第287話 他人の考え方
「そう怖い顔をしてくれるな、ヤヅ」
「無理を言っている自覚はありますよね?」
「まあ、そうだろうな」
癇癪じじいこと宰相が立ち去り、ここまで黙って推移を見守っていた第五近衛騎士団長、ヴァフターはため息を吐きながら俺たちとの会話を始めた。
ソファーに座っているのはこちらが俺と、綿原さん、笹見さん。
対面はヴァフターだ。もはや『さん』付けなどあり得ない。なんならバークマットと呼びたいくらいだぞ。
「譲歩というわけではないが、そうだな、ササミの目隠しを取ってもいい。もちろん【熱術】は勘弁してほしいがな」
「最初から対応できるのに、遠慮しているようなコトを言われても、ですね」
「わかったわかった。まっとうに話をしたいんだよ、俺は」
ワザとらしく両手を前に突き出すヴァフターにイラつきが止まらない。
この場には正面に座るヴァフターと、扉に控える『黄石』の騎士が二人いる。ひとりはどうやら宰相のお見送りに向かったようだ。だからといって俺たちが目の前の『敵』に勝てるかといえば、勝率はゼロに等しいだろう。
正直自分でもブチ切れているのは自覚できている。【平静】を使っていても普段は怯えを抑え込むためだ。怒りというのは存外厄介なモノらしい。俺らしくないのは承知の上だが。
それでも『ひと手間』かけたお陰で頭は回転する。
「笹見さん。取っていいってさ」
「……まったく、面倒だよねえ」
笹見さんは、両手を拘束されていたわけではない。近くに圧倒的強者がいたからいうことに従っていただけだ。許可さえ出れば、目隠しを外すなんて数秒でできてしまう。
「顔を見るまで信じたくなかったけど……、本当だったんだねえ」
「玲子、大丈夫?」
「ああ、昼間でなくて良かったよ」
綿原さんが心配する声を掛けるが、笹見さんは何度か目をシパシパさせてから皮肉気な口を叩く。
笹見さんのそんな態度は、もちろん強がりだろうし、綿原さんからもいつもの覇気が感じられない。
状況が状況だけに、元気とか言っていられる場合でないのはわかるのだが、どうにも彼女らしくないと思うのだ。
「綿原さん、まさか……」
「なにかしら、八津くん」
「あ、いや、体調は大丈夫?」
「気分は最悪だけど、体は無事よ」
「ならいいんだけど」
危ないところだった。急遽無難な会話に切り替えたが、口に出さなければヴァフターにはバレないだろう。
まさかとは思うが、いや、確信に近いのだけど、綿原さんは『サメを出せていない』から元気がないのではないか。もはやサメと綿原さんは一心同体の存在だ。ちょっとモヤるけど、それは仕方がない。
この世界に呼ばれた直後、綿原さんは俺を励まし毅然とした態度を取っていた。不安だったろうけど、それでも他者を気遣う気丈さに感心したものだ。
だが【鮫術】を取得し、サメを出現させ、そして【砂鮫】を常に纏わせるようになってからはどうだったか。
『サメ依存症』。聞いたこともない単語がふと思い浮かぶ。さすがに言い方が悪かったので、ここはサメを心の拠り所にしていたということにしておこう。できれば俺の成分でなんとかしてくれると嬉しいのだけれど。
とにかくだ、綿原さんは今『サメ欠乏症』に陥っている。いや、だから言い方。
こういう意味不明な思考を巡らせているのは、さっきの宰相がしでかしてくれたことへの怒りを鎮めるためというのもある。俺の場合、綿原さんをネタにすればそちらに意識が飛ぶからな。打ってつけの鎮静剤にもなってくれているのだ、彼女は。
実はもうひとつ、周りの誰もが、それこそ綿原さんも笹見さんにも教えていない秘密の理由があるのだけれど、それはさておき。
さて、綿原さんはしょんぼりモードで、笹見さんもモチベーターとしては優秀だが交渉事で強く出れる方ではないし、ここは俺が頑張るしかないのだろう。
「なんだヤヅ、面白い顔をして」
「面白くないですよ」
「まあな。で、聞きたいことがあるんだろう?」
「……目的を」
ヴァフターが軽い口調で話しかけてきた。だが目はマジで、どちらかといえば俺たちを大人しくさせておきたいようにも思える。
俺も表情を読み取られるようではまだまだだな。こういうところが藍城委員長や聖女な上杉さん、そして鮫女の綿原さんには、絶対俺が及ばない部分だろう。そんな綿原さんは絶不調ときたものだし。
「それは自明だろう。帝国だよ」
「ですよね。時期と手段は」
「教えるわけがないだろう」
前回、式典ではまともな会話が無かったからノーカウントとして、ヴァフターと話をしたのは王都軍司令部であだ名が話題になった時か。それよりも若干砕けた口調になっているが、どっちが素なのやらだ。
行き先は帝国、タイミングと方法は不明。当たり前の情報だな。
厄介なのは笹見さんは宰相のモノで、俺と綿原さんはヴァフターが引き受けるという点だ。モノ扱いされたことに腹が立つが、この辺りで付け込む隙とかはないだろうか。
たとえば宰相とヴァフターが仲間割れをするとか。
「……どうしてあなたは宰相に付いたんですか? 中立派と聞いてましたけど」
「ヴァフターさんとは呼んでくれないか」
「呼び捨てになるので」
「だろうなあ」
そういうのはいいから、早く答えてもらいたい。
「この国がそうは保たないのは分かっているのだろう?」
「それは、まあ」
「だからといって王女様が狙っている『コト』が成功する確率も低いと、俺は踏んだわけだ」
ヴァフターの言いたいこともわかる。
俺たちはやむを得ずに王女様に付いたが、この人には選ぶ余地があったのだろうし、以前から宰相との繋がりがあったのかもしれない。
これから王女様がやろうとしているコトが手荒で、失敗する可能性も十分で、正義であるかも怪しいというのは、俺たちだって知っているのだ。
「それならあなたが──」
「『黄石』の席次が一番下なのはわかっているよな?」
「……はい」
第五近衛騎士団『黄石』は第四近衛騎士団『蒼雷』と並ぶ『平民騎士団』。ナンバリングこそ第六の『灰羽』と第七の『緑山』よりは上だが、下ふたつは特殊で、むしろ番外と言ってもいいくらいだ。
それでもこの国の括りなら『緑山』は立派な平民騎士団なんだけどな。
「『蒼雷』と『黄石』の違いは貴族の少なさだ。俺は男爵、イトル卿は子爵だが、アレは特殊だな」
「そうなんですか」
キャルシヤさんが『蒼雷』の団長に就任した理由はガッツリ知っているが、ここでひけらかしても意味はないだろう。
「『蒼雷』には貧乏貴族家の三男四男なんていうのが結構いるんだ。あとは曰く付きの男爵とかもな」
なるほど『蒼雷』は『紫心』や『白水』に寄付する金もないような貴族出身者の受け入れ先でもあるのか。曰く付きなんていうフレーズが出てきたが、まさにハウーズなんかが当てはまる。
「それに対して『黄石』は、ほとんどすべてが平民上がりの騎士爵だ。俺の家は男爵で、代々団長だがな」
「それがどうして俺たちの拉致や、王女様に付かない理由になるんです?」
ヴァフターは『黄石』を平民中の平民騎士団だと告白した。
ならばむしろ反体制側で、つまり革命を起こしたい第三王女に付くのが筋だと思うのだけど。ましてや俺たちを拉致して、王女様の怒りを買うなんてマネを、なぜ。
「たしかにウチの騎士連中は貴族と平民の板挟みで、むしろ平民根性の方が強いだろうな。要は上を面白くは思っていない」
「だったら──」
「だからだよ。俺が音頭を取って、分の悪い賭けに付き合わせたくはない」
騎士団長が王女様に付いたからといって下が全員従うワケもないというのは、むしろ家の都合がついてまわる貴族騎士が多い『紫水』や『白水』の考え方だ。もしかしたら『蒼雷』もそうなのかもしれない。
だけど『黄石』なら、目の前のヴァフターが一声かければ、ということか。
「それって責任逃れじゃ」
「派閥争いなど騎士団長の仕事としては管轄外だ。だから俺は各自の好きにさせている。どうせ王女殿下は『上』から手を伸ばしているんだろう? そっちの方が効率的だからな。『黄石』は後回しになって当然だ。たぶんウチは何も考えていないのが多くて、王女派が少々ってところだろう」
俺の糾弾に対して、言い訳をするようにまくし立てるヴァフターの言葉は、どこか投げ槍だ。この人、まさか。
「だから俺は足抜けすることにした。この国に未来が無いのは王女様がどうしようと、それが成功しても失敗しても同じコトだからな。どっちかに付いて一族もろとも、なんていうのはゴメンだ。平の騎士たちは勝った方に従えばいい」
「じゃあなんで宰相と」
逃げ出したいというのは百歩譲ってわからないでもない。下っ端の騎士が日和見を決め込むのも、たしかにアリだ。それを取り込むのが勇者の仕事だと予定されているのが気を重たくさせる。
だからといって宰相と組むのが理解できない。
「俺は組んでない。持ちかけられただけで、これは一度限りのお仕事だよ。コトが終われば、宰相とは縁切りだ。アウローニヤで俺が最後にやるのが運び屋とはなあ」
「アンタはっ!」
「おっと」
ヴァフターのあまりに勝手な物言いに切れたのは笹見さんだ。
笹見さんの【熱術】がヴァフターの目の前で発動するが、空気の揺らめきを見切ったのだろう、腕の一振りで術はかき消された。やはり見える位置からの『熱球』は階位のある騎士には通じないのか。ましてやヴァフターはずっと警戒しながら話をしていたのだろうし。
「団長!」
「いい。お前らはそこにいろ」
見張りの騎士が声を荒げるが、ヴァフターは手を振っただけで止めた。心底荒事が面倒だという風に。
「勘弁してくれササミ。俺はお前たち三人を殴りたいなんて思っていない」
「……許せないね」
「許さなくてもいいさ。俺はお前たちを帝国に運んで、一族ごと落ち延びる。宰相のツテと金を使ってな。これが俺の見極めだ」
「それにあたしたちを巻き込むなって言ってんだよ!」
笹見さんが叫ぶ。俺だって叫びたい。本当にふざけるなという気持ちだ。
顔を俯かせてなにも言わない綿原さんが気になるが、大丈夫かな。
「お前たちより小さい息子がいる。俺に付き合ってくれる連中にも家族はいるんだ」
そう言ったヴァフターは、立っている騎士のひとりをチラリと見た。
息子ときたか。キャルシヤさんにも娘さんがいて、ヒルロッドさんには娘さんがいる。迷宮で出会ったミハットさんもだ。綿原さんがサメのイラストを渡した子供たち。
何処から来たかもわからない勇者を名乗る他人と、家族の未来を天秤にかけるなら──。
それがアンタの考え方か。
ヒルロッドさんやミームス隊の家族を逃がす算段は立っている。だけど王女様の手は、クーデターに巻き込まれる敵味方、両方ともに届いていない。
なにも貴族だからといって、全員が全員ろくでもなしではないということも、俺は知ってしまっている。状況次第で家ごと潰れるとか、やるせないよなあ。
綿原さんが俯いたまま肩を震わせているのが視界に入ってしまって、胸が痛む。
今の彼女は本当に弱気だ。サメ欠乏なんていう冗談では済まされないくらいに。子供の話を出されたのが効いているのかもしれない。
「欠片も納得できませんが、理屈はわかりました」
「ヤヅのそういうところは、助かるな」
「冗談でも持ち上げないでください。あなたは俺たちを生贄にすると言ったんです」
「そうだな」
笑うでもなく怒るでもない。平坦な表情をするヴァフターとの会話が虚しい。
あだ名の件で盛り上がっていた時は、豪快に笑ってくれていたのにな。
「今からでも手を引けませんか? 宰相と手を切って、なんなら俺から王女様に口添えをしてバークマット家を──」
「そうやってヤヅ、お前は関わった人間全員を王女殿下に救ってもらうのか? 保証なんてどこにあるんだ? 一度敵対して悪さをした連中をどこまで信じるんだ?」
そうやって言い返されれば、黙るしかない。
あの王女様なら俺たちが開放されれば、喜んでヴァフターを許すどころか、そこを突いて陣営に引き込みすらするだろう。あの人なら、という確信がある。
それを俺がどれだけ熱弁したところで、ヴァフターには通じないのも、同時にわかるんだ。
俺が目の前のコイツの立場だったら、そんな甘い話など信用するはずがない。
勇者に手を出した。わりと襲われたことが多い俺でも、今回のケースが最悪だというのは理解できる。訓練とかイザコザとか、そういう言い訳が一切存在していないから。
どうしてこうなるのかなあ。俺たちは高校一年生なんだけど、なんでこんな面倒なコトに巻き込まれているのだろう。勇者ってなんなんだよ。
「会話はまだ必要か?」
「ええ」
そちらの考え方はわかった。どうしようもないところまで来てしまっていることも。
だけどまだ、聞いておきたいことが残っている。気を取り直せ。綿原さんが落ち込んでいる以上、彼女を助けるのは俺の役目だ。これまで何度、彼女に救われたと思っている。
「笹見さんは帝国に対する宰相の手柄で、俺と綿原さんはあなたの手駒でしたか。笹見さんが狙われた理屈はわかりましたが、なんで俺なんです?」
これは確認しておきたい。
笹見さんは【熱導師】という、上杉さんの【聖導師】に並ぶブランドを持っている。
藍城委員長が【聖騎士】なのに狙われなかったのは、前衛職を拉致するのに手間取るからというのが理由だろう。
なにより悔しいのは、後衛職で俺の近くにいたというだけで、綿原さんがこの場にいるということだ。
「俺がヤヅを買っているからだ」
「はい?」
「俺は騎士職と階位と家だけでこの立場にいる。帝国に流れてもそれは変わらん。だからヤヅ、お前が必要だ」
「勝手なコトをぉぉ!」
そこで完全にブチ切れたのは綿原さんだった。
たしかに彼女の言うとおり、ヴァフターの言い分は勝手すぎる。ついでに俺が必要という理屈もよくわからない。などという思考ができてしまっているのは、俺の代わりに綿原さんが激怒しているからだ。
立ち上がった綿原さんがヴァフターを殴りつけようと腕を振りかぶるが、そこでうしろから肩を掴まれた。
扉にところにいた騎士のひとりが、綿原さんを制止させてしまっている。
これだから高階位の前衛職はイヤなんだ。綿原さんがどれだけ【身体強化】をフル稼働させたところで、元々の外魔力が違い過ぎる。サメの補助を使えない綿原さんが、この状況でできることは、ない。
「綿原さん、落ち着いて。俺のために怒ってくれて、ありがとう」
「八津、くん」
強く肩を掴まれた綿原さんが泣きそうな顔になって、俺を見た。
ああ、彼女の泣き顔は本当に見たくない。怒りや悲しみで心が焼き切れそうになりそうだ。ましてやこんな理不尽が原因だなんて。
「手を放してやれ」
様子を伺っていたヴァフターは、俺が事を荒立てないようにしているのを確認してから、騎士に指示を出した。
手を離された綿原さんは崩れ落ちるようにソファーに座り直し、横の笹見さんに抱きしめられている。
笹見さんも怖いだろうに、ありがとう。やっぱりアネゴは頼もしいよ。
「それで、俺が必要だなんていう気持ち悪い話、どういう意味です?」
だから俺は出来る限りの虚勢を張って、堂々と相手の話を聞くことにした。