第466話 イレギュラーはやってくる
「深山、こっち頼むわ」
「うん」
面倒くさそうな顔でヒツジの足と頭を切り落とし、腹を掻っ捌いて内臓っぽい物体を捨てた田村が、ブツをぽやっと系少女な深山さんに差し向けた。
ティア様が見事八階位を達成したヒツジ六体との戦闘だったが、残された収穫物も大切だ。
ヒツジの場合は肉だけでなく羊毛も素材として扱われるので、そちらも無駄にはできない。もちろん運べる量には限度があるので、『運び屋』を連れていない俺たちは選択をしながら都度々々素材を投棄することになるだろう。
とはいえこちらは二十五人の大所帯ではあるし、そこまでもったいないお化けの恨みを買うこともないと予想している。
「なかなかの手捌きですわね。アサガオ」
「へっへ~。グロいのにも慣れちゃったよねぇ。【平静】もあるし、碧も歌ってくれてるしぃ」
「『ぐろい』?」
ナイフを器用に扱うチャラ子の疋さんの手捌きを興味深そうに見物していたティア様が、突如出てきた日本語に首を傾げた。
そんなティア様なのだけど、どうやら一通りの解体作業を覚えたいらしい。
実はこの件、昨日の時点でクラス内で議論になっていたのだ。ティア様は偉さを誇示するように高みから見下ろし、手を出すはずがない派と、いやいや冒険者方面に燃えるタイプだから積極的に関わってくるはずだ派が対立したのだけど、結果として後者が勝利した模様である。
ちなみに俺は前者に賭けていたので、敗北側となってしまった。悪役令嬢検定は奥が深い。
罰ゲームの一発芸だけど、なにをしようかな。『好きな人の名前を言いなさい』とかじゃなくって良かった。
『おやすみなさいよ~。この世界で生きる全ての者たちへ』
動物系の解体現場は見た目スプラッタになりやすい傾向があるので、各人が【平静】をフル稼働した上で、【騒術師】の白石さんが【鎮静歌唱】を歌ってくれることも多い。これが丸太とか野菜、果物系だと平気なんだけどな。ついでに魚も。
なんにせよ、俺たちも慣れてしまったということだ。これって持ち帰れる技術になるのだろうか。
「見事なものですね。熟練の【冷術師】に匹敵するのでは」
「お肉、凍らせるのが得意だから」
あちらでマクターナさんから誉め言葉をいただき、ポヤっとしながらもはにかむ深山さんだけど、これまた字面はあまりよろしくないかな。
【氷術師】の深山さんは、十という後衛職としてほぼ到達点とされる階位を持っているけれど、【冷術】と【水術】の熟練度はそれほどでもない。
これは一年一組の全員に言えることだが、俺たちは異常と評される速度で階位を上げているし、技能の熟練度についてもまたしかりだ。豊富な魔力を使いまくって、常日頃から技能を回し続けているのだからそうもなるだろう。
それでも技能の熟練度については階位と違って、明らかに後れを取っているのが現状だ。
当たり前といえば当たり前だけど、深層を目指しながらひたすら魔獣を倒し続けていれば上がる階位と比較して、技能については使ってナンボ。階位こそ上げていなくても十年以上かけて技能を育てているこの世界の人たちには、そう簡単に追いつけるものではない。いくら異常な速さで熟練を伸ばしているといっても限度がある。
そんな中にも例外というか、特徴があって、綿原さんのサメやアネゴな笹見さんのお湯のように、妙に伸びが良い箇所もある。
氷師匠のベスティさんは小さな氷を瞬時に作り出すのに長けていたが、深山さんはそっち方面はあまり得意でない。けれども食材を冷凍するのがやたらと上手いのだ。
今も【水術】でヒツジを覆って、軽く血抜きをしてから凍らせる作業を流れるようにやり遂げている。しかも凍らせているのは皮の内側のみで、羊毛を痛めない様に気を配るなんていう丁寧さで。
俺の記憶によれば、深山さんは【鋭刃】や【冷徹】を取得した辺りから、そっち方面がやたらと伸びた気がするのだ。
ううむ、『めった刺し』とかいうあだ名は可哀想だし、そろそろ氷系にした方がいいかもしれないな。『氷結の魔──』はマズいとして、肉を凍らせるっていう行為をカッコ良く表現できないものか。
「八津くん、これ見て」
「うおっ」
いつも通りにアホなコトを考えていた俺の背後から綿原さんの声が飛んできた。うしろを盗られたか。
最近の一年一組は、俺の【視野拡大】の外から迫ってくるから始末が悪いのだ。
「どうかしら」
「育ったよなあ」
振り返った俺の顔を見た綿原さんが、ふんぞり返って口元をモチャらせている。
ドヤドヤだなあ。気持ちもわかる。なにせ彼女の頭上には、赤紫のサメが一匹、というか一体浮かんでいるのだ。
全長が一メートル近くにもなっているじゃないか。普段は三十センチくらいのを三匹泳がせているのだけど、合体させるとここまでくるようになったのだ。
綿原さんの巨大サメは、珪砂を使って密度が薄い状態で成立していたのだけど、それより小さいとはいえ、比重の重たい血でこの大きさは素直に凄いと思う。
「【血術】で密度いじるって、すごいよな」
「サメが相手なら、だけどね」
そう、綿原さんは【血術】で魔獣の血の密度をいじっているのだ。水で薄めるとかそういうのではなく、霧状とでも表現できるかもしれない。
ただし、彼女の例にもれず、形状がサメだった場合にのみ可能という徹底っぷりだ。綿原さんはどこまでも綿原さんなのだろう。
「それにディテールが」
「結構いい感じになってきたと思うわ。内臓の再現とかはムリだけど」
綿原さんが成し遂げつつあるのは単純な巨大化だけではない。
砂サメの方もそうなのだけど、表面処理が細かくなってきているのだ。サメ肌っていうアレ。全体的にザラザラしているような処理が掛かっていて、口元のギザギザ歯もそれっぽく尖っている。なによりギョロっとした目玉がそこだけツヤツヤしているんだよな。
材質は砂と血だけに色は均一だけど、凹凸でしっかりとサメが再現されている。
こうすることで衝撃力が変化するわけもないので無意味なことかもしれないが、魔術というのは好きなものこそ上手なれの言葉そのものだ。
お湯の笹見さんや冷蔵の深山さんしかり、こういうこだわりこそが熟練につながるんだと思う。
「まだまだよ。頭が一個しかないし」
「それ、攻撃力上がるのかな」
「さあ?」
彼女の目指すゴールはまだまだ遠いようだ。
「八津、綿原、終わったぞ。いつまでも遊んでんじゃねぇ」
「あ、ああ」
赤紫のサメを挟んで綿原さんと会話をしていたら、解体作業を終えたらしいヤンキー佩丘の声が響いた。どこか呆れを含んだような声色に、俺の返事がちょっとどもる。
今回は解体当番じゃなかったとはいえ、ちょっと気まずいかな。
クラスメイトたちの視線がこっちに集中して、メガネを光らせた綿原さんが視線を逸らす。ううむ。
「い、行きましょ」
「だな」
耳の端を赤くした綿原さんが巨大サメを分離して三匹にする。焦ったような声のワリに、やっていることは細かいなあ。
◇◇◇
「でっ、すわぁぁ!」
ティア様渾身の拳が通称『二本丸太』にぶち当たった。
こいつは二層に出てくる尺取虫みたいな丸太の三層バージョンで、横向きに二本の幹が並んだ形状をしている。つまりは単純に重量が二倍になって、横幅も倍ってことだ。
収穫できる素材も倍になるのだけれど、こいつは中々厄介な魔獣だった。こっちの世界で実感することになったけど、戦闘において重さと硬さは正義だよな。日本では絶対役に立たない知識だけど。
そんな二本丸太に果敢に挑んでいるティア様は喜びを全く隠しきれていない。バトルジャンキーかとも思ってしまいそうだけど、彼女の笑みを生み出した原因は八階位を記念して取得した【鉄拳】だ。
迷宮での戦闘において最も頻度の高い負傷原因がなにかといえば、直接的に攻撃を食らうとことではない。全くないとは言えないが、誰もが馬鹿正直に敵の攻撃を真正面から無防備に受けるわけがないだろう。
ならば怪我を負うとすれば、まずは受け止めの失敗。前線を張る騎士メンバーに多いのだが、魔獣の突撃を受け流し損ねるケースだ。これは当たり前に起きることであるし、最優先で治療する対象として常に念頭に置いている。守備の崩れは全体へ影響が及ぶからな。
ほかにはとなると、攻撃する際にやらかしてしまう場合だ。実は一年一組における怪我の原因第二位だったり。
魔獣の体は部位によって硬さが異なる。大抵の場合、急所は最も柔らかい箇所であることが多いのだけど、その周辺の硬度が高い魔獣が多いのだ。
攻撃という行為は、日本人で学生の俺たちには想像できていなかったが、普通に怪我を伴ってしまう。言い方を変えれば、立派な自傷行為になりうるのだ。
一年一組のメンバーでは、ダブルメイスで暴れまくる春さんあたりが筆頭で、彼女は未だに自分の限界を測りかねている。自らの攻撃で指、手首、肘、肩、背中、そのあたりに過負荷をかけることが散見されるのだ。腱を損傷するのは当たり前で、酷い時には骨にひびをいれることすらある。
以前、滝沢先生や中宮さんが自らの限界を知るために無茶をすることがあったけれど、『外魔力』なんていう馬鹿げたパワーがあるものだから、それに振り回されてしまうのだ。
ましてや一年一組の多くは戦闘ド素人だったわけで、加減というのは本当に難しいんだよな。
ティア様もそんな一人だったらしい。ただし二重の意味で過去形だけど。
「いっけぇ、ティア様!」
「ですわぁ!」
一年一組の声援を背負い、ティア様が再び丸太に殴りかかる。
すでにほかの二本丸太はティア様が短剣でトドメを刺し終わっているので、今は実戦経験という名目で最低限のフォローだけで戦ってもらっているところだ。
聞いたところによればティア様が七階位を達成したのは二年くらい前で、それ以降は腕を鈍らせないよう、定期的に二層を巡っていたらしい。
アウローニヤの元第一王子と婚約していたものだから、あっちに合わせるために七階位で留めていたというのが腹立たしい話だよな。
そんな縛りはすでに消え去っているのはさておき、七階位だった期間が長いティア様は、俺たちと違って『慣れている』のだ。ほんの二か月程度で十一階位とかになってしまった俺たちと違い、彼女はパワーを制御下に置いている。どれくらいやらかせば自分を壊してしまうのかを知っているのだ。
バッファーの奉谷さんから【身体補強】を受け取り、さらには八階位になった分だけ力が上乗せされたティア様だけど、【鉄拳】を取得したことで故障の可能性は低くなっている。
一年一組では先生だけが持つ【鉄拳】は、体の攻撃部位を硬くすることで攻撃力を上げられるだけでなく、自分自身への反動を軽減する効果が得られるのだ。他ならぬ先生が言ったのだから間違いない。ただし、それに甘えてやりすぎると拳が無事でも肩が脱臼しかねないとか。あくまで部位の硬化というのが【鉄拳】の基本特性だ。
【拳士】系は素手でナンボな神授職なので迷宮では不遇とされているが、こと【鉄拳】については明確なメリットと言えるだろう。何度も引き合いに出して申し訳ないのだけれど、ちょくちょく手首を壊す春さんあたりが取得できれば、攻撃力が上がらなくても戦闘自体は安定するはずなんだ。『クラスチート』に期待したいところだけど、生えないんだよなあ。
ティア様が【剛力】や【視野拡大】より先に【鉄拳】を取得した理由がこんな感じだ。
「ふぅ。動きには慣れましたわ」
「じゃあそろそろ」
「ですわね」
いい感じのステップで丸太の攻撃をかわし、胴体を殴っていたティア様が納得した様子で息を吐き、そんな光景を見守っている中宮さんも満足そうに頷く。師匠してるよな。
数度の戦闘を繰り返すうちに、一年一組とティア様の連携も深まってきた。
やはり地上での模擬戦とは違い、迷宮での実戦闘は密度が高いんだろう。つかず離れずのメーラハラさんも距離の調整が上手くなってきているし、元々器用な疋さんのティア様に合わせる立ち振る舞いも問題ない。盾をやってくれている騎士連中の合間への踏み込みも良くなってきているし、なにより俺の指示に対する反応に迷いが消えてくれたのがありがたい。
「トドメですわぁ!」
短剣を両手持ちして腰だめで突撃するティア様の金髪ドリルが派手にたなびき、数秒後には戦闘が終了した。
◇◇◇
「結構いっぱいやっつけてるよね、ティア様」
「悪くないよな。あとどれくらい?」
「んーとね、それでも中くらいのを二十体くらいかな」
「厳しい、か」
俺の隣を歩く奉谷さんが笑顔でメモを確認している。今日の場合は、ほとんどティア様戦闘記録って感じだな。
ここまで三層での戦闘は六回に及んだが、内容は上々だ。けれどもまだまだ先は長い。
一回目の迷宮と違い、今回のエンカウントは悪くないと思う。
あの時に案内してくれた『オース組』のナルハイト組長はあえて魔獣の薄い区画を選んで、余裕のある状況で俺たちの戦いっぷりや素材回収を見ていたらしい。
二層と三層の違いもあるかもしれないが、後発で縄張りを指定してもこれくらい魔獣と遭遇できるなら、今後は十分にやっていけそうな予感だ。魔獣が増えているらしい四層ならもっとだよな。
それでもアラウド迷宮と比べれば、スカスカなのが恐ろしい。
女王様たちのレベリングがあそこまで捗ったのは、やっぱり魔獣の群れの存在が大きかったってことなのだ。
「トドメの集中はできてるけど」
「あははっ、仕方ないよ。やれることは全部やってるんだし」
俺のボヤキを聞いた奉谷さんは、気に掛けた風もなくケラケラと笑う。
道中で取りこぼしたのは、スダチが二体とヘビが一体。逃がしたのではなく、ラストアタックをティア様に回せなかったっていう意味でだ。
それぞれ【石術師】の夏樹、【熱導師】の笹見さん、【嵐剣士】の春さんがオーバーキルをやってしまったせいだけど、済んでしまったことは仕方がない。
むしろ術師の二人が、とくに夏樹が石オンリーで柔らかめとはいえ三層の魔獣を『手違いで』倒せてしまっていること自体が朗報だ。本気で狙えばもっとイケるってことだから。
それと失礼だけど意外なことに、あのミアが自身を制御できているのもありがたい。
引き返すまでは、あと二時間くらい。魔獣が溜まっていそうだと当たりを付けた広間は残り四か所か。
九階位を保証するみたいなコトを自信満々で言ってしまったのは俺なんだけど、達成できなかった場合がちょっと怖い。いちおう八階位にはなっているので、成果としては問題ないのだけど、次回以降がなあ。
一年一組としては今回で三層を卒業して、次回からは本格的に四層に挑みたいので、ティア様を今日中に九階位にできれば楽になる。
なんで俺は四層にもティア様が同行することを前提で考えているのやら。だけどティア様だからなあ。
「八津くん、ヘビが……、七体かな。二部屋先」
「いいな。美味しい」
忍者な草間の報告に自然と笑みが浮かんでしまう。
ここから二部屋先までは一本道で、さらにその奥は終点となる一部屋だけの構造だ。上手くすればヘビの向こう側にも魔獣が溜まっているかもしれない。これは当たりを引いた予感だぞ。
「ティア様」
「やりますわよ!」
俺が声を掛けるまでもなく、ティア様にはやる気が漲っている。
八階位になった上に奉谷さんの【身体補強】やチャラ男な藤永からの【魔力譲渡】、ついでに坊ちゃん田村からのヒール付きだ。
技能を使い放題でフルパワーがずっと続いている状態に、勝気なティア様はアガりっぱなしなのである。
「じゃあ陣形は──」
「同じ部屋に気配が増えた!? えっ? 人!?」
戦闘陣形に切り替えようとしたタイミングで、酷く狼狽えた草間が叫ぶ。人だと?
「落ち着け草間、もうちょっと詳細に頼む」
「……二人。あ、戦闘状態、だと思う」
意識して出来る限りの冷静さを含ませた俺の声を受けた草間が、一呼吸を入れてから【気配察知】の結果を知らせる。
落ち着け、俺。ヘビが七体居たはずの部屋に人が二人追加された。
迷宮の魔獣は無条件で人に襲い掛かる。同じ部屋ともなれば、当たり前に戦闘になるだろう。
ここから先の三部屋は分かれ道が無くて、終点は行き止まりだ。つまり戦っている二人というのは、奥の部屋にあらかじめ潜んでいたということになる。
「まさか、刺客?」
「違うんだよっ。いきなり気配が増えたんだ。奥から来たんじゃない!」
訝しげな中宮さんの呟きを、すかさず草間が否定する。気配が増えたって、そんなことがありえるのか?
「【気配遮断】を使っていて、それを解除したとかか? 二人揃ってかよ。意味ねえだろ」
田村が言ったことを俺も反芻するけれど、それが可能であったとして、たしかに意味はない。
もしも中宮さんの言う様に相手が刺客だったとしたら、【気配遮断】を使ったままでこちらを窺い、ヘビと戦う隙を突くのが真っ当なやり口だろう。ヘビの目の前で解除するなんて、そんな間抜けをするはずがない。
仮に無関係の第三者だとして、俺たちが縄張りに指定した区画にいるのはおかしいし、こんなところで【気配遮断】持ちが二人もなんて、それこそ意味がわからない。
どうする。進むか、それとも見なかったことにして引き返すか。
「ヤヅさん」
「マクターナさん?」
思い悩んでいる俺に、マクターナさんが見たこともないような険しい顔で話しかけてきた。なにかに気付いている、そんな表情だ。
「八津くん、行くわよ。急ぎましょう!」
「綿原さん!?」
俺とマクターナさんの会話を待たずに、綿原さんが決めつけるように進撃を勧めてくる。というより、最早命令に近い。
焦った表情を見るに、なにか確信があるんだろう。
「わたしたちと同じよ。『滑落罠』!」
ああ、そうか。そういうことだったのか。
次回投稿は明後日(2025/03/01)を予定しています。