第465話 濁った瞳に映る金:メーラハラ・レルハリア守護騎士
「ですわぁっ!」
広間に六体ものヒツジが暴れる中、金色の髪をなびかせるリン様が堂々と立ち回っている。
今もまさに、ご自身の拳で殴り倒した魔獣の腹に短剣を突き立て、赤紫の返り血をものともせずに捩じり込んでいるのだ。
初めての階層、初めての魔獣であるにもかかわらず、リン様に怯えはない。
「ナイスです、ティア様。メーラハラさん、十時三歩。右に来る羊、殴ってください。盾で」
「はっ」
見事な立ち振る舞いをするリン様に見とれていたいが、そこに異常なまでに細かい指示を出してくる『指揮官』ヤヅが少々うっとうしい。
リン様の顔を立てるために従うのはやぶさかではないが、いちいち適切なのだ。
指示された方向に二歩目を踏み込んだ時点で、吸い寄せられるように魔獣が流れてくる。しかも標的はわたしではなく、ハキオカの構える盾に向かっているのだから、こちらとしてはやりたい放題だ。
手にする大盾で急所を避けるように殴りつければ、敵は体勢を崩して床に転がる。リン様のお役に立てたと心が弾むのと同時に、完全にお膳立てされたとしかいえない状況をうすら寒くも思う。
やはりあのヤヅという男は、どこか気味が悪い。さらにいえば、全てを見透かしているのが事実だとしても、それ自体がどことなく気に入らないのだ。
先日の模擬戦でリン様に触れたこと、わたしは忘れてはいない。
「春さん、二時のヤツ、足だけ頼む。やり方は任せた」
「うんっ。てーいっ!」
わたしが転がした魔獣を指差したたヤヅの声を受け、両手に戦鎚を持つというふざけた武装のハルカ・サカキが信じがたい速度で走りだす。【風術】を使うという彼女は十一階位のはずなのに、わたしの知る誰よりも足が速いのではないかと錯覚させられるほどの動きを見せるのだ。
彼女が通り過ぎざまに戦鎚を振るい、バキバキと音を立ててヒツジの足が折れていく。完全に無力化したと見ていいだろう。
「しゅあっ!」
少し離れた位置では、非常に疎ましいことにリン様が目をかけているナカミヤが、これまたふざけたかのように木の棒を振り回し、魔獣の足を的確に叩き折っている。
使うのは勇者の故郷の武術らしいが、全く挙動を読むことができない。根本からがわたしの知る剣技とは違っているのだ。そもそも対人戦を想定した技としか思えないアレが、もしもこちらに向けられたと想像すれば、わたしに勝機は薄いだろう。
さらに言えば、リン様と同じ音を持つ、リンという名が気に入らない。
「二・七キュビ」
「はい。どっらぁああ!」
指先を移動させ、別の魔獣に視線を送ったヤヅが一声を掛ければ、赤紫の魚が魔獣の頭にぶつかり、足を緩めたところに戦鎚が振り下ろされる。片方の頭が砕かれたか。
彼らは非常識ばかりの集まりであるが、その中でも極めつけが『サメ』とかいう魚を模した魔術を使うワタハラだ。
単に精妙な魔術というだけなら石を使うナツキ・サカキが上を行くらしいが、ワタハラの異常さは、後衛職とは思えない戦闘能力だろう。聞けば【身体強化】【身体操作】【反応向上】【視覚強化】を持つらしく、自称する【鮫術師】とかいう職は前衛系でないかと疑うばかりだ。
騎士であるわたしの見立てですら的確と思える盾捌きと戦鎚を振るう様は、術師を名乗る者がやっていいことではない。おとぎ話のごとき存在だ。
その暴虐は先日リン様にまで降りかかり、あまつさえその尊きお肩を打ち、怪我を負わせるという事態を引き起こした。
正面からの武を貴び、真っ当を好むリン様だからこそ許されたが、思い出すだけでも目がくらむ。
「あぁいぃ!」
そしてリン様が尊敬の念を寄せる難き女、タキザワが蹴りを放ち、魔獣の足を一瞬にして二本叩き折った。
どうして右の蹴りが鞭のようにしなり、二度も軌道を変えることができるのか。アレもまた勇者の武術と聞くが、リン様はすっかりやられてしまったのだ。素手格闘に知見のないこの身が嘆かわしいが、悔しいことにタキザワの拳は、リン様に似つかわしく思えてしまうのもまた事実だ。
あまつさえタキザワはリン様を気遣い、あえて技を伝授しようとしている。リン様がお強くなられることに否はないが、やはり妬ましく思ってしまうのは当然だろう。
だがしかし、師匠を失ったリン様にとってタキザワの存在は……。得もいわれぬ複雑な感情が脳内を揺さぶっているのが実感できる。
「ティア様、魔力っす」
「よろしくてよ、ヨウスケ。早くなさいまし」
【雷術師】などという神話のごとき職を名乗るフジナガが、リン様のお体に触れて【魔力譲渡】を行使した。
先ほどから【聖盾師】のタムラと並んで何度も繰り返されている行為だが、その度に背筋に怖気が走る。戦闘中であるためやむなきこととはいえ、忸怩たる思いだ。
勇者を名乗る輩たちは、一部を除けばどれもこれも、わたしの癇に障る者どもばかりだ。
ここは【身体補強】を掛けるホウタニと触れあう微笑ましいリン様のお姿を思い出し、心を静めるしかない。
メイコ・ホウタニ。彼女は悪くない。愛でる価値がある存在だ。和む。
◇◇◇
「階位が上がりましたわ! 八階位ですわよっ!」
五体目のヒツジを倒した時点で、リン様が八階位を達成した。
七階位となってから二年、ついに我が主は新たな一歩を踏み出したのだ。
「ティア様、おめでとうございます。ですけど、最後の一体もやっちゃってから喜びましょう」
「わかっていますわ!」
そんな目出度き状況でとてつもなく無粋なコトを言い放ったヤヅだが、悔しいながらたしかに正論ではある。
八階位など、今のリン様にとっては通過点でしかない。聡明なリン様は当然自覚をしているので、ヤヅの言葉に泰然と従い、最後の魔獣に歩み寄った。
【霧騎士】フルニラと【岩騎士】マナの大盾でもって地に抑えられたヒツジは、その体をよじってはいるもののすでに死に体だ。
先ほどのリンゴ、今回のヒツジとの戦いを見て思うのは、安定の一言とでもなるのだろうか。
盾に徹する騎士たち、強力な攻撃役、魔術による多彩な牽制手段、四人もの【聖術】使いに加えて【魔力譲渡】が可能な者たち、十全な斥候、そしてそれらを完全に操作している『指揮官』の存在。
彼らは明確に役割を振り分けることで、ここまで全ての魔獣に対するトドメをリン様に委ねることに成功している。
恐ろしいのは後衛職の全員までもが最低限の自己防御が可能であるということだ。魔獣が後衛に迫ろうとも、彼らの連携が崩れる予兆は一切見当たらない。アラウド迷宮で魔獣の群れに苦戦していたと聞くが、それが信じられないくらいだ。
「メーラハラさん、魔力、足りてます?」
魔獣に近づくリン様を見ながら思いに耽っていたわたしに、シライシが話しかけてきた。
「……今は大丈夫です」
「いつでも言ってくださいね」
「ありがとうございます」
そう、勇者たちは魔力が尽きる様子もない。他者に【魔力譲渡】を使っているにも関わらず、ともすればいつまでも……、むしろ迷宮の中だからこそ。
彼らが口にした『迷宮泊』なる行為も、なるほど実行可能と思わせられる。それくらい勇者たちは迷宮に順応しているように見えるのだ。
まるで迷宮こそが居場所、生まれ故郷と言わんばかりに。
「今夜のお食事となりなさいませ!」
凛とした声を発したリン様が短剣を振り下ろし、魔獣の腹に突き立てる。
吹き出す赤紫の液体を笑顔で見つめる我が主の佇まいに、ふと魔族の儀式などという逸話を思い出しながらも、やはりわたしの選択が間違っていなかったことを確信するのだ。
◇◇◇
『あなたの幸が薄そうだからですわ。ならばこそ、わたくしと共に羽ばたくのですわよ!』
それはとても真っすぐで、意味不明なセリフだった。
わたしを専属の守護騎士とした際にリン様からいただいた、今となってはとても大切なお言葉。
三年ほど前になる。侯息女たるリンパッティア・シーン・ペルメッダ殿下の新たな守護騎士を決めるにあたり、数名の女性騎士が候補となった。
ペルメッダにおける守護騎士は、アウローニヤでは近衛騎士と称されているらしい。かの国における騎士たちの惰弱を知る初代侯王陛下が守護騎士と名付けて以来、歴史こそ浅いものの侯王家を守るべき存在として役目を負っている。
折しもリン様のアウローニヤへの輿入れが確定し、もしも守護騎士になることとなった場合、その者も同行するという前提を踏まえての選抜だ。そもそも普段から侯息女殿下には専属ではないにしろ、守護騎士がお傍に控えている。
行く先は悪名高きアウローニヤ王国ということもあり、つまるところ今回各家から送り出された面々は、半ば名誉ある生贄に捧げられた者たちだったのだ。
それでもわたしは父へ嘆願し、名乗りを上げた。
我が実家、レルハリア男爵家は侯爵家が辺境伯だった時代からの譜代武家として知られている。
次女として生まれたわたしは、幼い頃から心が表情に出ないことを自覚していた。周囲からはなにを考えているのかわからない、目つきがうす気味悪いと言われ続け、なおさら心に蓋をして、それでも研鑽だけは積んできた。家督は兄が継げばいいし、何かがあれば姉もいる。
ならばわたしは武でもって家に貢献すればいいと考えたのだ。十八歳で十階位の【堅騎士】は、決して恥となることはない。
ダメならダメでも構わないと思っていた。死地へ赴く候補として名を連ねること自体が、出来の悪いわたしにできるレルハリア家への奉公だと、そう信じたのだ。
『女官や兵士は十分に足りていますし、専属の守護騎士など一人で十分ですわ』
さも当たり前のように言い切ったリン様は、わたしを選んでくださった。
墓場か戦場か、赴くならば付近から疎まれているわたしを贄に選ぶのも道理かと、当時はそういう形で納得したのを覚えている。
その実リン様は、アウローニヤで屍を晒す気などはさらさら持ち合わせておらず、むしろペルメッダに財をもたらすつもりだったのを後に知ることになったのだが。
権威と富貴という意味で、リン様が恵まれた立場にいることに間違いはない。
そのような地位に対するやっかみもあってか、我が主は一部でワガママ姫と噂されていた。しかして実際傍に立ってみれば、まさにその流言は正しかったのだと思ったものだ。
傲岸にして不遜。どれだけ取り繕っても奔放という表現で手一杯だろうか。
誰に対してもそのような態度をとるものだから、逆に一部の平民たちには妙な人気を誇るのだが、多くの貴族、とくに同世代の女性からは今現在ですら疎まれている。
アウローニヤ送りに対しても、いい気味であるなどという暴言すら伝え聞いたことがあったくらいだ。
悲しいかな、わたしの知る限りでリン様と同世代で真の意味での友人といえる人物は、見当たらない。
気付きは守護騎士として仕えて間もなくだった。
高飛車な態度をとり続けるリン様だが、決して間違ったことを言いはしない。ただ明け透けで、容赦を持ち合わせていないだけなのだ。ましてや噂されていた無為な暴行など、一度たりとも見たことはない。
塞ぎがちで人の顔色を窺う質なゆえに早い段階でリン様の根底を知ることができたと、わたしは自分の性格をその時ばかりは嬉しく思ったのを覚えている。
同時にリン様は弱さや悲しさを表にしないお方であることも知った。
国のためを思い戦士を目指しながらも【拳士】となってしまったこと。三年前に指導者を失ったこと。その後すぐにそれまでの努力と無関係にアウローニヤへ嫁ぐことが決まってしまわれたこと。
なんてことはないという風に世間話のごとく聞かせてもらった境遇は、わたしからしてみれば、どれもが悲しいものだった。たとえお国のためであり、侯息女たる者の責務であったとしても。
それでもリン様は俯くことはなかった。
悲しい事情を抱きながらも真っすぐに、まるで迷宮の丸太のごとく、どこまでも力強く歩み続けるのがリンパッティア・シーン・ペルメッダ殿下というお方の本質なのだ。
そんなリン様だからこそ、鬱屈とした想いを抱いて志願したわたしをあえて引き上げようとしてくれたのではないかと、今となっては考えている。
『階位など上げる必要はありませんわ。常にわたくしに侍りなさいませ』
専属となってから三年、わたしの階位は上がっていない。
リン様の専属となった以上、十三階位を目指しても良かったのだが、それは止められていた。
お気持ちもわかるのだ。置いていかないでくれと、リン様は言外にそう告げ続けていたのだろう。我が主が理に適わないワガママな態度を示すのは非常に珍しく、わたしはそれを受け入れた。
当時のアウローニヤ第一王子、バールラッド殿下は七階位の騎士職。妻となる者がそんな王子より階位が上であるのは醜聞となると伝えてきたのがアウローニヤだった。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
婚約からほぼ一年、七階位となったリン様は定期的に二層での戦闘をこなしつつも、それ以上を目指すことはなかった。
『専属の守護騎士ともなれば身内も同然。わたくしのことは『リン』とお呼びなさいませ。わたくしもあなたを『メーラ』と呼ばせていただきますわ』
その時を持ってリンパッティア侯息女殿下は、我が主たるリン様となった。それから三年が経つ。
高慢で豪放で、悲嘆を抱えつつもひたすら歩み続ける我が主。使う当てもなく、それでも拳を振るい続けたリン様。
そんなお方が解き放たれる要因となったのが、目の前で騒ぐ勇者たちだ。
彼らこそが我が主を陽の光の下に連れ出してくれた。引きずられるようにして、わたしも一緒に。
◇◇◇
「わたくし【鉄拳】を取りますわ!」
「【視野拡大】じゃなくていいんですか?」
「そちらは九階位で……。いえ、【剛力】が先ですわね」
意気揚々と未来を語るリン様に雑音を挟むヤヅだが、間違いなく我が主の階位を上げる助けになっていることは認めてもいいだろう。しかも異常なまでに効率的だから質が悪い。
ヤヅを筆頭に、勇者たちの行いは、たしかに的確なのだ。
リン様が十階位を達成するのにそう時間はかからないだろう。そうなればこのお方なら、当然十三階位と言い出すに決まっている。ならばわたしも付き従うのがお役目だ。
わたしも上を目指す時が近づいている。
「【視野拡大】が無くても、わたくしの横にはメーラがいますわ。彼女はわたくしの目も同然でしてよ」
「かっけー」
「っぱ、ティア様だわ」
「いいよなあ」
「信頼関係、か」
「良かったね、メーラハラさん」
リン様の言葉に歓喜を覚え、勇者たちのふざけた放言すら前向きに感じてしまう自分の軽さが恨めしい。もっと言ってくれても構わないとすら思ってしまう。
我が主を認める言葉を、もっとだ。
なにしろ彼らの発言が本音であることを、わたしは確信しているのだから。
「おほほほっ、まだまだ道半ばですわ! このまま九階位を目指しますわよ!」
「おう!」
これほど生き生きと意地の悪い笑顔をみせるリン様などいつ以来だろう。それだけでもわたしは勇者に感謝の念を抱かざるを得ないのだ。同時にやり場のない妬みも覚えるのだが、しかし彼らは驚くほどリン様に対して、友好的な態度で接し続けている。
さすがはリン様と言うべきか、その度量で伝説の勇者たちすら引き付けてしまったのだ。
そしてわたしが尊敬してやまない主の器を見抜いた勇者たちもまた、悔しいながら認めるしかないのだろう。彼らは本物だ。
他者からは濁っているなどと称されるわたしの目は、それゆえ美しいモノを見抜くことができるのだから。
次回の投稿は明後日(2025/02/27)を予定しています。不定期になっていることをお詫びいたします。