第285話 推測と憶測だけでも:【聖盾師】田村仍一
「この人たちはなにを考えているのでしょう」
貴族どもの関係図を見た滝沢先生は困惑した表情でため息交じりで呟いた。
縦横に繋がり、金を貯め込みながらも保身を考えてばかりの貴族たちと、それに乗じようとする騎士や兵士たち。そういうのがアリアリとわかってしまう資料の束だ。
俺だって読んで良い気はしないだろう。担当が地図の方で助かった。
俺たちもいい加減、先生がこういうのに向いていないのは理解しているつもりだ。
先生は中宮と並んで戦闘力の頂点という立場でいい。あとは俺たちの心の支えになってくれているだけでも、十分だと思っているんだけどな。
今の先生はすでにヒントになるのかも怪しい資料を正しく読み解くよりも、今回のクーデターで敵対するだろう貴族の名を憶えるのに力を入れているようだ。そいつらが今回の犯人に絡んでいる可能性が高いから。それが自分にできることだと言わんばかりに、血相を変えて。
なんかブツブツ言っているのが怖いんだが。
まあだから、それ以外の部分をやるのが俺たちだ。
「王女様がこれだけの材料を揃えてくれてんだ。コレを使えば」
「そうだよ、タムラ」
ゾワリとした声が背後から襲い掛かってきた。ジワっとした目のベスティさんが俺を見つめている。
「全部が全部、ここにあるんだよ? どうしてなのかはわかるよね」
「怖えよ。大人しく見ててくれよぉ」
自分の声が震えているのがわかってしまう。
真犯人が宰相なら、もしかしたらアイツらを取り返すための取引材料になるかもなんて、ちょっとしか思ってないから。
「勇者の好きなようにすればいいって、王女殿下はそう言っているんだよ。これ以上の信頼ってあるのかな? わたしには想像もつかないよ」
「わかってるって」
謎の釘差しをしてからどこかに行ってしまったベステイさんは置いておいて、俺は地図の色塗りを再開する。
◇◇◇
「宰相府が白だってか。当たり前だよなぁ」
「っすねえ」
俺のこぼしたグチを、一緒に地図の色分けをしている藤永が拾った。こういう時でも相変わらず口調とビビりのクセにチャラっぽい表情が、どこか頼もしい。
一時間ちょっとで舞い戻って来たアヴェステラさんとガラリエさんは、捜査情報をまくし立ててから、またすぐに出ていった。
それによれば、本命の宰相は素直に捜査に応じて、宰相府とかいう自分の仕事場の執務室から押し入れまでも全部を見せた上で白だったらしいが、そんなのは信じる材料になどなるわけがない。
宰相が真犯人かどうかは知らないが、帝国に勇者を差し出すのなら手下にやらせて自分は知らんふりをするに決まっている。貯め込んだ財産は別の場所だろうし。
「ミステリーとかでも定番っすよ。こういう時に人さらいが隠れているのは思わぬ場所っす」
「お前、ミステリーなんて知ってんのかよ……。ああ、深山か」
「っす。共通の話題って大事っすから」
なんでこんな状況で惚気られなきゃならないんだ。
この世界に飛ばされてからお互いを意識するようになった野来と白石に比べて、藤永と深山は山士幌にいた頃と距離感が変わらない。そうやって支え合ってアウローニヤに対抗しているのならそれでいいんだろうけど、なんか悔しいな。
深山は今も藤永の隣で一緒に作業をしているし。
八津と綿原は……、止めとくか。今はそういうコトを考えている場合じゃない。
「最低でも王城には残されているはずだ。王女様が速攻で船着き場を抑えてくれたのは大きいな」
「きっと大丈夫だよ、田村クン」
焦りながら作業をしていた俺が吐いたグチに、地図に新しい情報を描き入れていた深山がポヤっとした声で答えてくれた。
コイツ、騒ぎになってからずっと【冷徹】を使っていやがる。気持ちはわかるんだけどな。俺だって【平静】を使いっぱなしだし。
ハシュテルの騒ぎ以降、船着き場の警備には王女様の手が入っていた上に、今は王命権限とやらで通行が禁止されている。
少なくともアイツらが拐われてから怪しげな船は出ていないのと、王都に繋がる一本橋にも異常は見つかっていない。だから、大丈夫のはずなんだ。
ただし、いつまでもとはいからないらしい。王城と王都でモノをやり取りする必要がある以上、いつかは船を使うのを認めないわけにはいかないのだとか。ついでにいえば買収やら強行突破もあり得るしな。
「深山。魔力、大丈夫か?」
「……【冷徹】だけなら。熟練上げたし」
このあとのことを考えて魔力を温存しようという話を持ち出したのは夏樹だった。普段はずっと飛ばしっぱなしにしていた石を手の上で転がしながら、涙を浮かべてそう提案されれば俺たちだって言葉に詰まる。
それでも冷静でいるべきだという理由で【平静】だけは使っておこうということになった。深山の場合は【冷徹】も。
迷宮帰りで、風呂と食事はしたものの【体力向上】を切るのは中々キツいと思い知っているところだ。このあとは交代で【睡眠】だけは使う予定だが、アヴェステラさんの持ってる【疲労回復】を羨ましく思う時が来るとはな。
「目撃情報、バラバラっすね」
「藤永クン、コレって別行動だよね」
「っすよね。どれくらいだと思うっす?」
「うんと……。みっつ、かな」
「うん、同感っす」
アヴェステラさんたちから伝えられた目撃情報を地図に入れていく藤永と深山がそれっぽいやり取りをしているが、マジかよ。そんな八津みたいなマネが……。
「お、おい、深山、藤永。わかるのか?」
「え? こんなの田村クンもわかるよね?」
「そうっすよ。ほとんど同じ時間に三か所で、それが全部離れてるんすから。こないだ観たスパイ映画みたいっすね」
「だね、藤永クン」
「へ?」
目撃された場所とおおよその時刻が描かれた地図を深山が指でなぞっていく。
それはいいんだが、会話にまた惚気が混じってなかったか?
まあ、惚気は聞かなかったことにして、なにせ三人を運んでいるんだ。目撃情報なんかからも、たぶん途中から袋か何かに入れているようだが、大荷物を抱えた集団は目立つし、王城の廊下にはそれなりに人がいる。もちろん警備の目だってあるが、そっちの方が信用できないのはハシュテルで証明済みなのがややこしいところだ。
関係ない通行人の証言の方が信用できるとか、どういうことだか。
「この三つが別グループだとするとっすね──」
深山が黙って指を動かし、藤永が解説していく。息はピッタリだ。
息はどうでもいい。たしかに二人が逆算する形で点なぞっていくのを追えば、時間とルートのつじつまが合っているじゃないか。こいつらどんなスパイ映画とか観てたんだよ。
一部で遠回りになっているのは、王女様の息がかかった警備のある区画を避けているからか。だからこそ信ぴょう性が出てくるな。
三つのグループのうち、ふたつは王都軍の宿舎の近くまでで、ひとつは……、強いていえば近衛、『蒼雷』か『黄石』の本部に向かっている?
「いや、人数がおかしくねぇか?」
それでもツッコミどころはある。拉致犯は十三人だった。
なのに目撃情報はどれもひとグループで十人以上だ。数が増えてるだろ。
「これはアレっすね。地上側に協力者がいるっす」
「だね。地上にいたっていう残りの分隊なのかな?」
さも当然とばかりに藤永と深山が納得顔をしているが、コレはヤバいだろう。映画とかそういうのじゃなくて。
「三分隊でも足りねえぞ。ほかにもいるんだ」
思わず声が荒くなる。
藤永と深山の推測が正しいなら、三十人から四十人が結託していて、警護に止められないようなルートをあらかじめ三つも選べて、しかも王女側だったはずの精鋭部隊がやらかしているんだぞ。ヘタをすれば警護の近衛騎士もグルだ。
階段での手際といい、地上での行動といい、ハシュテルの時とは大違いの段取りじゃないか。
アヴェステラさんというか王女様が総ざらいをしてくれているようだけど、未だにシッポも見つかっていない。これって相当に大物が絡んでいるということじゃ……。本気で宰相とかが。
「おい、みんなの意見が聞きたい」
この段階でわかったことだけでも、とりあえずみんなに伝えておかないと。
◇◇◇
「ふむ、いいね。わたしはミヤマくんとフジナガくんの推理に賛成するよ。理に適うとはこのことだ」
説明を聞いたシシルノさんが、真っ先に賛成の声を上げた。
「犯人は三つの集団に分かれてバラバラに移動していて、それぞれ十人以上。目撃情報では『抱えていた荷物』は三つずつ、か」
委員長も納得の表情だが、顔色が優れない。それもそうだ。
「三人を別々に運んでいるか、それともふたつが偽物か」
唸るように委員長が言葉を続けた。
そういうことだ。三人がバラバラになんて、もしも誰かひとりでも。
「どっちにしても全部を調べないとだろ。それでもできれば、一番確実そうな場所からかな」
「そうだね」
腕を組んで難しい顔をした古韮がそう言えば、委員長も頷く。それしかないのかよ。
「だけどどれが本命なんて。まだ三つとも居場所なんてわかってないんだし」
「田村、これ以上経路は絞り込めねぇのか。場所は」
「勘で決めるのは、マズいデスよね」
「最後はミア頼りも、か」
「ある程度は絞り込めたんだから、王女様に話して全部を──」
クラスメイトたちが喧々囂々になるが、決定的な答えなんてあるわけがない。
「あの、シシルノさん」
「なんだい?」
「今回の救出って僕たちは」
今更なコトを委員長はシシルノさんに問いかけたが、たしかにそうだ。
置き去りになっていたが、そのことを確認していなかった。当たり前に俺たちが助けにいくのが当然だって、思い込んでいたんだ。
「わたしとしては参加してもらうのが望ましいと思うよ。姫殿下もじゃないかな」
「それはどうして」
「拐われた勇者を勇者自身が救うのさ。なに、ないとは思うが姫殿下が反対したなら『勇者がワガママ』を言えばいい」
シシルノさんの言葉を受け止めて、皆の覚悟が決まっていくのがわかる。もちろん俺の腹もだ。
「おい! これをっ!」
そんな決意が固まった時、熱気を帯びた談話室に飛び込んできたのはヒルロッドさんだった。
◇◇◇
「これってまさか、『珪砂』……、凪ちゃんのっ」
ソレを見た中宮が感極まったように涙をこぼす。
ヒルロッドさんが握りしめていた手を開いた上にあったのは、白く輝く砂。珪砂だ。
こんなモノが偶然このタイミングで王城に落ちているはずがない。
「ヒルロッドさんっ、これはどこでっ!?」
「落ち着いてくれ、ナカミヤ。ここだ」
端の方に置かれていたテーブルに珪砂を乗せてから、ヒルロッドさんは壁の地図の一点を指さした。
「廊下の端に零れていた。偶然でもない限り気付かないような程度の量だけ。罠とは考えにくいと思うよ」
地図を見ながら説明をしてくれるヒルロッドさんだが、俺たちはそれどころじゃない。
「近衛、かよ」
俺の口から出たのは一番怪しくて、一番あり得なさそうな言葉だ。だからこそ、なんだよな。
ヒルロッドさんが指し示している場所は、三つのグループのうちのひとつ、近衛の区画に向かうルートの途中にあった。
「『蒼雷』か『黄石』か。絶対にない、とは言えないね」
「でも『蒼雷』はキャルシヤさんが」
ヒルロッドさんに中宮が食い下がる。そりゃあ俺だってキャルシヤさんは信じたい。
「団長が騎士団の施設全部に目を通せているわけじゃない。それに──」
「『蒼雷』で四割、『黄石』は三割、だね。『紅天』でも六割だよ」
「……ノキの言うとおりだ」
言い訳をするようなヒルロッドさんの言葉を遮ったのは野来だった。
「なにが?」
意味が分かっていない中宮だが、クラスの半分くらいは理解できているようだ。
「えっと、掌握率って言えばいいのかな、王女様の味方になってくれる人たちの割合」
「碧ちゃん……」
野来と一緒になって王女様の戦力リストを調べていた白石が説明する。
何度もわからされていることだが、この国の組織はグチャグチャだ。上が王女様の味方だからといって、下もそうとは限らない。それこそ今回の事件でパラスタ隊とかいうのが裏切ったのだ、野来の言った数字は希望的観測というやつでしかないだろう。
「中立っていうか日和見も多いから、半分以下しかいないってワケでもないんだろうけどね」
言ってしまってからバツが悪くなったのか、野来が慌てて付け加えた。
だけどなんだ、王女様の勢力って思った以上に少ないのか?
いや、今はそういうのはどうでもいい。
「わたしからも気になるコトが。ここまでみなさんのお話を聞いて、なおさら」
皆が疑心暗鬼になっているところに、ここまで聞きに回っていた上杉が口を挟んできた。
「今日の迷宮に入っていた人たちの一覧を確認していたんですが、予定表に『載っていない』のに模擬店に来られた団体様が。部隊まるごとですね」
「そんなこと把握してるのかよ」
「これでも料理屋の娘ですから。というのは冗談で、以前来店された時に部隊名を小耳にしただけです。お顔だけでも全員を確認できるんですが、この世界、写真が無いので」
「それを憶えてるのが凄いんだって」
思わずツッコンでしまったが、上杉はケロリとしたものだ。
いや、親父やお袋も診察券やカルテと関係無しに、患者さんの顔と名前は一致させていたか。ついでにシシルノさんが『しゃしん』とかブツブツ言っているが、知らん。
それにしたって、一回の模擬店の客なんて二百とか三百人規模だぞ。それを全部かよ。
藤永にしても深山にしても、上杉にも、今夜は俺の無力さを思い知らされてばかりだ。絶対どこかでやり返してやる。
「今の取り決めでしたら、迷宮は多くても二日に一度でしたよね。そして、訓練でも休暇でも『召喚の間』などには近づきもしない」
妙な気迫を持った上杉が怪しげな部隊とは別の事柄を並べていく。何の関係があるっていうんだ。
「地上側からではわたしたちが戻る時間をある程度でしか予想できません。では待っていた人たちはどこでどうしていたのか」
上杉の口調によどみはない。そうだった、饒舌な時の上杉は、とにかくヤバいんだ。コイツ、ずっと激怒しながら語っていやがる。その証拠に、何かを感じたヒルロッドさんの腰が引けているじゃないか。
「三つの集団が別れたのはこの辺り。『召喚の間』のすぐ近くです。近衛騎士が王都軍の迷宮装備に着替えてまでして、大荷物を抱えて、こんな場所にずっと控えていたら」
「……誰にも見られないわけがないし、訝しく思われて当然、か。まかり間違って顔見知りが通ればなおさらだね」
「はい、ヒルロッドさんの言うとおりだと思います。ではどうすればいいか。迷宮に入っておいて、わたしたちより少し早めに地上に戻ればなんとかできると思うんです」
上杉の言っているコトは筋が通っていると思う。地上の協力者は迷宮にいた、か。
そして今、上杉はハッキリと言ったよな。近衛騎士って。
「こちらの予定表は昨日の日付ですが、当日になっての参加はよくあることなのでしょうか」
「無いとは言わないが、珍しいね」
「では、周りの人たちは、どう思われるでしょう」
「私的な付き合いでもない限り、ほかの部隊など気にも留めないだろう。ましてや近衛なら」
ヒルロッドさんを問い詰めるような語り方になっている上杉だが、誰もがそれを気にしていない。
つまりあれか、今回の拉致で迷宮側に協力者がいたとしても、上杉が不自然さに気付いていなかったらバレなかったかもしれない、ということか。
迷宮組なんて真っ先に調べられるはずだが、予定表にない部隊は後回しになるどころか、ヘタをすればいなかった存在にされていたかもしれない。
以前までと違って、群れが確認されてからの迷宮では出入りのチェックは省かれている。いちいちやっていたら渋滞が出来上がるからだ。
「つまり、同じ『黄石』さえ避けていれば、発覚には時間がかかるのでしょうね。閉店間際に模擬店に来たのはわたしたちの様子を探るのと、不自然さを感じさせないためでしょうか。最近は店を素通りする人はほぼいませんので」
「ウエスギ、君は……」
「以前に見かけたこともあるので間違いはありません。たしかお名前は……、ファイベル隊」
上杉はついに部隊名を口にした。
「あくまで不自然だった、というだけです。あの人たちはまったく別の理由でたまたま迷宮に入っただけかもしれません。けれど……」
そして頭を下げた上杉だが、申し訳なさそうにすることもないだろう。
言い掛かりでも構わない。俺たちが必要としているのは嘘でも本当でも、本物に近づくための材料だ。
「『黄石』のファイベル隊。表面上は無派閥。宰相派の色アリ、だそうです」
背後から紙束を手にした先生が現われ、地獄の底から響くような声でそう告げた。
「犯人が三班に分かれて行動したこと、増えた人数、行き先、不自然な近衛騎士、そして宰相派である可能性。全ては推測でしかありません」
言葉を続ける先生は完全にキマった目になっている。これは、ヤル気だ。
「わたしからも付け加えよう。王城ではこの手の話など、よくあるんだ。そして手が込んでいる時ほど悪党の動きは速い」
様子を見守っていたシシルノさんが最後のトドメを刺した。
「ベスティ、行きたまえ。ヒルロッドもだ」
シシルノさんがベスティさんを指名したのは、元側近だけに王女様の居場所を一番知っているからか。
「わかったよ、って、ちょっと」
すかさずヒルロッドさんはベスティさんを小脇に抱え、なにも言わずにそのまま部屋から走り出ていった。
「僕たちはいつでも出れるように準備だね」
「最初っからできてるだろうが」
委員長にツッコミを入れた俺は、すぐ傍に置いてあった盾とメイスを手にした。
なにせこの場にいる全員は、風呂上りからずっと革鎧を着たままなんだからな。