった。
可愛いだろ? 猫耳系獣人美少女だぞ。
魔族の似顔絵というか、特徴を描いたこの絵だけれど、実は俺の手によるものだ。忘れられていると困るのだけど、俺の特技のひとつである。
で、あんまりに悪意溢れていたアウローニヤの資料を、多少マイルドにしてアニメチックにしたのが目の前に置かれた魔族設定資料集である。
悪意に満ちた妄想で描かれた資料を俺が反対側の思想で描いたものだから、どれくらい実物に近いのかは正直自信がない。最低限の特徴だけは残したつもりだけど。
けれどもだ、可愛いは正義なのだから仕方がない。
「綿原さんだって、可愛いサメイラスト描くだろ?」
「そうね。……その通りよね」
チョロいな。会話の中にサメを絡めたら詐欺の被害に遭いそうだ。
俺も気に掛けてあげないと。サメ詐欺っていうのがどういうのか、ちょっと想像できないけれどな。
「えっと『犬耳族』と『猫耳族』は獣人系で、『長耳族』がエルフ。『矮躯族』がドワーフか著作権的にアレな種族。『巨体族』はモロにオーガだな。ゴブリンとオークっぽいのがいないといいけど」
つらつらと古韮が並べていくが、なにしろ五百年前にアウローニヤと離別した種族だ。
要は湖を割ってのけたとかいう勇者と同じレベルの伝説である。本当にいたのかどうか怪しいような資料がてんこ盛りなのだ。
ただし聖法国アゥサは魔王国と絶賛戦争中なので、あちらの主力である『巨体族』の実在は確認されているし、リアルな絵も存在している。小さい角を二本生やした身長二メートル超えのまさに巨人で、それでも目玉が二つに鼻と口と耳は人間と同じ位置。腕と足が二本で、直立歩行をする。
俺たち的にはこの時点で、魔族と呼ばれている人たちは迷宮とは別のナニカだと考えてしまうのだ。
「そしてなにより、『会話が通じる』」
「それなんだよ。フィルド語が使えるって話だ」
肩を竦めた古韮が重要な点に触れ、聞き取り調査をしてくれた馬那がソレを保障する。
事前の情報通りではあるのだけど、この時点で一年一組としては敵対なんて絶対にゴメンだぞ案件となったのだ。会話の通じる相手と喧嘩なんてしたくもない。
「それにしてもなあ。なんで『魔族』になんてしちゃったんだか」
「地球だって宗教の違いで悪魔呼ばわりなんて、いくらでもあるからね。ここまで姿かたちが違えば。それに……」
敵対さえしなければ、できることなら猫耳族と会ってみたい気分になっている俺がボヤいたら、委員長が元の世界の現実に触れてきた。そして、言葉を濁す。
「『神授職』ってなんなんだろうな」
委員長が口にしなかった続きを、俺は思わず零してしまうのだ。
俺たちからしてみれば、悪口混じりだとしても亜人種っていう表現くらいでいいんじゃないかと思ってしまう魔族の定義、それは明らかとされている。
彼らは神授職と階位を持たない。すなわち『神に見放された』存在なのだ。
次回の投稿は中二日空けて(2025/04/01)を予定しています。申し訳ありません。