第318話 落日:バールラッド・フォール・レムト第一王子
今話は第一王子視点となるので、人名表記が通常の八津視点とは異なっています。初出の人物も登場しますので、列記しておきます。
バールラッド・フォール・レムト:第一王子
リーサリット・フェル・レムト:第三王女(第一王子の下の妹)
ベルサリア(ほぼ初出):元第二王女、現ラハイド侯爵夫人(第一王子の上の妹、リーサリットの姉)
ガルシュレッド・アウローニヤ・ヴィクス・レムト:王様
ラペリート・ヘィグ・ベリィラント:近衛騎士総長、伯爵
バルトロア侯爵:宰相
ラハイド侯爵:アウローニヤ北部に領地を持つ大貴族(中立的第三王女派)
パルハート(初出):第一近衛騎士団『紫心』団長、子爵
オウラスタ(ほぼ初出):第二近衛騎士団『白水』団長、子爵
ミルーマ・リィ・ヘルベット:第三近衛騎士団『紅天』団長、子爵
キャルシヤ・ケイ・イトル:第四近衛騎士団『蒼雷』団長、子爵
ヴァフター・セユ・バークマット:第五近衛騎士団『黄石』団長、男爵
ゲイヘン:王都軍団長、伯爵
ハウーズ・ミン・バスマン:『蒼雷』預かり、騎士爵(バスマン男爵家次期当主、宰相の孫)
アヴェステラ・フォウ・ラルドール:王室付筆頭事務官、子爵
ヒルロッド・ミームス:第六近衛騎士団『灰羽』副長、ミームス隊隊長、騎士爵
アーケラ・ディレフ:王城侍女、現『緑山』従士、騎士爵
「なにが起きているというのだ」
「殿下……」
傍に控える侍女たちは震えるばかりで、私の疑問に答えられる者など誰もいない。
騒ぎがここまで伝わってきてからどれくらいが経ったのか。すでに窓から入る光が傾いて色を変えているのがわかる。夕方ともなれば、コトが起きたと知れてから四刻にもなろうとしているのか。
なぜ鎮圧されたという報告がこない。どうして、ここまで時間がかかっている。
そもそも、ここは『黒い帳』だ。騒ぎに巻き込まれていいような場所ではない。なぜだ、なぜあの者が。
「リーサリット。なぜこのようなことを……、リーサリット」
部屋の隅に置かれた椅子に座る王陛下、父上は俯いたまま同じことを呟き続けるだけだ。
さっきまでは立ち上がって叫んでみたり、部屋をウロウロと歩いてみたりと落ち着きのない態度であったが、今はもう小刻みに震えながら、ただそこにいる。
痛ましい姿であると思いながらも、情けないお方だという感情も湧きおこってしまう。
私とて似たようなモノだというのに。
「目をかけてやってというのに、勇者めが。ヤツらがリーサリットを誑かしたというのは本当なのか」
「『召喚の間』にて、リーサリット殿下が勇者に跪いたとの報告が」
「あり得ないだろう!」
「ですが、複数の目撃情報も入ってきておりますし、イトルとヘルベットが戦闘に加わっているのは確実です。バークマットが王女殿下と行動を共にしているという情報も」
惰弱な気持ちを振り払うように叫んでみるが、返ってくるのは同じことの繰り返しだ。
護衛としてここに残る『紫心』の団長、パルハートの言葉は、所詮又聞きで伝えられたものだ。信憑性など怪しいものだが、それでもリーサリットと勇者がなにかしらの共謀をしているのは、間違いないのだろう。
リーサリットにべったりのヘルベットはまだわかるが、なぜ『蒼雷』のイトルまでもが敵方に回るのか。『黄石』のバークマットなど勇者拉致に加担したと噂されているというのに、それがなぜリーサリットと一緒に行動するのか、もはや意味がわからない。
誰の言うことが本当なのか、どこまでが間違っているのか、その判断すらできていないのだ。
厄介なことに王都軍までもが動きを見せているという情報もある。まさかゲイヘン軍団長までも……、これは考えすぎか。
「敵方……、敵、か」
「ナイメルとカラハリタは明確に敵対しておりました。御しきれず、申し訳なく思います」
「いや、いいのだ」
同じような会話が繰り返され、時間だけがただ過ぎていく。
当初こそ混乱はあったものの、ここを守護すべき『紫心』の色分けはなされたようだ。近衛騎士総長としてラペリートはよくやってくれている。
その結果として敵味方を合せた三割ほどが脱落し、残りの半数が姿を消した。現在の『紫心』が持つ戦力は本来の三割といったところか。数字として考えると、護衛の少なさに胸にキシむような痛みが走る。どうしてこのようなことに。
「『白水』はどうなっている」
「総長が自ら向かわれたとのことですが、その後は不明です。『黄石』の数部隊と、その……、王都軍が攻め寄せ、我が『紫心』と同様に内部にも反抗する者もいると」
「オウラスタは何をしているか。ここの守りに駆けつけるのが筋であろう!」
「そのとおりではありますが、なにぶん王城全体が混乱しておりますので」
どれだけパルハートを問い詰めたところで意味がないのはわかっている。
それでもただ無言のまま時を過ごすのが恐ろしいのだ。ラペリート総長は『紫心』内部の混乱を鎮圧したその足で『白水』に向かったという。だがそれも一刻以上も前だ。
まさか『白水』団長のオウラスタまでもが敵方だったとしたら、私と父上を守護する者は……。
「問題はございません。『黒い帳』は王城の中枢にて、もうひとつの『城』でもあります」
「そうだったな。で、渡り合えているのか?」
ここは城の中にある城だ。ましてやその中枢ともなれば、広間のひとつ、廊下のひとつが砦として活用できるように造られている。
たとえ敵が精強で多勢であっても、長時間の防衛は可能であろう。そう、防衛はだ。
青い顔で口ごもるパルハートを見れば戦況が理解できてしまう。
ラペリート総長は『白水』に赴いたまま。『紫心』の有力な部隊の内、残された部隊が戦闘を行っているのだが、いまだ敵を撃退したという報告はやってこない。
なにしろ敵方には『紅忠犬』のミルーマ・リィ・ヘルベットと、『迷宮子爵』キャルシヤ・ケイ・イトルがいるのだ。真っ向から相手をできる者など限られている。
相次ぐ前線からの増援要請を受け、すでにこの部屋と周囲を守る騎士は少ない。時間と共に人影が減っていくという事実に心が枯れていくのが実感できてしまうのだ。
「遅滞さえしていれば、必ずやベリィラント総長やゲイヘン軍団長が駆けつけることでしょう。無論オウラスタ団長も」
「ならばよいのだがな」
希望的どころか夢想としか思えないパルハートの予測を聞かされ、返答に棘が混じってしまった。
挙げた中で信用に値する者など、総長のラペリートくらいなものではないか。
そこで我に返る。私はもっと泰然とできてはいなかっただろうか。心して鷹揚に、寛容に、次代の王としてあるべき存在として。
今ならば自覚できる。薄い殻を被っていた心は、先日の襲撃事件で脆くも砕けた。
王城内で王族が襲われるなど、あってはならないことだ。それを犯したのが『紫心』の騎士であり、助けに入ったのがリーサリットお抱えの『紅天』の者だったなどとは。
そこから漏れ聞こえる噂の数々。私を狙った賊は、あろうことかこの身を帝国に売り渡さんと企んでいた。あまつさえ宰相の関与も疑われ、それに対抗するリーサリットが人望を集めつつある、等々。
それらが私を打ちのめしたのだ。
だから私は『帳』の奥に籠ってしまった。
「隣室には『隠し通路』もございます。いざとなれば北のラハイド侯か南のバルトロア侯を頼られては」
「『あの妹』か宰相の選択か。パルハートもキツいことを言う」
「いえ……、それは」
すでに宰相、バルトロア侯は信用などできない。だからといって北のラハイド侯を頼るにしても、あの家にはベルサリアがいる。我が妹にして旧『第二王女派』の首魁が。
宰相との政争に敗れたというのが本人の冗談だったのかは未だにわからないが、ベルサリアはラハイド侯との婚姻をあっさりと了承した後、王城を去った。自身の築いたとされる地盤、人脈の全てをリーサリットに引き継いで。
そんなリーサリットは温厚であり調整能力にも長け、自然と『第二王女派』は『第三王女派』に変貌を遂げた。『宰相派』の牽制となればいいと静観していたのだが、今となって考えてみれば。
「気付けば敵ばかり、か」
「私はっ、王子殿下の味方であります!」
「そうか。ありがとう、パルハート」
青ざめた顔に脂汗を浮かべ、裏返ったような声で叫ぶパルハートに、思わず苦笑が漏れた。
この期に及んで、もはや誰を信頼できるというのか。
◇◇◇
「日も沈むか」
夕日を自覚してから半刻、いよいよ宵闇が迫る頃になり、扉の向こうから騒音が聞こえるようになった。
明らかな戦闘音に、父上や控える侍女たちが身を竦ませ、室内や隣室にいた最後の騎士たちが動きをみせる。
「入ります!」
普段よりも荒いノックのあとで数名の騎士たちが室内に入り、閉めた扉の前に陣取った。
「君たちは」
「はっ!『蒼雷』に仮所属となっております、ハウーズ・ミン・バスマン、以下四名となります!」
「ハウーズ。君もいてくれたのか」
「王室の守護とあらば」
バスマン男爵家次期当主、ハウーズは必要なことだけを言葉少なに述べた。
以前、遭難事件を起こした際にはもっと傲慢だったようにも思えたが、そんな面影は残されていない。精悍さが増し、体も一回り大きくなったかのように見える。背後に並ぶ四人もしかりだ。
事件の責を負う形で『蒼雷』の預かりとなっていたはずだが、鍛え直されたのだろうか。顔つきからして前とは大違いだ。
若い騎士たち、あの勇者と同世代のこの者たちは変わることができたのかもしれない。
私はどこでどうすれば、変われていたのだろう。いや、成長したいなどとは願ってもいなかったのだ、最初から叶わぬ想いでしかなかったのだろうな。
「宰相の孫たる君に来てもらえたことを嬉しく思うよ」
「はっ、全力を尽くしましょう!」
彼は宰相の孫だ。そんなハウーズがここに配された意味を汲めば、生贄、もしくは体裁の押し付けか。
「君たちには『最期まで』付き従ってもらいたいものだ」
「お任せください!」
哀れと思い脱出行に誘ってみれば、ハウーズは当たり前という風に大声で返事をするが、わかっていないのだろうな。むしろそれを聞いたパルハートの眉が動いたくらいだ。
行く当てのない逃走など、それはそれで悲惨かもしれないか。
「失礼いたします」
場違いに冷たく、そして落ち着いた声が響いたのはそんな時だった。
「ラルドール、それに……、アーケラ」
近くから聞こえてくる騒音を他所に、いつの間にか開かれていた扉の前に立っていたのは、アヴェステラ・フォウ・ラルドールと、そしてアーケラ・ディレフ。背後に並ぶ騎士たちの先頭は、たしか『灰羽』のヒルロッド・ミームス、だったか。
「本日はアウローニヤ王国が第三王女、リーサリット・フェル・レムト殿下の名代としてまかりこしました」
混乱を極める『黒い帳』に現れた余りに場違いな存在に声も出せない私を一瞥したラルドールは、アーケラから手渡された羊皮紙をこちらに開き見せ、宣言した。
「名代? ラルドール、貴卿は、なにを?」
意味が理解できていない父上が唖然と顔を上げ、かすれた声を出すが、残念なことに私にはわかってしまう。
そうだ。彼女らこそがリーサリットの送り込んだ槍。大方隠し通路を逆に辿ってきたのだろう。
付近を守る騎士が全て前線に駆り出されたのを見届け、静かにコトを為すために。
◇◇◇
「──かくして、勇者を害せし者の跋扈を許す根源を、王女殿下は取り除きたいとのお考えです」
手にした紙に書かれた文面を見もせずに、滔々とラルドールは語り続けた。
固まりついた表情には、冷たさも柔らかさも、緊張も怒気も感じられない。ただただ、これからなされるであろう事実を述べるのみで、私はそこに迷宮の魔獣を幻視してしまう。
かの者はこのような化け物のごとき存在だったのか。普段見せていたアレは仮面であったとでも。
背後に控えるアーケラの笑みは小さく、むしろ怯えるこちらの姿を悲しんでいるのが、おそらく私にだけは伝わってくる。ここで行われているラルドールの宣言は、実行されるべき真実なのだろう。
だがわからない。アーケラは、私に降ることを望んでいるのか、それとも反抗すべきだと促しているのか。
こちらよりも大人数で現れたミームス隊に睨まれ、パルハートをはじめとする騎士たちは動くことができないでいる。
同じ十三階位とはいえ、こちらは数年も迷宮に入ったことのない『紫心』の団長であるのに対し、相手のミームスは平民上がりながらも『灰羽』最強と目される存在だ。数でも強さでも精神においても、勝敗はすでに決している。
ずっと青かったパルハートの顔色はすでに白い。もし本当に最後まで王室の味方であったのならば、すまないことをしてしまったな。
「陛下。アウローニヤ王国四十二代国王、ガルシュレッド・アウローニヤ・ヴィクス・レムト陛下。何卒……、何卒お願い申し上げます。王位を、玉座を、リーサリット・フェル・レムト殿下にお譲りいただくこと、かないませぬでしょうか」
「な、なはっ、なにっを、言って……」
「待ってもらえますか、ラルドール卿」
へりくだりつつも慇懃に結論を言い放ったラルドールに返事をすることもできぬ父上だが、そこに割り込んだのはハウーズだった。
「ハウーズ・ミン・バスマン、でしたね」
「ええ。勇者殿との一件では、ラルドール卿にもお世話になりました」
この期に及んで全く動くことのできないでいるパルハートを他所に、ハウーズら五名が部屋の中央でラルドール一行に対峙してみせる。
盾を持ち、剣を抜き、立ち向かうというのか。敵うはずもないこのような絶望下で、どうして彼らはそこまで。
「抵抗されるのでしょうか」
「抵抗ではありません。私は近衛騎士で、これは義務です。かつて勘違いをしていた自分たちにとって望外な戦場。彼らに叩きのめされてやっとたどり着けたのです」
「……勇者様方に感化されたとでも?」
「そのとおりです。この体に流れる祖父の血は関係ありません。派閥なども存在しません」
どうしても相いれないだろうやり取りがラルドールとバスマンのあいだで交わされるが、そこに敵意や悪意は感じられない。
「守るべき方がいるのです。どのような形であれ、我々は王子殿下の言葉で救われたのですから。立ち向かわなくてはならない。勇者らがそうしたように」
「勇者様方は、それほど意固地ではないのですけどね」
カチカチという音が聞こえる。ハウーズの声は歯の根も噛み合わぬほどに震えていた。
彼だけではない。名は確かシュラハー、ルカリマ、ミスバート、キュラック。ハウーズと共にいる若者たちは、鎧がこすれる程に震えながらも立ちふさがっている。
そんな彼らの覚悟を軽く受け流すラルドールに、私は心底苛立つのだ。
「バスマン卿、あなた方からは今、勇者の皆様と似た光を感じます。とても美しい無の色を」
「光栄です。人生最高の栄誉を持って、貴方たちに挑みましょう。王家の逆賊共に!」
愚弄とも判別し難いラルドールの態度に対し堂々と虚勢で吠えるハウーズを羨ましいと、そう思ってしまえば、そこからはどうしようもなかった。
なぜか自然と体は前に出る。盾こそ持たないが、腰に下げた宝剣を抜き、ハウーズの列に並ぶ。
こちらを見つめるアーケラと視線が交錯した瞬間、たしかに彼女は以前のように笑ってくれた。それでいいのだと、そう言っているかのように。
私はそれで満足することができたのだろう。それでも悔いは残るのだがな、アーケラ。私は君を……。
「ヒルロッドさん、お任せします。ひとりたりとも殺さぬように」
「……わかっているさ、アヴェステラ。アウローニヤは終わっていなかったんだね」
どこか寂しげな会話が交錯したすぐ後に、意識が暗転していく。
最後の視界に映った窓には、すでに陽の光は残されていなかった。