第330話 本来サメは泳ぐもの
「おうらぁぁぁ!」
敵味方が入り乱れた広間に【重騎士】佩丘の咆哮が響き渡る。
近衛騎士総長率いるベリィラント隊の第二分隊とやらの突撃を受けた『緑山』は、消耗で脱落した【岩騎士】の馬那を除く騎士組四人と遠距離攻撃組が必死の抵抗をみせていた。
本当なら十三階位が揃っているヴァフター隊を使いたいところだが、彼らは魔獣と乱闘をしている総長本隊の牽制と防御で手一杯だ。さっきから怪我人を出しては【聖盾師】の田村が治療し、魔力タンクとして【雷術師】の藤永がヒイヒイ言いながらそれに追随している。
「いいかお前ら、馬那のポカを忘れんな。無様でいいんだよ! アホな怪我しなけりゃすぐに治る。これ以上、先生泣かせんな!」
「は、佩丘君」
佩丘が微妙に滝沢先生サゲな言い方で気勢を上げようとしているが、それはどうなんだろう。佩丘の本音ではあるのだろうけれど、先生がちょっと恥ずかしそうなんだが。
「あ、いや、すんません。いやその、そういうやり方のが、結果として安全だろ、って……」
「そうですね。佩丘君の言うとおりです」
なあ佩丘、最初の威勢は俺も絶賛するよ。だけど、そこからのしどろもどろなやり取りはどうなんだ?
こういうのに目くじらを立てそうな先生シンパの中宮さんは、春さんと一緒に南側の制圧で大暴れ中だ。あとで騒ぎにならないといいのだけど。
「おらぁ、どっからでもかかってこいや!」
「あぁぁいぃ!」
一瞬の気まずさこそあったものの、戦場は待ってくれない。吹っ切ったように佩丘が再び吠える。
相手は六人でこっちの盾は四枚しかない。遠距離攻撃で邪魔を仕掛けているが、先生も一緒になって遠慮なく敵の大盾に拳を叩きつけている。
「アレはアレで気合入ってるみたいだしいいんじゃないかしら。それより八津くん、そろそろいい?」
「最初は十三階位から狙って、整ったら十五階位だ。やっとお披露目だな」
「そ。指示出し、お願いね」
綿原さんと俺との打ち合わせは短い。毎度のことながら雑談は長いけれど、いざ実務レベルとなればこうなのが俺としては小気味良くて好ましいのだけど、彼女はどう思っているのだろう。
「なに難しい顔してるのよ、八津くん。相手に一泡吹かせるんでしょ?」
「だな。うん、やろう」
そんな懸念を吹き飛ばすのはモチャっとした綿原さんの笑顔だ。いつでも俺の背中を押してくれるのがありがたい。
◇◇◇
「三・五キュビ」
「がっ!?」
綿原さんをうしろから抱くようにした俺がとある場所を指差した直後、吸い込まれるようにその場に現れた敵騎士の顔面が赤紫に染まった。
「あぁぁぁいっ!」
視界が塞がれ動揺する敵騎士が見せた隙を見逃すことなど、ウチの先生が許さない。
動きが止まった標的は先生に顎をブチ抜かれて膝から崩れ落ちる。
「ん、いいわね。先生ありがとうございます」
「ああ。一秒で固定だけど大丈夫か?」
「任せておいて」
綿原さんが軽く先生にお礼を言う。当の先生は殴った反動を使ったのか、すでに反対側の戦線に飛び込んでいて、俺の言葉が間に合わないくらいの大暴れだ。
なので俺は先生に声を掛けるまでもなく、戦闘態勢を取りながら綿原さんとの確認に集中する。
新技を使う相手は人間だ。魔獣と違って三秒前からカウントダウンなどはしていられない。
ここまでの敵の動きと全力の【観察】【目測】、そこに【思考強化】と【一点集中】も乗っけて、一秒後の位置を綿原さんに指示出しするのが俺の役割だ。
綿原さんには『打ち出し速度』と微調整に集中してもらいたいからな。
できれば今のように相手の顔面に当てるのが望ましいが、敵が攻撃されたと認識できるところにぶつければ、そのぶんだけ隙を作れるはずだ。
できればいち早く分隊長の十五階位を狙いたいところだが、練習がてらにわかりやすいところから一歩ずつ。
「近いぞ、二・三キュビ」
「むぅ」
次弾、もとい次鮫は、残念ながらの敵騎士の脇をすり抜けるだけに終わってしまった。
綿原さんは不服そうだが、速度優先だから気がせくのも仕方がない。俺の予測もちょっとズレていたし。それぞれの敵の動きを憶えて予測はしているが、いくら【思考強化】があるとはいえ、俺の頭が良くなったり完全記憶力が生えたわけでもない。
「初手が上手く行き過ぎただけだ。ネタがバレても通用するくらいに育てるのが目標だし」
「そうね。ドンドンやるわよ」
標的を外した赤紫色で十五センチくらいのサメが、ワザとらしく床の血だまりに落下し、背びれだけを見せて遊弋する。芸が細かいなあ、綿原さん。
これぞ【鮫術師】たる綿原さんの新技、その名も『跳血鮫』だ。読み方は『とびちざめ』でも『ちょうけつざめ』でも、クラスメイトたちは好き勝手にしている。フィルド語だと『跳ねる血のサメ』一択なんだけどな。
床にまき散らされた魔獣の血だまり、一部馬那のも混じっているが、そんな血の海から小さなサメが飛び出して敵に当たるというだけの代物だが、効果はデカい。
粘つく血だまりから突如出現するサメ。ありがちだけど、最初に提案されてスッと納得できたのは事実だ。もう、どうしてこれに気付けなかったのかってくらいに。
たぶん綿原さんは【血術】を取る前、候補にしていた時点で考えていたんだろう。そう思うと、ますます日本に戻ったら彼女とサメ映画を見たくなってしまった。
アニメとかでよくあるだろう。なにもない地面から黒い槍が飛び出すシチュエーションだ。『シャドウランス』みたいのが一般的かもしれないが、綿原さんのソレは、魔獣の血だまりからノーモーションでサメが飛び出すというトラップみたいな仕様になる。
この世界では【熱術師】や【土術師】【水術師】などはポピュラーな存在だ。だから水球や石なんかには対応ができるような訓練をする機会に恵まれている。前衛職の反応速度なら、知っていて、慣れさえすれば見てから躱すことは可能なのだから。
だがそれが、血だまりからいきなり登場するサメならどうだろう。もちろん慣れれば見切れるかもしれないが、なにせ総長たちにとって【血鮫】自体が初見になる。
綿原さんが【血術】を取得したのは勇者拉致事件があった当日、つまり二日前で、未だ報告書は提出されていない。『召喚の間』でも巨大な【白砂鮫】を脅しに使ったが、ここまでの道中で【血鮫】はほとんど見せていないし、総長たちとの戦闘ではあえて【砂鮫】だけで通してきた。
さっきまでの前半戦でコレを使えなかったのは、先生や中宮さんが倒した馬の血が部屋の中央部に溜まっていたからで、北側から攻めた綿原さんの射程外だったのが理由だ。
対して俺たちが今いるのは、部屋の中央。床一面は魔獣の血にまみれている。別の場所で貯蔵した血を持ち込むというやり方では、こうはいかない。
「四層の血っていいわよね」
「綿原さん、表現が怖いって」
綿原さんは魔術の通りがいい絶好調の【血鮫】に大満足ご様子だ。
「空を飛ぶサメも最高だけど、やっぱり水中から登場するのが基本なのよね」
「言いたいことはわかるけど、水じゃなくて血だまりだよな」
「そこがさらにいいんじゃない」
辺り一面に広がる血の海で、三匹のサメが背びれだけを見せて泳いでいる。
わざわざこうしているのはもちろん綿原さんのこだわりであるし、同時に魔術というのはイメージだ。
『サメっていうのはいきなり現れるのもいいけど、やっぱり外連味たっぷりに背びれを見せつけて迫ってこないと』
という綿原さんの固定概念こそが、サメを強化してしまうのだから魔術というのは恐ろしい。
似たようなタイプの術師としてウチのクラスには【熱導師】の笹見さんがいるのだが、彼女の場合は温度の上昇を得意としているため、瞬間的な速度や操作性という意味では綿原さんに軍配が上がる。
そういう意味では、むしろ【石術師】の夏樹の方が綿原さんに近いのだが、石はモロに見えるので、ちょっと。
現実を突きつけられて落ち込む夏樹を姉の春さんと一緒に励ましたのは、つい昨日のことだ。
俺と夏樹は親友だからな、ちゃんと元気づけてやったさ。なにせ攻撃力なら間違いなく夏樹の方が上なんだし。
「じゃあつぎあの騎士、二匹でいってみようか」
「ええ、やるわよ」
俺と綿原さんがコソコソしているのを見とがめた敵が、こちらに向かってきた。是非ともつぎの餌食になってもらうとしよう。
「三・五キュビ」
「はいっ」
「二・八」
「ん!」
指差した先に床からサメが飛び跳ねる。
一匹目がギリギリを掠め、敵が移動するだろう先を目指した二匹目は、見事相手に直撃した。
綿原さんがサメを操り、俺が距離と方角を指定する。
二人がかりでもできることは相手の体勢を崩すのが手一杯の技でしかない。そこから先はクラスメイトたちがやってくれるし、魔術を当てることすら一苦労な高階位を相手でも綿原さんと俺は通用している。
それがなにより喜ばしい。
「野来、頼む!」
「えいっ!」
顔面を魔獣の血に染めて体勢を崩した騎士の足を【風騎士】の野来がメイスでぶん殴る。人を殴るのに容赦がなくなってきたな、野来。しかも【風術】で勢いつけてただろ。
とはいえ相手はフルプレート装備の十三階位だ。太ももを叩かれて転びこそすれ、戦闘不能には陥っていない。
ウチのクラスの騎士たちは守備練習がメインだけに、攻撃面での正確さに欠ける傾向がある。そのあたりは春さんもそうなのだが、まだまだ俺たちは戦闘素人にすぎない。もどかしい思いもあるが、みんなが努力していけばいつかは届く世界もあるのだろう。
べつに対人戦最強を目指しているわけではないので、そっち方面は先生か中宮さん、ミアあたりに任せておくつもりなのだけど。
◇◇◇
「貴様らかぁ!」
「二・七」
「タネが知れればっ!」
十五階位を誇る敵の分隊長がついにこちらをロックオンして突撃を仕掛けてきたのを、サメが掠める。一発目は外れ。
俺と綿原さんが戦線に参加してから二分か三分か、総長に命じられて宰相たちの救出を目指していた第二分隊は、明確に失敗していた。
たった数分とはいえ、それだけの時間があれば残り三人だったパラスタ隊の無力化は完了してしまったし、もちろん【聖術師】たちも一捻りだ。宰相と軍務卿は中宮さんの木刀の餌食となり、迷宮の床に横たわっている。
ラスボスっぽかったんだけどなあ、宰相。
春さんと中宮さんは奮戦するヴァフターたちの援護に、シャルフォさんたちヘピーニム隊は王女様の護衛に回ってもらった。
いよいよ大詰めといったところかな。
で、キレた第二の分隊長が俺と綿原さんのことを悪の親玉と判定して襲い掛かってきたというわけだ。
しかもこちらの攻撃内容を理解した上でというのが始末に悪い。
「二・三」
「はいっ!」
「ぬぅっ」
二匹目は盾で受け止められたか。
しかし言い換えよう。盾を使うだろうと予想していた場所にサメを飛ばしてもらったのだ。
さっきまでの第一ラウンドで、俺はコイツの性能を【観察】していた。どれくらいの速度で動くのか、どういう動き方をするのか、クセはないか。
十五階位という総長に次ぐ警戒対象となる相手だ。念入りに、足りない頭に叩き込んだつもりで、それがここまでの二手でそう外れていないことは理解できた。
だからつぎの一歩が想定できる。あとは綿原さんにソレを伝えて──。
「一・七」
「えいっ!」
さすがは綿原さん。ドンピシャだ。
「なぁっ!?」
綿原さんと俺は、ここまで二匹しかサメを使ってこなかった。
血の海に走る背びれを数えれば三匹いるのはわかるはずだが、さすがにそこまで注意は回らなかったようだな。
それでも敵は伊達に十五階位を張ってはいなかった。綿原さんとの距離は二メートルを割り込み、行動だって読んでいて、しかも大盾で死角になっていたはずでも分隊長は完全なる直撃を避けてみせた。この距離でもそこまでできるのかよ。
もしかしたら俺の指とコールで予測されたか。今後の課題点だな。
俺と綿原さんとで、誰にも判別できない意思疎通手段とかがあればいいのだけど。などとロマンチックなコトを考えている場合ではないか。
「先生。約束どおりです。任せました!」
「はい。あああぁぁぁいいぃ!」
フルフェイスの兜の半分を血で濡らし片方の視界を喪失した騎士の脇腹に先生の拳が直撃した。
「ありがとうございます。片目を潰せれば十分ですよ。二人は一度引いて魔力回復を」
「頼みます。すぐに戻りますから」
どうやら綿原さんと俺の魔力がヤバいことまで先生にはお見通しだったようだ。
格上にも通用する効果的な牽制手段なのだけど、二人そろって複数の技能をぶん回すので、燃費が悪いんだよな、この技。
よろめく敵騎士の前に堂々と立つ先生のお言葉に甘えて、ここは一歩下がるとしよう。
「戻るまでには終わらせます。『本気』を出しますので」
まったく頼もしすぎる先生だ。
「あぁぁいぃ!」
高く伸びる奇声と共に、ドズンいった感じで妙な音が鳴り響く。
先生が強く踏み込んだ衝撃音と、相手の腹を殴った打撃音がカブった結果だ。
先日のヴァフターとの対戦で、先生は『本気の半分』を出すというセリフを言った。後にアレは強がりもあったということが判明したが、本当の本気ではなかったのも事実であるということを一年一組は知っている。
そもそも先生……、この場合は滝沢昇子先輩と言った方がいいのかもしれないが、あの人はマンガに出てくるような謎の武術家ではないし、八極拳みたいな戦い方をする日本最強女子でもない。『芳蕗』だったかな、隣町出身の最強プロレスラー。
謎武術というならば、ウチのクラスの場合はむしろ『北方中宮流』を修めた中宮凛が該当するくらいだ。
ストレートに表現すれば、先生は普通のアマチュア空手家だ。ただし型を重視する伝統派ではなく、相手を打倒するのに特化したフルコンタクト空手。どっちが強いのかは荒れる要素になりがちなので、置いておこう。
女子大生時代の先生が戦うところを、俺は見たことがある。とはいえ、俺と先生は三年も前に巡り合っていたんだよ、とかそういう話ではなく、スマホの動画でだ。こっちに来てから数少ない現代機器の出番だったな。王城やアラウド湖の写真をいくつか撮影したくらいで、それ以降はお蔵入りしている。バッテリーはどうなっているのやら。
「あぁいぃぃぃっ!」
「なっ? がっ!?」
眼前で本気の先生、本物のフルコンタクトが展開されている。
魔力の相互干渉に配慮しているのか密着とまではいかないが、ほとんどゼロ距離で先生はひたすら短打とローキックを繰り出し続けていた。
距離を潰された敵の騎士は意味を失った剣を放り出し、大盾だけを使って無秩序とも思えるような打撃に耐えているが、先生のステップが完全な防御を許さない。
「ぬぅああ!」
「ぐっ!」
それでも相手は十五階位だ。先生よりも四階位も上のパワーと反応、フルプレートの防御力でもって散発的な反撃に出る。
超近距離戦には慣れていないので腰など入っていない無茶なパンチだが、それでも速さだけは大したものだ。巨大に見える拳が軌道を見切っているはずの先生の頬を掠めていく。
アレが自分に当たったらどうなるのか、想像するだけでも身震いしてしまう。そんな暴風圏の中で、先生は地味に、実直に、泥臭く戦っている。
「っつ。田村君、頼めますか」
「ああっ、任せてくれ!」
肩に一撃を食らった先生が、背後に控えた【聖盾師】の田村に治療を願う。
あんなに激しい戦闘中なのに、掛け声以外は落ち着いたものだ。残った片腕を使ったジャブを牽制にして、ローキックを連打することで相手の出足を防いでいる。
戦いを続けながら治療を受け、そしてまた殴り合いを始めるとか、どんな精神をしていたらああもなれるのだろう。
「いいか、絶対に割り込ませるな!」
「分かってるって」
先生のうしろに田村、そのまたうしろに魔力タンクとしての藤永が並ぶ列を崩させないように【聖騎士】の藍城委員長が似合わない大声を出す。応える【霧騎士】の古韮も言葉こそ軽いが、顔は大真面目だ。
もちろん【重騎士】の佩丘や【風騎士】の野来も全力で、先生の戦いにほかの敵が割り込むのを防いでいる。アレは先生の戦場なのだから。
「俺も、行く」
「好きにすればいいさ。足は引っ張るなよ? 馬那」
「ああ」
あんな光景を見せつけられて、火がついたのだろう【岩騎士】の馬那が、未だ不調であるにも関わらず前に出ようとするのを誰もが止めない。
むしろ自分も参加したそうに【剛擲士】の海藤は馬那の背中を押すくらいだ。
俺たちの胸に炎をくべながら、先生はひたすら戦い続けている。
超ショートレンジで、実直に丁寧に打撃を重ねていく。地道で単調だけど真摯な努力が見えてくる、先生の性格そのものを表すような戦い方に、言っては失礼だけど積み重ねた年月を感じてしまう。
俺は天才肌のミアや綿原さん、疋さんには追い付ける気がしない。謎な武術を使う中宮さんのマネもできそうになくて、運動神経のいい春さんや海藤にもなれないだろう。
けれど不思議だ。クラスで一番強いはずの先生になら、いつか並ぶことができるんじゃないかって、そう思えてしまう。なるほど、今なら中宮さんが先生に憧れる気持ちがわかるよ。
俺も努力を重ねたら、あんなに強くなれるのかな。
「ちっ、不甲斐のない」
近衛騎士総長が北側の魔獣を掃討し終えた時にはもう、先生と対峙していた十五階位の分隊長は崩れ落ちていた。