第458話 事務の授業からの
「実は最初から疑ってたのよね」
「え?」
「スメスタさん。最初に会った時、先生を見る目が、ね」
拠点までの道すがら、目立たない程度に小さなサメを浮かばせた綿原さんが、俺にネタばらしをかましてきた。
そういえばスメスタさんと出会った関所で、綿原さんと中宮さんが妙な視線を送っていた記憶がある。ついでにチャラい疋さんも。最初っからかよ。
俺も【観察】してたけど、そんなのは全くわからなかったぞ。もしかしたら女性にしか見えない何かがあるのだろうか。とにかくひとつ勉強になった。これには俺も気を付けないといけないだろう。手遅れでないといいのだけど。
アウローニヤ大使館から新拠点までの道のりはたったの十分だ。荷車を引いているとはいえ、石畳の路面ならば一年一組の速度は落ちない。
安全な街中ということもあって、さすがの俺も車上の人ではなく、綿原さんと並んで歩いている。二台の荷車担当は前衛職メンバーが担当だ。
大使館を含む高級住宅街ということもあって、人どおりはそれほど多くもないが、たまにすれ違う人が荷車に積まれた大荷物に視線を送るくらいでトラブルの予感はない。
それでも俺たちは革鎧にマントにフードといった装備で、冒険者ムーブを前面に押し出している。盾こそ持っていないけど、メイスと短剣は標準装備だし、一人は木刀持ちだ。うん、謎の冒険者集団って感じなのがいい。
「おはようございます」
「おはようございます!」
俺たちが今日から住むことになる邸宅の前では、約束の時間よりも早いのに『オース組』の事務員、スキーファさんが待ち構えていた。
金髪を肩まで伸ばした二十歳くらいのお姉さんが朗らかに挨拶をしてきたのを受けて、俺たちはフードをいっせいに下ろして元気に返す。早朝という時間ではないにしろ、路地に大きな声が響き渡った。近所迷惑とか言われたりしないだろうな。
「朝から元気だな」
「あ、デリィガさん。おはようございます」
「ああ、おはよう」
頭を上げた俺たちに声を掛けてきたのは『オース組』副長のデリィガさんだ。藍城委員長がソツのない笑顔で挨拶をする。
三十歳くらいで大柄なデリィガさんは、無精ひげを生やした豪放なおじさんだ。どことなくアウローニヤでお世話になった『黄石』……、今は『灰羽』のジェブリーさんを思い出す。足のリハビリはどうなっているかなあ。
「俺はスキーファの付き添いだ。別料金とか言わないから同席だけさせてくれ」
ニカっと笑うデリィガさんは肩に大きな鞄を担いでいる。
どうやら護衛兼今日使う教材運びに駆り出されたようだけど、それって副長が出張る案件なんだろうか。
「おはようございます」
デリィガさんの背後からペルメッダの国軍装備を纏った衛兵さんも二人現れた。俺たちを待っているあいだに三人で雑談でもしていたのかな。ここは治安のいい場所だし、それくらい緩い空気でも問題ないということなんだろう。
とはいえ衛兵のお二人はティア様がサービスで付けてくれていたので、只今一年一組の到着をもってお役御免だ。この瞬間から俺たちのホームを守るのならば、自分たちで手段を講じる必要が出てくる。
「では、我々はこれで」
「ありがとうございました!」
俺たちのお礼を背中に、衛兵は立ち去っていく。
「第一弾の荷物だけ運んできました。降ろしたらすぐに始めましょう」
そんな委員長の言葉でもって、俺たちの拠点生活が始まった。引っ越しより先に授業っていうのが微妙だけどな。
◇◇◇
「えっと、こんなの見せてもらっていいんですか?」
「はい。隠すようなものでもありませんから」
「それは、はい。いえ、そうなんですか?」
クラスの経理をメイン担当することになるメガネ文学少女の白石さんが、手にした資料を見て、ちょっと声を上ずらせる。対するスキーファさんは飄々としたものだ。
拠点の談話室には三台のテーブルが置かれ、一年一組と先生役のスキーファさんがバラけて座っている。
付き添いのデリィガさんは壁の方でだらしなく椅子に座り、こちらを眺めているだけだ。すぐ横の小さなテーブルには白い花瓶が置かれ、スメスタさんから滝沢先生に贈られた花が飾られている。
滝沢先生は俺たちの中に紛れて、完全に生徒側の姿勢になっている。しかるべきところではキッチリと聞く側に回るってところが先生らしいよな。
メーラハラさんとまではいかなくても目が濁っているように見えるのは、昨日のダメージを引っ張っているのか、それとも苦手な書類仕事だからなのか。
さて、俺たちが今見ているのは『オース組』の所謂出納帳にあたる資料だ。コピー機があるわけでもないので月単位でバラバラだけど、様式は一緒になっているそうな。
問題なのは、金額だよな。一千万ペルマ単位なんだけど。白石さんが挙動不審にもなるというものだ。
スキーファさんを含めた六十人以上の冒険者たちが、どんな仕事をしてどれくらい稼いだのか。給料はどれくらいなのか、食事代や装備の修繕費、組としての積立金なんかまで記載されている。ひと月でこんな金額が動くのか。つまり年単位にしてみれば数億。
収入が億単位というわけではなく、あくまで動いている金なんだけど、それにしたって高校生には重すぎる数字だ。
「これが中規模二等級か……」
「ウチはこれでも老舗ですからね。ペルマに属する組の中でも、かなり健全な経営ができていると自負しています」
イケメンオタの古韮が感服したように言えば、ちょっとドヤったスキーファさんが笑顔で返す。
毒舌癖こそあるものの、ワリとクルクル表情が変わる楽しいお姉さんなのだ。
「出入りが窓口ひとつだった騎士団とは大違い。軌道に乗せるまでが大変そうね」
「組合が斡旋してくれるからといっても、契約は個別なんですね。なるほど……」
スキーファさんの説明を受けている綿原さんと上杉さんは、俺の理解が及ばないところで納得をしているようだ。
「数字もぴったり。わたしこれ、手計算でやれる自信がないわよ。スマホの電源がないのが悔しいわね」
「わたしもですよ。せめてソーラー電卓があれば違うのかもしれませんけど」
なんか遠いなあ、二人とも。間違いなく一年一組のためになる会話なんだろうけど、どれくらいの難易度なのか想像できない。
「みんなで検算するしかないよ。手伝ってもらえるよね」
そんな綿原さんと上杉さんの会話を聞いた白石さんが困ったような笑みを見せれば、クラスの皆が頷いた。
指示さえもらえれば足し算引き算くらいならいくらでも手伝うさ。
「わたしとしては、みなさんの理解に驚きます。わかっていただけるか一番面倒なのが帳簿の見方だと思っていましたから。そこにいる副長なんて、半分もわかってくれているかどうか」
呆れた含みを持った声色でスキーファさんが、デリィガ副長をイジる。副長は肩を竦めるだけで、何も言わない。どういう関係なのやらだ。
とはいえ、わかりやすいと思うんだよな、この帳簿。
何のために金が使われているか、一部謎の経費もあるようだけど、ちゃんとわかりやすく項目が書かれているし、こうして月ごとに一覧表にまとめられているのは立派なものだと思う。なんか高飛車目線で申し訳ないけど、アウローニヤがアレだったから。
冒険者業界がこうなのか、それとも『オース組』が凄いのかは不明だけど、余計な装飾が少ないのもあってアウローニヤの物語調な資料と比べて、余程読みやすい。
「では続けますね──」
ところどころで雑談じみた質疑応答を挟みながらも、スキーファ先生の授業が進む。
◇◇◇
「提携する店ですけど、『オース組』と同じでもいいですか?」
「……いえ、組合の、というよりマクターナさんの推薦を受けた方がいいですね。ただ、提携を結ぶ前にわたしにも教えてもらえれば、少しは助けになれるかもしれません」
書類周りだけでなく、冒険者としての日常、事務員の仕事内容、スケジュールなんかを口頭で説明してもらっていると、やはり俺たちが見落としていたことだって見えてくる。
綿原さんが質問したのは、武器や防具なんかの整備についてだ。一年一組があまり想定していなかった点だな。
俺たちがアウローニヤから持ち込んだ装備は、見た目こそ地味にしているが近衛騎士クラスの最上級品ばかりだ。四層メインで一部五層の素材までもが使われているので、『普段使い』としてはこれ以上はないってくらいの代物で揃えてある。当然、丈夫で壊れにくいし、普段は自分たちの整備で事足りるだろう。
けれどしっかりしたメンテナンスとか修理となると話は変わってくる。つい先日お世話になった『磨き屋』はお門違いだし。
アウローニヤではそういうのは全部、近衛専属の『フューラの工房』にお任せだったものだから、すっかり抜け落ちていた。親方たちは元気してるかな。
その件について綿原さんが確認したように、冒険者たちの多くは組と提携した鍛冶職人なり革工職人にお願いしているようだ。組専属のお抱え職人なんてパターンも想像してしまうが、それをやると鍛冶組合とかがうるさいらしい。
こういう地元ならではのやり方は事前調査が難しいから、やっぱりスキーファ先生を頼って大正解だ。近いうちにマクターナさんからもこの手の話は出ていただろうけど、情報源は複数の方がありがたい。なにせマクターナさんは、俺たちの資産が豊富なのをわかった上で高い印鑑を買わせるタイプの人だし。
本当だったらペルマ=タを散策して武器屋を冷やかしたりもしたかったのだけど、それは別口でやるとしよう。
とくに食料品については、昨日の焼き干しみたいのが見つかるかもしれないので、時間を作ってはペルマ=タ中を散策する予定だ。こっちでも米が見つかるといいのだけど。ついでに味噌と醤油とワサビなんかも。
「マクターナさんを頼りながら、なるべく組合と仲良くなった方がいいってこと、ですよね?」
「そうですね。『一年一組』は新参で変わった目標を持つ組です。組合側に味方を増やしておく方がいいと思いますから」
俺は食欲方向の妄想をしていたが、綿原さんはシッカリと考えていたようだ。ちゃんと正解を出してみせれば、スキーファさんが笑顔になる。
一見『一年一組』が組合に借りを作る形にも感じるが、あちらにしてみれば頼られるのだって実績だ。
細かいやり取りを積み重ねることで、俺たちが組合を頼りにしているとアピールするのは悪い手じゃないと思う。マクターナさんだって俺たちの真の目標はわかってくれているので、曲解しないで対応してくれるだろうし。
「ウチの組長はお前たちに恩義を感じている。『オース組』はとっくに『一年一組』の側だと思ってくれていい。それ以外にも手を広げておけってことだ」
壁際に座ったデリィガ副長が悪そうに笑う。
『オース組』に頼るのは構わないけれど、今はマクターナさんの顔を立てる方に重点を置けってことかな。
「マクターナさんは頼もしい人ですよ」
「そうですね」
スキーファさんと綿原さんが頷き合うが、それには俺も同感だ。
ただし『頼もしい』の方向性が謀略側じゃなくって、武力による威圧だというのがなあ。
◇◇◇
「では、わたしからも。ここまでの内容で気になった点はありますか?」
いくつかのやり取りの後、改まった感じでスキーファさんが持ちかけてきたのは、『オース組』の書類や行動パターンで気になる箇所はなかったかという逆質問だった。
「うーん、戦闘詳報や会議の議事録がちょっとわかりにくかったかも、です」
「ノキさんはそう感じましたか」
「出納帳はわかりやすかったけど、こっちは出来事や会話の羅列になってて、要点が見えにくいかなって。ごめんなさい」
「いえ、そういう意見を期待したんです。お気になさらず」
遠慮なく感想を、なんて求められた一年一組の面々が顔を見合わせる中、文系男子な野来がおずおずと喋り始める。偉いぞ。
「おう。俺もそういうのが聞きたかったんだ。他所の連中に組の内情を語ってもらう機会なんて無くってなあ」
目をギラつかせたデリィガ副長が嬉しそうに口を挟んでくる。
「ずっとこうしてきたからそれでいいんだって考え方だけじゃあ、なんかあった時が怖い。お前らのやり口や『しおり』だったか、アレは面白いな。フィスカーたちが絶賛していたぞ」
なるほど、だからこの場に居るのがナルハイト組長じゃなくてデリィガ副長だったのか。
ナルハイト組長自身は伝統を重んじる保守的な考え方の人だけど、副長は新しい風を呼び込みたい気質だというのは先日の会合で知っている。あちらはあちらでアラウド迷宮での戦い方や『迷宮のしおり』の件もあって、一年一組は突飛な考え方をする側だという風に思っているんだろう。
ちなみにスキーファさんも一般の事務員で、『オース組』の事務長さんは別にいるのだそうだ。『オース組』の勇者窓口に若手のスキーファさんを充てたのも、これまた改革の一環ということかもしれない。
なにより自身は保守派で頑固な考え方をしていると知りつつ、こういう面々に応対を指示するナルハイト組長の懐がデカい。うん、尊敬すべき大人って感じだ。
「これ、読み物としてなら面白いかも」
「っすよねえ」
アルビノ系女子の深山さんとチャラ男の藤永が仲良く間の抜けた感想を言い合っている。
深山さんの言うとおりで、調べごとという視点だと問題ありの報告書だけど、物語としてはアリかもってところだ。
ちょうど俺が読んだのが大剣のフィスカーさん率いる『黒剣隊』の報告なのだけど、全体的にクドいというか、バトルシーンが多かった。現場組としては、やっぱり大袈裟に活躍をアピールしたいんだろう。
隣の綿原さんのと交換してみたけれど、そっちは年配の人たちが書いたのか、妙に淡白なんだよな。
隊によって違いが出てしまうのは仕方ないにしても、資料としてはよろしくないんじゃないだろうか。
そういえば俺たちの出したのと『オース組』からの報告書をマクターナさんが並べて読んでいたけど、よくも整合しているなんて判断ができたものだ。
恫喝シーンがあまりにも印象的だけど、書類を読むのも得意なのかもしれない。伊達に一等書記官はやっていないってところか。
「やっぱり、清書っていうか、誰かがまとめるのがいいと思います」
「そうですね。出納と同じで、要素を抜き出す必要がありそうです。うーん、人手が……」
一年一組の筆頭書記をやっている白石さんが提案したのは、最初からフォーマットを固めるか、もしくは事務の誰かが統一した形式で書き直すっていう内容だった。
それを聞いたスキーファさんは苦笑いになる。
現場を担当する迷宮組にお願いするのはキツいし、ヘタをすれば反発を食らうような提案だ。やるとすれば、事務側で手を入れるという形になるのだろう。必然スキーファさんみたいな人たちの負担が増えるという流れだな。
「やる価値があるなら人手も考えるが、お前らこういうの得意なんだろ? どうだ、指名依頼ってことで」
「勘弁してください。組を立ち上げてる途中なんですから」
「だよなあ。持ち帰って考えるか」
デリィガ副長が俺たちに妙な依頼を出そうとするけれど、それは委員長が即否定した。
ダメ元って感じだったけど、そもそもほかの組に依頼するような仕事じゃないだろうに。
「あ、でもボクたちの書き方なら見せてもいいんじゃない?」
「みなさんがよろしいのなら、是非」
ロリっ娘にして副官の奉谷さんが手を挙げ、元気に提案する。期待に瞳を輝かせたスキーファさんが俺たちを窺うが、まあいいんじゃないかな。クラスの誰からも否定の声は上がらないし。
見せてマズいのは女王様が絡んだ迷宮くらいだから、五回目か六回目あたりの資料なら問題ないだろう。
「具体的にはどんなのなんだ? ホウタニ」
「えっと、どこからどんな魔獣がどれだけ来たのとか、誰がやっつけたとか、そういうのを地図に全部書いておいて、地上に戻ってから階位があとどれくらいで上がるのかなってまとめるの。です」
「そんなことまでやってるのか。いや、でなきゃあんな資料にはならないのか」
奉谷さんが妙に詳しく説明しているけれど、ここに現物は持ってきていない。デリィガ副長は考え込んでいるが、どこまで伝わっているのやら。
「お前らこのあと組合事務所だったよな?」
「はい。冒険者票の受け取りと、別口の契約があって」
唐突に話題を変えたデリィガ副長に委員長が首を傾げて答えた。
「立ち上げ早々繁盛しているようでなによりだ。でだ、俺とスキーファで門番やっててやるから、それと交換ってことでどうだ?」
「いいんですか?」
「そっちが金払って出した依頼だ。こっちの貰いが多くなりすぎるのはよろしくないからな。ついでに引っ越しも手伝ってやる」
妙なところで義理堅いことを言い出すデリィガ副長の意地悪な顔を見た委員長は苦笑いになっている。
たしかにこれから組合事務所に行っているあいだ、この拠点はノーガードになるのだけど、今の段階では金目のモノなんてほとんど置かれていない。
元大使が使っていた巨大なベッドとか盗み出すのなんてムリだろうし、持ち逃げできそうなのなんて、せいぜいスメスタさんから贈られた花瓶くらいなんだよな。それはそれで先生的には大事な品か。
「あの、たぶんティア……、リンパッティア様が一緒に来ることになると思うんです」
前向きな空気の中、申し訳なさそうに中宮さんが口を挟んだ。
ああ、ソレがあったか。絶対ついてくるだろうなあ、ティア様なら。
「お前ら……、聞いてはいたが、そこまでなのか」
くたびれたように副長が肩を落とすけど、それはティア様の登場に対してなのか、それとも中宮さんが愛称を使ったせいなのか。
「ウチの組長が門番をするのは明日だったよな? 資料はその時にしてくれ。すまん、引っ越しは手伝えないが、留守番までは任せろ」
「ですよね」
早口になったデリィガ副長の慌てっぷりに、中宮さんをはじめとしたクラスメイトの大半が苦笑を浮かべた。