第307話 全ては勇者様の願うがままに
「勇者の皆様方がお望みです。わたくしアウローニヤ第三王女、リーサリット・フェル・レムトが賜りました」
さほど大きくもないのに部屋中に響き渡るような澄んだ声で宣言した王女様は、左手を右腕に巻いた黒い布に触れさせていた。
そんな王女様に引きずられたように、跪いていた騎士たちも立ち上がる。
練習をしていたわけでもないだろうに、それでも揃っているのは高い階位の恩恵だろうか。魔力の無駄遣い、っぽいけど。
「勇者様を害した主犯たる宰相、いえ、バルトロアを探し出し、捕縛します。そして──」
宰相を捕まえると言った王女様だが、まるでオマケのような扱いだ。
「『黒い帳』へと向かい、第一王子バールラッド・フォール・レムトと現王ガルシュレッド・アウローニヤ・ヴィクス・レムト陛下を保護するのです。彼らには宰相らの専横を許し、王国が揺れる原因を作った責を問う必要があるでしょう」
あえて保護という単語を使った王女様だが、この場の誰もがそんなことを真に受けてわけはないだろう。
ここに至りハッキリと皆が理解したはずだ。これはリーサリット王女による王位簒奪であると。
王様と第一王子の名が出た段階で、この戦いは第三王女と宰相の対決などという政争のレベルではなくなった。次代の王どころか現王を引きずり降ろし、玉座を得ると、王女様はそう断言したに等しい。
それこそがアウローニヤを正すための唯一の手段。勇者が望む在り方だ。
勇者の名において、命を受けた第三王女がそれを為す。
「このわたくしの腕にある黒が全てです。今のアウローニヤに疑問を持つ者、わたくしに賛同する者は、勇者の色をまとってください」
右腕を前に突き出した王女様は、そこに巻き付けた黒布を誇示するかのように晒して見せる。
これこそが、勇者との合意の証であると言わんばかりにだ。
「はっ!」
王女様と並んでいた人たち、すなわち『紅天』からヘルベット隊、『蒼雷』からイトル隊、そして『黄石』から変則ではあるが、ファイベル隊とカリハ隊は全員が黒布を巻いた腕を突き出した。最初からそうだったので、茶番が際立つのも否めない。
「あ、おい、お前」
「貴様っ、どういうことだ!」
整然と行動した王女様付近ではなく、部屋の各所から驚きの声が上がる。
そう多くはないものの、王女様のエールに乗って黒布を腕に巻く者たちが現れたのだ。サクラだよサクラ。
最初から懐に忍ばせていた人はまあいい。こっちに走り寄ってきて、『紅天』の騎士から受け取る者もいるのだけど、そっちはちょっとシュールな光景だな。
分隊ごと寝返りというか、王女側だったのはまだいいのだろうけど、中には単独や部隊の中で二人だけなんていうケースもある。そんな状況なのだ、隊長だって驚くのも無理はない。
王女サイドに離れていく元部下を抑えることもできずに、ただ唖然とするばかりだ。
今の『召喚の間』にいる者には宰相派が少なくない。あえてこうなるようにしていたからだ。同時にしっかりと王女派も潜ませてある。
こちらはタイミングを狙えていた攻撃サイドで、さらにはアウローニヤでも最強クラスの部隊が三つも揃っているのだ。宰相方が動けないでいるあいだにも、敵味方の位置取りが色分けされ、確定されていく。
「見事なお覚悟です。勇者一同はリーサリット王女殿下の志に賛同し、助力することをこの場で約束しましょう」
状況にトドメを刺したのは『緑山』騎士団長の滝沢先生ではなく、副団長の藍城委員長だった。
ちょっと冷や汗をかいてはいるものの、それを感じさせない爽やかな笑顔で最高の役割をこなしてくれるあたり、中々の役者っぷりだな。いつも以上にメガネが輝いているぞ。
実はコレ、今朝からずっと訓示を垂れていた先生が、この場でさらに演説を打つのを嫌がったという裏がある。
この場でまで出張るのは、先生の気恥ずかしさの境界線を超えるらしい。ならばということで先生にはラスボスオーラだけを出してもらって、副官たる委員長がそれっぽいムーブをすればいいというシナリオとなったのだ。
「勇者の皆様方のご助力、有難く」
さすがに二度も跪くことはせず、王女様はその場で軽く頭を下げた。
「まずはこの場にいる者たちに告げましょう。王都軍団長、カルフォン・テウ・ゲイヘン卿はわたくしに付きました」
勇者を完全に味方にしたことを見せつけた王女様は、続けざまにこんどはゲイヘン軍団長までもが味方であることを告げた。
ミルーマさんが素早く手渡した羊皮紙を開き、敵方へと見せつける。
異世界識字率うんぬんというネタもあるが、この場には部隊長、分隊長クラスもいるわけで、王女様とゲイヘン軍団長のサインが入った書類を理解出来てしまうのだ。王都軍の面々の顔色が悪くなっていくのが見える。
この時点で王女様のクーデターが計画的なものであり、今ここで行われているのは勇者を看板にした決起集会みたいなものだと気付ける者はどれくらいいるだろうか。
混乱の極みに至っている連中にまともな状況判断ができるとは思えない。敵対者ではあるものの、ちょっと哀れになってくるな。
「第四近衛騎士団『蒼雷』団長、キャルシヤ・ケイ・イトル」
「わたしはリーサリット王女殿下に尽くしましょう」
「第五近衛騎士団『黄石』団長、ヴァフター・セユ・バークマット」
「王女殿下のご意思のままに」
「『緑山』団長、ショウコ・タキザワ様におかれましては……、聞くまでもないことでしたね」
王女様は矢継ぎ早に団長たちの意思を確認していく。
王城内にあるアラウド迷宮に入るのは、王都軍と『蒼雷』『黄石』『灰羽』そして『緑山』だ。
ここに『灰羽』のケスリャー団長はいないものの、それ以外のトップが揃って王女様に付くという証拠を見せつけられた宰相派は、数は五分以上でも精神が保たないだろう。
ここで『紅天』のミルーマさんの名が呼ばれなかったのは迷宮と無関係であることと、王女様の側近として最初っから絶対の味方であることの証明みたいなものだ。ミルーマさん、ご満悦の表情だな。
実のところ王都軍にいる三人の大隊長のうち、軍団長経由で明確に王女傘下に入っているのは第一大隊長だけで、それ以外はバラバラなのは秘密だったりする。現に第二大隊所属で王女派だったパラスタ隊は裏切ったのだ。
王女側は明確な多数派ではない。現状を知る俺たちからすれば日和見が半分で、残り半分を王女様と宰相が取り合っているような状態なのがわかる。第一王子派は可哀想なことに少数派まで転落した。
それでもこちらが優勢であるという幻想を植え付けるために、王女様はクーデターの起点となるここに自分の大駒を配置し、宰相側の小駒を集めた。
そんな大駒こそが勇者であり、傘下に収めた騎士団長たちだ。そういう意味ではヴァフターの存在がかなり大きいわけで、これは勇者の手柄ということでいいのだろうか。
「わたくしは勇者様方の理想を叶えたく思います。ならばこそ、過程においての流血は極力避けるべきでしょう。勇者の歩く道が血に汚れていてはいけないからです」
「はい。僕たちはそれを願います。この場にいる全ての人たちの無事を」
そして王女様による事実上の降伏勧告だ。如才なく委員長が合いの手をいれる。
この場にいる敵側もしくは中立側は夜番の迷宮から戻ってきたばかりの人たちだ。疲労も溜まっているだろう。『黄石』の調整こそ間に合わなかったが『蒼雷』と王都軍の中にいる宰相派を、不自然になりすぎない程度でこの状況に集約してみせたのだ。
「どうか武具を置いてはくれませんか。悪いようにはいたしません」
誤魔化しと誑かしを最大限に使いこなす第三王女は、神妙な顔つきで投降を促す。
「貴様っ!」
「よせっ、あとでどうなるかわかってるのか!」
ひとりが剣を床に落とせば、あとは連鎖的だった。
たぶん宰相側の貴族なのだろう『蒼雷』や『黄石』の隊長格がなにかを叫ぶが、もう遅い。人質でも取られていない限り、騎士爵や平民が『やらされている』迷宮探索者など、諦めてしまえばそれまでだ。
「抵抗する者は拘束してください。協力をした者がいれば、それも記録に残しましょう」
無慈悲な王女様は、投降をした連中に自分たちの隊長を捕まえれば加点してやると言ってのけた。
◇◇◇
「貴様っ、こんなことをしてっ、むごっ……」
またひとり分隊長格の騎士が自分の隊員に体を抑え込まれ、拘束されていく。猿ぐつわまでとは念入りなことだ。
俺たちが『召喚の間』に到着してから三十分くらいで、この場にいる敵対派閥の拘束は完了した。
手足を縛られて無力化された騎士や兵士は、おおよそ三十人くらい。それでも幸いなことに、まだ血は流れていない。もみ合ううちに軽い怪我をした人もいたようだが、放っておいても問題の無いレベルだ。
「敵対さえしなければ罪を問うことはありません。ですが志を同じくするならば、こちらを」
「是非ともご協力させていただきたく!」
王女様が手にした黒布を見たひとりの騎士が我先にと駆け寄るのは、なんともいえない光景だ。
しかも王女様、そいつに手ずから黒布を結び付けてやるのだから、パフォーマンスにも余念がない。ああいう細かい掌握術には本当に驚かされるな。
「あの人、宰相派よ」
「こんなものなのかなあ」
王女様の寛大な心に涙を浮かべるおじさんを見て、コンビニ娘でお客さんの顔を憶えるのが得意な綿原さんが俺に耳打ちしてくれた。
なんでも小料理屋娘の上杉さんも同じ特技を持っているらしい。人材豊富だよなあ、ウチのクラス。
「ここまで流血なしは助かるな」
「わたしが有効活用してもいいのだけどね」
ほっとした俺の声に笑えない冗談を被せてくる綿原さんだが、彼女なりの強がりなのは声色でわかる。
「ここまでは順調だし、地上の騒ぎは見ないふりだね。まだ大丈夫っぽいし」
「草間くんが五人くらいいればいいのにね」
「【分身】は候補にないんだよね。このネタ何度目だろ」
俺と綿原さんの傍にいた忍者の草間は【気配察知】を使い続けてくれているようだ。この場に攻め込む人の気配はないらしい。
血を見ないですんでいることをクラス全員が喜んでいるのは間違いなくて、だからこうして草間も冗談が言えるのだ。分身は置いておいても、このままコトが上手く進むといいのだけれど。
俺たちの視界の先では黒布を受け取り、腕につけていく兵士たちがいる。一体『紅天』の人たちは何本黒布を用意しているのやら。
ここからこの場にいる人たちは三種類の行動パターンを取ることになる。
王女側として動く者、敵側として拘束されたままの者、そして投降こそしたものの身の振り方に迷っている者だ。
王女様は味方をした者にもちろん加点こそすれ、日和見者に餌を残さないわけではない。
元宰相派の貴族連中には厳しい目が向けられるだろうが、平民兵士などはとくにお咎めなしということになっている。そう、お咎めなしというのが最高の褒美だ。
ここには最低限の王女派だけを残し、日和見連中に協力させる形で敵対者を見張ることで場を固定させる形になる。
そして攻め手だ。リスクはあるがカッコいい役割りだぞ。
とくに宰相派から寝返った貴族組は気合を入れてもらわないとな。
◇◇◇
「キャルシヤ・ケイ・イトル、並びにミルーマ・リィ・ヘルベット。あなた方をわたくしの名代として認め、以後の行動に権限を与えます」
あらかじめ用意されていた書類を、王女様はこれ見よがしにキャルシヤさんとミルーマさんに手渡した。
「お任せください」
「必ずや」
恭しく受け取る二人は気合満点に見える。とくにミルーマさん。
キャルシヤさんの場合は脅されて仲間になったパターンだけど、失敗したら身の破滅だからなあ。
それについては俺たちも同じようなものなので、お互いにがんばるしかない。迷宮泊仲間だし、俺たちにも良くしてくれたキャルシヤさんだ、応援せざるを得ないな。
「ではミルーマ、キャルシヤ。成功させてください。立ちふさがる脅威は実力を持って排除することを許します。相手が何者であろうとも」
「はっ!」
王女様の命令は冷徹だった。同時に必要なことであるのも理解はできる。
ミルーマさんとキャルシヤさんが声を合せて返事をするが、ここから先は人同士の闘争になるのは明らかだ。それを思うと胃のあたりが重たくなる。
わがままであることは自覚できるが、それでも知っている人が怪我をしないように、できれば敵味方双方で死者がでないように、どうしても勝手に祈ってしまうのだ。
「ジェブリー・カリハ」
「はっ!」
「あなたはカリハ隊と『黄石』の騎士たちを連れ、『白水』本部に向かってください。そこにバルトロア一党が潜んでいるはずです」
「かしこまりました!」
計画通りなら今頃ゲイヘン軍団長が選抜した精鋭が、宰相を探すために『白水』に襲い掛かっているはず。そこに増援としてジェブリーさんたちは向かうことになる。
アヴェステラさんやアーケラさん、ヒルロッドさんたちミームス隊は『黒い帳』の近くで待機している頃合いだろう。これから動くキャルシヤさんとミルーマさんが王族を守る護衛を引きつけ、そこにできた隙を突くという寸法だ。
その時にアウローニヤの最強、近衛騎士総長とベリィラント隊はどう動くのか。
どれだけ考えてもムダだとわかっていても、それでも落ち着くことなどできるはずもない。キツいな、やっぱり。
「そして、ヴァフター・セユ・バークマット」
「ははっ!」
次いで王女様の口から出たのはヴァフターの名だった。
「あなたはファイベル隊の一分隊を連れ、わたくしと共に迷宮に入ってください」
王女様の発言を気の利いた人間、とくに『黄石』の関係者が聞けば不自然に思うだろう。
なぜヴァフターが自前のバークマット隊を率いていないのか、なぜファイベル隊なのか。ならばバークマット隊はどこでなにをしているのか。
噂で流れている勇者拉致とヴァフターの関与を繋げれば、もしかしたらというところまでたどり着けるかもしれない。
「勇者の皆様、わたくしたちと一緒に迷宮に入っていただくことを、お願いしてもよろしいでしょうか」
「それはなぜです?」
王女様が俺たちに向き直り、迷宮への同行を願ってくる。それに対する委員長の言葉はシナリオに書いてある通りだ。アドリブを挟む余地もない。
「今まさに迷宮で戦っている者たちを、導きたいのです」
ここで説得とか勧誘とか恫喝とかいう単語を使わないのが王女様だ。
導くときたか。なるほどこれぞ勇者と王女様にふさわしいお仕事といえるだろう。
各自が行動に出るギリギリを狙って『召喚の間』にいる全員に対し、味方を集めてくるんだぞ、自分も勇者も役目を果たすんだぞと、そうアピールしたわけだ。
半分は本当だが、もう半分は『避難』なんだけどな。
「王女殿下自ら魔獣が溢れる迷宮に、ですか」
「ええ、わたくしにできることは……、これくらいなのです。勇者様方のご助力を賜りたく」
「……わかりました。僕たちが守り抜いてみせましょう」
なんともまあ。
「いくらなんでも白々しくないかしら」
「だめよ、凛。お腹痛い」
あまりにワザとらしい委員長と王女様のやり取りに、副委員長の中宮さんがツッコミを入れ、綿原さんがそれを止める。
二人とも笑いをこらえるのに必死のご様子だ。まあ、俺もなんだけど。
「勇者してるよなあ、委員長」
俺のこぼした呟きでなにかが決壊したのか、真っ赤な顔になった綿原さんと中宮さんが、こっちの背中をバシバシと叩く。痛いって。力加減、力加減。
こんな感じでクーデターの第一段階は、おおむねこちらの理想通りに達成された。