第288話 八津は仲間を見捨てない
「……夜明けか」
ポツリとヴァフターが呟いた。
俺を必要とする理由を話すのを避けたというよりは、たまたま気になったくらいの軽い感じだな。
気が付けば窓から見えていた暗い空は、薄っすらと明るくなり始めていた。
俺が目を覚ましたのが何時くらいかはわからないが、日付はとっくに通り越し、今日は……、一年一組が呼び出されてから六十六日目になるのか。
宰相がヴァフターと一緒に現れてから一時間も経っていないということは、あの妖怪おじいちゃんは真夜中に王城を彷徨ってここにやって来たことになる。いい年をして、健康によろしくないと思うぞ。
こうしてグルグルと頭の中で考えを回すのは俺のいつものクセだが、今日は格別だ。
なにせ俺は【思考強化】を取り終わっている。具体的には、それこそ宰相が現れたあたりで。
非常事態でその場に適合すると考えた技能の取得は、一年一組の総意だ。今回の場合、たとえば【身体操作】を取ったところで意味は無い。悔しいけれど、その程度で目の前にいるヴァフターをどうにかできるようになるわけもないからだ。本当に、心の底から悔しいのだけどな。恨むぞ、ヴァフター。
それでも【思考強化】については将来的に指揮官用として取る予定だった技能ではあるし、このタイミングなのは仕方がない。
ここまでこうして会話でヴァフターとタイマンを張れているのも【思考強化】のお陰とも言える。
効果についてはアヴェステラさんから聞いていたとおりで、頭の回転が速くなるというのが一番近いイメージだ。【思考加速】なんていうラノベ的な圧倒的思考速度は得られないが、それでも今の状況では役に立つだろう。
このあとに予定している『戦い』でも。
「で、ヤヅを必要としている理由だったな」
改めて言われる度に背筋が寒くなる。
なんで四十歳くらいのゴツイおっさんに、そんなコトを言われなくてはならないのか。
「言ったろう? 俺は帝国に流れてからも稼がなきゃならない。アイツらを引き連れてな」
ヴァフターは軽く顎をしゃくって、扉に立つ二人の騎士を見た。
家族ごと連れて行くというならば、同行する騎士も二人だけということはないだろう。たぶん部隊ごと、もしかしたら『黄石』から同行者を募ることくらいはしているかもしれない。
帝国に逃げれば安全だとかぬかして。
ああ、なんとなく見えてきた。心の中で警報音が鳴っているのがわかるくらいに。
中々優秀な【思考強化】だけど、こういうときに考えるコトを圧縮できるのも良し悪しだな。イヤなコトでもいろいろ考えを巡らせられるのが。
「俺はお前を買っているんだよ。なあ『指揮官』」
「そういう意味ですか」
「ああ、俺たちは働かなきゃならない。まさか帝国で近衛騎士とはいかないからな。だが、戦場ではない。使い潰されるのが目に見えている」
「それで迷宮……」
俺の言葉にヴァフターは黙って頷いた。
大人は働くのが当然というのはこの際どうでもいい。
目の前にいる大男、ヴァフターは、俺に迷宮内でマッパーと指揮をやらせたがっているということか。
安定した給料をもらえる近衛騎士から一転、帝国にある見知らぬ迷宮で『冒険者』だ。そりゃあ万全を期したくなる気持ちも……、わかってたまるか!
家族を守りたいという気持ちなら、それは理解出来なくもない。だけどそこに俺みたいな子供を巻き込むのは大人としてどうなんだ?
それにアンタは綿原さんを巻き込んだ。
笹見さんについては最初からターゲットだったようだから、ごめん。それでも絶対に守るから、綿原さんに重みをのせた考え方をしている俺を許してほしい。
それにしてもむりやり連れて行って、俺が真面目に仕事をするとでも思っているのか、コイツは。
いや、日本を知らない連中なら、うまい汁を吸わせればとか、優遇すればとか思っているのかもしれない。実際にそういうハメになって迷宮で危機に陥ったとしたら、俺はもしかしたら緊急避難とか言って本気で戦ってしまうかもしれないし。
お人好しというより、他人が死ぬのは見たくないし、迷宮に引きずり込まれれば単独の【観察者】は無力だ、自分が生き残るためには他者も助けなければ……。
あり得ない仮定を考えてどうする。それより今だ。
「ワタハラも一緒だと助かるんだが、そうだなヤヅ、提案がないでもないぞ」
「なんです?」
「お前が俺たちに従うのなら、ワタハラを開放してやってもいい。もちろん王城を抜けたあとで、だがな」
そう来るか。なるほどそれは俺にとってのクリティカルアタックだ。
「ダメよっ! 八津くんっ!」
綿原さんの叫びと【思考強化】が無かったら、イエスと言いかけていたかもしれない。
まさかヴァフター、こんな条件を呑ませるために、綿原さんを巻き込んだんじゃないだろうな?
たしかに綿原さんが白石さんや奉谷さん、それこそ夏樹だったとしても動揺は大きかっただろう。だけど、やっぱり俺にとっては……。
「それでも笹見さんはダメなんでしょう?」
「それはまあ、そうだな」
いまさら憐れむような態度を取ったところで、白々しいだけだぞ、ヴァフター。
どうせ心の中では、一族を守るために必要な犠牲程度の扱いなんだろう? だったら口ごもるな。
もちろんこんな話は決裂だ。綿原さんが助かるのはとても大切なことではあるが、だからといって笹見さんを見捨てるなどは、あり得ない。
綿原さんだけでも助かってもらう? ダメだ。
なんとかして笹見さんと綿原さんを逃がして俺が犠牲になる? それもダメだ。それは彼女たちの傷になる。それを許容することなどできない。
つまりはだ、俺たちは三人揃って助かる必要がある。
俺は仲間を見捨てない。その中には俺も含まれるということを、自分に言い聞かせるために繰り返す。俺は自分自身も含めて、仲間を見捨てたりはしない。
俺が俺であるために、一年一組のひとりである以上、意地でも無茶でもなんでもしてでも、俺は仲間を見捨てるわけにはいかないんだ。
この二か月でそんな当たり前を、クラスメイト達から教わったのだから。
「おい?」
覚悟を決めて立ち上がった俺を、ヴァフターは怪訝そうに見つめている。
ここまで【思考強化】を使い続けて導いた打開策、怖いけれどもやるしかない。
あえてゆっくりではなく、だからといって逃げ出すような感じでもないのがミソだ。いかにも考え込みながら、自然と体が動いてしまったようにしなければいけない。
視線もワザと上の空。どこかを見ているようで見ていない素振りは、【観察】を使いこなす俺の得意技になっている。
「落としどころを考えてるんです。そっちはどこからでも制圧くらいできるでしょうから、好きに見張っててください。俺は【思考強化】を持ってますから、時間はかけません」
さっきまでよりも落ち着いた空気を振りまくように意識しながら言ってのける。
さあ、これで綿原さんと笹見さんには、俺が新たに【思考強化】を取得したことが伝わった。不自然に聞こえたかもしれないが、それでもこの場にいる『敵』全員が俺を注視している以上、彼女たちの小さな驚きは見えていないはずだ。
「俺は、降る。いや、そんなことをしたら、笹見さんが。どうしたら、だけど俺だけなんて」
ゆっくりと、扉の方ではなく、朝日が差し込み始めた窓の方に向かって、ゆらゆらと歩を進める。
手を目に当てることで、【観察者】としての俺の能力を無意識に封じてしまっている状況を見せつけながらだ。俺の性能を知っているからこそ、ヴァフターはこちらの動揺具合を察するだろう。
これじゃあまるで【観察者】じゃなく【演者】だな。
「ねえ、なんで、どうしてここまで俺たちを追い込んだんです? 俺たちがあなたたちに何かをしましたか?」
窓際で振り返り、出来る限り悲しそうに歪めた表情で、罪悪感を煽れるようにヴァフターたちを見つめてやった。演技じゃなくても、こんな理不尽に自然と涙があふれてくるのだから、俺も大概だな。それもこの場では小道具として役立ってくれているわけだが。
ゆっくりと、漏れ出るように感情を爆発させる素振りを見せてやる。
「ヤヅ……、落ち着け。俺はお前を」
「なにが落ち着けだっ! そっちが勝手に押し付けてきて選択を迫るなんて、大人のやることか! 俺はまだ十五なんだぞ。あんたの息子は何歳なんだ? なにが違うんだよ」
俺の行動に釣られて立ち上がっているヴァフターに向かって、お前のせいだと犯した行動を煽り、狂気を一段階上げる。さらには二人の騎士にも俺への一歩を踏み込ませ、綿原さんと笹見さんへの注意を削ぐことには成功した。ここまでは予定通り。
ワザと【平静】をカットした俺は、現在、技能ではなく中二病モードをフル回転中だ。それこそ【中二病】なんていう技能が発現しかねない程に。
俺の豹変っぷりに、綿原さんと笹見さんも腰を上げかけているが、今はそれでいい。少なくとも俺が何かをしでかそうとしているのにだけ気付いてくれていれば。
「もう、もう嫌だ。帰りたい。日本に、山士幌に帰りたい。こんなの夢だ。間違ってる!」
そうやって叫んだ俺は、窓に向かって振り返りながら、額をガラスに叩きつけた。
後衛職とて俺も九階位だ。強度を出すために厚みがあるガラスだって、全力の頭突きには耐えられない。
派手な音を立ててガラス窓は破壊され、朝の湿った冷たい外気が部屋に流れ込んだ。窓をぶち破る途中で破片を食らったのか、額から血が流れるのを感じてゾっとする。反射的に体が固まってしまうが、それでも俺はむりやり心を奮い立たせた。
窓から逃走して、仲間にさえ合流できれば……。
「あ」
「自棄になるのもいい加減にしろ、ヤヅ。ここは高い。飛び降りれば、俺でも無事ではすまないぞ」
せっかくの獲物が無謀な行動を取ったことに焦ったのか、ヴァフターは宥めるような声色で俺を諫める。
「あああ、高い。こんなに高かったなんて」
俺の視線の先にあるのは朝靄が揺らぐアラウドの湖面と、はるか下にある王城の石畳だった。
こんなところから飛び降りれば、たしかにヴァフターの言うとおり、誰だって無事ではすまないだろう。
狂乱しながら窓から脱出などという策は、そもそもこの部屋に俺たちが閉じ込められた段階で予想されていてしかるべきもので、この結果は当たり前だということだ。相手も大バカではないのだから。
◇◇◇
「あはっ、あはははっ」
追い詰められた俺は、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
俺が壊した窓からは湖を渡る朝の風が吹き込んできているが、それが心を安らかにしてくれるものでもない。
ずっと考えていた。間違いなく仲間たちや王女様は総動員で俺たちを探しているはずだ。
なのにこんなところで悠長に話せているということは、ココは宰相か『黄石』のテリトリーのはず。そして窓からアラウド湖が見えるというコトは、王城の内側深くにあるはずの宰相府ではないのだろう。たぶん『黄石』関連の区画だ。
問題は王都軍に連れ去られたはずの俺たちが、どうして『黄石』につかまっているのか、それを捜索側が絞り込めているかどうか。やはりこちら側から逃げるしかない。
だから俺は『ラリった演技』を続ける。
「逃げられない。落ちたら、死ぬ。死ぬ。死ぬ?」
「ヤヅ、お前、いい加減に」
錯乱している俺を見たヴァフターが、咎めるように近づいてくる。ただし、刺激を与えないようにゆっくりとだ。
浮かべる表情には困惑と焦りが見える。それはそうだろう、こんな場面でせっかく捕まえた大事な駒を失いたくはないはずだから。こんな形で俺が狂乱するとは思っていなかったのか?
「でももう。俺にはもう、ここから落ちるのと、捕まるのと……」
フラフラと体を揺らし、焦点の合わない目をしながら、俺は窓の枠に片手を乗せた。
ガラスの破片が手に触れたところで、これが綿原さんから砂判定をしてもらえればと、ふと考えてしまう。それなら痛い思いをしなくていいかもしれなかったのに。
『帰りたいんだよ!』
狂乱モードの俺は日本語で本音を叫んだ。
ヴァフターがぎょっとした顔になって、綿原さんと笹見さんを見る。なるほどそのあたりはしっかりしているわけか。
俺が彼女たちに異国語で指示を出したんじゃないかという疑いだ。
「ワタハラ、ササミ。ヤヅは今、なんと言った?」
「帰りたいって言ったんだよ! 帰りたいって! あたしだって帰りたいさ!」
ゆっくりと噛んで含めるように二人に問いかけたヴァフターに叩きつけられたのは、笹見さんの叫び声だった。
それでいい。笹見さんの叫びには全く嘘がないし、迫真そのものだ。
涙を流してヴァフターを睨みつける笹見さんと、俺の錯乱に唖然とした表情になっている綿原さん。ごめんな、もう少しだから。もうちょっと付き合ってくれ。
「あ、コレなら、死ねるかな」
手に触れていたガラス片を掴み取り、それを握りしめながら首元に持っていく。
「ヤヅ……、お前、止めとけよ」
さすがにヴァフターも慌てたようだ。どれだけ騎士が速くても、この状況で取り押さえようとしたら、逆に怪我を負わせる可能性が出てくる。ましてや、首だ。傷口によっては取り返しがつかない。
「せっかく好きな子ができたのに、悔しいな」
『日本に帰りたい』
「死んだら帰れるのかな」
『【血術】』
「痛いのはいやだなあ」
いよいよ錯乱の度合いを増す俺は、日本語とフィルド語をごちゃ混ぜにして言葉を並べていく。
こうなってしまうと、ヴァフターもいちいち日本語を気にはしていられないだろう。
すでにヴァフターは意味を問いただすこともなく、俺の方ににじり寄ってくる。残りの騎士二人も、綿原さんと笹見さんから目を逸らさないまでも、注意のほとんどは俺に向いているのが全部見えているぞ。
俺がどれだけうつろな目をしていようとも【観察】と【視野拡大】は全てを捉える。
そして、決定的は単語は、すでに言い終わった。
綿原さんが涙を流しながら、それでも意を決しているのが、お前たちには見えていないだろう。
ツラい役回りだけど、ごめんな綿原さん。
「ふひっ」
『【魔術拡大】』
「ひひっ。俺は、俺はぁぁ!」
最後に必要な単語を日本語でもう一度伝えてから、俺は【目測】を全開にして、自ら肩から腕を切り裂いた。
「ヤヅっ!?」
愕然とした表情になったヴァフターが、俺の腕からしたたり落ちる血を見つめている。いくら追い込まれていたからといって、俺がここまでするとは思っていなかったのかもしれないな。せいぜい俺が脅しでやっているくらいだと受け止めていたんだろう。ざまぁ。
「痛いよ。アンタのせいだ。全部アンタらのせいだ!」
少しでも地べたに落ちる血の量を増やすために、まだまだ狂った演技を続けるしかない。【目測】でギリギリに調節していたので、傷は見た目ほど深くは無いし、【痛覚軽減】のお陰で痛みで動くこともできないという状態ではない。
ここからの俺の役割は見て、口を出して、走ることくらいだ。腕の一本や二本……、千切れるのはダメか。
「ありがとう、痛かったわよね。八津くん」
「なんてことないさ。あとは任せてもいいかな」
はらはらと涙をこぼす綿原さんの口調はどこか柔らかい。
それもそうか、彼女の手元に『サメ』が戻って来たのだから。
「任されたわ!」
「あたしもやるよ!」
鮫女とアネゴの頼もしい声が部屋に響く。後者はニヒルに、前者はモチャっと笑ってくれている。それがとても頼もしくて、嬉しくて仕方がない。
あとは頼むよ。存分にやってくれ。
俺の視界の端で『血』と『水』が動き出した。




