第471話 存在しないはずの人
「そうか。君たちから見ても似ているんだな。ああ、嫌になる」
緊張感をはらんだ上杉さんの問いかけに、金髪碧眼のおじさん冒険者はすぐに名乗らず、悲しそうな声色でボソリと呟いた。
それから視線を送った先にいるのはフードを被ったままのティア様だ。
この人が俺の想像どおりの背景を持っているなら、たしかにティア様の存在は気になるか。それにしても顔を隠したティア様に気付くとか、良い目をしている。背中にある大きな弓は伊達じゃないってところかな。
視線を感じたメーラハラさんが、すかさずティア様の前に出る。
「問題ありませんわ、メーラ。あなたの事情は存じ上げておりますわよ。たしかサーヴィ・ロゥト、でしたわね」
「侯息女殿下に名を呼ばれる栄誉に与り──」
「とびきりの曰く付きだからですわ」
名前を呼ばれたおじさんが深く腰を折るけれど、ティア様はそれをぶった切った。
しかしサーヴィさん、やたらと優雅さが堂に入っていたな。やっぱりそうなんだろうか。ティア様が言う曰く付きというのも俺の想像を後押ししているし。
「あなたが語り合いたいのは『一年一組』でしょう? わたくしはいないものと思ってくださって構いませんわ」
「ありがたく」
今度は仰々しくならない程度に軽く頭を下げたおじさんが、上杉さんに顔を向けた。
「俺のことはサーヴィで構わない。こちらの彼女も紹介しておこう。ピュラータ・ロゥト。俺の嫁さんだよ」
「あたしもピュラータでいいからね。よろしく」
改めて名乗りを上げたおじさん冒険者のサーヴィさんが、横にいる女性を紹介する。
嫁さんね。滝沢先生にダメージが入らなければいいのだけど。
そんなコトを言ったらご夫婦全部を対象にしなければならないし、俺の考えすぎだな。一昨日のハンカチ騒動が頭の中で尾を引いているけど、いい加減このネタは終わりにしよう。
「ロゥトという家名は知りませんでした」
「入り婿だからね。立場が弱くて、ピュラータには頭が上がらない」
軽く流されたけど、上杉さんが聞きたいのはそういうことではない。
俺は全く網羅していないが、ロゥトという名の家がアウローニヤ貴族に存在しないと上杉さんは言っているのだ。
奥さんの家を名乗るのは理屈としてはアリだけど、ならば以前はどうだったのか。
なにせアイツの面影が、そこにいるサーヴィと名乗る人物にあるのだから。だからこそ、上杉さんはこうして踏み込んだんだ。
「さて、あらかじめの前提だ。敵の敵は味方と、それだけはハッキリ言っておく」
「うおっ」
意味はわかるけれど、この場でそうやって口にする理由が理解できないコトを言いながら、サーヴィさんは背中の弓を手に取り、近くにいた古韮に投げ渡した。
わたわたと受け取る古韮だけど、決して投げつけたわけではない。サーヴィさんに攻撃の意図は見受けられないどころか、武装解除の姿勢ということだ。
目くらましとしての一手だとしても、俺の目はもちろん、中宮さんと先生の視線はサーヴィさんとピュラータさんを捉えている。不意打ちなど許すわけがない。
「敵対する意思はないということだよ。俺は十三階位の【風弓士】だ」
同じく背中に担いでいた矢筒と腰の短剣まで取り外したサーヴィさんは、目に付いたクラスメイトたちにポイポイと手渡し、最後にそよ風を起こしてみせた。
「じゃあ、あたしもね。【熱剣士】で十三階位よ」
続けてピュラータさんも腰にぶら下げた長剣と短剣を鞘ごと外し、上を指差す。
その先、空中に陽炎が発生しているように見えるのは、そこに【熱術】が使われた証拠だ。ウチの場合、【熱導師】の笹見さんが『熱球』を扱うので、現象としては見慣れている。
目の前の二人は武器を取り外し、魔術を使うことで手の内を晒した。
ここはインベントリや武器召喚なんていう技能のない世界だ。相手が素手となった以上、向こうが自己申告した十三階位がたとえ十六階位でも、人数差で押しつぶせるだろう。
そんなことをしているあいだにも、ごく自然にサーヴィさんの傍には中宮さんが、そして先生はピュラータさんを間合いに入れている。敵対するならすでに詰みだ。
「一切油断していないのは良い姿勢だ。さて、いいかな?」
「わたしは上杉と申します。サーヴィさん、本当の名を教えてくださるということで、いいのですね?」
完全にサーヴィさんとの対話係となった上杉さんが、改めて語り掛ける。
仲間たちの何人かが状況を読めずに怪訝な表情になっているけれど、俺としてはそれどころではない。事前に【平静】を回して、俗に言う対ショック体勢に入っている。
上杉さんの指摘でサーヴィさんが誰かに似ていると気付いた時点で、嫌な予感しかしていないのだ。
「俺の本当の名前はサーヴィ・ロゥトで間違いない。国籍を持たない冒険者だ。名乗りも自由にさせてもらっている」
「それは失礼しました。たしかにそうかもしれません」
聞き方が悪かったと、上杉さんは素直に頭を下げた。
チラっとピュラータさんを見て、サーヴィさんは薄く微笑む。夫婦間の美しい意思疎通ってやつかな。それだけ、サーヴィさんにとってロゥトという家名は意味があるということなんだろう。
「なに、気にしなくていい。聖女様のご要望にお応えして、以前の俺の名を教えよう」
やたらと回りくどい前置きがやっと終わったかと思ったけど、あえて聖女なんていう爆弾な単語を使うのはどうなんだ?
事情通なのを伝えたいのはわかるけど、どうにもこの人の言動は芝居がかった部分が多い。こういうのを面倒くさがるヤンキーな佩丘なんかは、身内だけに伝わるくらいにはすでにイラついているんだけど。
「サーバエィ・ベリィラント。十八年前に捨てた、いや、捨てさせられた名だよ」
「えっ!?」
思わず声が出るくらいには驚いた。上杉さんですら口に手を当てて驚愕を隠せていない。
予想外ではなく、予想以上に意外だったのだ。
「ベリィラントって、もしかして近衛騎士総長の家?」
「あれ? 息子さんって亡くなったんじゃ」
「あの人って、たしか養子だったよな」
「マジ、かよ」
その名を聞いたクラスメイトたちが騒ぎ出す。先生は眉をひそめ、お坊ちゃんの田村なんかは絶句だ。一部状況がわかっていない連中もいるけれど、それはさておき。
ラペリート・なんとか・ベリィラント伯爵。それがアウローニヤの元近衛騎士総長の名だ。
跡継ぎとして第一近衛騎士団『紫心』の副長をやっていたベリィラント男爵、こちらは完全に名前を覚えていないが、その人は養子で、そしてクーデターのどさくさ紛れで戦死したことになっている。
「近衛騎士総長、ベリィラント伯爵にお子さん……、実子はいなかったはずですが」
「よく勉強しているね。さすがは勇者たちだ」
訝しげに訊ねる上杉さんに、サーヴィさんは勇者という単語を使ってきた。さっきの聖女といい、この人には完全にバレているか。そういうアピールなんだろうな。
勇者バレは今更だし、問題なのは目の前にいる金髪おじさん冒険者の正体だ。
間違いなくこの人には、あの近衛騎士総長の面影がある。てっきり親類縁者あたりかと思っていたのだけど、ベリィラントを名乗るのは予想外だ。
ヤバい。胸が痛くなってきた。親戚だったらまだしも、上杉さんが指摘したように、もしかしたらこの人は。
俺たちは、とくに上杉さんや藍城委員長、田村、そして先生あたりが専属となって、アウローニヤの貴族についても調査をしていた。
貴族名鑑なるものがあるので派閥の把握は困難でも、血縁関係はフルオープンだ。その中でも最大の敵になる可能性が高かった宰相のバルトロア侯爵家と近衛騎士総長のベリィラント伯爵家については、担当したメンバーが親類縁者まで調べ尽くしている。
ベリィラントという家名を持つ人物として男性は二人いた。両名ともクーデターで命を落としているので、伯爵家に男子はもういない。養子を取っているから直接血の繋がりはないけれど、総長の義理の娘と孫に当たる二人が、いちおうベリィラントを名乗れるくらいか。
ならばこの人はなんなんだ。
「……放逐されたのですね」
「そう、出奔ではなく、放逐だ。俺はベリィラント伯爵の血を引く息子で【風弓士】。つまりはそういうことさ」
状況を理解した上杉さんの解釈に、サーヴィさんが付け足した。
追い出された時に名前を変えたのだろう。それでサーバエィさんはサーヴィさんになったのか。家の名はまだしも、ファーストネームにはそれなりの愛着があったんだろうと想像できるのがなあ。
サーヴィさんの言っていることの全てが本当なのかは判断は難しいところだけど、サーヴィさんは騎士の中の騎士家であるベリィラント伯爵家に生まれながら、【弓士】となってしまった。間違いなく幼い頃から騎士となるべく鍛えられていたにも関わらずだ。
そしてあの近衛騎士総長は、自分の血を引いた実の息子を家から追い出した、と。
「軍に入ろうかと提案もしたんだが、ベリィラントの人間が近衛以外などあり得ないと言われてしまってね。身の危険すら感じたものだから、ペルメッダで冒険者というわけさ」
他人事の様に身の上話を続けるサーヴィさんだけど、その光景が目に浮かぶようだ。
だけど、だけど、だけど……、それどころではない。
「くっ」
小さな悲鳴が俺の耳に届いた。
視界の端では親友の夏樹が、小さな体を震わせている。完全に涙目だ。
アイツだけじゃない。堪えているメンバーの方が少数派なくらいだ。隠せているのは上杉さん、先生、佩丘、中宮さん、それと【冷徹】を持っている深山さん。俺も顔を伏せて表情を隠しながら、それでも必死に【観察】と【視野拡大】を使っている。綿原さんも……、ムリっぽそうか。
間違いなく全員が【平静】をフル回転させているはずなのにこのザマだ。この状況では白石さんに【鎮静歌唱】を使ってもらうわけにもいかないし。
真っすぐにサーヴィさんと対峙できている上杉さんの精神力はどうなっているんだろう。
俺たちは近衛騎士総長、つまりはサーヴィさんの父親を殺してしまった。
直接ではないにしろ、とてもじゃないが間接的とは言いかねるような、そんな感じで。殺意こそ抱いていなかったけれど、結末を想像できる状態でだ。
危機回避とはいえ、迷宮罠に突き落としたのは、他ならない俺だった。
一年一組は一部にストレートなヤツもいるけれど、こんな場面で明け透けに自白をするような偏った正義感を持っているわけではない。だからみんなは何も言わずに、ただ歯を食いしばって黙っている。
それでもこれは、バレただろうな。
案の定サーヴィさんの表情が少しだけ変わっている。とはいえ、そこにあるのは憎しみとは思えない。むしろ哀れみか?
「……母方に伝手があって、アウローニヤの事情には詳しい方なんだ」
ベリィラント夫人は暫く前に亡くなっているはずだ。それがサーヴィさんが放逐される前か後か、俺は知らない。
寂しげに語るこの人はどんな想いで言葉を紡いでいるのだろう。
公式発表で総長は罪人となり迷宮にて行方不明、次期当主は戦死とされている。俺たちの態度を見ればそのどちらかに関わっていたと思われて当然だ。
サーヴィさんに総長との確執があったとしても、ベリィラントという家には思い出があるかもしれないし、もしかしたらあんなのでも父親なんだから、なんていう風に恨まれるかも。
「はっきりと言っておこう。俺は君たちに対して、一切悪意を抱いていない。モヤモヤとした欠片すらもだ」
キッパリ言い切ってくれたサーヴィさんの顔には嘘は含まれていないように思う。
俺の目は詳細を見ることができるけれど、中身については怪しいものだから、あとでクラスメイトたちの意見も聞かないとだな。
それでもとにかく一番欲しかった言葉をもらえて、みんながほっと息を吐く。
武装解除をしてみたり、敵の敵なんていう表現を使っていたから、そういうことだろうとは薄々思っていたのだけれど、それでもなあ。
「繰り返しになるけれどもう一度。今の俺はペルマに挑む冒険者で、『白組』のサーヴィ・ロゥトだ」
念を押すサーヴィさんの横で、相方のピュラータさんは優しく微笑んでいる。
一息つけたから思うのだけど、美男美女な組み合わせだよな。
「神授職を知った父は、あっさり俺をいないものとした。後継に選ばれた従兄弟は高笑いで見送ってくれたよ」
「うわぁ」
カッコいい感じなコトを言った直後にグチを並べ始めたサーヴィさんを見て、夏樹が引き気味にうめき声を上げる。
ベリィラント男爵は、総長の姉の息子……、だったかな。『緑山』の式典に居たはずだけど、まったく記憶に残っていない人だ。顔も名前も思い出せない。
そんな人物だけど、サーヴィさんの口ぶりからすると、折り合いが悪かったようだ。追放を従兄弟に喜ばれるとか、悲しいよなあ。
俺が住んでいる矢瀬牧場には別棟だけど従兄弟がいるし、結構食事なんかも一緒しているから、仲の悪い親戚とか、ちょっと想像できない。
それどころか父親に疎まれるとか、考えるだけで吐きそうだ。
「聞きたいのですが、サーヴィさんはどうして打ち明けてくれたのですか?」
「……君たちが気付いたからというのが、理由なんだけどね」
「知らないフリでも押し通せたと思うのですが」
グチが長くなりそうだと思ったところで、上杉さんが話題を軌道修正してくれる。
たしかにそこは引っかかっていた。いまさらだけど最初に上杉さんから話を振ったのは、人数差がある状態で相手の出方を見るっていう考えがあったんだと思う。近衛騎士総長と顔が似ている人なんて、探りを入れておかないとあとが怖すぎる。
というか、上杉さんってたまに自己判断で突撃をかけることがあるよなあ。
サーヴィさんの側からしてみれば、ティア様に素性を把握されていたわけで、あとでネタバレされるくらいならって思惑もあったのかもしれないけれど。
「不安なんだよ。アウローニヤの女王陛下は、十やそこらの子にまで家の罪を負わせるお方なのかと、ね」
「総長のお孫さん、ですね」
「男爵夫人は、こちらも俺の従兄妹なんだよ。母方の、だけどね。彼女の子供に会ったことはないが、遠い姪みたいなものだ。どうしても気になってしまってね」
サーヴィさんが正体を明かした理由は結構意外なものだった。
「俺にも息子がいる。考えてしまうんだよ」
ああ、この人は家族の情に厚いんだ。
父親と従兄弟に邪険にされた反動もあるのかもしれないけれど、会ったこともない親戚ですら心配している。ロゥトという名にこだわるのも、奥さんやお子さんに対する親愛がそうさせているのだと想像できてしまう。
でっち上げた理由なら、それはそれで構わない。少なくともこの人は、俺たちを不快にさせない嘘を吐けたことになるんだから。
「詳しくは聞かされていませんが、ベリィラント伯爵家は取り潰しになるでしょう。ですが女王陛下は敵味方を問わず、流血を好みません」
上杉さんは胸を張って答えてみせた。
正確には必要な流血を恐れないというフレーズがくっ付くのだけど、それは言わぬが花だ。それでも無力な子供に酷いマネはしないだろうというくらいの信用はある。
ここから伯爵家が登る目はないし、残されたベリィラントの二人に政治的な価値があるとは思えない。
「そうか。それなら……、良かった。ありがとう」
「気休めです。保障などできません」
「それでもだよ」
予防線を張る上杉さんだけど、サーヴィさんは爽やかに笑う。
「サーヴィさんは大丈夫なんですか?」
「俺がベリィラントを騙らない限り、何も起こらない。君たちが知らなかった様に、記録は綺麗に消えているはずさ。もちろん担ぎ出されるつもりもないしね」
続けて上杉さんが心配したのは、総長の血を引くサーヴィさんの身柄だった。
俺たちは薄っすら身分を偽ってペルメッダに入国したのだけど、今のアウローニヤにとってはサーヴィさんの方が要注意人物ってことになるんじゃないだろうか、なんて想像に意味はないらしい。
短い会話でもサーヴィさんが復権を目指すような人には思えないし、この世界では本人証明が難しいからなあ。
「話が長くなってしまって申し訳ない。ここからは歩きながらということでいいかな?」
ここまでの会話はサーヴィさんからしてみれば、素性と態度を明確にしてスッキリしたかっただけかもしれない。
これからも迷宮で会うことになるかもしれないんだから、疑われた以上は立場をハッキリしておいた方がいいのもわかる。
だけど俺たちにとっては結構重たいんだよ。一年一組がアウローニヤで為したことは、思いもかけない範囲にまで影響を及ぼしていたのを実感させられたのだから。
今回の件が極端な例だとしても、風が吹けば桶屋が、蝶々が羽ばたけば台風が、俺たちのとった行動がこの世界の人たちの人生を狂わせてしまっているって。
「なぁんかスッキリしねぇよなあ」
「あ~あ。アウローニヤって、どこまでも祟るんだねぇ」
小太りの田村とチャラい疋さんが、それぞれの口調でグチを垂れ流す。さっきのどん底ムードから少しは戻ってきているあたりは救いかな。
「超絶チートがあればなあ」
「それでも全員が平和ってのはムリだろ。ろくでもなしまで救うなんて、あり得ないんだぞ。サーヴィさん、弓、返しますよ」
チートを求める俺に、古韮は苦笑を浮かべてから、サーヴィさんに駆け寄った。
「手の届く範囲でやっていくしかないわよ。でしょ?」
「だな。目の前だけで手一杯だ」
血から砂に切り替えて漂白された小さなサメを浮かべた綿原さんが、小さく笑う。モチャっていないあたり、完全復活まではまだちょっとだな。俺もだよ。
ティア様のレベリングから始まって、『雪山組』の救助、そして重たい背景を持つサーヴィさん。今回の迷宮もいろいろあったなあ。
「移動しよう。委員長とミアが待ってる。陣形は──」
地上を目指して俺たちは移動を再開する。
次回の投稿は明後日(2025/03/11)を予定しています。