第460話 名前を書いて
「お勤めご苦労ですわ!」
「お言葉、ありがたく」
一年一組のホームの正門からちょっと入ったところで、なぜかティア様が主のごとく慰労の言葉を述べ、留守番をしていたデリィガ副長が声を震わせながら頭を下げた。横に立つスキーファさんは黙ったままで同じく最敬礼の姿勢だ。
いくら無国籍で自由な冒険者とはいえ、居住地がペルメッダである以上、侯爵令嬢に対する礼を失することなどあり得ない。
はねっかえりのチンピラ冒険者ならまだしも、老舗な『オース組』の副長ともなれば、その辺りはしっかり弁えているのだ。
そんな高飛車令嬢を連れてきておいてなんだけど、なんか申し訳ない。
それでも拠点の前に侯爵家の馬車を連れてくるわけにもいかないので、俺たちに紛れる形でティア様はフードを被って徒歩で来てくれたのだ。ワリとこちらのお願いには従ってくれちゃう系悪役令嬢なのがティア様だったりする。
「スキーファさんもお疲れ様でした。契約は滞りなく履行されたようですね」
「はい。むしろ彼らには教わりました」
で、なんでか一緒についてきてしまっているマクターナさんは、スキーファさんに語り掛けていた。事務仲間ってか。
一等書記官という肩書を持つマクターナさんは、ほいほいと窓口に出るような立場ではない。
ラノベ的にありがちな、ギルドの受付嬢が実は凄い権力者だったっていうパターンには当てはまらないのだ。事実『オース組』のナルハイト組長が引き合わせてくれた時も、彼女は奥から出てきたものな。
そんなマクターナさんはフリーダムにも『一年一組』の新拠点を見たいと提案してきた。引っ越しが終わっていないからと伝えれば、手伝うから、と。
十五階位の前衛職が力仕事を買って出てくれるのはとても頼もしいのだけど、組合の書記官がやっていいことなんだろうか。
妙なライバル心を前面に押し出したティア様がぐぬぬっていたけれど、貴族令嬢に手伝ってもらうつもりはないぞ。屋敷の中でふんぞり返って監督してくれていればいい。
ちなみにだけど、マクターナさんの言うとおり、スキーファさんによる事務講座は滞りなく完了している。完了報告についてはスキーファさんと滝沢先生両名のサインが入った書類を俺たちが組合に提出したことで完結だ。
冒険者業界における依頼完了の報告は、依頼をした方された方、両者のサインが入った書類があればどちらが提出しても構わないルールになっている。両者揃ってとか、絶対に依頼した方がなんていう決まりにすると、隊商の護衛とかで自由度が下がるコトになるからなんだとか。
「さてさて、取り掛かろうかねえ」
「はーい!」
足早に去っていくデリィガ副長とスキーファさんを見送りながら、今回の引っ越し総指揮担当になったアネゴな笹見さんがコールをすれば、クラスメイトが力の抜けた返事をする。
さて、やっと引っ越し作業の本番だ。
◇◇◇
「よぅし、荷運び組は大使館にダッシュ」
「うーっす!」
威勢のいい笹見さんの声に、クラスの面々が動き出す。
先日綿原さんたちが買い出しで揃えた品物は、私物も含めてアウローニヤ大使館に預けてある。ベッドとか棚とかの大物、食器や調理道具、盾なんかを含めた迷宮用の備品、私物や大量の金、食材などなど。一部は個人で、荷車の方には積めるだけ積んでっていう力業での輸送だ。
荷運び担当は基本前衛職メンバーで、リーダーは寡黙な馬那。
メンツとしては騎士職の藍城委員長、野来、佩丘、古韮が荷車を担当する。加えて同行するのは、アタッカーの中宮さん、海藤、春さん、ミア。周辺警戒で忍者の草間。イザという時のヒーラーとして田村といった面々だ。ちょうどクラスの半分だな。
マクターナさんも荷運び組を買って出てくれたのだけど、組合の事務員さんがアウローニヤ大使館から荷物を抱えて出てくるというのは、いかにも風聞が悪い。なので拠点整備担当をお願いすることになった。
本当は荷運び組に参加する予定だった先生も居残り側だったりする。
珍しく自己申請をしてきたのだけど、女子たちの見解によれば大使館に出向いてスメスタさんと顔を合わせるのが気恥ずかしいのが理由らしい。昨日からこちら、先生の萌えポイントが爆増中だな。
「居残り組、厨房は美野里、凪で受け入れ準備しといて。雪乃は保存庫の温度下げ」
「はい」
「まかせて」
「ん」
「藤永、八津、夏樹。談話室の配置換え、任せるよ」
「っす」
「おう」
「うん」
「それ以外はあたしとベッドの配置と確認を──」
まさに小気味いいとしか表現できないような笹見さんの指示出しに、俺たちは次々と役割りを得ていく。
いざ戦闘となると自発的な行動が少なくなる彼女だけど、実生活では見事な指揮官っぷりを発揮する。
アウローニヤの離宮に住んでいた頃からずっと、普段の生活を仕切ってくれるのが笹見さんだ。聖女な上杉さんがクラスの母親ならば、笹見さんはおっかさんってところかな。
「さあさ。今日はお客さんも来てるんだ。とっとと終わらせるよお」
「わたくしは客のつもりはありませんわ」
「こりゃあ失礼。ならティア様は、誰かがサボっていないか、キッチリ監督しておいてくださいな」
「お任せですわ!」
ティア様の強情も笹見さんはソレっぽく流してしまう。大した手際だよ。
「ササミさん、わたしはどうすれば」
「ああっと、マクターナさんはそうだねぇ。八津、なんかいい感じので頼むよ」
なんでそうなるのかなあ。
「マクターナさん、談話室で午前中に使ってた資料が山積みなので、それを整理するっていうのはどうでしょう」
「力仕事をしたかった気分ですが、仕方ありませんね」
無理やり感はあるけれど、資料の整理は大事な仕事で、マクターナさんなら適任だろう。見られて困る資料は、まだ持ってきていないし。『オース組』側の資料も専属担当なのだから問題ない。
マクターナさんだってちょっとは興味があるんじゃないかと思うのだ。ここは適材適所ということで。
ほら、当たり前のように談話室の椅子にどっかりと座り込んでいるティア様を見習うといいなって思うのだ。
◇◇◇
「とりあえず、お疲れ様ってところかな。ベッドも大使館から譲ってもらって全員分は揃ったし、良かったねえ」
「うーっす!」
「あとは生活してみて足りないものが出てくるだろうから、そっちは追々だねえ」
模様替えが終わった談話室のど真ん中で腕を組んだ笹見さんが、引っ越しの寸評をしてくれている。
開始してから大体二時間くらい、荷運び部隊が拠点とアウローニヤ大使館を三往復したところで荷物の運び込みは終了し、そこからはクラスの総出で整理整頓が行われた。
「わたくしからもいちおうの合格点を差し上げますわ。ですがまだまだ殺風景ですわね」
扇を手にしたティア様はちょっと不満げではあるものの、いちおう納得はしてくれているようだ。
もちろんティア様に判定を頂く必要があるのかどうかは謎のままである。それと、侯爵家の装飾品とか、ティア様の私物とかは持ち込まないように。
「おっし。じゃあ最後に飾るぞー!」
「おう!」
部屋の片隅にアウローニヤ大使館からレンタルした絨毯を敷いて、テーブルなどを端に寄せた談話室で、古韮が槍を掲げる。その先端に括りつけられているのは緑地に光の粒が並ぶ『帰還旗』だ。
本来ならば『緑山』が解散された段階で記録にだけ残るはずの紋章ではあるのだけど、女王様承認は出ているので問題なし。
実はアウローニヤを出立する直前に手が加えられ、旗の一番下の部分に青い縁取りが追加された。すなわち俺たち全員を支えてくれる碧眼。リーサリット・アウローニヤ・フェル・リード・レムト女王陛下、出席番号は二十八番だ。あの人を仲間外れになんか、できるはずがないものな。
俺たちが個人で持っている『帰還章』も、キチンと修正バージョンになっている。
そんな変遷を遂げた『帰還旗』が古韮の手によって談話室の壁に立てかけられた。
菱形に柏の組章とは違うけれど、その旗は俺たちが話し合いで決めた、やっぱり一年一組を象徴する旗なのだ。
「ご協力、ありがとうございました!」
「したー!」
一同揃って掲げられた『帰還旗』を見上げてから、笹見さんのコールで手伝ってくれたティア様、メーラハラさん、マクターナさんに対し、いっせいに頭を下げる。こういう時はちゃんとお礼をしないとだからな。
三人はいつも通りの彼女たちらしい表情で礼を受け取ってくれている。すなわちドヤ顔、笑顔、無表情ってところだ。
「お茶の準備をしてきますね。ゆっくり休んでいてください」
柔らかい声を残し、上杉さんが笹見さんと深山さんを伴ってキッチンに消えていく。
上杉さん監修で【熱導師】の笹見さんと【氷術師】の深山さんが動いてくれれば、ホットもアイスも思いのままだ。やっぱり熱系術師は実生活でも輝くよな。
「組の認定証を飾るのは定番ですね」
「そういうものですか」
「『オース組』でも見たのではないですか?」
「そういえば額に飾ってあったような。ウチもそうした方がいいんでしょうね」
「ならばまずは額縁ですね。アレにも格があるんです。お勧めは──」
お茶が出てくるのを待つあいだ、クラスメイトたちは思い思いの席に座って雑談モードになっている。
そんな中、生臭い話をしているのはマクターナさんと委員長だ。
高級印鑑に続き高級額縁をお勧めしてくるマクターナさんは、本当に俺たちの味方なんだろうか。
そのうち壷とか絵とかを売りつけられそうな勢いだぞ。
「部屋を飾るなら……、ねえ凛。掛け軸とかどうかしら」
「なんで和風なのよ」
「『かけじく』とはなんですの?」
そんな委員長を横目に綿原さんが中宮さんに話を振れば、そこに乗っかったのはもちろんティア様だ。
「ほら、ティア様がお望みよ。一筆やればいいじゃない、凛」
「一筆? 書ですの? 見てみたいですわ」
壁の棚から紙と筆を取り出してきた綿原さんが中宮さんを追い詰めていく。
ティア様がどういう反応をするのか完全に把握しているが故の悪ノリだなあ。
「……仕方ないわね」
渋々といった感じであっても、べつに減るモノでもない。中宮さんは綿原さんがチョイスした太めの筆を手に、テーブルに置かれた紙に立ち向かう。
やるとなれば名の通り、凛とした空気を放つのが中宮さんだ。武芸者が書に通ずるというのは、俺的にはいい感じなフレーズだな。
アウローニヤでも『うえすぎ』アラウド迷宮支店の看板を書いたのは中宮さんである。
彼女の筆が躍り出した。
「これはなんて書いてありますの? 絵のようでもありますわね」
「わたしたちの故郷の文字で『一年一組』よ」
「これが……、ですの」
掛け軸というより完全に習字なんだけど、中宮さんの達筆で書かれたソレは、どこか力強い。もちろんとばかりに縦書きなのがいい味を出しているな。
「異国文字ですか。これは売れるかもしれませんね」
さっきまで委員長に額縁を押し売りしていたはずのマクターナさんが、いつの間にかこちらの会話に参加して、しかも金の匂いがする方向に持っていこうとする。
「ダメですわよ。これはリンがわたくしのために書いてくれたものですわ」
「……ならば殿下の名を異国の文字で書いていただくというのは、どうでしょう」
「それですわっ!」
ああ、ティア様が乗せられてしまった。
こんな短期間でマクターナさんが侯爵令嬢の扱い方をマスターしつつあるような。事前情報はあったのだろうけど、これが冒険者組合一等書記官の実力か。
「いいですけど、売るのは無しです」
「そうでしたわ。売るわけがありませんわ!」
商売のネタにされてはたまらないと中宮さんが念を押し、ティア様もなんとか踏みとどまってくれた。苦笑を浮かべるマクターナさんは、それでもこの展開を楽しんでいるかのようだ。
「ちょっと待ってください。縦長の紙を作りますから」
いざとなれば真摯に立ち向かうのが中宮流ってヤツなのだ。中宮さんはナイフを使って丁寧に短冊を作っていく。
「じゃあ、書くわね」
「期待が膨らみますわ!」
縦書きにこだわりがある中宮さんは、並べた短冊の上の方に筆を置いた。
『リンパッティア・シーン・ペルメッダ』『りんぱってぃあ・しーん・ぺるめっだ』
で、二種類である。中宮さんはサービス精神旺盛だな。見事な草書でティア様の名が書かれた短冊が、テーブルに二枚置かれた。
身を乗り出したティア様が意地悪そうな目をギラギラと輝かせて、ソレを見つめている。
「こちらがカタカナで、こっちがひらがなっていう文字なの」
「これはこれで美しいですが、さっきの字とは雰囲気が違いますわね」
「あれは漢字っていう文字なの」
「『ひらがな』『かたかな』『かんじ』。随分と種類が多いのですわね」
ティア様としては『一年一組』という文字との違いが気になったのだろう。中宮さんの説明を聞いて不思議そうに首を傾げる。
フィルド字はアルファベットと同じで表音文字だし、複数の種類、ましてや漢字みたいな画数の多い文字が奇妙に見えるんだろうな。俺も小学の頃はめんどくさいって思ったし。
「わたくしの名は『かんじ』で書けますの? リンはどうなんですの?」
「え、えっと、わたしはこう、よ」
押しが強くなったティア様の圧に負けた中宮さんは、自らの名前、すなわち『中宮凛』と書いていく。
「わたくしやっぱり、こちらの『かんじ』の方がいいですわ!」
「ええ?」
漢字に憧れて意味不明な入れ墨をしてしまう外人さんを思い出すような会話になってきたけど、どうするんだよ、これ。
「にひっ、凛。これ見て~」
進退窮まった中宮さんの横からすっと紙片を差し出したのは、チャラ子な疋さんだった。
鉛筆を持ってコソコソしているのには気付いていたのだけど、これは酷い。
「ぶふぉっ」
「どうしましたの!?」
ソレを見た中宮さんが美少女がしちゃいけないたぐいの吹き出し方をして、ティア様が慌てる。
そりゃそうだ。中宮さんがああなる気持ちもわかるよ。疋さんも凄いこと考えるなあ。
「朝顔ちゃん、コレ本当に書くの?」
「だってそうなるっしょ」
「……仕方ないわね」
「『かんじ』がたくさんですわ! なにか複雑でいい感じですわ!」
大喜びするティア様に漢字だけにとは突っ込むまい。そもそもフィルド語だからダジャレになってないし。
『凛溌帝亜・深・辺流迷陀』
これが疋さんの提唱したティア様の漢字表記だった。
なにげに『凛』という字を入れたり、ペルメッダを『辺流迷蛇』と置き換えるあたり、疋さんのセンスが光っているのがなあ。『凛溌帝亜』の部分も、なんとなくティア様っぽいし。
「いいね!」
「やるじゃん」
「カッコいいな、うん」
「ですわよね! 素敵ですわ!」
悪ノリ大好きなクラスメイトたちも大絶賛で、相乗効果でティア様のご機嫌も急上昇だ。
「家宝にいたしますわ! 額縁を発注しませんと!」
先日の聖遺物に続き、今度は家宝が誕生したらしい。ペルメッダ侯爵家はどうなってしまうんだろうなあ。マクターナさんの額縁ネタはここにつながったのか。
◇◇◇
「うーん」
いまさらだけどこのネタ、アウローニヤでもやっておきたかったとふと思うのだ。
つぎの手紙に同封するのもいいかもしれない。『死屍琉乃・瞳・慈獲沙瑠』とかどうだろう。シシルノさんなら大喜びしてくれそうな気がする。
それになにより──。
「女王様にも考えてあげないとね」
「……だな」
横から話しかけてきた綿原さんの目はどことなく憂いを帯びていて、俺にもなんとなく言いたいことが伝わってくる。
この世界に呼ばれた当初の俺たちだったら、こんなに短い時間でティア様と仲良くできているはずもない。
下地を作ってくれた人たちがいた。アヴェステラさん、ヒルロッドさん、シシルノさん、アーケラさん、ベスティさん、ガラリエさん。加えてジェブリーさん、ヴェッツさん、キャルシヤさん、シャルフォさんたちも。
誰も信じることができず、ただひたすら一年一組という枠組みにこだわり、他者を疑い続けた姿勢は間違っていなかったと今でも思う。あの時はそうするしかなかったのだから。
だけどあの女王様が差し向けてくれた人たちは、俺たちのことを考えてくれる立派な大人たちだった。異世界で信じるこのできる人たちに出会ったからこそ、俺たちはこうしてティア様やマクターナさんと打ち解けている。マクターナさんはまだまだ裏がありそうだし、メーラハラさんに至っては性格すら不明だけど、それはそれとして。
俺たちがそう考えることができるようになった『黒幕』こそが、リーサリット様だ。
自らの意思で女王様になってしまい、今は遠くで頑張っているけれど、あの人は俺たちのひとつ上で同世代ということを忘れてはいけないと思う。
立場と野望のお陰で、女王様と俺たちが接することのできた時間はそれほど多いものではなかった。
それでも思ってしまうんだ。女王様は、リーサリットという女の子は──。
「申し訳ないって考えるのは、違うよな」
「そうね。女王様は、わたしたちがこうしているのを喜んでくれると思う。でも……」
俺たちがこうしてペルメッダで明るくやっていられるのは、そこに女王様の後押しがあったからだ。
女王様の求めていただろう光景に、彼女がいないというもどかしさが拭えない。
「名前、押し売りしよう」
「可愛い漢字を当てないとね」
俺と綿原さんは紙にカリカリと漢字を並べ始めた。あとでみんなとも相談しないとだな。
肩書の時はミアが大活躍だったけど、俺だって負けてはいられない。
「ヒキさん、わたしの名前もお願いしてもいいでしょうか」
「マクターナさんからは有料になるっしょ」
「やり手ですね、ヒキさんは」
「うっひひ~」
妙な騒ぎになっている談話室を見ていると、ふた月以上を過ごした『水鳥の離宮』を思い出す。
同時に、ここがこれからのホームになるという実感が湧いてくるのだ。