第478話 それぞれのステゴロ
「なんで、避け、れるっ」
「目には、自信が、あるんです」
黒髪同士の攻防は、基本的に俺が避けの一辺倒だった。
交わされる会話の中で、俺が捌いたパンチは二発。どうやらこの人はそれ以外の攻撃手段を持っていないようだ。しかも大振りなものだから、起こりが丸見え。
あちらは六階位で俺は十一階位という差があるが、こっちは後衛職だ。身体能力は外魔力込みで五分かそれ以下。【身体強化】の分だけ向こうが上って感じだろう。
とはいえ黒髪碧眼のお兄さんは【剣士】だ。素手ともなると間合いからなにから、勝手が違って当然だろう。普段から喧嘩慣れをしているなら話は変わってくるかもだけど、どうやらそんな雰囲気ではない。
それこそティア様みたいにタックルを仕掛けられるのが俺にとって一番恐ろしいのだけど、そういった素振りは全くないんだよな。泥臭さに欠けているというか、ティア様の方が遥かに勝ちに貪欲だ。
パンチにしたって、せめてボディを狙ってくれば俺も苦しいところなのに、軌道は頭ばかりに向かってくる。これが作戦だとしたら大したものだけど……。
よーいドンで四組の模擬戦が始まって、まだ二分も経過していない。
俺についてはとりあえずこのままの展開が続けば、余裕すらあるといえるだろう。せっかくの機会だし、もう少し相手の出方を見てみようかな。
俺今、ナメプで大恥をかくフラグを立てたか?
ま、まあいい。ほかの三組についても決着はついていないんだし。
一度【視覚強化】を解除して、代わりに【視野拡大】のスイッチを入れる。【観察】はもちろん【反応向上】と【一点集中】、【目測】は外せないけど、この状況で【視覚強化】にそれほどの意味はない。
こういう思考もフラグ建築か。ヤバいぞ俺。
さておき、まずは綿原さんだ。
「だらぁっ!」
綿原さんの対戦相手は同じく女性で、背の高いお姉さん。剣士系で体つきはシッカリしてるけど、繰り出す攻撃はやっぱり単調だ。
ちなみにゴツい声を上げているのは綿原さんの方で、相手のお姉さんは無言でパンチを放っている。
そんな綿原さんは被弾はしていないし、しそうな様子もない。
俺が見ながら避けるスタイルならば、綿原さんはまさに見てから躱す人だ。俺との違いは【身体強化】や【身体操作】の有無だけじゃない。彼女の凄いところはそこに技術が伴って、実戦で活用できていることだ。
とにかく足捌きを基本にした体の使い方が上手い。そもそも天才肌の綿原さんはクラスの中でもいち早く『北方中宮流』を習得しつつある。頭ではどうかは知らないが、体が覚えてしまっているのだ。
「なんで当たらないのよっ!?」
「避けてるからです。だっらぁ!」
アレはダメだ。焦って大振りになればなるほど、綿原さんに攻撃は届かない。
普段ならばヒーターシールドで弾いてからの展開が綿原さんの基本スタイルなんだけど、盾無しでも余裕で敵の攻撃を捌きまくっている。ノリノリだなあ。
彼女が肩に乗せている小さな白いサメはピクリとも動かない。まるでマスコットのアクセサリーみたいだ。
それでも彼女は綿原さんだ。アレからサメパワーを供給されながら戦っているに決まっている。謎のブーストがかかっているはずだ。少しはこちらに分けてもらえないだろうか。
「どらぁぁ!」
「くっ!?」
ひときわ大きくなった空振りの隙を付いた綿原さんが、低い姿勢から相手の脇腹に右の掌底を叩き込んだ。
ダメージにはならない程度の攻撃だけど、体勢を崩してしまえばそこから先は──。
「あ、あだだだだだ!?」
「ここまででいいですよね?」
「痛い、痛い! 降参するからぁ!」
お姉さんの左手首を掴んだ綿原さんが、器用に腕を捩じり上げた。
以前、アウローニヤの迷宮調査会議でシャルフォさんたちヘピーニム隊と対戦した時に、滝沢先生が見せた技とよく似ている。
相手のお姉さんは、完全な泣き声で降参を叫ぶ。可哀想に。
俺たちは先生と中宮さんから、対人戦で相手を無力化するための技を教えてもらっている。
筋トレや柔軟を含めた体作り、そこから対魔獣として盾を使った守備、下段へのメイス、短剣を使ったトドメ。一年一組はこんな感じで練習をしているのだけど、少しずつ対人戦要素を増やしている途中だ。その中には相手に怪我を負わせることなく大人しくさせるという、俺たちからしてみれば余裕ぶった技術も含まれるようになった。
アウローニヤのクーデター前なんて、対人戦の基本は敵の足を砕きましょう、とかだったからなあ。
そんな経緯でクラスメイトたちはそれぞれの体格や技能を含めた力に合わせた技を練習している。そこで極端に差が出る原因になったのが【身体強化】や【身体操作】、【反応向上】の有無と、あとはセンスなんかだ。さらには性格を含めてもいいかもしれない。
チャラ子な疋さんなんかは嬉々として絞め技を頑張っているくらいだから。
今回先生が素手を提案したのって、実戦練習にちょうどいいって部分もあったんだと思う。
ティア様が相手だと、やれ実験台にしたとか、手抜きするなとか怒られそうなので、大っぴらにはできなかったし。
そんな中、ある程度のサブミッションを使えるようになっているのが綿原さんだ。実戦レベルの技なのだと目の前で証明してみせたし、ホント、体を動かす系の飲み込みが早いんだよな。
暴力系ヒロインじゃないのは知っているつもりだけど、怒らせないように気を付けよう。彼女はサメ系ヒロインで頑張ってもらいたい。
「ありがとうございました!」
「え? あ、はい」
タップされてすぐに技を解き、にこやかに挨拶した綿原さんは、俺の方をチラ見してからドヤモチャっと笑って観客側に歩いていく。対戦したお姉さんは唖然とした表情だ。
これこそ俺つえぇならぬ、サメつえぇか。
「綿原に負けてられねぇな」
「っす」
そんな結末を見てほかの三組は一時停止していたのだけど、田村と藤永は気合を入れ直したようだ。
もちろん俺も負けてはいられない。
◇◇◇
「いい加減にっ!」
ほかの面々に比べて明らかに動きの遅い俺だけど、そんな相手に一発を入れられないことに焦ったのか、黒髪碧眼お兄さんはこれまで以上に大きい動作で左足を踏み込んだ。
遅れて右の拳が飛んでくる。動きが大きいということは、そのまま威力が増していることを意味するけれど、当たり前な判り易さもそこにあった。
対応するならここだよな。
負けじと俺はゆっくりだけど、半歩だけ前に出た。狙われている顔面は、上体を斜め前に傾けることでスカしてみせる。
さんざん見てきたお兄さんのパンチだ。射程距離と軌道は憶えたぞ。撃ち終わった時点での頭の位置も予測できるくらいに。
「しゅっ」
ちょっと中宮さんっぽい掛け声と共に、俺は左腕を差し出す。手のひらは開いたままでいい。
「がっ!?」
ガツンと左手に衝撃が来て、同時に痛みも走るが、相手はそれどころではないだろう。
顎のあたりに俺の掌底を食らったお兄さんがうめき声を上げて、そのまま後頭部から地面にたたきつけられた。
繰り返しになるが、俺は遅い。だったら相手の速さに頼るのみだ。
打撃力は向こうの速度に任せ、こっちは軌道上に手を置いただけ。俺は衝撃を覚悟して、耐えられるように踏ん張る体勢でコトに挑んだが、あちらはそうもいくはずがない。パンチを振り抜いた瞬間に、自分から棒に突っ込んだようなものだ。
反動でぶっ倒れたお兄さんは、どう見ても気を失っていた。戦闘中だったはずののこり二組も含めて、場の全員が凍り付いたようにこちらに注視している。生きてるよな? 無事だよな?
本日二度目の一時停止だ。さっきの綿原さんの綺麗なフィニッシュと違い、今回は完全なる試合中断。サーヴィさんが薄笑いで砂時計を横に倒している。なるほど、そうやって時計を止めることができるのか。
って、それどころじゃない。
「あ、えっと、大丈夫ですよね?」
慌てて【視覚強化】もオンにして確認してみれば、お兄さんの呼吸と心臓が動いているのが確認できた。ひとまずは胸をなでおろす。良かった、本当に良かった。
「動かさないようにしてください」
「あ、はい」
近くで俺たちの戦いを見守ってくれていた先生がすぐさま駆けつけ、ぶっ倒れているお兄さんの様子を覗き込んでいる。
【聖盾師】の田村は立ち止まってこっちを見ているけれど、いちおうは戦闘の当事者だし、ここは我らが聖女な【聖導師】の上杉さんに来てもらうか。
いや、あっちには『ヤーン隊』の正式なヒーラーとしてフュナーさんがいるんだし、任せた方がいいのか。
ウルドウさんもこっちに向かってきているし、この場は引き継いでもらうとしよう。
「八津君の手首も治療しないといけませんね」
「え? あ、あれ?」
「折れてはいないようですが」
先生の視線は俺の左腕に向いている。そこで初めて手首の付け根が腫れていることに気付いた。同時に痛みもやってきたので、慌てて【痛覚軽減】を入れる。
やってしまったかあ。指を折らないように掌底を使ったのに、それでもこれだ。つっかえ棒みたいに腕を使わないと衝撃が逃げてしまうから、この戦法は諸刃の剣ってヤツなんだよな。
もう少しだけでも精度を上げて行かないと。
「やりましたね。見事な『観察カウンター』でした」
そんな風に考える俺の思考を読んだのか、先生は素直に褒めてくれた。くすぐったい。
「俺的には『一閃』とか『瞬撃』とか考えてたんですけど」
「……そうですか。八津君らしくていいと思います」
やったぜ、認めてもらえた。だけどなぜ先生は生暖かい笑顔なのかな。先生って、こっち側だったはずなのに。溺愛系だとノリが違うんだろうか。
「ったく、ヤヅは芸達者だな」
呆れたように笑うウルドウさんだけど、そちらのメンバーが気絶しているんだから、もうちょっと慌ててもいいと思うのだ。
「タキザワ組長の教えだったか? 立派なもんだ」
「いえ。生徒たちが優秀なだけです」
「そうか。いい組だな。俺もコイツらを鍛えるとするさ」
黒髪お兄さんを見下ろしたウルドウさんがいい感じに笑っているけど、まだ二組残ってるんだよなあ。フュナーさん、早く治療を。
「二抜けだ、田村、藤永。あとはよろしくな」
「ちっ」
「っす」
クラスメイトの輪に加わりながら、俺は二人に声を贈った。田村が舌打ちをしているが、これが勝者の余裕なのだよ。
「はい、八津くん、治療しますよ」
「頼む、上杉さん」
俺の左手を両手で握って【聖術】を使う上杉さんは、実に聖女チックだ。
「やったわね」
「怪我してちゃなあ」
「前衛なんかしょっちゅうでしょ。大切なのは自衛の手数よ」
「そうかなあ」
胡坐をかいて地べたに座る俺を見下ろす綿原さんが右拳を突き出してきたので、ご挨拶で拳を打ち返す。
肩から離陸した白いサメが模擬戦を再開した二組を見るのに合わせて、俺もそちらに顔を向けた。
再び立てられた砂時計の砂は半分以下になっている。残り時間は二分とちょっとってところだろう。
カッコいいとこを見せてくれよ? 田村、藤永。
◇◇◇
「らあ!」
「ちぃっ」
田村が相手をしているのは、『ヤーン隊』で唯一の騎士職をしている背の高い男の人だ。ガタイが良くて、身長も百八十くらいはあるだろう。対する田村は綿原さんと同じくらいで百六十とちょっと。今回の対戦では一番身長差が酷い組み合わせになる。
ぶっちゃけ大苦戦だ。今だって相手のパンチが肩にヒットして、その度に田村は舌打ちをしている。
綿原さんや俺は相手の攻撃を避け切ったし、器用な藤永もなんだかんだで捌いている。藤永の試合が長引いている理由には別の要因があるのだけど、それは置いておいて。
「おらおら、どしたー、田村ぁ」
「田村くん、がんばれー!」
ピッチャー海藤の無責任な声と、弟系な夏樹の声援が飛ぶ。
こういう時の海藤は遠慮がない。田村とは仲が悪そうで、実はそうでもないヤンキーな佩丘なんかは腕組みをしながら険しい顔で黙っている。
「うるせぇよ」
罵声でも声援でも、田村にかかれば返ってくるのは減らず口だ。うん、大丈夫そうだな。
盛大に顔をしかめている田村だけど、言葉が出ている内はまだイケる。
後衛で【身体強化】持ちという理屈で選抜されてしまった田村だが、素手のタイマンに向いているとは言い難い。本来のアイツは盾を構えてナンボのスタイルだからだ。
言ってはなんだけど、小太りで身長が低めな田村は、クラスの男子の中では一番運動を苦手にしている。
比較対象になるメンバーとして文系男子の野来は思い切りの良さがあるし、夏樹は姉の春さんに引っ張られて野山を駆け回っていたから意外と動ける方だ。メガネ忍者な草間に至ってはファッション陰キャで、中学では卓球部だったなんて裏がある。
こうして比べれば俺も下位ではあるのだが、【観察】頼りで何とかしている状態だ。
そんな田村だけど、強みだって持ち合わせている。
後衛職で唯一の【頑強】持ち。【聖術】による自己ヒールと、ついでに持ち前の根性を合せることで、最も打たれ強い後衛なのがアイツなのだ。
どうやら田村は律儀に【聖術】を封印しているようだけど、本来ならばもっと大胆に行動できているはずなんだよな。変なところで真面目というか、なんというか。
「ちくしょうめがっ」
何とか顔面はガードしているけれど、腕やら肩に打撃は入る。悪態を吐きながら苦戦してどうするんだよ。
いまの一発で体勢が崩れている。吹き飛ばされて尻もち寸前だ。それを見た対戦相手が一気に……、これってチャンスだよな?
「うおお!」
「ぐうぁあ!」
膝を突くギリギリの姿勢になった田村に、相手から容赦のないキックが打ち込まれた。
だけど先生みたいな技術のある蹴りじゃない。体重が乗っていなくてあからさまに軽いローキックもどき。
身長差のせいで殴るという選択を取らなかった敵のミスだ。片膝を突いた田村は低い姿勢を維持したままで、両腕を使って踏ん張っている。
ここまでの展開で田村が粘ったからこそ、相手が焦ってこういう手順になった。
耐えろ、田村。ソレを受けきれば、勝機が見える!
「倒れろやぁっ!」
「どっこいしょー!」
田村の叫びに、クラスメイトたちが唱和した。
身長のワリに体重があるのが小太りな田村だ。そんなアイツが対人戦のために練習してきたこと。
低い体勢からのタックルが地に残る相手の軸足に巻き付いた。蹴り足の方はまだ宙に浮いたまま。田村は全体重を乗っけて、敵の腹に肩をぶつけていく。
「うおお!?」
「見たかぁ!」
大きな音を立てて倒れた騎士の腹の上に、田村がどっしりと乗っかる。俗にいうマウントポジションだ。
すかさず田村は自身の右腕を持ち上げる。
「ブチかませぇ、田村ぁ!」
「おおらぁ!」
怒声にも似た佩丘の叫びに応えるように、大袈裟に振りかぶった拳を田村が振り下ろした。
お前が怒鳴るのかよ、佩丘。二人とも揃って面倒くさいツンデレコンビだよな。
もしも相手にもう少しだけの冷静さがあったなら、【身体強化】全開で田村を振り払うことができたかもしれない。せめて両手を伸ばして、最低限のガードだって。
だけど田村の必死な形相と、ついでに佩丘の声にビビったのか、敵は思わず目をつむってしまった。
「どうだ? です」
振り下ろす拳を途中で緩め、相手の額をコツンと叩いた田村が、相変わらず不得意な敬語で勝敗判定を相手に委ねる。
「……降参だ」
「ありがとう、です」
ぶっちゃけ、あのまま田村が本気パンチを当てていても、ダメージが通ったかは微妙なところだ。
何しろアイツは俺と一緒で、誰かを殴り慣れているわけじゃないからな。それを言ったら一年一組のほとんどがそうなんだけど。
だから何らかの形で相手からの降参を引き出すしかない。でなければマウントポジションからの泥仕合になっていただろう。
見事成し遂げた田村は相手の上から降りて、手を差し出した。向こうはノーダメージで、田村は鎧の下がアザだらけになっているはずだけど、それでも勝利は田村のものだ。
「怪我は大丈夫か?」
どこか吹っ切れた表情になった騎士さんは、大人しく田村の手を借りて立ち上がった。
「俺は【聖術】使いだ。です」
「無理な口調はもういいよ。そうだったな。すげえ【聖術師】もいたもんだ」
こうして会話をしているあいだにも、田村は【聖術】を使っているはずだ。
何しろ自己ヒールこそが最高効率なのがこの世界のルールだからな。【聖騎士】の藍城委員長と並んで前線に立つヒーラーは、決して倒れないのだ。
◇◇◇
「どうよ」
「どうよじゃねーよ。八津より苦戦してたじゃないか」
「うるせえよ」
自陣に戻ってきた田村は珍しく自慢げな表情を浮かべていたが、海藤のツッコミを食らって結局ムッツリ顔に戻ってしまった。俺をダシに使うなよ、海藤め。
「うひゃ~」
「くっそお!」
そんな田村の向こうから聞こえてくるのは、藤永の情けない声と、イラだつ『ヤーン隊』の隊長の叫びだった。
残り時間はすでに一分を切っている。そろそろ決めないと藤永、いろいろな方面から怒られるぞ?
次回の投稿は明後日(2025/03/25)を予定しています。