第311話 経験値のゆくえ
「ナイメル卿と、カラハリタ卿が……。そうですか」
「その後、近衛騎士総長は『黒い帳』に防衛陣地を構築し、守備を固めているようです」
『紅天』の騎士が発した言葉を受けた王女様が、沈痛な面持ちとなる。
三層の階段前広間で受けた報告は、あまり良いものではなかった。
ちょうど俺たちが捕らえた敵を連れて階段に到着したタイミングで、上から駆け降りてきたのが目の前にいる女性騎士だ。六人という、迷宮内では最少人数構成でここまで伝令に来てくれた彼女たちの顔色は優れないが、それでも王女様を前にしたためか、目の輝きは失われていない。
伝令自体はある程度の時刻を決めてはあるが、ここは迷宮だ。魔獣も出るし、ピタリと時間通りというわけにはいかない。むしろこのタイミングで第一弾の情報を得られたのは幸運の部類になるはずだ。
だが、内容はあまりよろしくない。
ナイメル男爵と、カラハリタ男爵。第一近衛騎士団『紫心』に所属する、王女派の貴族騎士たちだ。今回のクーデターでは『紫心』の内部をかく乱し、王室区画への援軍を妨害するのが役目だったのだが、あっさりと近衛騎士総長に倒されてしまったらしい。生死は不明だ。
宰相から情報が漏れていたのか、それとも総長の判断が早かったのかはこの際どうでもいい。
王室区画『黒い帳』への侵攻が予定通りに進んでいなく、さらには防衛態勢が構築されつつあるのが痛い。キャルシヤさんやミルーマさんたちは大丈夫なのだろうか。
「バルトロアは?」
「お味方が『白水』本部に攻め入ってはいますが、オウラスタ団長自ら指揮を執っており、思いのほか抵抗が強く……、宰相の発見には至っておりません」
「わかりました。あなたたちはそこの者どもを連れて地上に戻り、役目を果たしてください。ゲイヘン軍団長の判断で『召喚の間』にいる戦力を融通することも許します」
「はっ!」
どうやら宰相はまだ見つかっていないようだ。こちらも嬉しい情報ではない。
第二近衛騎士団『白水』のオウラスタ団長はバリバリの宰相派として知られているし、かなり激しく抵抗をしているようだ。これまで会話をしたことはないが、キャルシヤさんとの因縁についても知っている。
王女様はキャルシヤさんやミルーマさんは攻撃に専念させ、地上の指揮をゲイヘン軍団長に任せている。いざとなれば『召喚の間』から戦力を引っ張るのも予定通りだ。ミリオタの馬那的には『戦力の逐次投入はよろしくない』らしいが、攻撃目標が二つある以上、予備は必要だそうな。
『緑山』が捕まえた敵を引き連れ階段に消えていく女性騎士たちを、俺たちは黙って見送ることしかできなかった。
「状況は想定を逸脱していません。わたくしは志に賛同してくれた戦士たちを信じます」
「はい。そうですね」
無理をして吹っ切ったように王女様が微笑み、それに乗じて藍城委員長も明るめに返事をした。
「八津、このあとは?」
「予定通り十五番階段を目指そう。小さな群れを突っ切ることになるから、道中で階位上げも兼ねて」
「了解だよ」
委員長から話を振られた俺としても、心がけて軽口をするようにこのあとの予定を告げる。ここでうろたえても始まらないからな。
だがそれでもだ。地上では怪我人はもちろん、もしかしたら命を落とす人がいるような戦いがおこなわれているという事実が胸に刺さる。そして近衛騎士総長が地上にいると知り、安堵している自分を感じて、自己嫌悪みたいな気分になるのもある。
多かれ少なかれ、クラスメイトたちも俺と似たような気持ちを抱いているのだろうな。
それでも予定通りの行動をすることこそが、イザという時の備えになると信じ、俺たちは移動を開始した。
◇◇◇
「なあ、勇者さんたちよ」
「なんです?」
戸惑ったような感じのヴァフターの声に、サメで威嚇をするようにしながら綿原さんが返事をした。声色は非常に冷たい。
俺たちは決してヴァフターを許したわけでもないし、爽やか青春ドラマのようにこのあとで仲直りをする予定も、今のところはない。そもそも拉致した犯人と仲良くするなんて、なんだっけ、ストックホルムがどうのこうのだったか。
なんにしろだ、ヴァフター一味に対して恩赦を出すのはあくまで王女様であって、勇者の意思とは違う。俺たちは普通の高校一年生で、慈悲にあふれた正義の勇者様なのではないということだ。
「いや、昼飯なのはわかるんだがな」
「ちゃんとヴァフターさんたちの分もありますよ。これは『下茹で』だと思ってください」
さらに言葉を続けるヴァフターに、こんどは料理番で聖女な上杉さんが返答する。
「そ、そうか」
王女側に勧誘された際に上杉さんからプレッシャーを感じていたヴァフターは、どうやらウチの聖女様が苦手になってしまったらしい。声が裏返りかけているような。
「バークマット卿。これはとても大切な確認なんだよ。大人しくしていてもらえるかな」
「う、うむ」
しまいにはシシルノさんにまで注意をされて、ヴァフターが引き下がった。
爵位はヴァフターの方が上なのだけど、この場で一番立場が低いのがヴァフター隊の面々なのだ。ざまぁ。
俺たちは今、四層へ続く十五番階段の手前で食事の準備を兼ねて、ひとつの実験をしている。
「うーん、八津くん」
「夏樹か。どうした」
上杉さんがヘビを茹でている鍋を遠巻きに見ている俺の横に来た、弟系男子でゲーマーな夏樹は難しい顔をしていた。
「正直なとこ、わかんないよ。経験値でも魔力でもいいんだけどさ、分散してちょっとでも掌握できてるのか、取りこぼしてるのか、さっぱり」
「だよなあ。ここで笹見さんのレベルがピコンと上がれば絞れるのに」
腕を組んで首を傾けた夏樹がもっともらしいコトを言うが、それには俺も同感だ。
この世界における階位の上昇は『魔力の掌握』という表現で達成される。経験値を得るというよりは、魔獣から魔力を奪い取るといったイメージになるが、俺たちはそれを疑わしいと感じているのだ。
「シシルノさんの【魔力視】でも、僕たちが魔力を吸い取ってるようには見えないんでしょ?」
「ああ。それっておかしいよな」
夏樹がボヤき、俺もため息を吐く。
魔力の掌握という表現については、俺たちだけでなくシシルノさんも矛盾を感じ始めている。
シシルノさんの【魔力視】はその場に存在している魔力を見ることができる技能だが、研究職という立場もあって、戦闘時に使用する機会に恵まれていなかった。
そんなことをするようになったのは、彼女が『緑山』と行動を共にし、戦闘に直接関与するようになってから。つまりつい最近になってからなのだ。
『魔力と階位とはなんなんだろうね』
戦闘時における魔力の増減、移動を確認したシシルノさんは、どうやら根源的な深淵を覗き込みたくなったようで。
とはいえ俺たちは、先人の知恵がムダであるとは思っていない。
ラストアタック絶対の法則は俺たちのレベリングにおける基本だ。それを先んじて教えてもらえただけでも大助かりだったのは間違いない。さもなければ一年一組は、前衛だけがレベルアップして後衛はなぜ上がらないのかと、しばらくは悩むことになっていただろう。
HPが百のモンスターがいたとして、九十九削った者ではなく最後の一を刈った者に、ほとんど全ての経験値が入るようなシステムはバカげているが、それがこの世界のルールだ。
ここでひとつの疑問が示されたのは、ウチのクラスの術師たちが階位と熟練度を上げ、魔術が致死性を持つ段階にきたからこそだった。
たとえば【熱導師】の笹見さんは『熱水』で魔獣を倒すことができる。条件次第ではあるが。
『なあ、死にかけの魔獣を鍋に突っ込んで殺したら、それってどうなるんだ?』
そんなコトを言い出したのは、クラスの副料理長こと佩丘だった。
あれはつい一昨日だったか、王女様来訪に備えて料理をしている時のセリフらしい。俺は又聞きだったのだが、ツミレ鍋を作りながら考えることだろうか。
「笹見の姐御と迷宮ご謹製の湯だ、もしこれで誰かの階位が上がったらすごいことになるぞ」
「みんなも同じだろうけどさ、僕の予想だとコレ、誰にも経験値入らないような気しかしないんだけど」
「言うな夏樹。俺もそう思ってる。最悪上杉さんが言ってるように、これはただの下茹ででもいいじゃないか」
俺と夏樹の会話はちょっとネガティブ気味だ。
佩丘の疑問に対し、俺たちの立てた推論はいくつかある。もちろんシシルノさんも楽しそうに会議に参加して、積極的に意見を述べていた。
その検証がこれだ。今やっているように『瀕死のヘビ』を茹で上げて殺した場合、はたして経験値は誰に入るのか。
鍋はふたつ。ひとつは迷宮の水を焚火で普通に温めたもので、もうひとつは【熱導師】の笹見さんが時間をかけて熱した水を、これまた焚火で保温したものだ。
両方とも沸騰までは到達していないが、それでも生物を煮殺すには十分な温度になっているし、事実ヘビは死んでしまったように見える。
「誰もなんにもないね」
「だな。仕方ないさ」
ひとつの鍋に四体ずつ、合計八体のヘビを潰したのだが、誰もレベルアップしたとは言わない。
夏樹と俺が顔を見合わせて残念がりながら納得したように、周りのみんなもさもありなんといった風だ。わかっていないのは説明をしていないヴァフターとシャルフォさんたちくらい。
「なんか申し訳ないねえ」
頭を掻きながら笹見さんはそう言うが、誰も気にしていない。これはそういう実験なのだから。
普通にヘビを三体か四体倒せば、笹見さんは十階位になっていてもおかしくないようにしてある。絶対とはいえないが、そういうところまではきているはずなのだ。今回の実験のために、あえて道中の魔獣を笹見さんに譲ってきたのだから。
もちろん王女様のレベリングも放棄したわけではない。彼女はしっかり七階位になっている。六階位の人間が三層の魔獣を数体倒せば七階位などは簡単だ。
王女様は六階位で【視覚強化】を、七階位で【集中力向上】を取った。悪くない選択だが身体系に限れば、あとは【聴覚強化】くらいしか残っていないらしい。【聴覚強化】が生えているのが、なんとも王女様らしいというのは心の中に留めておこう。
魔術系候補はたくさんあるのだが、王女様のメイン魔術は【魔力定着】なので、そちらを強化しても戦力になるのは難しい。【神授認識】を強くしたら何かが起きるかもしれないが、クーデターの最中に試すことでもないし。
『【神授認識】が【神授強化】になったりしてな』
などとオタなことをほざいた古韮の意見は却下だ、却下。ロマンは認めるけどな。平時なら俺もお勧めするだろうさ。
ついでに【風騎士】の野来が十階位を達成して、こちらは【魔術強化】を取得している。アイツの【風術】が順調に強くなるのは喜ばしいことだ。
「さてヤヅくん、この状況をどう思うかな?」
実験結果を受けたシシルノさんの無茶振りが俺に飛んできた。完全に教授モードに入っているっぽい。
みんなの視線が俺に集中するわけだが、シシルノさん、こういうのはお気に入りの秘書役な白石さんか野来でいいじゃないか。
「えっと、俺たちはいくつかの結果を予想してました。ひとつは魔力が霧散して、魔獣の無駄殺しになる。これが本命です」
酷いフレーズだけど、こう表現するしかない。なので敬語を使うことで俺は誤魔化すのだ。
この場合のラストアタックは誰になる?
お湯を沸かした笹見さんか、それともギリギリまで痛めつけるのを担当した【剛擲士】の海藤か。そして両者ともが十階位を達成できていない。
魔力が誰にも入らない。つまりは経験値の放棄だ。
「もうひとつは全員に均等割り、もしくはダメージ……、攻撃が通った割合で配分される。これだったら本当に最高ですが、この場で検証できません」
「そうだね。薄く広く魔力が配分される可能性だ。だが……、ないだろうね」
「はい」
俺がつぎのケースを説明するが、シシルノさんは否定的だ。そしてクラスメイトのみんなもそう思っている。
倒し方を工夫することで経験値を配分できるなんて抜け道、見つけることができれば最高なのだが、どう考えてもコレは違う。強いていえば……。
「期待してたワケじゃないですけど、お湯を沸かした笹見さんが対象だったら面白いなって思ってたんです。どうやらそれも違うような……」
「どうしたヤヅくん歯切れが悪いね」
「意地悪いこと言わないでくださいよ、シシルノさん。言いたくないんですから」
意地悪というよりかは邪悪に笑うシシルノさんに、俺はジト目を送ってしまう。
俺の酷い言い方でも、笹見さんが苦笑で抑えてくれているのがせめてもの救いかな。
「やっぱり『殺意』だと、思います」
まさか俺の口からこんな言葉を吐く日がくるとはな。
魔術のみを使って魔獣を倒すことは可能だ。だがゲーム的な意味での『魔術オンリー』で敵をやっつけることは不可能。このあたりがややこしい。
典型的な例として【石術師】の夏樹の『石』を挙げることができる。だがそれは魔術というか、魔力そのもので魔獣を殺したわけではない。石を操作する夏樹の【石術】は敵に当たる直前に魔力の相殺によって、術自体が解けてしまっているからだ。
つまり夏樹は【石術】によって石を加速させただけで、魔獣に与えるダメージはあくまで物理現象ということになる。
魔力の相互干渉により魔獣の魔力を削り、弱体化させることはできるとしても、倒しきるのはあくまで剣なり石なり拳なり、要は物理で殴るというヤツだ。
膨大な魔力をぶつけることで相手の魔力を消滅させるようなこともできるかもしれないが、それをするなら殴った方が圧倒的に早いのは周知の事実だな。
魔獣は血液らしきものを流しているが、脳や心臓のようなわかりやすい致命的な臓器は持っていない。代わりに白々しいくらいの急所が経験則で判明している。そこに魔石があるわけでもないのに、とある部位に一定以上のダメージを入れると、魔獣を倒すことができるのだ。全体ダメージでも殺せるのだが、それは急所攻撃を含めての話になる。
アホらしいほどゲーム的だと、俺たちは思ってしまうのだ。
「だから俺たちは『攻撃する意志』の有無が意味を持つんじゃないかって、考えるんです」
「やはりわたしには『だから』の部分が今一つ理解できないようだよ」
ちょっと長くなってしまった俺の説明にシシルノさんが苦笑を浮かべるが、それもそうだろう、日本人的感覚で表現しているから。
要はゲームのコマンドだ。レトロRPGで『こうげき』という選択肢を選ぶのと同じ感覚。
たとえばそこらの焚火に突っ込んで、結果として魔獣が死んでました、なんていうパターンでは誰にも経験値は入らない。
明確な意思を持った上で、何かしらの物理現象で魔獣を倒して、それがラストアタックとなった場合のみ、魔力の掌握と表現される経験値が入ると、俺たちはそう見ている。
物理で倒して魔力を掌握って、おかしいよなあ。
ちなみに魔獣は呼吸をしているかも怪しいので水没や窒息は実験のしようがないし、危険なので却下だ。
「で、こうして煮殺した魔獣はムダだったってことか?」
「ですね。料理にはなりますけど」
「勇者様のやることは意味がわからんな」
ヴァフターがツッコミを入れてくるが、これはほぼ予想どおりの結果なので、一年一組に動揺はない。
俺たちは佩丘の疑問を出発点にして、仮説を立て、そして検証した。
まだまだ明確な実証とまではいかないが、一番高い可能性には辿り着けていると思う。ならば、それを受け入れればいい。
それにコレは『四層』での行動方針を決めるための実験でもある。
クーデターの最中にやることかと言うなかれ。食事休憩ついでに時間を少々使っただけで、立派な実験結果がもたらされたのだから。それに、もしかしたら──。
「じゃあさ、『攻撃する意志』を持って鍋にヘビを入れたらどうなるんだろ」
「ふははははっ。いいね。やっぱり君たちはいい」
それだよ、野来。こんど試してみよう。
なんか悪の女幹部みたいなノリになっているシシルノさんは放っておくとして。
「さあみなさん、食事ができましたよ」
俺とシシルノさんがやり取りをしている間も料理を続けていた聖女な上杉さんが、食事の時間を告げてくれた。