第180話 変わりつつある訓練風景
「掠りもしなかったわ」
「そりゃそうだろ」
「でも、悔しいじゃない」
綿原さんは大層不満げだが、十三階位のヒルロッドさんにサメをぶつけようなど、いくらなんでもムリがあると思うのだ。
中宮さんと綿原さんのペアで挑んだヒルロッドさんは、それでも余裕だった。
昨日やった滝沢先生とのタイマンみたいなやり方でなく、真っ当に剣盾スタイルなヒルロッドさんに対し、綿原中宮コンビで襲い掛かった訳なのだが……。
「反則よ、アレ」
「反応速度がなあ」
綿原さんの【砂鮫】を二匹フェイントに使って、できた隙に中宮さんが打ちこむという一年一組定番スタイルだったのだけど。
こっちの世界の強者たちは、平気で『見てから避ける』とかをやってくる。ゲームじゃあるまいに。
それどころかサメに対しては『当たってから避ける』をされた。
魔力の打ち消し合いの都合上、綿原さんのサメはヒルロッドさんの外魔力に触れた瞬間に術が解ける。そこからはサメの形を崩しながら直進するわけだが、どうやらヒルロッドさんは魔術が自分の外魔力に触れた瞬間を察知してから回避行動にでているようなのだ。中二感丸出しだな。
結果として綿原さんのサメは目つぶし的な効果のありそうな場所には当たらなかった。ちょっとだけ砂を被ったヒルロッドさんを見た時に砂かけババアなんて単語が思い浮かんだが、さすがに口に出すのはダメだ。それくらいの分別は俺にもある。
こういった現象の深奥は……、秘密でもなんでもない。
十三階位というヒルロッドさんが纏う外魔力と、持っている技能がその答え。素の外魔力に加えて【反応向上】や【身体強化】があればできてしまうだけだ。
ついでに【強騎士】のヒルロッドさんは【剛力】なんていう技能を持っているらしい。【身体強化】の単純な上位ではなく、筋力に関する能力を底上げしてくれる技能で、反射神経とかは向上しないタイプ。それでも【身体強化】と合わせ掛けができるのだからそれはもう強い……、らしい。
なにせ俺たちはヒルロッドさんのガチ本気を引き出せないのだから。
魔獣相手の本気なら何度も見たことがあるが、対人となると。
そんな化け物みたいに強い人たちでも苦手にするのが『数』だ。一層で群れていえた鮭魔獣などヒルロッドさんたちミームス隊だけなら問題なく倒せていただろう。一年一組とシシルノさんという足手まといさえいなければ。ついこのあいだのキャルシヤさんの手伝いにしても、俺たちがいなくても時間さえかければ、だな。
どれだけ階位を上げたところで分身ができるようになるわけではない。ウチには【忍術士】の草間なんていう存在がいるけれど、この世界の魔力ルールだと……、まずムリだろう。
今まさに迷宮で起きている魔獣の群れの発生こそ、この国が苦手とするタイプの異変になる。まあ得意な国なんてあるわけがないだろうけれど。
それこそ大量の冒険者を抱えているとかだろうか。アウローニヤは冒険者に厳しい国だからな。
「でもね、十階位くらいになれば、やれそうな気がするの」
「ヒルロッドさんに対抗?」
「そ」
今は騎士連中を三人いっぺんに相手にしているヒルロッドさんを見ながら、綿原さんは言い放った。もちろん両脇にサメを浮かべながら。
「普通に考えたら十階位の後衛が十三階位の騎士に対抗とか、ちょっとアレだよな」
「ふふっ、ひとりじゃないわよ。凛と一緒に」
モチャっと笑う綿原さんだけど、調査会議の場でお披露目したコンビネーションが最近のお気に入りだ。
迷宮でもたまに中宮さんの正面にサメを出現させて魔獣にぶつけるなんてことをやっている。模擬戦の時と違って俺はうしろから見ているだけなのがちょっと寂しいのだけど、ガンガン動き回る中宮さんに綿原さんは少し遅れる程度で付いていける術師だ。やっぱり【身体強化】と【身体操作】の有無は大きい。
【観察者】という神授職が制限をかけているのか、それとも俺が運動をしてこなかったツケなのか、技能候補に身体系は現れてくれない。それでもまあ【反応向上】は取れたし、ここからは【視覚強化】もある。アタッカー連中みたいな派手なマネはできなくても、せめて自己防衛くらいはな。
そのためにも訓練だ。体を動かしていれば、そのうち身体系も出るかもしれない。希望を捨てずにがんばろう。
「十階位はもう、夢じゃないもんな」
俺たちは三層で戦えた。ということは自動的に十階位が見えてくる。
王国式に前衛系ばかりで倒しきるのではなく、後衛にもトドメを割り振りながらクラス全員で達成してみせるのだ。そのぶん手間もかかるかもしれないが、山士幌の一年一組はそんなことをためらわない。
「つぎはどうしようかしら」
「八階位になったらってこと?」
「ありすぎて迷っているのよね」
七階位で【多術化】を取った綿原さんはサメを二匹にしたわけだが、ここから彼女が選ぶことのできる選択肢は多い。イレギュラーで新技能が生えない限り、つぎのつぎまで決まっているような俺とは大違いだ。
「悩むのが楽しいんだよ」
「八津くんのそういうところ……」
「ん?」
最後を口ごもる綿原さんだけど、まさかゲームっぽい考え方禁止令に抵触したか、俺。この程度ならいいと思うのだけど。
「んっ、んんっ。前向きになれるから、いいんじゃないかしら」
どうやらお許しは得られたみたいだ。わざわざ咳払いまで入れなくてもいいだろうに。
◇◇◇
「いやあ、君たちとこういうことをするとはね」
「手加減お願いしますね」
「これでも『灰羽』だよ。手加減は得意なんだ」
木剣を手にするラウックスさんは気楽なノリで俺の前に立っている。
午後になって場を訓練場に移した一年一組は、それぞれがメニューに従って訓練をやっているところだ。
今日からそこにちょっとしたアクセントが加わった。
「ヤヅは六階位の術師扱いでよかったな?」
「はい」
勇者の情報は十分知っているはずだろうけれど、それでも最後にラウックスさんは確認をしてくれる。こういうところが真面目で、そのお陰で俺も安心して訓練に挑めるというものだ。
今日から俺たちはミームス隊の人たちに直接指導を受けることになった。騎士として本格的に、と付け加えた方が正確だな。
今まで俺たちの訓練を見守ったり手伝ったりしてくれていたミームス隊が、騎士対騎士としての練習に付き合ってくれるのだ。
「ぐっ!」
ガンっと音がして俺の左腕に衝撃が走る。
「もう少しだけ角度を付けた方がいい。それと、もう一歩前だ」
「はい!」
自分でもわかってはいる。手加減をしてくれているラウックスさんの攻撃は全部見えているし、身内同士で練習したお陰で、予測じみたこともできるのだ。だけど、体の反応が追い付かない。せっかく取った【反応向上】だけど、まだまだ熟練を上げないと。
それともうひとつ。どうやら俺には度胸が足りないようだ。
咄嗟の度胸とでもいうべきか。
決意する時間さえあればヤレる自信は身に付いたつもりだ。それでも戦闘中に起きる瞬間の判断で、前に出るという選択をとれていない。それをラウックスさんに指摘されてしまうと、なんとなくだった俺の性格まで見抜かれてしまったようで心が痛いな。
「今は意識するだけでいい。本当なら術師に求めるようなことじゃない」
「いえ、俺がやりたいんです」
一瞬歪んだ表情を見られたのか、ラウックスさんはそう言ってくれるが、俺には役割がある。
三層の魔獣相手に俺の攻撃は通らない。精々ヘビの動きをどうにかするくらいだろう。相性がいいなんて表現してしまった羊ですら、足を折ることもできないはずだ。大丸太なんてもってのほか。
俺は誰かに譲ってもらわない限り、魔獣にトドメを刺せない側になる。当然階位も上げられない。
ならばせめて荷物になるわけにはいかない。後衛でも自分の身を自分で守れるようになるのが、俺たち一年一組術師連中の目標だ。
綿原さんを含む【身体強化】持ちの連中は問題ないだろうから、メンツとしては奉谷さん、白石さん、深山さん、夏樹、上杉さん、田村と俺になる。
田村は【身体強化】を候補に出しているから近々脱退の予定で、妨害ができるタイプの術師もなんとかするだろう。残されるのは俺と奉谷さん、そして上杉さんということになる。
「今の感じだ」
「はいっ!」
すぐ傍で別の騎士に小さな体で対峙している奉谷さんが大きな声で返事をした。俺と同じように騎士の剣を受け流す訓練だ。もうすこし向こうでは上杉さんも同じことをやっている。
俺はまだいい。【観察】と【反応向上】があるだけマシだ。だけど彼女たちは。
だからこそ弱音など吐いていられない。
この訓練のメインは『対人』の想定だ。
十六階位の近衛騎士総長に襲われれば話にもならないだろうが、それでもこの国には十階位から十三階位くらいの戦士はいくらでもいる。
本当の最悪の最悪まで考えれば、こういう人たちが敵対するような未来だってありえるかもしれない。
それこそヒルロッドさんが率いるミームス隊に襲われるような。
考えたくもない未来だが、それでも備えるのが俺たちだ。
これはまでは見ているだけで、こちらからは出し惜しみという関係だったが、今日からは踏み込む。
積極的に相手の力を体感し、こちらの技がどこまで通じるかを確かめる。なにができてどれができていないのか、付け入る隙はあるのか。相性やコンビネーションも考慮して、心と体と技能の熟練を上げていく。
◇◇◇
「春さん、なんか違うよな。いつもと」
「うん。なんかね、開眼したって言ってた」
騎士との訓練はまだ初日だ。そこまで激しくはなかったが、それでもヘロヘロになった俺たち後衛組は揃って休憩中。横には奉谷さんがいて、訓練場で体を動かし続けている連中を見つめている。
先生が『振り回されている』と表現したように、六階位や七階位になった仲間たちの中には、能力が上がりすぎて悩んでいるヤツもいる。むしろ運動経験者こそがそんな状況に陥っているようだった。
前衛でも体育会系じゃない連中は強くなった力を受け入れるのに苦労はしていない。とくに疋さんなどは大喜びだ。今も的を狙ってムチをビュンビュン振り回している。
先生や中宮さんなどは早い段階、それこそ四階位くらいの頃から自分なりに試行錯誤はしていたらしいが、問題なのは二人。ピッチャーの海藤と陸上の春さんだった。いちおう弓道の経験者としてミアがいるが、アイツにそんなのは関係ない。
海藤にしても四階位くらいまでは力も上がるし体も動くで喜んでいた。ただこの一週間の間で五、六、七と一気に階位が上がり、新しい技能も取った。それが逆に違和感なのだとか。
それでも海藤はあまり気にしていない。アジャスト? だったかを楽しむように今も馬那に向かってボールを投げ込んでいる。その日の調子やらで細かい調整を入れるのがピッチャーの醍醐味だとかなんとか。
悩める当事者になったのは三人。先生と中宮さん、そして春さんだ。
「あははは!」
そんな春さんは訓練場を駆け回っている。リードを外された犬みたいだな、というのはさすがに失礼かな。だけど、そんな感じにしか見えないから仕方がない。犬系は弟の夏樹だったはずなのだけど。
テンションがおかしなことになっているし。
「なんかね。ギュっとして、グッとしたら上手くいくようになったんだって」
「……そうなんだ」
さすがは奉谷さん、ナチュラルに抑えて(押さえて)くるな。もしかしてツッコミたがりな俺の性格をわかって言っているんじゃないだろうか。
なんにしても春さんは覚醒したらしい。
しかも今日の午前中、ガラリエさんとバトっている最中の出来事だったとか。
たしかに途中で動きが変わったとは思っていたが、まさか開眼レベルとは恐れ入った。バトルマンガの主人公みたいなことをしてくれる。
その結果が目の前の光景だ。
なんと表現したらいいのだろう……、やっぱり放たれた犬だ。迷宮でも走り抜けるタイプのアタッカーなのだけど、もっとこう直線的だったような気がする。
それが今ではどうだろう。訓練場を走る彼女はストップアンドゴーを繰り返し、しかも軌道が読めない。俺には未来予知などできる能力は無いが、それでも【観察】を使えばある程度の予測はできるようになってきたつもりだ。それが一年一組の身内のコトならなおさらに。
なのにまったく読めない。
どうしてそこで止まれるのか、そこから弾けるように別方向に移動できてしまうのか。とくにすごいのはトップスピードになるまでの歩数だ。三歩目くらいで最高速になっていないか?
談話室ではわかりにくかったが、こうして広めの空間に出ればそのすごさが実感できる。
しかも【風術】まで候補にしてしまった春さんだ。
ガラリエさんに【風騎士】の野来は『空を舞う騎士』なんて感じに言われていたが、はたして春さんはどうなることやら。
本人は名前のとおりに春風みたいになる、とか宣言していたけれど、俺がイメージするような穏やかな春の風になるとても思えない。
そもそも【嵐剣士】だからな。今まで【風術】が出ていなかったこと自体が不思議なくらいだ。春さんの中でなにかがあったのかもしれないけれど、それはたぶん前向きなコトだと思う。
昨日のヒルロッドさんとの一件で、ウチのクラスを縛るなにかがひとつ弾けた。
捉えようによっては一歩前進だけど、そこが危ない場所かもしれないという憂いもある。
そんな中でも春さんがなにかに目覚めて、綿原さんたちもやる気をだしてくれているなら、甲斐があったというものだろう。
一年一組は自分たちの意思で前に進んでいる。
それにしても、だからこそ今晩が憂鬱だ。
せっかく前向きになれているのに、なぜ王子様やら宰相やらと食事をしなくてはならないのか。
変なコトにならなければいいのだけど。
「八津くん、ため息吐いたら幸せが逃げちゃうよ?」
「そうだなあ」
奉谷さんのツッコミはなかなか厳しい。




