第454話 飛び交う依頼
「公式な発表は本日付けで行われます。組合内に加えて、ペルメッダ行政府にも通達されますので、侯息女殿下にもすぐに伝わるでしょうね」
昼食からたっぷり二時間以上はかかった新規組講習会は、『一年一組』の専属担当となったマクターナさんのそんな言葉で終了した。
やり切った感を出しているマクターナさんだけど、ちょっと認識が甘い。侯息女たるティア様だけど、行政府経由ではなく、このあとすぐに俺たちの口から直接伝えられることになるだろう。
待ち合わせの約束をしているわけではないが、ティア様は一年一組が本日予定しているスケジュールを知っているわけで、ならば彼女が現在どこにいるのかなんて想像するまでもない。
アウローニヤ大使館の裏口で外交官のスメスタさんと護衛のメーラハラさんを従えて、堂々と一年一組を待ち構えている姿が目に浮かぶようだ。
「あの、マクターナさん。ナルハイト組長とスキーファさんにもなんですけど、早速指名依頼ってできますか? まだ印章ができてないですけど」
マクターナさんからの説明が終わったのを受けて、早速とばかりに藍城委員長が一年一組の要望を持ち出した。
印章はマクターナさんの強いお勧めもあり、四層素材の牛の角になったのだけど、出来上がりには三日が必要となるらしい。
ちなみにお値段は五万ペルマ。はたしてこれは安いのか高いのか。五万円の印鑑とか、俺にはちょっと想像もできないのだけど。
「大丈夫ですよ。組長の署名があれば、問題はありません」
組の印鑑ができていないから三日も活動できないとか、俺たち的にはかなりキツい話なので、笑顔で太鼓判を押してくれるマクターナさんの言葉は実に助かる。
「じゃあ。依頼は二つです」
「ほう? 気が早いな」
「アウローニヤでも勇者は迷宮ばかりだって言われてましたよ」
委員長の言葉を受けて、こちらの事情を知っているナルハイト組長がニヤリと笑う。
俺たちが『一年一組』を立ち上げたのは、帰還の術を探るための手段でしかない。冒険者稼業で活躍して食っていくなんていうのはラノベロマンとしてはアリなんだろうけど、残念ながらクラスの総意はそちらを向いていないのだ。
胸を張って迷宮に入る準備ができた以上、俺たちはすぐにでも潜りたい。
だからこそ二つの指名依頼だ。
「スキーファさん。明日ですけど午前と午後、どっちがいいですか?」
「引っ越しをするんでしたよね。なら午前中、場所は……、みなさんの拠点ということで、どうでしょう」
委員長から視線を向けられたスキーファさんは俺たちの事情を鑑みて、明日の午前を提案してくれた。
明日の予定としてはスキーファさんから最低限の事務仕事を教わるのと、拠点への引っ越し、それと冒険者票の受け取りか。荷運びを終えてから勉強っていうのはキツいだろうと、スキーファさんはそう考えてくれたようだ。
加えて『オース組』は外市街だし、アウローニヤ大使館には冒険者を呼びにくい。その点俺たちの新ホームならば最低限の椅子や机くらいは揃っている。難点なのは荷物を運び込む前なので、見た目が寒々しいくらいか。
「で、もうひとつは警備ってことでいいのか?」
「はい。明後日の昼間、僕たちが戻るまでをお願いできますか?」
スキーファさんが前向きな返事をくれたのに続き、ナルハイト組長がしたり顔で確認をしてくる。
それに対し委員長は、必要な最低限だけの言葉で二つ目の依頼を口にした。
俺たちが組を立ち上げることで浮かび上がる懸念材料のひとつが拠点の警備だ。
普段はいい。ペルマ=タの内市街は治安に不安は感じないし、今後も先日の様に買い出しとかで別行動をするくらいは問題ないだろう。要は誰かが拠点に残っていればいいんだ。
けれど迷宮に潜るとなれば話は変わる。
地上に誰かを残して迷宮なんていうのは、俺たちとしてはあり得ない行動だ。危険性を抜きにしても誰かのレベリングを遅らせる理由がない。
さらに極端を言えば、たとえば迷宮でたまたま帰還のためのポータルが見つかったとしたらどうなるだろう。しかも時限付きで。
さんざん義理を果たしたいと考えてきた俺たちだけど、そういう状況ならばすべてを放り出してしまうことくらい、とっくに決意している。
俺たちは帰還を選ぶだろう。もちろん全員一緒という条件付きで。
この世界の通常の組がローテーションで迷宮に入る隊を選抜しているのに対し、一年一組はそういう縛りを抱えて行動する。
こういうワガママを持っているからこそ、俺たちは独立した組を作ったのだ。この世界の冒険者たちが全く考えもしていないだろう理由で、一年一組は迷宮を彷徨うのだから。
一年一組の新拠点は元アウローニヤ大使が私邸に使っていたくらいで、ペルマ=タの中でも王城に次ぐぐらいには治安が良い立地にある。衛兵の巡回経路にもなっているくらいだ。
それと同時に見事な豪邸だけあって、現に空き家になった時点でペルメッダとアウローニヤから警備の人員が配置されている程度には狙われる可能性がある。
本来ならば俺たちが賃貸契約をした時点で、警備は自前でやらなくてはならない。実は今日からそうすべきなんだけど、ティア様とスメスタさんの好意という形で、明日の朝までは警備の人員を出してもらっている状況だったりするのだ。
隠し部屋を使うとはいえ、億単位の金と俺たちが地球から持ち込んだ私物を守る必要がある。とくに私物の方は、もしかしたら帰還の鍵が隠されている可能性だってあるかもしれないんだ、とにかく死守しなくてはいけない。
「お前らがどれくらいの頻度で迷宮に入るかは知らんが、こっちは問題ない。これも冒険者の仕事の内だからな」
「ありがとうございます」
頼もしい返事をしてくれたナルハイト組長に委員長は礼を述べる。
ペルメッダでは冒険者が警備依頼を受けることは珍しくないらしい。簡単に表現すれば店の用心棒といった感じで、食堂や酒場、宿屋なんかが依頼を出すのだ。
基本的には前線を引いた年配の人が受けることが多いようで、中には店番まで兼ねてしまうケースもあるのだとか。
「ただしだ。今回はいいが、今後も考えれば『オース組』だけに依頼するってことにはしない方がいいだろうな。適当に紹介してやるからほかの組にも頼めばいい」
「顔を広げろってことですね。わかりました」
「アイシロは物分かりが良すぎだ」
ナルハイト組長が付け加えれば、委員長はすかさず意味を察知してみせた。
なるほど、いろんな組に渡りを付けておいた方が今後のためになるってことか。ソツなく対応してみせる委員長だけど、こういう分野では本当に頼りになるヤツだ。メガネが輝きまくっているなあ。
「依頼料は合わせて十万だ。そうだな、スキーファは六万、警備は四人で四万って内訳でいい」
「ええっと、マクターナさん?」
組長の出してきた数字があからさまに適当だと委員長は思ったのだろう、マクターナさんに確認をとる。
「警備依頼が相場より安い気がしますが」
「あんな治安のいい場所だ。酔っ払いが寄り付くこともないだろうし、昼間なら突っ立ってるだけだからな」
どうやらマクターナさんからしてみれば安く、組長としては楽な仕事という感じらしい。だけど……。
「俺でも敵わない賊が来たら、逃げ出して城に通報するさ」
ナルハイト組長は俺たちが帝国や聖法国から狙われる可能性があることを知っている。
十五階位の組長が敵わない刺客とかちょっと想像もしたくないが、そこは拠点の立地が有利に働く。邸宅から王城前の衛兵詰め所までは徒歩で二十分もかからない。組長が本気で走れば五分も必要ないだろう。
日本でも交番の近くは安心とか言われていたけど、そういう理屈は世界共通なのかもしれないな。
「んじゃ、問題ないなら契約しちまうか。マクターナ、書類を頼めるか?」
「はい。ですがお待ちください」
「ん?」
なんでもかんでも契約書が飛び出してくるあたり、冒険者っぽさとしてはどうなんだろうと思わなくもないけれど、金が絡む以上はこんなものかと謎の納得をしかけていたところで、マクターナさんから待ったが掛かった。
「わたしからも『一年一組』に指名依頼を出したいんです」
「はい?」
マクターナさんから出てきた提案に委員長が首を傾げる。
俺たちからマクターナさんに対して事務を教えてくださいっていう依頼を出す予定はあるのだけど、逆方向っていうのはどういう意味になるんだろうか。
◇◇◇
「べつに依頼にしなくても良かったんですけど」
「勇者の戦いを間近で見ることができるなど、そうそうあることではありませんから。学ばせてもらうつもりです」
困ったようにマクターナさんと応対しているのは、我らが迷宮委員の綿原さんだ。
マクターナさんの出してきた依頼は、迷宮に入る俺たちとの同行。それだけの理由で綿原さんが話し相手になっている。俺の分まで頑張ってもらいたい。
ちなみに依頼料は十万ペルマで、『オース組』へ支払う額と同じになるという白々しさだ。
こちらからしてみれば、事務を教わる途中の雑談で情報をタダで流すつもりでいたのだけど、マクターナさんはリアルをお望みらしい。
『ペルマ七剣』であるマクターナさんは十五階位の【斬剣士】。足手まといなんてことにはなり得ない。
そんな彼女は手出しをしない完全な観客として見物をしたいと言ってきた。現状では俺の【魔力観察】と聖女な上杉さんの【聖導術】以外は秘密って程でもないし、せいぜいが忍者な草間に【気配遮断】を封じてもらうくらいかな。
そういえばさっきマクターナさんの圧にビビって【気配遮断】を使ってたよな、草間。なんかもう、どうでもよくなってきた。
「記念すべき『一年一組』への指名依頼第一号です」
そこにどんな栄光があるのか知らないが、契約書にサインを入れたマクターナさんはご満悦の様子だ。
けれどもマクターナさんの望み通りになるかどうか、俺にはちょっとした懸念がある。いや、むしろ『一年一組』の特殊な部分を見せられるかもしれないから好都合か。
明後日に設定した次回の迷宮だけど、一年一組は四層までは突撃しない。階位が上げられないとしても、せめて一度は三層でキッチリ戦えるか、ついでにどれくらい稼げるのかを確認しておきたいのだ。
そんな俺たちの事情を知るドリルヘアーなあのお方が、果たして黙したまま行動を起こさないでいられるだろうか。
とりあえず三つの契約を結んだ一年一組は、今度こそ組合事務所をあとにした。
◇◇◇
「紙束と筆記用具だけで五万かあ」
「全員分で余裕をもたせてだけど、日本のモノがどれだけ安かったか、思い知るよね」
「百均だったら五千円にも届かないよな、コレ」
ただの紙と鉛筆を買っただけなのに五万が吹き飛んだことを俺がグチれば、前を歩く委員長が苦笑いで振り返る。
明日の午前中にスキーファさんから事務仕事を教わるにあたり、紙が足りないだろうということで、俺たちはこうして買い出しに来ている。アウローニヤからそれなりに持ち込んではいるのだけど、ペルメッダでアウロ紙は高級品だ。普段使いをするにはちょっと惜しいということになり、低質だけど安価な地元の紙束を大量購入してきたというわけだな。
五万ペルマという値段が付けられたブツだけに、背嚢にしまい込んだそれが妙に重たく感じるのは気のせいだけど、俺は【観察】と【視野拡大】を使ってフル警戒中だ。迷宮のノリに近いくらいで。
「けど食いモンはそこそこ安い。とくに肉が」
「迷宮様ってなぁ」
「タンパク質が手に入りやすいのはいいことだ」
続けて会話に乗っかってきたのは強面の佩丘、皮肉屋な田村、筋トレマニアの馬那だ。
アイツらは同行している上杉さんと佩丘監修の元、今夜開催される宴会用の食材運びを担当している。
ほかの同行者は先生と会計係の白石さん。残りのクラスメイトたちはあのお方を待たせるのも悪いだろうと、アウローニヤ大使館に直帰している。
このメンバーなんだけど、『オース組』に出向いていたお陰で前回の買い出しに参加できなかった面々と、案内係として上杉さんと白石さんを加えた構成だ。七人パーティで騎士とヒーラーが三人ずつとか重厚すぎる布陣だが、そういうのを狙ったわけではない。
ついでに俺の【観察】と白石さんの【大声】もあるわけで、防犯性能も高いぞ。先生の防衛力まで加えたら無敵じゃないかと思ってしまうくらいだ。
そんな風にメンバーを推薦してくれた綿原さんの気遣いに感謝しながら、俺たちは異世界の街を練り歩く。
「こっちも夏か」
「それほど暑くないのが助かる。標高かな」
田村が目に手をかざして空を見上げながら情緒っぽい言い方をすれば、馬那はとても物理的な感想をこぼした。
とっくに夕方といってもいい時間だけど西日というには陽はまだ高い。それでもここは山々に囲まれた盆地だけあって、太陽は名も知らない山の頂近くまで降りてきている。
「あっちは元気でやってるかな」
「あの人たちなら大丈夫でしょう」
ふと委員長が呟いたセリフを、上杉さんはあえてアウローニヤと捉えて返事をした。
山士幌ではなくアウローニヤ。たしかに西日の先にはアウローニヤがあって、田村の夏という言葉は日本を指していたんだろう。はたして委員長はどっちを思って言ったかは定かではないが、詮索するのはためらわれるところだ。
なにしろここには先生がいて佩丘もいる。
担任でもないのに高校一年生を二十一人も抱えて、ひたすら俺たちの身も心も守ってくれている先生。一人親の佩丘は家族二人での将来を明確に描いて生きてきたのに、こんな世界に飛ばされてしまった。
「ほれ、予想どおりだ。今日は誰が相手しているんだろうなぁ」
俺たちの会話は聞こえていたはずなのに、それでも佩丘はワイルドに笑って、アウローニヤ大使館に止まるペルメッダ侯爵家の紋章が入った馬車に親指を向けた。
◇◇◇
「ですわぁ!」
「おうっ! いい攻撃です、ティア様」
「まだまだこんなものではありませんわ!」
「その調子!」
大使館に戻ってみれば、飄々とティア様の相手をしているのは【霧騎士】の古韮だった。ティア様がゴンゴンと古韮の構える大盾に拳を叩き込んでいる。
アイツなら必殺の【魔力伝導】なしでも、ティア様の打撃を完封できるだろう。ボクシングのトレーナーみたいなノリになっているな。
問題なのは、ティア様が不機嫌そうだってところなんだけど……。
俺たち買い物組を待つあいだ、クラスの誰かが今日の出来事をティア様に語って聞かせたのだろう。もちろんティア様から強引に迫られて。
だけどそこに、ティア様が怒る要素ってあっただろうか。
「マクターナ・テルト! あの微笑み守銭奴め、やってくれますわ!」
大使館の談話室にティア様の叫びが響く。背後に護衛のメーラハラさんが相変わらず濁った目をして立っている光景がとてもシュールだ。
なんていう感想を持つくらい、俺はこのお二人に慣れたのかもしれない。ちなみにスメスタさんは退避していてこの場にいないし、なんなら料理番の上杉さんと佩丘ほか数名も夕食を作りに厨房に行っている。
「『一年一組』への最初の指名依頼は、わたくしが出したかったのですわ!」
などと叫ぶティア様の怒りの方向性というか、規模の小ささはなんなんだろう。
あまりに可愛げのある理屈で憤っているティア様の横では、たぶんチクった張本人であろう中宮さんが苦笑いだ。
「わたくしがちょっと組合との関係に配慮してみればこのザマですわ!」
「ティアは気配りをしていたのね」
「そうですわよ」
ティア様のどのあたりに気配りがあったのかすごく微妙な気もするが、それでも中宮さんは話を合わせにいくようだ。
それを見る綿原さんのメガネが光る。ついでにサメがぴょんと跳ねたところをみると、アレは愉しんでいるんだろう。俗に言う愉悦だ。良い趣味をしているなあ。
とはいえこの状況、自分だけというか侯爵家が『迷宮のしおり』を確保していたという勘違いといい、アウローニヤとの婚姻を見込んで政治と距離を置かされていたせいか、ティア様のやり口がどこか空回り気味だったのが今になって実感できるんだよな。
俺たちに近づく時には高慢さと、一部切実なムードを出していたけど、アレが演技じゃなかったのはティア様の性根を知れば間違いない。つまりはナチュラルに彼女はそう思って行動していた。
出会った当初に感じたやり手なムーブだけど、実は結構な部分が雰囲気によるものだったというか。
俺たちが拠点に移動したら訪問する理由を失って当面お別れなんていうムードを匂わせていたけれど、この感じだとそれも撤回されるかも。
それはそれでフリーダムなところがティア様っぽくていいけどな。最高に悪役令嬢だ。
「わたくし決めましたわ!」
中宮さんに構ってもらっていたティア様がやおら立ち上がり、咆哮を上げる。
談話室に緊張した空気が走るが、だけどみんなはおおよそこの先の展開が読めているんだよな。
「『一年一組』に指名依頼を出しますわ」
「二番目だけど、いいの?」
「メイコは真っすぐすぎますわ!?」
さっきまで一番にこだわってグチグチしていたティア様の宣言に、純真ロリっ娘の奉谷さんが容赦なくツッコミを入れる。そういうところはさすがとしか言いようがない。
「それでもわたくし、もちろん一番を目指しますわ」
「やっぱりそうなるのね」
ティア様の言葉の意を汲んだ中宮さんが、諦めたように笑う。予想どおりすぎてなあ。
「明後日の迷宮、わたくしの階位上げを依頼しますわ!」
つまりティア様は書類上の順番を諦めて、行動の方で同率一位を狙いにいったのだ。