第2話 認定された勇者たち
半年前に父親が死んだ。
俺が中学三年で妹が小学六年の時だった。
事件や事故ではなかったし、闘病の果てでもない。大動脈解離とかいうのでいきなり倒れて、そのままだったらしい。
実はそのときにはもう、俺たち一家は山士幌へ引っ越す予定になっていた。
元々母さんは山士幌の酪農家に生まれて、父さんは同じ町で建築業をやっていた。二人が結婚して俺と妹が生まれて、俺が小学二年の時に父さんが札幌にある本社に転勤になった。
『父さんも母さんも山士幌が好きなんだ。広志は?』
『うん。俺も』
嘘じゃなかった。山と畑しかないような町だけど、空は高くて蒼くて広くて、どこまでも波打つ緑色の大地が好きだった。それは今でも、もちろんだ。
『実は来年から山士幌営業所の所長にって打診が来ててな』
それが一年前。俺も妹も大賛成で、その日を心待ちにしていた。
けれど結局、母さんと妹と俺だけの三人家族になった八津家は、山士幌にある母方の牧場でお世話になることにした。
それから半年後、俺は普通に山士幌高校を受験し、当たり前だが合格した。
俺が山士幌高校一年一組唯一の『外様』になった経緯だ。
◇◇◇
入学式から二日後、つまり俺がこのクラスに入ってからだとまだ二日とちょっと。二時間目の英語の授業中に世界が光ったと思ったら別の世界にいた。繰り返すけれど『二日と少し』だ。
教室と同じくらいの広さで真っ白な床。踏んだ感じだと石っぽいけどつなぎ目はない。そんな場所に机と椅子ごとだった。ご丁寧に先生と教壇まで一緒。
クラス召喚というより、まるで教室召喚だった。
椅子に座ったままで周りを見渡せば、俺たちがいるのは大きな部屋の真ん中で、教室の広さだけ三段くらい凹んだ場所だった。右と左、後ろ側はちゃんと階段状になっている。正面の元は黒板があったところには、やたら派手な装飾がされた大きな鉄扉がそびえていた。
「これは? ここは?」
少しだけ間が空いてから誰かが呟いた。
「こ、これはその……、ようこそ、勇者の皆様方よ。我らの祈りに応え現れてくださったこと、感謝致しますぞ」
現実逃避しかけていた俺の耳に届いたのは、どこかで聞いた、いや読んだことがあるような、俺的には本当にありきたりなセリフだった。
ところどころつっかえがちだったのには違和感を覚えたけれど。……それはまるで驚いているようで。
クラスの皆が声の聞こえた方に顔を向ける。
唖然とした顔のままの先生が立つ教壇から向かって右側、そちらは五段くらいの階段になっていて、いかにも偉いんだぞという格好の人たちが豪華な椅子に座っていた。そしてやはり驚いていた。
さっき聞こえた言葉はそこにいた誰かのものだろう。しわがれた感じだったので、一番偉そうな人の横に立っているおじいさんだったのかもしれない。
「王様、かよ」
これまたクラスメイトの誰かの言葉だ。
さっき俺が一番偉そうだと思った『小太りなおじさん』は王冠こそ被っていないものの、濃い灰色に金銀の派手な装飾をした服の上から白いマントみたいなものを纏っていた。しかも金髪碧眼。どこからどう見ても外人さんで、実に王様っぽい人だ。
「お、おおっ、ふむ……。ぐふっ、アウローニヤ国王、ガルシュレッド・アウローニヤ・ヴィクス・レムトだ」
少しの間驚いた様子を見せてから、にちゃりと笑って自己紹介したのはやはり王様だった。繰り返しになるけれど小太りなおじさんで、やたらと豪勢な口髭は似合っているように見えない。
お話で聞くような権威を纏うオーラは感じられなかった。どちらかといえば虚飾が先にくる。影武者だと言われたら、信じていたかもしれないくらいに。
そのあとも王妃様やら第一王子やら宰相やらが名乗っていくけれど、覚えきれるわけがない。申し訳ないが、またの機会にでもだ。
「これって、どういうことだ」
「夢?」
「ここはどこなのよ!?」
「静まれ! 陛下の御前だぞっ!!」
そんな状況の中、クラスメイトが騒いでいる。騎士みたいな人が静かにさせようとしているけれど、みんなのざわめきは止まない。当たり前だ。これで騒がない方がどうかしている。
それはもう、遠い世界の出来事だった。
「そう声を荒げるものではありませんぞ。まずは落ち着きなさいませ、勇者の同胞たちよ」
王様のすぐ横に立っているおじいちゃんが優しげな声でみんなを宥めようとするが、それでもクラスメイトたちのざわめきはしばらく収まらなかった。
◇◇◇
そこからだいたい一時間。大した説明も無しで俺たちは『神授職』とやらを得ることになってしまった。
「詳しい話はまた後程。このあとで説明の場を設けますので」
「いえ、しかし」
「まあまあ、皆様の益になることこそあれ、損などございませんので」
一緒に召喚されていた英語の滝沢先生が食い下がるけれど、やはり受け流された。
先生は俺たちの担任ではない。二十代半ばで、女の人としては長身な多分俺と同じくらい、百七十くらいのメガネクールな感じの人だ。茶色がかったボブカットと鋭い目つきが特徴的な美人さんだが、この状況に戸惑ってしまうのも仕方がないだろう。
あちらは完全に有耶無耶なままでコトを進めてしまおうという勢いだ。まあまあ、とか、とりあえずとか、神授職を確認しないことには話が始まらないとか。
しまいには騎士っぽい連中が近寄って圧をかけてきた。こっちの二十二人に対して、あちらは全身鎧で顔も見えない騎士が三十人くらい。反抗できるはずがない。
「本当に必要なことなのですね?」
先生はまだ若いのに、それでも威圧的な相手に対して鋭い声で問いかける。
ここであまり反抗するのもマズいような気もするが、それでも食い下がる先生は立派なのだと思う。
「王国の名と、太祖たる勇者様たちに誓いましょう」
結果として先生が諦めたように嘆息して、俺たちはその神授職とやらを確認することになった。
一緒に召喚されていた机と椅子を騎士たちがガタガタ片づけている光景が少しだけシュールな空気を醸していた。
◇◇◇
「現れし皆様の神授職が確認できました」
俺が【観察者】と言われ、綿原さんが【鮫術師】になったことで儀式っぽいことは終わった。
気が付けば俺たちを取り囲むようにしていた騎士たちは壁際に整列していて、クラスの皆は先生を中心にしてお互いの存在を確かめ合うように身を寄せ合っていた。
俺たちの神授職を確認、そして認識させてくれたお姫さまが壇上の王様のすぐ前で跪き、透き通るような高い声で宣言する。
「全ての方が『高位神授職』もしくは『未知の神授職』を得ています。稀有な事例であることに間違いありません」
「ふむぅ、つ、つまり?」
一番高いところでふんぞり返ったままの王様が先を促す。
興奮しているのか、どうにも鼻息が荒い。
「彼らは我らの願いに応え顕現し、ほぼ全ての方々が黒髪、黒き瞳。言い伝えにある勇者様の容貌に酷似しております。そして授かりし職」
そこでお姫さまはすっと息継ぎをした。
「わたくし、レムト王家が三女リーサリット・フェル・レムトは、彼らが『勇者の同胞』ないしは『勇者』であると進言いたします」
「ふむぅ、ふむ。……よかろう」
椅子の手すりを軽く叩いた王様が左手を宰相に伸ばした。
一瞬だが宰相が面白くなさそうな顔をした気がする。たぶん見間違えじゃない。歓迎されていないのか?
ゆっくりと宰相が差し出した分厚い紙、羊皮紙みたいのなのか、王様はそれを受け取ってサラサラとサインをする。そして立ちあがった。
王様はサインをした羊皮紙の文面をこちらに見せて、無駄に仰々しいポーズを決めた。
「余、アウローニヤ四十二代国王、ガルシュレッド・アウローニヤ・ヴィクス・レムトが古の勇者との盟約に基づき、ここに宣言しよう。そこな者たちを『勇者の同胞』すなわち事実上の『勇者』と認め『勇者との約定』を果たすことを誓う!」
バンという擬音が聞こえてきそうなくらい、もって回った言い方だった。
◇◇◇
言うだけ言って王様はそのまま退場していった。壇上にいた人たちがそれに続く。やたら丁寧だったお姫さまもだ。俺たちはこれからどうなるのか。というか、俺はどうなってしまうのだろう。
友人になった古韮は大丈夫だとは言ってくれたが、どうしてもハズレジョブからの追放パターンが頭をよぎるのだ。
「勇者の皆様は今より晩餐を。その場で説明をさせていたきます。移動をお願いできますか」
そう話しかけてきたのは焦げ茶の髪をショートカットにしたお姉さんだった。三十には届いていないくらいだろう。冷たさを感じなくもないが、にこりとした微笑みは営業スマイルとは思えなかった。
「説明、していただけるのですね」
「ええ、もちろんです」
「ではお願いします」
そう答えた先生はこちら側では唯一の大人で、もちろん俺たちの代表だ。
これからどうなるかはわからないけれど、説明をしてほしいのは全員が同じだろう。俺たちはぞろぞろとお姉さんについていくことになった。
列の前と後ろに五人ずつ騎士がいるのが物々しくて、みんなの歩みはゆっくりになっている。こうして初手から威圧されるのは俺としては不信感が増すだけだ。
俺たちの手荷物は自分のカバンと体操着の入ったバッグだけ。誰とはなしに絶対に手放すなという話が全員に通達されていた。
持ち物検査とかがあったら変な笑いが出るかもしれないな。偏見ではないにしても、こっちにスマホなんてあるわけないだろうし。
ちなみにみんなの格好は詰襟学ランとセーラー服。もちろん冬服だ。
アニメみたいな奇抜な制服じゃない。むしろヤボったいくらい普通だけど、こちらでは珍しい服装になるのだろうか。
「ねえ八津くん」
「ん? ああ、綿原さん」
やたら広くで絨毯が敷き詰められた廊下を歩いている途中で話しかけてきたのは、【鮫術師】とかいう謎なジョブになった綿原さんだった。
元から教室ではすぐうしろの席で、青くて細いフレームのメガネの奥に見えるすっとした眼差し、肩まで伸ばした綺麗な黒髪が印象的で、鮫どうこうを抜きにしても彼女は印象に残っていた。元々、一年一組の教室ではうしろの席だったワケだし。
ウチのクラスの美人度ではトップクラスだと思う。もちろん個人的趣味でだが。
「憶えてくれてて嬉しいけれど、改めてね。わたしは綿原凪よ。変な名前の、えっと神授職だったかしら。そんなのになっちゃったもの同士、仲良くしてくれると嬉しいわ」
「あ、ああ。こっちこそよろしく」
「ふふ。よろしくね八津広志くん」
そうやって彼女は、さっきと同じようにモチャっと笑った。