眠くない眠り姫
投稿予定の次作の主人公が、前作の主人公と似たタイプだったため、
ワンクッションはさみたくなり、書いてみました。
ヤマもオチもない、ただただ平和な日常の一コマですが、
息抜きのお供にでもしていただけましたら幸いです。
とある国のとあるお城には、眠り姫がいる。
『姫』と言っても、王家の人間というわけではない。
正しくは、聖女とか魔女とかいう類の存在になるのだが、国のために身を賭して働いている尊い女性のため、敬意を表して『姫』と呼ばれている。
彼女の仕事は、魔力の提供。
国の結界を維持するためには、膨大な質の良い魔力が必要になる。
特に重要になるのは『質の良い』というところ。
結界を構成する魔力は、量さえ満たせれば何でもいいというわけではなく、質が求められる。結界に適さない魔力が混じってしまうと結界に穴が開いてしまうのだという。適した魔力を、しかも膨大に集める必要があるのだ。
提供者は一人でなくても問題ないため、人海戦術で対応することもできる。
だが稀に、たった一人で補うことができる逸材が出現する。
それが今代は『眠り姫』なのである。
ところで、なぜ『眠り姫』と呼ばれているのか。
それは、魔力の提供方法にある。
眠り姫は、『眠り』でもって魔力を提供する。
眠っている間だけ、膨大な魔力提供が可能になるらしいのだ。
眠っていなければ魔力提供ができない、というわけではないが、どんなに頑張ってみても、目覚めている時は人並みな量しか提供できないのだと言う。
何故そうなのかは本人にもわからないそうだ。
だが、眠ってさえいれば、何人もが力を合わせなければ成せない結界の維持が、たった一人でも可能になるとあれば、そりゃもう『どうぞ是非ともお眠りください』となる。
こうして、『寝るのがお仕事』の眠り姫が誕生したのである。
お城の最上階、日当たりも風通しもよいお部屋で、最高級の最高品質の寝具に埋もれているのは、『眠り姫』ことアリアである。
膨大な魔力提供は、どうも結界の中心付近…つまりお城にいるときだけ可能になるらしく、アリアはお城に部屋を貰っていた。
今日もアリアは、すやすや眠って…いなかった。
「………ねむたくない………」
アリアは眠ることがお仕事ではあるが、いつも眠たいとか、睡眠に貪欲とかいうわけでは決してなかった。
よっぽど体調が悪かったりでもしない限り、朝も昼もお構いなしに眠れはしない。
だってアリアは、ぴっちぴちの十六歳だ。若さもエネルギーも満ち満ちている。徹夜でおしゃべりもなんのそのなお年頃である。
毎日毎日、真っ昼間っから「さあどうぞ!たんまり眠ってください!」ったって、眠くもないのに眠れないのだ。
これが仕事だっていうことは、もちろん分かっている。
だから、そのうち眠たくなるかもしれないという期待も込めて、一応ゴロゴロゴロゴロしてはみる。
だけど眠くないものは眠くない。眠くなければ、眠れないのだ。
結界の維持は、国にとって最もと言っていいくらいの重要事項である。
そのための魔力を提供しているアリアは、丁重に丁重に扱われている。
こんな風にお城の中でも一番いいんじゃないかっていうお部屋を提供してもらって、衣食住お小遣いまで、なんの不自由もない生活をさせて貰っている。
お城の使用人一同、国の中枢のお偉いさま方、王様に至るまで、みんな親切で優しい。
一応生まれは貴族ではあるが、田舎の貧乏男爵家の第五子という、もうほぼ平民と大差ないという身分のアリアを、蔑ろにする人はいない。
マナーも怪しい田舎者に、イヤミを言う都会のお嬢様ひとり出現しない。
(ただ寝てるダケなのに、こんなに親切にしてもらっていいのかしら…)
そう心配になるくらい、大切にしてもらっている。
それはひとえに、アリアが膨大な魔力を提供しているからだというのに、
いまのアリアは、眠くない。
つまり、魔力提供がちょっとしかできない。
いや、アリアが魔力提供できないからといって、すぐに結界が崩壊してしまうわけではないし、アリアが魔力提供できないケースに対応するべく、バックアップ体制はきっちり整えられている。
アリアのバックには人海戦術チームが控えており、アリアひとりに負担を強いることがないように配慮もされていて、所定の休日もあるし、帰省などができるように長期休暇も申請可能となっている。
なので、アリアが寝ないからといって、国を揺るがす大問題に発展するということは決してないのだが…
(このまんまじゃ、ちょっと申し訳ないよね……)
だって、お城の皆さんは、それはもう、とてもとても親切なのだ。
アリアが、ほんの少し顔色を曇らせただけで、すぐさまそれを察知して、皆さんこぞって何とかしてくれようとしちゃうのだ。
「どうしましたかアリア様、なにかお悩みですか?」
「ホームシックではないですか?ご家族に会いたいのでしたらお呼びしますよ?」
「もしかしてお友達が欲しいのではないですか?同じお城に王家の姫様がいますが、姫では気後れしてしまいますか?」
「孤児院の子供たちとの交流はどうですか?あ、〇〇さんのおうちにお子さん生まれましたが、赤ちゃんはどうですか?」
「それとも学園に通いたかったりしますか?」
親元を離れて、ひとり都入りした田舎娘に対して、親心的なものでも働くのだろうか。メンタルケアに並々ならぬ意気込みを感じる。
それはとても有難いのだが、なんというか…うん。
(いたたまれないって、こういうことなのかな…)
期待されている役目を果たしきれていないアリアは、何だかそう感じずにはいられないのであった。
アリアは、良識的な範疇であれば行動にも殆ど制限はなく、外出も自由にさせてもらえている。
おそらく、余計なストレスを与えないための配慮だろうと思われる。
決して、監禁・軟禁して魔力を搾り取ろうなんて鬼畜の所業は行わない。本当に人道的で温かい国である。
ただし、一応『尊い身分』という扱いになるアリアには、護衛が付いて回ることにはなるのだが。
アリアの護衛は三人おり、内容や行き先により適任者を判断しながら、交代で担当することになっている。
気高く美しく、『頼れるお姉さま』というカンジの女性騎士と、
「ふぉっふぉっ」って笑うのがかわいい、白いお髭のおじいちゃん騎士と、
あまり表情を変えない、真面目そうな青年騎士と。
青年騎士の名前は『ロイ』。騎士さん達から呼ばれているのを聞いて知った。
全く眠くならないアリアは、単純に『体でも動かしてクタクタになれば、お昼寝したくなるかも』と考え、とりあえずお散歩に出てみることにした。
お散歩のお供には、ロイが同行してくれることになった。
「近場のお散歩なのに、わざわざすみません。いつもありがとうございます」
アリアはぺこりと頭をさげる。
「いえ、とんでもありません。こちらこそ、いつも国を守ってくださってありがとうございます」
ロイも、ぺこりと頭をさげる。
「せっかく騎士さまになったのに、お散歩の付き添いなんてつまらないですよね?いつもは、おじいちゃんが付き添ってくれてて…」
口にしてしまってから、アリアはハッとしたような顔をした後、オロオロしだす。
「あっ、白いお髭の騎士様がおじいちゃんだから、お散歩が適任とか思ってるわけじゃないですよ?あの、わたしお髭の騎士様大好きで、これからも一緒にお散歩したくて…本当のおじいちゃんみたいって言うか…その…えっと…」
話せば話すほどドツボにはまって行くアリア。
わかりやすく表情を変えながら取り乱すアリアに、ロイがくすりと笑った。
「わかってますので大丈夫ですよ。あの方は私の隊の隊長なんです。とても強いので、まだまだ現役で護衛を務めてくださいますよ」
普段あまり表情を変えないロイが、やわらかく微笑んだものだから、アリアは何だか嬉しくなってしまって、ついつい言葉も弾んでしまう。
「あんなに『カワイイおじいちゃん』ってカンジなのに、お強いんですか?」
「ええ。とても強いですが………可愛い、とは…?」
「ふぉっふぉって笑うのが、かわいくて癒されますよね」
「……え…………?」
ロイからしてみたら、白い髭の老年の騎士は、あの年齢まで騎士として第一線に立ち続けている確かな実力でもって、後進の育成をビシバシと行っている、鬼軍曹である。笑い声も、「ぐぉっぐぉっ」と地の底を這うような声にしかロイには聞こえない。本当に、どう考えても聞こえない。
でも、そんな鬼軍曹も、アリアのフィルターを通すと「かわいい」存在になってしまうらしい。
「―――――あなたの方が遥かに癒してくれますよ」
独り言のようにぽそっと零したロイの言葉は、木々に目を向けていたアリアには、よく聞き取れなかった。
「あ…ごめんなさい、なんて?」
「いいえ、なにも」
ロイは、もう笑顔は隠してしまっていたが、その表情はとても穏やかだった。
少し小高い丘の上まで歩き、木陰で休憩をすることにした二人。
ぽかぽかとした陽気に、そよそよと頬を撫でる風。
少しの疲労感も相まって、いまにもウトウトできそうな気がするのに、やっぱりアリアは眠くはなかった。
むしろ、体が活性化したことにより目が冴えてしまった気がする。
眠くないものは仕方ない。悩んでも余計に眠れなくなりそうなので、アリアは、それよりも楽しんでしまうことにした。
人が乗れるくらい大きな葉っぱを見つけたので、葉っぱをソリのようにして丘を滑り下りるという遊びを、日が暮れるまで飽きることなく繰り返した。
ロイも、反対することなく好きにやらせてくれた。
スピードが出すぎたときは、体を張って止めてくれたりもした。
どっしーんと思いっきりぶつかって、体を鍛えているロイでも思わず「うぐっ」と唸り声が出てしまったり、自分も「あいたたた」なんてぶつけたところを擦りながら「ごめんなさい」と謝るとロイがニコリと返してくれたり、そんなことが何だか楽しくて、ずっとはしゃいでいた気がする。
子供に戻ったみたいに全力で遊び、思いっきり笑って、とても充実した時間を過ごすことができて、アリアは大層ご満悦だった。
田舎育ちのため、そもそもの体力が普通の貴族のご令嬢よりもあるアリアは、目いっぱい体を使って遊んでも、大変残念ながら特にお昼寝タイムは必要にはならず、ぱっちりと目が冴えたまま帰城することになった。
期待していた結果はもたらされなかったものの、
いい汗をかくことが出来たアリアは気分爽快で、食事もいつも以上に大変おいしくいただくことができた。
そしてその夜はぐっすりと眠った。
夜間の睡眠の質は間違いなく向上したが、残念ながら睡眠時間が増えることはなく、いつもの時間にすっきりと目覚め、二度寝することもなかった。
ロングスリープには全く向いていないアリアであった。
肉体疲労系の眠りは期待できないことを悟ったアリアは、
「おひる食べたあとって眠くなるよね~」という、世間ではほぼ常識とされていることを思い出していた。
「今日はお昼ごはんをいっぱい食べます」
謎の宣言をするアリアを、お城の使用人の皆様は、微笑ましく見守っている。
もちろん、本日の護衛担当・ロイも。
宣言したことだし、と、アリアはもりもり昼食を頬張った。
田舎の貧乏貴族の子であり、おイモとか野菜とかがメインの食生活を送っていたアリアは、お城に来るまで美食とはとんと縁がなかった。
ふんだんに使われたお肉に、色々なエキスが染み出しまくっているゴージャスなソースがかけられたような贅沢なお食事を、真っ昼間から食す機会などなかった。
食べ慣れていない、しかもこってり寄りのものを、いきなり大量に食したアリアのお腹は、大変わかりやすく調子を狂わせた。
食べ慣れない食材ゆえに消化効率が悪かったところに、大量投下しすぎて、胃腸の活動がストップした模様である。
「………おなかが痛いです…」
「えっアリア様!?」
使用人の皆様も、シェフも、大慌てである。
「何かマズイものを提供しただろうか」
「毒見は間違いなくしたし、もしかしてアレルギー!?」
と、てんやわんやである。
そんな中、護衛騎士ロイだけは落ち着いていた。
「アリアさん、今日はいつもより大分たくさん召し上がってましたね?いつもの量から推察しますに、容量オーバーなのではありませんか?」
「うう…ごめんなさい……おなかが破裂しそうです…」
アリアはべそをかいているが、シェフらは(あ、食べすぎ…?)と、ほっと胸を撫でおろす。
「消化を助ける薬湯を用意してもらいましょうか。飲めそうですか?」
「うう…一滴の隙間もありません………」
どんだけ食べたんだと、羞恥にまみれているアリアに対し、ロイは顔色を変えることもなく、穏やかに話しかける。
「では、少し消化が進んでから飲むことにして、お部屋で休みましょう」
「はい……でもあの動けません………」
アリアはお腹の痛みに加えて、あまりの膨満感に動くとリバースしてしまうような気がして、お腹に些細な衝撃すらも加えることができず、自力で立ち上がる勇気はちょっとも出ない。
「私がおりますので大丈夫です。失礼しますね」
そう言ってロイは、ひょいとアリアをお姫様抱っこすると、するすると歩きだす。
「うう…ごめんなさい…わたし重たいですよね……」
「いえいえ。全然です」
ロイは心中察してくれているようで、そっと運んでくれる。
心境としては恥ずかしくてたまらないが、心遣いは有難いの一言に尽き、ついついアリアは厚意に甘えてしまう。でも恥ずかしいから顔を手で覆ってしまう。
そんなアリアの様子を眺めながら、くすりと笑ったロイの前に、どす黒いオーラを放つ鬼軍曹が立ちはだかった。
「ロォォォイ」
「…ぅぇ…隊長………」
白いお髭のおじいちゃん騎士は、可愛さのカケラもない般若の形相でロイを睨みつけている。
ロイは、げっそりしたようなうんざりしたような表情で、仕方なくと言った様子を隠さずに、おじいちゃん騎士に向き直った。
「貴様…嬢ちゃんに何を破廉恥なことしとるんじゃあ…」
「その表現やめてください。アリアさんが腹痛で動けないそうですのでお部屋にお連れしているだけです」
「任務にかこつけて嬢ちゃんに触ろうなんて、騎士の風上にも置けん野郎じゃのう。このロイ野郎めが…」
「なんですかロイ野郎って」
一見、漫才のようにポンポンと会話が繰り広げられているようにも見えるが、おじいちゃん騎士の目は完全に据わっている。
ロイは、そんな老騎士の様子に少し遠い目をしながらも、アリアを放そうとはしない。
目には見えないブリザードが吹きすさぶ中、たぶん空気を読んでいないアリアが、フツーに老騎士に声をかけた。
「おじいちゃん、わたし今日はお腹が痛すぎて歩けそうにないんですけど、治ったら、また一緒にお散歩行ってくれますか?」
「もちろんじゃとも!」
コロッと態度を変えてアリアに笑顔を向ける老騎士に、ロイはジト目を向けるしかない。
「さあさ嬢ちゃん。儂が部屋まで運んでやるからのう。お前はひっこんでろロイ」
ロイからアリアを奪い取ろうとする老騎士だったが、
「あんたも引っ込みなさい!このエロジジイがっ」
と、横から姉御騎士の一喝が飛んできた。
「女子の寝室に入り込もうなんて、私の目が黒くなくなろうとも許しゃしないわ…おととい来やがれジジイ!」
「わ~!お姉さまカッコイイです~!」
ロイにお姫様抱っこされたまま全力で拍手して、体に力が入ったことにより若干腹圧がかかり、ちょっと気持ち悪くなるアリアの様子に、一同がなんだか生暖かい気持ちになる中、姉御騎士がさらっとアリアを回収した。
「野郎どもなんかに任せないから安心してね?さあ行きましょアリアちゃん」
「うう…ふがいなくてごめんなさい…。おじいちゃん、ロイさん、ありがとうございました」
勝ち誇ったような顔をする姉御騎士に対して、ちょっと何か言ってやりたかった老騎士もロイも、情けなく眉を下げ気持ち悪さに耐えながらもお礼を言おうとするアリアを目にしたら、口を噤むしかなくなってしまう。
「うむ、気ぃ付けてな嬢ちゃん」
「アリアさん、お大事に」
姉御騎士に丁重にお部屋に運んでもらったアリアは、最高級お布団に寝かせてはもらったが、うんうん唸り続けるのみで、決して眠くはならなかった。
『おなかいっぱい』の限度を超えては意味がない、ということを学習したアリアであった。
いくらか消化が進んだところで薬湯を飲み、夕食もパスして静かに消化に努めた結果、アリアは翌朝には胃痛・胸やけからは無事回復した。
回復はしたものの、食事はまずは消化のいいものから再開することになるし、まだなるべく安静に過ごした方が良いだろうということになり、本日のアリアは病人扱いに近かった。
そんな中ではあるが、アリアは思い出したことがあった。
実家にいたとき、アリアはめっちゃ うたた寝をしていた記憶がある。
あれはどんな時だったか。それは本を読んでいたときだったのだ。
アリアの実家は、ど貧乏な上に子沢山だったので、子供全員には満足な教育を施せていなかった。
アリアは五番目の上に女子だったので、学園には通わせてもらえず、家庭教師もつけてもらえず、きちんとした教育を受けた長男から読み書きそろばんを教わったほかは、本による自主学習だった。
自習で本を読む時間は…とても眠かった。というか、物凄い確率で寝ていた。
真っ昼間でも、疲れていなくても、おなかいっぱいじゃなくても、いつも何故かとても良く眠れた。
つまり、はじめから本を読めば済むお話だったのだ。
「今日は、本を読みたいと思います」
さすがに本当の病人ではないので、もう横になってはおらず、ソファーに座って手持ち無沙汰なアリアが、そう切りだす。
「そうね、それがいいと思うわ。ロイ、図書室から何か見繕ってきて」
「はい」
一番下っ端なんであろうロイが、姉御騎士の命令に、文句も言わずに図書室に向かう。本当はアリアが自分で行きたいところだったが、今日は安静にと言われているので、止むを得まい。
しばらくして、ロイが何冊かを手に戻ってきた。
ラインナップは、国の成り立ち的な難しそうな本、冒険小説、恋愛小説、花の図鑑、絵本と多種多様だ。
アリアの実家は貧乏だったので、娯楽のための本に回す予算はなく、必要不可欠な知識を得るための本しか所有していなかった。冒険小説も、恋愛小説も、図鑑も絵本もなかった。
そんなアリアである。
眠気を誘うためには『小難しい本』がいいに決まっているとわかってはいても、はじめて見る娯楽小説に手が伸びてしまうのは、ある意味、致し方ないのだと思ってやって欲しい。
そして読んでみた冒険小説は、めちゃめちゃ面白かった。
どきどきわくわくハラハラして、アドレナリン大放出で、目がキレッキレに冴えた。
そのままのテンションで手を付けた恋愛小説は…一転、物凄く切なかった。
アリア自身は別に切ない恋の経験があるわけでもないのに、冒険小説によって既にテンションがおかしくなっていたことも相まってか、何故だか猛烈に泣けた。
おかしいテンションの赴くまま、アリアは号泣した。
「……ロイ、あんたどんな本持ってきたの……?」
「ぺらっとめくってみたら、貸出履歴に姫の名前があったので、若い女性が好む内容なのかなと思って持って来ただけでして、内容は把握していません」
号泣しながら読み進めるアリアは、外野のことは意識に入っていなかった。
号泣する声が漏れ聞こえたらしい老騎士が、血相を変えて飛び込んで来たことにも、全く気付かなかった。
「ロォォォイ!!」
「私が泣かせたわけじゃありません!断じてありません!」
「ロイが持ってきた本が原因なんだから、ロイのせいって説もあるわね」
「このロイ野郎めが―――っ!!」
大騒ぎする護衛ズを横目に、滂沱の涙を流し続けたアリアは、さすがに泣き疲れたらしい。
コトリと本が床に落ちた音に、一斉に振り向いた護衛ズは、ソファでウトウトとしはじめているアリアに気づき、ぴたっと騒ぐのを止めた。
姉御騎士がそ~っとアリアの涙をハンカチで拭い、ロイが毛布を掛ける。
すると程なくして、アリアから、キラキラと眩しいくらいに光り輝く魔力がまるで火柱のように、部屋の天井を突き抜けて、空に向かって迸った。
それはほんの数秒のことで、すぐにアリアの魔力放出は止まり、周囲は何事もなかったかのように日常を取り戻した。
「いつ見ても荘厳じゃのう…」
呆けたように天井を見つめる老騎士に、ロイも頷く。
「こんなに普通の女の子なんですけどね…」
目元や鼻先を赤く染めて号泣の名残を残しながらも、すやすやと穏やかな寝息を立てるアリアを、慈しむかのように優しく見つめるロイに、姉御騎士が茶々を入れる。
「あら、普通の女の子より遥かに可愛いらしいわよ?」
「うむ。同感じゃな」
年長者ふたりから、によによとした笑みを向けられて、少しバツの悪そうな表情をしながらも、
「―――――私も何ら異論はありません」
と、ロイはしれっと言いきった。
アリアが目覚めるまでしばらく、右の老騎士と、左の姉御騎士から、代わる代わる肘で小突かれ続けることになったロイであった。
「―――――いつのまにか寝てました…」
号泣後そのまま寝てしまったアリアは、目覚めてみたらびっくりするくらい瞼が腫れ上がっていたので、姉御騎士に氷嚢で目の上を冷やしてもらっている。
アリアはまだ少しぼ~っとしていたが、努力が実って日中にも眠れたことで、やっとほっとすることができた。
「このまま眠れなかったらどうしようかと思ってました…眠れてよかったです…」
思わず安堵の声を漏らしたアリアに、ロイは励ましの言葉をかける。
「昨晩はお腹が苦しくて良く眠れなかったかもしれませんが、体調のせいなのは明白ですし、きっと今日は良く眠れますよ」
「あ、いえ、そうじゃなくてですね、わたし、体力が有り余っていて、お昼寝できないんですよね…」
口にしたことはなかったかもしれないが、別に隠しているわけでもないので、アリアは正直にカミングアウトする。
申し訳なさげなカオをするアリアに、不思議そうにロイが問いかける。
「眠くないなら、お昼寝しなくても良いのでは……?」
そんなロイに、アリアもきょとんとしたカオで答える。
「でも、わたし寝るのがお仕事ですし」
「―――――」
顔を見合わせた護衛ズは、脳裏に過る可能性を口にしてみた。
「アリアちゃん、もしかして日中寝ないと仕事したことにならないと思ってる…?」
「え、ちがうんですか?」
目を丸くして驚くアリアに、護衛ズは確信する。
アリアは、自分の魔力提供について、ちゃんと理解していないのだ、と。
「嬢ちゃんの仕事は、寝る事でのうて魔力の提供じゃろ?」
「でも眠ってないと、ちょびっとしか提供できないので…」
しゅ~んと落ち込むアリアに、ロイがわかりやすく説明をする。
「アリアさんの魔力提供は、ものの数秒で済むので、睡眠時間が短くても何ら問題になりませんよ?場所こそ結界の中心付近である必要がありますが、時間帯は問わないはずなので、夜ちゃんと寝ていただければ、それで充分なはずなんですが………」
「―――――え……?」
ぽかんと口を半開きにしながら顔を上げたアリアに、姉御騎士が力強く頷いて見せる。アリアはそのままゆっくり視線を老騎士に移したが、老騎士もまた、力強く頷いて見せた。
そもそも、何故アリアは、日中寝なければ仕事したことにならないと思い込んでいたのか。それは、もともとアリアが人海戦術チームの一員だったことに起因する。
人海戦術チームが魔力を補填する場合、ひとりひとりが一度に提供できる魔力量が多くはないため、それなりの人数で、長時間かけて提供しなければ結界を維持することがかなわない。そのため、人海戦術チームの皆さんは、勤務時間中ずっと魔力提供に勤しんでいる。
ホワイトな職場なので、お茶を飲みながらおしゃべりしつつでも全然構わなかったし、休憩だって自由に取らせてもらえていたのだが、基本的に日中の勤務時間中ずっと魔力提供し続ける点に疑いようはなく、アリアにとって、『仕事』とはそういうものだったのだ。
アリアは『眠り姫』として重宝されることにはなったが、アリアの中では、魔力の提供方法が変わるだけで仕事の内容は変わらない認識だったため、『いままで仕事にあてていた時間を睡眠に切り替えれば良いんだな』、という感覚でいたのだ。
アリアに膨大な魔力提供が可能だということも、人海戦術チームの一員だったからこそわかったことだった。
休憩中に、うたた寝をしていたアリアが無意識のうちに膨大な魔力提供を行ったことがあり、その現場にいあわせたチームメイトたちの証言があってこそのことだったのだから。
アリアは、膨大な魔力提供を行っている間、意識がない。
みんなが『ありがとう』って言ってくれるから、多分できてるんだろうなと思えているだけで、本当に自分がやっているのかすら分かっていない。
衣食住にお小遣い、自由時間から細かい親切に至るまで、過剰に与えてもらっているんだから、アリアは精いっぱい職務にあたるつもりでいる。そうしなきゃいけないと思っている。
それが、ただ普通に生活していれば良く、夜、眠くなったときに寝るだけでいい、なんて―――――
『仕事』って、大切な役割があって、果たすべき義務があって、そして対価が貰えるもののはずでは…?
釈然としないアリアに、ロイが穏やかに微笑んだ。
「無意識であろうと、アリアさんは他の誰にもできない凄いことをなさっています。ですから、何も気にせず、好きなことをして過ごしてくださっていいんですよ?学園に通っても、他のお仕事をなさっても、スローライフを満喫しても、なんでも自由に。我々はどんなことでもご一緒しますから」
老騎士も、姉御騎士も、満面の笑顔で同意を示してくれる。
やっぱり、どうしたって自分がしているらしいことに、自覚も自信も持てないけれど、『それで良い』ってみんなが微笑んでくれるから、アリアは思い悩むのはやめることにした。
可愛くて大好きなおじいちゃんと、カッコよくて憧れのお姉さまと、最近優しく笑いかけてくれるようになったロイが、これからも一緒にいてくれると言うんだから、アリアは悩むよりも笑って過ごしていきたいと思うのだ。
「…じゃあ…学園に通ってみることにします」
遊んで暮らすのも気が引けるので、アリアは学んでみることにした。
新たな知識を得て、色んなことを経験して、少しでも成長できたら、親切にしてくれる皆さんに何かお返しができるかもしれないって思いがあったからだ。
護衛ズは優しく微笑んで頷いてくれる。
こうやって、大好きなみんなが笑ってくれているなら、アリアはそれだけで幸せで
心穏やかにいられることが、いい眠りにつながっていき、
きっとひいては、国の平和にもつながっていくのだろう。
だから、眠り姫が過ごす日々が、温かく優しいものであって欲しいと、国中のみんなが祈っている。
それが、この国の日常である。
尚、眠りたいのに眠れなかったはずの眠り姫は、
学園の授業においては、寝ちゃいけないのに簡単に寝そうになって、眠らないように頑張らなければいけなくなるのだが
それはそれで、ただの平和な日常の一コマである。