第114話 帰還の術
「不調法で申し訳ありません。どうしても気になってしまったものですから」
それだけを言って上杉さんは自分の席に座り直した。
当たり前だけど彼女は、ただ会話に横入りをしたわけではない。
上杉さんはたぶん、この取引を優位にするために仕掛けた。それでも近衛騎士総長に腹を立てたのは本当だろう。あの雰囲気はガチだった。
帝国の在り方と王国の危機をボカしていたこと、ついでに近衛騎士総長の無作法。この場にいる王国側の人たちは、ひいては裏にいるであろう第三王女は一年一組をどうする気なのかを問いただしている。さあどうしてくれるのか、と。
『勇者との約定』が履行されている限り、アウローニヤ王国そのものに対して俺たちが思うところはあまりない。
国籍を与えられたのも、行動の制限にしても、いろいろな形で俺たちを守るための措置だったのは理解できる。
衣食住を保証してくれていることや、騎士団の設立、トラブルが起きた時の対応についてなどなど、向こう側に思惑があるにしても誠意を十分に感じているのは本当だ。
仮に俺たちが自由を欲したとして、一階位で国籍も持たないまま城外に放り出されていたらどうなっていただろう。この国を知った今だからこそ、ヤバかったと断言できる。ここはそういう世界なのだ。
感謝という言葉は違うような気もするが、それでも俺は今の状況に納得はしているつもりだ。もちろん今日のようなアホな出来事がなければ。
やっかみと嘲笑くらいならもう慣れたものだけど、名前も忘れた【聖術師】、チンピラ貴族のハウーズ、そして今日の近衛騎士総長。最後のはもはや負け確イベントの中ボスだった。先生たちは『予習』とうそぶいているけれど、痛いものは痛いし、見ている側は辛い。
それでもこれでアヴェステラさんたちは、限定的でも帝国の情報を開示することになるだろう。それくらいが救いかもしれない。
ついでに上杉さんの追い打ちから、どれくらいの譲歩を引き出せるか。
「……みなさんの希望は、いまだ『帰還』で変わりませんね?」
「はい」
腹をくくったのか、アヴェステラさんは俺たちが一番大切にしている望みを話題にした。
それを受けた藍城委員長も即答する。
バトンがあっちこっちしていた会話が、やっと元に戻った。
だけどこの話題はセンシティブだ。いつ誰に飛び火するか、わかったものではない。
「繰り返しになりますが、王国は帰還の術を知りません。情報を伏せていたわたくしたちを信用できないお気持ちはわかります。ですがこれだけは」
アヴェステラさんが軽く顎を引いて、覚悟を見せるような表情をした。これが虚偽なら自分が責を負うと言わんばかりに。
「それについては僕たちでも相談しました」
委員長が言うように、俺たちは調査した。それこそ必死に。
「今のところの結論としては、この国が狙って一年一組を呼び出したわけでもないし、こうなってしまった原因もわかっていない、という感じです」
その言葉にアヴェステラさんは複雑な表情を見せた。
王国はあまり信用していないけれど、自分たちの出した結論ならば、と聞こえただろうから。
◇◇◇
みんなで資料を漁りまくって確認できた最初の成果は、アウローニヤには勇者召喚を成功させたことはないという事実だ。
そもそも初代勇者はアウローニヤに召喚されたわけではない。前後関係が逆だ。国の形すらない五百年前、この地に勝手に現れただけ。むしろ国を作ったのが彼らなのだから。
これが前提だ。
もし王国が検閲をかけて召喚成功例に関する文献を意図的に弾いていたとしても、別の角度から関連情報が見つかって、俺たちはそこに違和感を見つけただろう。帝国との関係が煙たいと気づいたのと同じ手法だな。この国の文献や資料は伝記調なものが多いので、狙った箇所だけの隠蔽は非常に困難だ。
結果として二代目以降の勇者の痕跡など、欠片すら見つけることができなかった。そう、断片が見つからなかったからこそ、そんな者はいなかったと結論づけられる。
この国に転生者はいても転移者はいなかった。俺たちは自分自身がそう納得できるくらいには調べ尽くしたのだ。
急に出てきた転生者というワードだが、これはいわゆる前世を覚えている人のことだ。なぜか聖法国にはよくいるらしい。そのあたりがまた、実に香ばしいな。
地球でもよく聞く与太臭い話な上に、べつに日本から魂がやってきたとかそういうワケではないのでここは置いておく。ちなみに彼らの言う勇者の故郷では、随分と魔術が発達していたらしい。どこの地球から来たのやら。
たぶん今後も関わることはないだろう。
ならば別アプローチとして、召喚事例ではなく技術的な情報はないものかと、そちらも調べた。わかったことは召喚もしくは物体転移に関する技術的根拠になるはずの基礎理論が存在していないということだ。異世界召喚どころか、時間も含めた四次元方向全てにおいて、物体を転移させる方法は見当たらなかった。
そして、むしろこちらが本丸と見込んでいた、転移から派生した技術らしきモノも見つからなかったのがデカい。枝が落ちていれば木があるはずなのだから。
表現するなら、木そのものはもちろん、根の痕跡も、切り株も、落ちた枝も、散った葉も、なにもかもが見つからなければ、そこに木は無いと言い切れる。そういうことだ。
この世界には魔道具や魔法陣なんてモノもない。そもそもそれを表す単語も無かったくらいだ。魔石は無いわ魔法道具も無いわで、ここはホントにファンタジー世界なのかと、根底から議論したくなる。
大規模積層魔法陣とか、超集積魔導回路とか、そういうロマンを見てみたかったなあ。
そこから推測されるのは召喚技術が存在していない以上、帰還技術などあるわけがないだろう、という残念なお知らせだった。
王国が帰還の術を持っていないという言い訳は、残念だけど納得せざるをえないのだ。
人為的に召喚を行うのは不可能。犯人がいるとすれば、魔力か迷宮か、それとも神様くらいのものだろう。
強いていえば『召喚の儀』とか吹かして【魔力定着】を使う迷惑な儀式をやっていたアウローニヤも悪いかもしれない。これなら第三王女のせいにもできそうだ。
◇◇◇
「アヴィとは別の立場で明言しようじゃないか」
ここまで完全に傍観者を気取っていたシシルノさんがおもむろに立ちあがり、口を開いた。別の立場?
「以前にも言ったけれどね、我が国に人間を転移させる技術など存在していない。ひとりの魔力研究者として誇りをかけて、わたしはそう断言するよ」
「……ジェサル卿、意気込みはわかりますが、その程度の言葉では──」
あまりに無責任で意味のない宣言にアヴェステラさんがツッコミを入れた。が、はたしてそうだろうか。
「わ、わたしはシシルノさんを信じますっ」
ガタリを音を立てて立ちあがり、ガチマジの形相でそう言ったのは、そう、白石さんだ。そうくると思った。
「僕もです。シシルノさんの持つ視線は僕たちに近いから」
科学志向の強い委員長も乗っかる。
「み、みなさん!?」
すごいな、ここまで狼狽するアヴェステラさんは初めてだ。
これこそが夜中に秘密通路から現れて陰謀っぽいコトを言いだすアヴェステラさんと、迷宮で新発見にはしゃぐシシルノさんの違いだ。普通に考えれば、こうなるだろう。
まあ、科学的視線に同調できるという部分が大きいのだけど。それと人柄。
「あー、アタシも信用してるかなぁ、シシルノさんって裏表なさそうっしょ」
「だよね。僕もそう思う」
「最初は冷徹な人って感じだったのにねえ」
疋さん、夏樹、笹見さんが次々とシシルノさんを肯定する発言を並べていく。
「シシルノさんってさ、こっち側な気がするんだよ」
「ああ。シシルノ教授だからなあ」
シシルノさんへの共感が、そのままアヴェステラさんへの攻撃になっているような気もするけれど、これが本音だからどうしようもない。
声を上げないクラスメイトもまた、目と態度で語っていた。シシルノさんの言うことだから、と。
一部には近衛騎士総長の件で気が立っているのか、いまだに難しい顔をしているのもいるけれど。
「みっ、みなさんはそれでいいんですか!? 相手はシシィですよ!? 勇者がそんなことでっ!」
談話室にアヴェステラさんの悲痛な声が響き渡った。
◇◇◇
「見たかい? そして聞こえただろう、アヴィ。これが君たち事務官がごく潰しと評する研究者とやらの力だよ。彼らの言葉を借りるなら『かがくの勝利』というワケだね」
満面に邪悪なドヤ顔というめんどくさい表情を浮かべ、シシルノさんがアヴェステラさんを煽った。
この国の研究者ってそんな扱いをされていたのか。シシルノさんにも鬱憤があったのかもしれない。いやいや、他ならぬシシルノさん当人から彼女以外の研究者はガチの給料泥棒という話を聞かされたことがあるから、行政の立場もわかる。
ちなみにシシルノさんは科学を『かがく』と日本語で発音している。こちらの世界に科学という概念が無いわけではないし、なんならフィルド語にも『科学』に該当する単語は存在しているのだけれど、どうやらここぞという時には地球の単語を使いたいらしい。
動揺を隠せないアヴェステラさんはあっちこっちを見回しながら、マジかこいつらという顔をしている。
ここのところで表情が豊かになったよな、アヴェステラさん。こっちが素だと嬉しいのだけど。
彼女の横にいるヒルロッドさんは俯きながら肩を震わせているけれど、アレは笑っているワケじゃないだろう。むしろ涙をこらえている感じだ。爵位が違っても同じ中間管理職として、思うところがあるのかもしれない。その点、シシルノさんはやりたい放題だからな。
メイド三人衆はといえば、正体が発覚したベスティさんは笑いをこらえず、ガラリエさんは無表情だが汗を流してなにかに耐えているようだ。
アーケラさんは微笑んだまま。彼女からは上杉さんに通づるなにかを感じる。お湯の女神と聖女か。ホーリー属性は強い。
「そもそもだよ。わたしたちが召喚技術を持ったとして、公で使わない理由がないじゃないか」
「そ、それはそうですけれど」
したり顔のシシルノさんがアヴェステラさんに追い打ちをかける。
「使えるモノなら使って、国威発揚でもなんでもするだろう。そうすれば記録に残らないはずがない」
そう、その理屈だ。やっぱりシシルノさんの思考法は俺たちに響く。
「多大な犠牲を強いるのであれば、そもそも彼らはここにいない。もし仮にそうしたとして、こんどは対価を隠しきれるものかな?」
もはやアヴェステラさんは反論することすらできないでいる。
だけどシシルノさんの言った後半の理屈、これは俺たちも危惧していなかったわけではない。犠牲を対価の召喚は、これまたよくあるネタだから。たとえば村ひとつの人間と引き換えならば。
ましてや帝国の話を聞いてしまった今となったら、追い詰められたアウローニヤならもしかして一年後くらいにやっていたかもしれない。莫大な犠牲を払ってでも、伝説の最終決戦必殺兵器『勇者』を呼び出すために。
そうして現れた俺たちは怒られるわけだ。ちょっと才能があるだけのただの人じゃないかと逆ギレされて。
これって追放パターンになるな。
いやいや、そもそも制御できる召喚技術は無いという話だったわけだけど。
「そ、そういうわけで、僕たちとしては帰還の方法をアウローニヤが隠しているとは考えていません」
あまりにアヴェステラさんが哀れに思えたのか、委員長が慌ててまとめた。自分だってシシルノさんに賛同していたくせに。
「……ありがとうございます。ご理解いただければ幸いです」
少しの間をおいて自分を取り戻したアヴェステラさんが、さっきまでのコトが無かったかのように感謝を述べる。
この人も強いよな。もうこっちに来てからひと月以上になるからわかる。この国で筆頭事務官なんてやっているのだ。これくらいは軽く受け流す技量というか度量を持っているのだろう。タンクみたいな存在だな。
「それに僕たちはアヴェステラさんに感謝しています。『勇者との約定』も守られていますし、今もこうして真摯にお話ができているじゃないですか」
すごいな。結果としてこういう流れになっただけかもしれないけれど、これって委員長と上杉さんプロデュースの飴と鞭ってやつじゃないか。途中でシシルノさんのちゃちゃが入ったのはご愛敬だ。
委員長の言葉に合せて、いつもどおりのにこやかな表情で頭を下げる上杉さんが、どこか遠くに見えてきた。
ウチのクラスは想像もしていないところからコンビネーションが飛び出す時があるから恐ろしい。
「あの、気になるんですけど、アヴェステラさんはどうしてそこまでしてくれるんですか?」
「わたくしの職責が、勇者のみなさんの要望と王国の要請を調整することだからです」
「……アヴェステラさん」
今度こそ完全に立ち直ったのだろう、敢然と胸を張って言い放ったアヴェステラさんに、委員長が涙目になっている。
ああ、アレは完全に同族意識を持っているぞ。委員長もクラスの調停役で大変だからなあ。
俺の【観察】には、目をつむって何も見ていないことにしている滝沢先生が映っていた。




