第457話 悲しいなあ
「気付かなかったわね。どういうことかしら」
ティア様が帰宅し、スメスタさんも退室して日本人だけになったアウローニヤ大使館の談話室に、サメを肩に乗せた綿原さんの声が響く。
ちなみにティア様をレベリングする件については満場一致で可決され、明日の午後イチに組合事務所で契約を交わす約束になった。そのあとの引っ越しにも顔を出すんだろうなあ。
ティア様には練習してもらいたいこともあるし、それ自体は大歓迎なんだけど。
さて、スメスタさんが滝沢先生に贈った花束とは別に、プレゼントらしきものをポケットに入れていた件を大した意思もなく雑談で俺が話題にしたところ、周囲の反応は二つにわかれた。
綿原さんは意味不明といった側で、そしてもう片方は──。
「八津くん、大きさはどれくらいでしたか? 厚みは?」
普段通りの微笑み方なのだけど、ちょっとだけオーラを含ませた聖女な上杉さんが問いかけてくる。
あれ? これってヤバいタイプの話題だったのか?
「上着のポケットからちょっとはみ出てたくらいだから、これくらい?」
上杉さんからの詰問、もとい質問に俺は逆らうことなく見たままを答える。両手の親指と人差し指を広げて、十センチくらいの正方形だ。厚みは、ほとんどなかったな。
「あ~あ、それってアレじゃん」
「え? まさか」
そんな俺の仕草を見たチャラ子な疋さんがイヤらしく笑い、文学メガネ少女な白石さんがメガネを光らせる。
「……ハンカチ」
なにかに気付いたようにポツリと綿原さんが呟いたところで、クラス全員に理解が及んだ。
「さすがは先生デス。モテモテデス!」
興奮を隠さないミアが両手をブンブン振り回して叫ぶ。
「おいおいおい、マジかよ」
「うっひゃー」
「やるなあ、先生」
「カッコいいもんなあ」
クラスメイトたちが好き勝手に盛り上がり、一部、具体的には先生大好きな中宮さんが絶句している。
さっきのティア様との一件といい、今日の中宮さんは苦労人だなあ。
どうしてこうなったのかといえば、そこにはこの国、というかアウローニヤ王国とペルメッダ侯国の風習が関わってくる。
召喚当初から今に至っても俺たちは調べごとを欠かさない。重心こそ法律や社会情勢、神授職システム、迷宮、魔獣なんかに置いているが、それ以外でも歴史や地理、そして文化、習俗なんかも調査対象としている。知識は武器だから。
そんな調査結果のひとつにあったのが『ハンカチを意中の対象に贈り、求愛とする』という風習だ。
法的な拘束があったり、受け取ったら即アウトみたいな話ではないが、それでも気を掛けておくべき文化であると、習俗調査担当の上杉さんから警告がされたのはかなり早い段階だったと思う。
アウローニヤに飛ばされてから十日目くらいだったかな。
そんな風習をどうしてみんながここまで記憶していたかといえば、異世界モノに詳しい俺や古韮、野来、さらには白石さんが強く警告を発していたからだ。同じく詳しい疋さんはニヤついていただけだったなあ。
ハニートラップ、略してハニトラ。集団転移した勇者を陥れて分断する手法としてはスタンダードすぎるアレだ。個人レベルで専属メイドとかが出てきたら、かなり危ないと思えばいい。ハニトラだけじゃなく、笑顔で隷属の指輪を贈ってくるかもしれないのだから。
異世界モノを知らない面々が首を傾げていたけれど、先生までもが完全同意をしてくれて、お陰で俺たちは男女別ではあるけれど一緒の部屋で就寝することになった。
今になって考えてみると、先生も異世界モノを知っていたからこそ即断したんだろうな。
そういうわけで、俺たちは贈り物を受け取ることに対して、そこにある政治的な意味や、謎の風習なんかにも気を配っていたのだ。
ちなみにさっきまで騒ぎになっていたティア様の贈り物については、そういう裏事情は存在していない。だからこそ断り切れなくて揉めたんだけどな。
「……八津君の勘違い、ではないんですよね?」
「先生!?」
いつになく弱々しい声で確認をしてきた先生を見た俺は、絶句することになる。
一年一組絶対の精神的主柱にして最高戦力たる滝沢昇子先生が、お顔を耳まで真っ赤にしているのだ。マジかよ。
「昇子姉、しっかりして!」
「で、ですが凛ちゃん」
ほとんど悲鳴染みた中宮さんの呼びかけに、先生は動揺を隠すこともできずにうろたえている。
「先生。【平静】を全開にしてください。白石さん、【鎮静歌唱】を」
「う、うん。えっと、なに歌おう」
パニック状態になった中宮さんを放置して、上杉さんは技能を使ってでも先生に落ち着くように勧めた。白石さんの歌まで動員するのか。
『いくしゅとめ~、らしゅとらいぃ。千年も前から君の気持は知っていたんだ。二千と二十五年後も僕はきっと。おらぃらあぇ~』
白石さん……、なんでこの状況でラブソングを歌っちゃうかなあ。すっごいノリノリで。
アネゴな笹見さんは呆れ顔で、疋さんと春さんはニヤニヤ笑いだ。ミアは興奮したまま部屋を飛び回っている。
謎の展開に男子連中は口を挟むことができていない。なんだこのカオスな状況は。
「あのね八津くん」
「ん?」
ちょっと頬を赤くした綿原さんが俺の横にやってきて、小さな声で話しかけてきた。
「そのね、先生ってお付き合いした人、いたことないみたいなの」
「は?」
「だから、ほらっ、彼氏とかそういうのが、その、ひとりも」
小声なのに責めるような綿原さんの言葉の意味を理解するのに、俺は数秒を要する。その間、サメの体当たりは二回。
えっと、つまり、先生って年齢イコールな人なのかよ。
「嘘……、だろ?」
「自白……、本人から直接聞いたから」
今、自白って言ったよな?
「あんなにカッコ良くて美人なのに?」
「女子から告白されたことはたくさんあったみたい」
俺が先生のコトを美人といった瞬間、綿原さんの目つきが鋭くなったが、なるほど王子様系か。
ちなみにこの間、サメアタックが追加で一度。
「いやっ、だけど、スメスタさんの持っていたのがハンカチだと決まったわけじゃ」
「何言ってるのよ、真くんっ!」
「ええっ?」
未だ動揺から抜け出せていない藍城委員長が慌てて口走るも、中宮さんは切って捨てる。
「俺たちのネクタイとティア様のペンダント。で、そこに意味とかを持たせまくったんだ。そんな状況でハンカチなんて出せるわけないだろ」
「逆に八津くんが見たっていう包みがハンカチ以外だったら、出さない理由が思いつかないよね」
事情を察し半笑いで解説を入れてくる古韮に、メガネ忍者な草間が謎に鋭い見解を付け加えてきた。だよなあ。俺もそう思うよ。
「でもさっ、先生とスメスタさんって年も同じくらいだし、お似合いだよね」
「ちょっと鳴子っ!」
「えー、だってスメスタさんカッコいいし、優しいし。それにさ、ハンカチを出さなかったのって、気を使ってくれたからだよね?」
「それはっ……」
屈託なく見たままの感想を述べるロリっ娘な奉谷さんに、中宮さんがツッコミを入れようとして、最後で黙り込む。
「そもそもそんな重たい意味じゃないっしょ。日本に帰らないで残ってくれ~、とかじゃなくって、ペルメッダにいるあいだだけでいいから、仲良くしよってくらいでぇ」
「朝顔ちゃん、先生はそういう軽薄な──」
「は~いはい、凛はお固いねぇ」
疋さんがワザらしいくらい軽く言ってのけるけど、中宮さんはガチだ。
そもそもスメスタさんは俺たちの決意を知っているし、さっきのプレゼント交換を見て、空気を読んだんだと思うんだよな。ヘタをしたらスメスタさんなりのパーティジョークだったかもしれないくらい。
つまり奉谷さんと疋さんの言っていることをマイルドにしたのが正解に近いんじゃないだろうか。もちろんアレがハンカチだったとしてだけど。
「みなさん、落ち着きましょう」
混沌としてしまった談話室に先生の言葉が響いたのはそんな時だ。声が震えてるんだけど。
俺だけじゃなく少なからずのメンバーが、先生こそ落ち着いた方がいいんじゃないかと、心配そうに視線を向けたのも当然だろう。
壁際の椅子に座りこみ、顔を俯かせ気味にしてどこか煤けたような空気を纏った先生は、どんな気持ちで現実と戦っているのだろうか。
「ここが山士幌だったらよかったのに……」
「くっ」
小さく、本当に小さく呟いた先生のセリフに、何人かが顔を俯かせて悲しげな悲鳴を上げる。
「大丈夫ですよ、みなさん。これはスメスタさんの罠です。冷静に考えれば、そうとしか思えません」
「先生こそ冷静になってくださいっ。スメスタさんが先生をハメる理由がありません」
「宰相派の手先という可能性が残されています。でなければ、わたしになんて」
「大前提が狂うんですけど!?」
意味不明なやり取りを先生と委員長が繰り広げているんだけど、二人には是非とも落ち着いてもらいたい。それとだけど、先生の自己肯定感の低さはどこからくるのだろう。
だけどしかし、先生が言うところのスメスタさんの罠というのも、全く意味がないにしても納得してしまいそうになってしまうよな。
実際にハンカチを見たわけでもないし、ポケットから包みらしきモノが出ていたっていう状況証拠だけで一年一組のトップスリー、すなわち先生と委員長と中宮さんが機能不全を起こしてしまっているのだ。恐ろしく効果的なトラップだぞ。
いやいや、この状況ってどう考えても俺のせいだよな。
「すみません、先生。俺が余計なモノを見てしまったばっかりに」
「気にしなくていいんです。八津君の目はわたしたち全員の力なんですから」
なので、俺としては先生に謝罪するしかない。余計な【観察】をして、見えてしまったからといっても黙っておけばよかったんだ。雑談レベルで皆に話題として振ってしまったことの迂闊さは、後悔してもしきれるものではない。
「なあ八津、言っちゃなんだか、先生弱すぎないか?」
「言うな古韮、先生には悲しい過去があるんだ。なのに、俺のせいでっ」
古韮がもっともな感想を言っているが、俺としては切実な叫びを返すことしかできない。
悲しい過去というか、何もないから悲しくなっているというか。
「……『王子に捨てられたあたしはイケオジ辺境伯に愛される~西から始まる大陸制覇~』。ふふっ、わたしをどうにかしたいなら、公爵や辺境伯を連れてきてからです」
ふと顔を上げた先生が、どこか遠くを見るような目で呪文を詠唱するかのように意味不明なタイトルを呟き、乾いた笑いを浮かべた。クラスのみんなが黙ってしまう。疋さん、笑いを堪えるのをやめるんだ。肩が震えているぞ。
とはいえ先生がオタ仲間だからと喜んでいられる状況ではない。先生はどんな想いで婚約破棄からの溺愛モノを読んでいたのだろう。
残念な事情を知ってしまったせいで、すごく複雑な気分になってきたんだが。
「スメスタさんには感謝するしかありませんね。あの人は一年一組の意思を汲んでくれたのですから」
「先生……」
さっきまで罠だとか言っていた先生が立ち上がり、吹っ切ったように前向きになってくれた。そんな先生に中宮さんが抱き着き、励ますように背中を叩く。
ラノベタイトルを発声してからの先生は強い。これで二度目か。精神安定の効果とかがあるのかな。まさか溺愛モノにこれほどの力が秘められていたとは思わなかった。
俺は敬遠気味のジャンルだったけど、日本に帰ったら読んでみようかな。疋さんあたりならマイルドなやつを教えてくれそうだし。いや、逆に意地悪をしてくるかもしれないし、白石さんに聞くことにしよう。
「全ては推測でしかありません。スメスタさんとは明日からも普通に接するようにしましょう」
「はい!」
未だ腰に中宮さんが抱き着いたままだけど、先生はキリリと言い切ってのけ、クラスのみんなが大声で返事をした。
それでもメガネの向こう側にある先生の瞳からは、悲しげな色が伝わってくる。強がっているんだろうなあ。
激動の誕生会はこうして終わったのだ。
◇◇◇
「なあ、八津……、八津に聞いても意味ないか。夏樹って好きな女子、いるか?」
すでに灯りが消されている男子部屋に古韮の声が響く。さっきの一幕もあって、恋愛トーク好きの古韮に火がついたようだ。
ところでどうしてそこで俺を除外するのかな。
「僕? うーん、春姉?」
「すまん。夏樹はそうだったな」
ナチュラルに双子の姉の名前を出すあたり、弟系男子な夏樹はピュアだった。古韮がため息を吐くけれど、聞く相手を間違えているだろうに。
俺たちだって高一男子なわけで、こういう話だってすることはある。先生情報があそこまで共有されていたところから鑑みるに、女子部屋ではもっと頻繁なのかもしれない。
いつだったか、ポヤっとした深山さんが綿原さんをイジると断言していたこともあったっけ。
男子部屋の場合、この手の話題にお坊ちゃんな田村、ヤンキーな佩丘、寡黙な馬那はまず参加してこないし、古韮も振ったりはしない。
明確なペアが存在している文系オタの野来とチャラい藤永もいまさらといった感じだ。で、さっきのセリフのとおり、古韮からしてみれば俺もそっち側扱いになっている。
だからといって全くイジられないなんてことがあるわけもなく、ちょっとしたやり取りを目ざとく見つけたヤツからツッコミを受けることもあるから、いつだって油断はできない。
「俺は変わらず上杉推しだ。さっきのハンカチを察したのも、さすがって感じですごくいい」
「そういうとこ、ホント古韮だよなあ。ソレってもう崇拝じゃね?」
自分の心情を暴露するのをためらわないのが古韮だ。とはいえツッコミを入れた野球小僧の海藤が言うように、なんか古韮の上杉さんに向ける視線って、好き嫌いというより、信仰の色が強いんだよな。俺も聖女信者ではあるんだけど。
「そういう海藤だって、ガラリエさんとベスティさんのどっちがいいんだよ。それとも今度はメーラハラさんあたりか?」
「なんでそうなるんだよ」
お姉さんから好かれる属性持ちの海藤を古韮が揶揄するが、ここでメーラハラさんを持ち出すのかよ。
「むしろスキーファさんじゃないか?」
「なんで八津まで」
俺の推薦に海藤が複雑そうな表情になる。
澱んだ目が特徴なティア様の護衛たるメーラハラさんは確かに二十代前半で、海藤エリアではあるんだけど、俺の推しは『オース組』事務員のスキーファさんだ。
これって何の話だっけか。
「草間は?」
「え? 僕?」
「そうだよ。やっぱりお前──」
「いないって、いないよ。そんな子」
続けて古韮はメガネ忍者の草間に絡んだ。ああ、そうだった。恋バナだったな、これ。
つぎに海藤がどのお姉さんに好かれるかクイズじゃなかった。
ところでだ、草間。キョドっているようだけど、俺の【観察】は君がとある元気なチビっ娘に視線を送っている時間が多いことを捉えているんだよ。
技能を使ってプライベートをバラすのも悪いので、黙っていてはやるんだけどな。疋さんなんかは【聴覚強化】を悪用しているけれど、俺は正義に生きるのだ。
「委員長はいまさらだしなあ」
「なんだい、それ」
「十年後くらいにお見合いして結婚しそうな」
「誰と?」
「中宮と」
「僕には古韮の考えが理解できないよ」
さらに水を向けられた委員長だけど、古韮の言いぐさが酷い。だけど、なんとなくしっくりきてしまうのがなあ。
委員長と中宮さんがくっつくとしたら、そういうパターンが一番ありそうな気がするんだよ。どこかでガツンと有無を言わせないようなイベントでもないことには。
なんてことを考えている俺は、一体全体何様なんだろう。
◇◇◇
「お世話になりました」
「いえいえ、困ったことがあればいつでも訪ねてきてください。本国からの連絡もありますから」
「はい。お願いします」
翌朝、花束を胸に抱いた先生がスメスタさんに頭を下げていた。対峙しているスメスタさんは昨日と全く同じ雰囲気で、つまり飄々としたままだ。
ペルメッダに到着して七日、一年一組はずっとアウローニヤ大使館のお世話になっていたのだけど、それも今日までだ。
今日の午前中は新拠点でスキーファさんの授業を受けて、昼には組合で冒険者票を貰うのとティア様の指名依頼の手続き、午後は本格的に引っ越し作業ということになる。
貴重品を含めた荷物の多くは大使館に置いたままだけど、手ぶらもなんだからと朝に一度だけ荷運びをすることにしているので、人力荷車には何台かのベッドが積まれている状態だ。
大使館からも人員を出してくれるという話もあったけど、そこは遠慮をしておいた。引っ越しくらいは自分たちで十分だからな。
「お気をつけて」
「はい」
「ありがとうございました!」
微笑むスメスタさんをはじめとした大使館の職員さんたちにお礼をした俺たちは、朝日の中、新拠点に向かう。
結局スメスタさんのポケットにあったブツが何だったのかは不明のままだし、今日になっても手渡されることもなかったわけで、そこにどんな意図が含まれていたのかはわからずじまいだ。
それでも俺たちは、みんなで今日も動き出す。