第187話 鉄の間で為されたこと
「えい……、えい……」
【氷術師】の深山さんの淡白な掛け声が迷宮の一角でこだまする。その赤い瞳にハイライトは見当たらない。
「なんか僕さ、僕じゃなくなってくような、さ」
「しっかりしてよ、夏」
すぐ近くでは【石術師】の夏樹がどこかぶっ壊れた感情を見せ、それを姉として励ます春さんがアタフタしている。これは果たして美しい姉弟の光景といえるのだろうか。
迷宮泊の二日目は既に夕方を迎え、予定時刻までに地上に戻らなくてはアヴェステラさんやヒルロッドさんたちをやきもきさせることになるだろう。今から戻れば大丈夫だが、もうちょっと、ほんのちょっとで仕上がるのだ。ここまで煮詰まってしまった以上、かなり猟奇的な状況には目をつむろう。
いまだ六階位のままの深山さんと夏樹の前には、かすかに動くウサギの山が積まれ、さあいいから一刻も早くトドメを刺せという無言のプレッシャーが注がれている。哀れな。
二人の着る革鎧は魔獣の返り血で赤紫に染まり切っていて、とくに色素が薄い深山さんは普段の白い肌と栗色の髪の毛がまだら模様になっていて、ギャップが酷い。
「捕まえてきまシタ!」
他所の部屋まで出張していたミアたちが、何体かのウサギを手にして戻ってきた。
さらに追加かよ……。
ところで藤永、深山さんの横に立ったままさめざめと泣くのは止めてくれないか。
ここは通称『鉄の部屋』だ。
俺たちは勝手にでっち上げた目標を成し遂げ、そして目的やら手段やらをごちゃ混ぜにした結果、やり遂げようとしている。
鉄の部屋到達というのはぶっちゃけどうでもいい。そんなことより全員の七階位が目前だ。
二日目に予定していた三層の調査を放り投げて、数多の経験値をドブに捨ててまで挑んだ謎目標だったが、明確な結果として返ってくるなら意味もあったと言えるだろう。
むしろ次回からは確実に三層だけの探索になる。そのための下準備と考えれば、ここでの熟練上げも悪くないと思えてくるから不思議なものだ。
六階位という立場に残された深山さんと夏樹はただひたすらにウサギにトドメを刺していく。もはや二人はそれぞれお得意の魔術、すなわち【氷術】と【石術】など使っていない。フィニッシュのための短剣を両手でホールドして、突き降ろす。それだけの作業光景だ。
これが高校一年生のやることだろうか。当人たちが使う全開の【平静】と、【奮術師】奉谷さんからの【鼓舞】、ついでに【騒術師】の白石さんの【奮戦歌唱】。
スプラッタな場所に流れる勇ましいアニソンは白石さんもわかっているのだろう、明るいOPと陰惨な本編とのギャップが酷いと評判になったアニメが採用されていた。わかっている人だな、白石さんは。
ちょっと前に同じく七階位を達成した【聖導師】の上杉さんは壁を背にして黙り込み、【聖盾師】の田村は地べたに座り込んで荒い息を繰り返している。さっきまでは四人でウサギを刺しまくっていたものな。
俯きがちで口元から笑みが消えている上杉さんなんていうのは、かなりのレア光景なのだが、あまりそれを見るのは悪い気がするな。
俺が七階位になって【目測】なんていう謎技能が生えたあと、つぎに階位を七にしたのは【裂鞭士】の疋さんだった。【嵐剣士】の春さんと並んで成長著しい彼女が選んだのは【視野拡大】。中距離攻撃タイプであるムチ使いの視界が広がるのだ、文句のつけようがないチョイスだった。いつの間にか候補に出現させていた【視覚強化】と悩んだそうだが、そっちは次回にするそうな。
それって所持者がまだ俺と中宮さんだけだから、どういう感じに育つか様子見する気だろ。外見のチャラさに良く似合うズルい要素を持っているのが疋さんだ。
上杉さんと田村はまだ新技能を取っていない。こんな状況だし、このまま地上に戻るのだからあわてることもないだろう。一拍おいて、ゆっくり離宮で考えてみるのもアリだな。
「ご協力に感謝します」
「いえ、僕たちの都合もありましたから」
すぐ近くでは王都軍の『鉄の部屋』方面部隊長さんと藍城委員長が挨拶し合っている。俺たちが作った魔獣の穴を通って四十人くらいの兵士と、それと同じくらいの運び屋が突入をかけたらしい。
運び屋たちは背負っていた肉系の素材を放棄して、持てる限りの『鉄鉱石』を持ち帰るようだ。今の迷宮事情なら肉やら木材は腐るほど手に入るが、鉄は貴重だからな。現場判断なのだろうけど、それも当然か。
これは俺たちも一緒になって持ち帰るのもアリかもしれない。勇者の善行ってな。
「ここも壮観ね」
「こういうのは想像してなかったよ」
俺が『鉄鉱石の山』を眺めながら悪いコトを考えているところに綿原さんが話しかけてきた。二人で並んで部屋の一角を見る。
そこに転がっているのは鉄鉱石なのだが、赤やら黒っぽいのやら、俺からしてみれば岩でしかない。そんなのが大小、塩の部屋と同じようにゴロゴロと転がり山を作っているのだ。まるで赤と黒の壁がそこだけ崩れましたよ、といわんばかりに。
「インゴットでもなければ鉱山って感じでもないよな」
「塩もそうだったけど、ワザとらしいわよね。持って帰れって言ってるみたい」
まさしく綿原さんの言うとおりだ。こういうワザとらしさが迷宮には存在しすぎていると思う。
階位やら魔獣やら、やたらとゲームっぽい部分があって、それなのにドロップはこんな有様だ。
「うーん、残念」
「どうした?」
「【鉄術】とか【岩術】が出なかったなあって」
手にした小さい鉄鉱石をじっと見つめる綿原さんだったが、そんなことを考えていたのか。
そういえば塩の部屋でも同じようなコトをしていたな。
「【塩鮫】とか、ダメだろ」
「いいじゃない。アレはいけると思ったんだけどね」
塩の山を見るだけでなく手でいじっていた綿原さんだったが、結局あの時は【塩術】は出ずしまいだった。なまじゲームに詳しいわけではない彼女だからこその奔放さなのかもしれない。
最初から最後までが常識外の迷宮だからこそ、綿原さんのように疑って、挑戦してみるのはアリなんだろう。見習わなくては。
「まだ終わらないのかしら」
「言ってやるなよ、二人が頑張ってるんだし」
「わかってるんだけど、周りの目がちょっと、ね」
綿原さんがため息を吐くが、その視線は鉄鉱石に向けられたままで固定されていた。
今この広間には百人以上の人間がいるわけで、なのに大半は部屋の一角を遠巻きにしている状態だ。なぜかといえば、それはもう深山さんと夏樹を筆頭にした勇者のご乱行というやつだな。
『あそこまでヤルのかよ』
『あの子ら術師なんだろ?』
『ひでぇ』
『まだ子供じゃねえか』
大半が訓練場で聞くような嘲りではなく、どちらかといえばビビりと哀れみの入った声色だ。
調査や狩りが目的で迷宮に入る人たちは、そのほとんどが前衛職だ。基本的に自分たちの力でレベリングができる。もちろん最初はサポート付きだろうし、先輩が後輩に、もしくは『灰羽』のような教導団に連れられて。その場合でも自力で戦闘をするか、もしくは貴族のような接待プレイしか見たことがないのだろう。
そんな彼らから、勇者たちのやっている行いがどう映るのか。
ひとりは女顔で細身の少年、もうひとりは栗色の髪を伸ばした薄幸系少女だ。兵士や運び屋たちからしてみれば子供としかいいようのない連中が、流れ作業のように魔獣を刺している。
どちらかといえば接待プレイ的な行動だが、これを見てヌルいなんていう言葉は出てこない。出るわけがない。
「あ、上がった。上がったよ」
「わたし、も」
それから数分、ほぼ同時に夏樹と深山さんが七階位となった。……ミッションコンプリート。
ふらりと立ち上がった二人は、藤永と春さんに介助されるようにして部屋の隅にある水路に向かう。よろよろとした足取りが危なっかしい。
「よく頑張ったね、アンタら!」
そこで待ち構えていたアネゴ系【熱導師】の笹見さんが感極まったように二人を賞賛し、そして【熱術】と【水術】を併用した温水を頭にぶっかけた。メイドのひとり、アーケラさん直伝の技には磨きがかかり、さぞや適温に調整されていることだろう。
革鎧にこびりついた赤紫の血痕こそ残されているが、それでも顔だけは綺麗になった夏樹と深山さんは沈み込むようにその場に座る。
パチパチと拍手が鳴り響いた。
一年一組ではない。なんと音の出所は王都軍の部隊長だ。それを見た兵士や運び屋たちも、最初はまばらに、そしていつか全員が、手を叩く。シシルノさんやメイド三人衆もそれに倣う。
そして、クラスメイトたちもだ。もちろん俺と綿原さんも手を打ち鳴らしていた。
さっきまで勇ましい歌声だった白石さんは、いつしかやさしいメロディなアニメのエンディングに歌を切り替えている。【鎮静歌唱】か。久しぶりだな。
だけどなんなんだろうな、この光景は。感動すべきかどうか、すごく悩ましい。
◇◇◇
「それでは我々はここで」
「お疲れ様です。お気を付けて」
「そちらも。あなた方は本当に勇者、なのかもしれませんね」
挨拶をする委員長に部隊長が意味深なことを言っているが、たしかに一般の兵士たちからしてみれば俺たちが勇者なのかどうか、胡散臭いという想いはあるのだろう。最後の言葉にしてもおべっかかもしれないし、そう思いたいと言っているようにも聞こえた。
まだまだ小出しではあるが勇者ムーブ、奉谷さん的には勇者ごっこを続ける必要があるのかもしれない。
鉄の部屋を出た俺たちと王都軍部隊は道中で道を分かれた。とうやら王都軍はこれを機会にできる限り鉄を運ぶことにしたようだ。数日、下手をしたら明日にでもルートが魔獣に塞がれてしまうかもしれない。だがそれは寸断レベルの話であって、そこさえ乗り越えれば、ということになる。
俺たちは三層調査を放棄した代わりに、短期間だけ有効な『鉄の道』を開拓することに成功したわけだ。
「ふふん、俺は【身体強化】だな」
「てめえがなあ」
「悪いかよ」
一層を歩く一年一組は賑やかだ。今も田村と佩丘がつぎの技能について言い合っている。
そうか【聖盾師】の田村は【身体強化】を取るのか。ヒーラーが硬くなるのは大歓迎ではあるが、やはり妬ましい。【聖導師】の上杉さんが超ヒーラーなら、【聖盾師】の田村は硬ヒーラーが予想されている。身体系技能が生えてきたのがその理由だ。そのうち名前のとおりに【硬盾】とかも出てくるんだろうな。
羨んでも仕方がない。俺はといえば新しく獲得した【視覚強化】に【観察】をすり合わせるのに大変だ。
種類にもよるが技能は取った時にポンっと上がって、そこから熟練を上げるとじわじわと強化されていくような感触になるケースが多い。【視覚強化】などはまさにそれで、中宮さんのように単独なら目が良くなった程度で済んだのかもしれないが、【観察】と噛み合うと効果がキツい。
これは使い込まないと、慣れるまでが大変そうだ。
「大丈夫なの? 八津くん」
「なにが?」
強がってはみせたけど、綿原さんにはバレていたようだ。顔に出ていたかな。
「【視覚強化】をオンオフしているでしょ。その度に目が大きくなったり細めたりしてるわよ」
「ありゃ、本気で顔に出てたのか」
変顔をしていたわけか。これは恥ずかしい。
「……それとも心を読んでほしかったかしら?」
「勘弁してくれ」
「そ」
そんなことをされたらバレるだろう、いろいろと。
「七階位ね。みんなで揃って」
「だな」
微妙な空気になりかけたところで綿原さんが話題を変えてくれた。助かる。
「騎士団、か」
「騎士団、なのよね。なにが変わるのかしら」
彼女のいうとおりで、俺たちが騎士団になったからといって、なにがどう変わるのかがよくわかっていない。
住処は『水鳥の離宮』のままだろうし、訓練は……、どこで誰とやることになるんだろう。ヒルロッドさんは顧問をやってくれることになっているけど、教導騎士団の『灰羽』とはおわかれだ。とすればラウックスさんたちとも会えなくなるのか。良くしてもらったし、それはそれで寂しいな。
絶対に変わらないのは、帰還のヒントを探すために迷宮に潜り続けること、か。なんだかなあ。
「いろいろと変わることもあるよ」
「シシルノさん」
うしろを歩いていたシシルノさんは、どうやら俺と綿原さんのやり取りを聞いていたようだ。
「たとえば君たちの立場とかだね」
「立場?」
シシルノさんの言葉に綿原さんが首を傾げる。この場合、立場とはどういう意味になるのだろう。
「君たちは全員騎士爵だ。貴族の仲間入りだよ。ようこそ泥沼へ、だね」
「シシルノさん……」
そんな言葉にシシルノさんの横を歩くガラリエさんがため息を吐いた。シシルノさんは悪い顔をしているが、その目にはちょっと違う何かが浮かんでいる気がする。なんだろう、悲しみ? 哀れみ?
人生経験が少ない俺にはよくわからない。綿原さんもなにかを感じたのか、ちょっと顔をしかめている。
「付け加えるとね、騎士団長は男爵だよ。最低でもかな」
そんなシシルノさんの爆弾発言に、俺と綿原さんは前を歩く先生の背中を見てしまった。
俺たちが貴族で、先生が男爵?
「手続きもあるだろうし、もう少しは先の話になるだろうけどね。それでも君たちはその力で一歩を踏み出したんだ。いや、踏み込んでしまったのかな」
「悪い言い方ですよ、シシルノさん」
綿原さんがげんなりといった感じでツッコんだ。




