第449話 掴む感覚と歪む金銭感覚
「こんなものかな。碧ちゃんの方はどう?」
「うん、こっちも大体」
文系オタの野来と、同じく文系オタな白石さんがやっているのは、明日提出することになっている書類の作成だ。
目出度い食事も終わり、一年一組は明日に向けての作業のためにテーブルが並ぶ談話室に移動している。
その名のとおり書類班の担当は、組合事務のマクターナさんから預かった書類に書いてあった内容に落とし穴がないかの確認やこっちであらかじめ記載しておくべき項目の穴埋め等々。今日の昼間に入った迷宮での活動報告なんかも担当だ。
活動報告は『オース組』側からも提出されるので、自分たちに都合のいい間違いがあったら減点という扱いになるらしい。
いくら俺たちの素性が勇者だとバレていて、しっかりとした『オース組』の推薦状があろうとも、手続きは手続きだ。不備があれば勇者権限発動どころか、弱みを見せてしまうことになってしまう。長い時間を掛けて育てられたわけでもない他国からの飛び入りである以上、そういうところはちゃんと審査されることになるのだ。
やはり組合というのは保守傾向が強いってことなんだとか、藍城委員長が妙に納得していたのが印象的だったなあ。
「じゃあ四人でチェックといくか」
「任せて」
「うん」
「っす」
野来と白石さんが清書した資料のチェックは俺と綿原さん、深山さん、藤永が担当する。
これが終われば、委員長に最終チェックをしてもらう予定だけど、それは建前みたいなものだな。
ここで滝沢先生や、副委員長の中宮さんが登場しない理由としては、ひとつは先生が委員長をはじめとする俺たちを信頼してくれていることと、書類作業が苦手だというのもあるのだけど、それはまあいい。
で、さらにもうひとつなんだけど──。
「そこで、肘を少しだけ溜めてください」
「それでは拳速が」
「肩は動かしたままになるので、腕が勝手に追いかけます。むしろ最終的な速度は上がりますよ」
「なるほど、ですわっ」
ボヒュっと音を立ててティア様の右拳が真っすぐ前に突き出された。
「もう少しだけ左腕を引き付ける意識を強くしてください。腰の旋回に繋がるように」
「はいっ、ですわ!」
ボファって音を伴い、右拳が再び繰り出される。
談話室の片隅、テーブルや椅子が避けられた一角では、先生が付きっきりでティア様の動きを確認し、中宮さんは腕を組んでそれを見守っている。
護衛のメーラハラさんは普段通りの無表情でそれを眺めているのがちょっと怖いかな。
なにせ先生が手取り足取りなんだ、ティア様の気合もすごい。
一年一組の面々からしてみれば、先生がタイマンで指導してくれるのなんてのは、ごく普通の光景だ。
中宮さんも丁寧に教えてくれるし、走り方とかなら春さんもそこに加わる。身内への出し惜しみなどあり得ないのがウチのクラスだから。
とはいえ相手がティア様ともなると、ちょっと話は変わってくる。
『ただ渾身の一撃を』
ティア様が求めたのは、先生が一連の型を見せた中でも最後のシメに繰り出された右正拳突きだった。
先生は小技、他称『滝沢の左ジャブ』あたりを伝授しようかと持ち掛けたのだが、どうやら悪役令嬢にはお気に召さなかったようだ。
『わたくしはひたすら真っすぐな拳を教わりたく思いますわ!』
そんな風に言ってのけたティア様の言葉は、結果、先生的にストライクだったらしい。
どうしてこんな話になったのかといえば、ティア様が現在置かれている状況が原因だ。
【強拳士】であるティア様の師匠となれる存在は数少ない。剣術や槍術ならば、いくらでも強者が存在しているし、侯息女の指南役ともなる格を持つ人材も選び放題だ。それこそ『ペルマ七剣』には、そういう教育方面で選出された人もいるのだとか。それを聞いた時、中宮さんの目が光っていたのはさておき。
貴重ともいえるティア様の師匠なのだけど、二年くらい前に病死している。六十を過ぎていたので仕方がないのだそうだけど、この世界は日本と違って怪我は簡単に治せても、地上での病気は中世だ。
そんな話を聞いた俺たちは、改めて衛生には気を付けようと言い聞かせることになった。
さておき、そういう経緯もあって、現状ティア様には師匠に当たる人がいない。
そんな彼女は、二年前までの教えをひたすら反復する訓練を積み、さらには月に一度は迷宮に入って魔獣との戦闘経験を積んでいるのだとか。
ただそれも二層までで、階位を七で止めていたというのは、アウローニヤへの輿入れを想定していたからだというのはすでに知らされている。
俺たちと出会って三日目の夕刻。お互いに名を呼び合うようになったのも合せて、ティア様は自らの事情を語った。
『師となって欲しいとまでは申しませんわ。ただひとつの技を、教わりたいのですわ!』
そんなことを言われてしまえば、先生だって絆されるというものだ。
ましてや俺たちと同世代の子供で、しかも悪役令嬢ときたものだから、先生としては萌えポイントが高すぎる打診だったのだろう。
「これならコウシを一撃で沈められますわね」
「ティア、志が低すぎるわよ」
ひたすら右正拳を繰り出し続けるティア様が物騒なコトを言い出し、それを中宮さんが切って捨てる。
「言われてるわよ? 八津くん」
「綿原さんこそ、中宮さんを盗られていいのか?」
「わたしはそこまで狭量じゃないわよ。楽しそうな凛を眺めるのも、ワリと好みだし」
俺の隣で書類をチェックしている綿原さんは、なかなか高尚な趣味をお持ちのようだった。
ゆらゆらと泳ぐサメの様子からしてみても、言っていることは本当なんだろうな。うん、俺のサメ判断も上達したよなあ。
◇◇◇
「日に千回。繰り返すことを誓いますわ」
夕食後に行われたほんの一時間程度の指導だったが、ティア様は実に満足そうだった。頬を赤らませて、邪悪な笑顔なのだけど、口の端がピクピクしているぞ。
「ティア、そうじゃないの」
「どういうことですの? リン」
だけどそれに中宮さんが待ったをかける。
「丁寧に。大切なのは回数じゃないの。心が行き届いているなら、三度でも十分。だけどそれが──」
「一番難しいことですわね」
「そう。だからわたしは何度も繰り返すのよ」
などと、分かり合っているお二人であった。
ただし方向性が百合側ではなく、武術サイドなんだけどな。
七階位のティア様が持つ技能は【体力向上】【身体強化】【身体操作】【反応向上】【視覚強化】【一点集中】だ。【体力向上】以外は俺の予測通りだな。
先生からの直接指導に関わるからと、ティア様は俺たち全員の前で自分の所有する技能を、堂々とバラしてみせた。そこにあるのは悪役令嬢の矜持って感じだな。
今回のケースで重要になるのは、もちろん【身体操作】【一点集中】だろう。
自身の体の動きを筋肉、関節のレベルで把握できる【身体操作】に、一瞬の集中力を上乗せする【一点集中】を加えれば、ティア様は今日ここで学んだことを、城に戻っても再現できることになる。
正確には再現ではなく、違いに気付ける、だけど。
さらにそこから動作の持つ意味への理解を深めれば、自分の体格や筋量、関節の可動域なんかも含めて改良することすら可能だろう。
それこそが『ティア様正拳』。
直接指導したのは同じ空手使いの先生だけど、中宮さんの贈った言葉もまたティア様に必要なものなのだ。
「では最後に手合わせですわね。アサガオ、よろしくて?」
「おっけ~」
なんで夜遅くになってから、しかも談話室で模擬戦なのかとも思うのだけど、ティア様にかかればお構いなしである。
受ける方の疋さんも、普段以上にチャラいノリで乗っかってみせた。まあ、楽勝だろうしな。
「この間にタキザワ先生はこちらの契約書に署名をお願いいたしますわ」
「わかりました」
すかさずバトルとはならず、ティア様は先生に向き直って礼儀正しく賃貸契約書へのサインを求めた。
普段ならばメーラハラさんを経由しそうな手順を踏まず、自らの手渡しな辺りに気遣いを感じるな。
明日、俺たちは冒険者登録を行うと同時に『組』を立ち上げ、さらにはマクターナさんを専属として指名する流れになっている。その際に必要な条件のひとつが拠点の存在だ。
昨日のうちに話は通していたので、契約書にサインが成され半年分の家賃を払えば、明日付けで俺たちは拠点を持つことになる。
元大使の私邸の扱いについて、窓口が侯息女たるティア様というのはどうかとも思うが、あちらは邪悪な笑顔でやる気満々だ。
実際楽しそうに、彼女なりの悪っぽい笑顔でコトを進めていく。
「アオイ、ユズル。適当に人を使って馬車に積み込みなさいませ。一億ペルマ、負かりませんわよ」
「はい」
「うっす。俺は力仕事ってね。馬那、手伝ってくれ」
「おう」
流れるように会計担当の白石さんと、金貨の運び役として古韮を指名していく様子は、ティア様がどれだけ一年一組を把握しているかの証左のようだな。ノっている時の委員長バリだ。
「他の者は卓を移動してくださいまし。場を作るのですわ」
「はーい!」
疋さんのムチでグルグル巻きにされて敗北したティア様が憤りの叫び声を上げるのは三分後であった。
◇◇◇
「お待ちしていました」
「今日はよろしくお願いします」
そして翌日、冒険者組合を訪ねた俺たちは前回同様二階の第七会議室にいる。
組合側からはこれから専属になってもらう予定の組合事務員にして『ペルマ七剣』がひとり、マクターナさん。こちら側からは委員長が代表して挨拶を交わす。
マクターナさんの横にはもう一人、五十歳くらいの白髪の気難しそうなおばあちゃんが座っているけど、そちらは軽い会釈だけ。たぶんこの人が【神授認識】を使う【識術師】さんなんだろう。名前はキッパさんっていうらしい。俺の心の中では、気難しげなキッパおばあちゃんって印象だ。
一年一組はもちろんフルメンバーの二十二人で、推薦をしてくれる『オース組』からはナルハイト組長と事務のスキーファさん。今日は『黒剣隊』は不参加だ。
全部で二十六名。大きなテーブルを囲んだ椅子に全員が着席し、そんな布陣で俺たちの冒険者登録が始まろうとしている。
「まずは『オース組』からだな。昨日の迷宮活動報告書と正式な推薦状だ」
口火を切ったのは場を仕切ることになるマクターナさんではなく、ナルハイト組長からだった。
秘書的ポジションなスキーファさんから手渡された何枚かの書類を、組長はチラリと確認してからマクターナさんの前に滑らせる。一枚だけが羊皮紙なところを見ると、アレが推薦状ってことなんだろう。
「ペルマ迷宮冒険者組合所属『オース組』は、コイツら二十二名全員が冒険者として活動できると判断し、組合に推薦する」
これがアウローニヤなら持って回った言い方になったかもしれないが、ナルハイト組長の言葉は清々しいくらいにそのままだった。表情こそ真面目そのものだが、儀式ばった要素は欠片も含まれていない。
「……ペルマ迷宮冒険者組合一等書記官、マクターナ・テルトが確認いたしました。では」
「はい。僕たちからの報告書はこちらになります」
マクターナさんに促され、一年一組からは委員長が迷宮活動報告書を手渡した。
全ての書類を受け取ったマクターナさんは、それらをテーブルに広げて一気に読んでいるようだ。
たぶん【視覚強化】【反応向上】は持っているんだろうな。もしかしたら【集中力向上】や【思考強化】あたりも。伊達に『ペルマ七剣』、いやさ十五階位の【斬剣士】をやっているわけではないということなんだろう。
凄まじい速度で提出された資料が読み込まれていく。
「両者の報告に重大な齟齬は認められませんでした。とはいえ、あらかじめ談合することも可能なモノですから、そこは誇りを頼ることになりますが」
「本気で勇者を育てる気なのはわかるが、ぶちまけすぎだろう、マクターナ」
「冒険者業界の小話ですよ。むしろ勇者たちが謙遜していて、『オース組』側からの報告は大袈裟なくらいです。読み物として面白いと感じました」
ものの五分足らずで全ての資料に目を通してのけたマクターナさんは、楽しそうに合格を出してくれたが、余計な一言がくっ付いていた。
すかさず突っ込むナルハイト組長に対し、マクターナさんは明るく微笑む。『オース組』からの報告書は『黒剣隊』が下書きをしてスキーファさんが清書するって話だったけど、どんな内容だったのやら。
「推薦状にも不備はありません。引き続き【神授認識】となるのですが……」
「登録手数料ですね」
「はい」
べつに申し訳なさそうでもなく、マクターナさんは当たり前に金にまつわる方向に話を振った。
委員長もすぐに察するわけだが、ここで恰好良く一人ずつ金貨を叩きつけていくような展開にはならない。
俺や野来、古韮なんかはそういう方向でやりたいって要望をしたけれど、手間と時間がかかるという真っ当な理由で却下され、俺たちは二十二人分を一括で払うことにしている。
さて金銭関係だけど──。
冒険者登録手数料がひとり一万ペルマ。これは初回のみとなる。加えて冒険者の税金ともいえる組合費は半年にこれまたひとり十万。登録時の前納だけど、以後は持ち込んだ素材に掛る税金とで相殺されるので、真面目に冒険者をやるのなら、こちらも実質初回だけの費用だな。
さらに俺たちはこの場で『組』を立ち上げる予定になっているので、そちらの手続き手数料が十万ペルマ必要になる。
最後に組を維持できるだけの『見せ金』として最低五百万ペルマ。こちらは組合に持って行かれるのではなく、預け入れだ。先日俺たちの目の前でナルハイト組長が一撃で二千万近くを入金したように、安定している組ならば、預け入れはどんどん増えていくのが普通らしい。
拠点の改築とか、新たな組の分割など、大きな出費に備えているって感じなんだとか。
身内限定に金貸しなんていう業務もやっている組合からしてみれば、預け金が多い組は上客であり、それだけ優遇されることになる。なんていう話を委員長がしていたけれど、社会というのは異世界であっても金ばっかりか。世知辛いなあ。
ともあれ、合わせて七百四十二万ペルマ。これがこの場で俺たちの支払うべき最低金額となる。
「五千万持ってきました。手数料以外は全て組の積み立てにしてください」
委員長が言い放つと同時に、前衛職のクラスメイトたちがドンドンと音を立てて、革袋をテーブルの上に載せていく。
昨日は二千万で、今日は五千万。ついでにいえば昨日の夜に、拠点の賃貸料で一億をティア様に支払っているので、もはや俺の金銭感覚は崩壊寸前だ。
「ひとりひとり、ピシャって金貨を置いていくのもいいけど、こうやって一気に積むのも悪くないな」
「八津くん、趣味の悪い顔になってるわよ?」
そんな心境から出た俺の言葉を、呆れた風に綿原さんが窘めてくる。
サメが至近距離から俺を覗き込み、歪んだ精神を立て直せと強要してくるのだ。
俺たちは普通の高校生であって、マンガに出てくるような成金おじさんではない。ありがとう綿原さん、俺は大切な何かを思い出せたような気がするよ。
「差額として四千七百四十八万ペルマ。こちらを初期積立金としてお預かりいたします」
お金が絡むと笑みが大きくなるマクターナさんは、とても嬉しそうに数字を読み上げた。
やっぱり金銭感覚が狂うなあ。
とはいえこれで、一年一組がアウローニヤから持ち込んだ金の半分くらいが吹っ飛んだことになる。家賃とか先日俺が同行できなかった買い物とかの全部を合わせてだけど。
「いいですね。高い階位と希少な神授職。しおりの原案者で、これだけの初期積立金ともなれば、組の立ち上げに反対する者も『少ない』でしょう」
「それでも少しはいるんですね、反対する人」
俺たちが組合に差し出した条件でも、それでも突如組を立ち上げることに反対する人はいるのだとマクターナさんは言い、委員長は苦笑で答えてみせる。
「反対というよりも難癖を使った利益獲得ですね」
「マクターナさんの出番ってことで、いいんですよね?」
「ええ。お任せください」
困った身内だとばかりにマクターナさんがかぶりを振るけれど、委員長は良い笑顔だ。
そもそもそういう雑音から俺たちを守ると言い出したのはマクターナさんの方なわけで、もちろん一年一組は全面的に頼らせてもらう。
もしかしたらここは黄金色の菓子なんかを提供する場面なのかもしれないな。いやいや、やっぱり金の使い方基準がおかしくなっているぞ、俺。
「ではわたしが金貨を確認するあいだ、みなさんは順次【神授認識】を。キッパさん、お願いしますね」
「あいよぉ」
マクターナさんが隣に座るおばあちゃん、【識術師】のキッパさんに俺たちの【神授認識】を依頼する。そんなキッパさんは気難しそうなおばあちゃんなんだけど、口調は軽い。さて、どんな人なのやら。
考えてみたら女王様以外から【神授認識】を受けるなんて初めてだな。なんかイベントでも起きたりしないだろうか。ジョブチェンジとかみたいな。そういえば綿原さんに【蝉術】が生えたのは『緑山』創立式典の時だったっけ。
なんていう希望を胸に、俺たちは【神授認識】に挑むのだ。もちろん出席番号順で。