第十一章 陰陽の竜
遠野泉進は、崩れた祠の下を探っていた。
「この下に竜の本体がある。いかんぞ、雅。実人を挑発している場合ではない。早くケリを着けんと、竜が暴れ出してしまう」
泉進が持っている恐竜の骨の振動は、さっきより大きくなっていた。
「辰野親子は竜を制御し切れていなかったのかも知れぬ。まずい事になりそうだ」
泉進の額に汗が滲んでいた。
安本は警視総監に直接掛け合い、機動隊と消防隊の協力を要請した。
「何が起こるかわからないのです。とにかく、できるだけ人を集めて下さい。お願いします」
安本は懸命に警視総監を説得し、ようやく了解を取り付けた。そして刑事達に、
「ここから離れて下さい。もはや貴方達の管轄ではなくなってしまいました」
「はァ……」
刑事達も、夜空に浮かび上がっている巨大な竜を目の当たりにし、もう何も反論する事ができなかった。
「ぬう?」
実人は竜の動きが妙なのに気づいた。
「どういう事だ? 何が起こっている?」
彼は驚いたように上空を見上げた。
「何、どうしたの?」
藍が実人の異変に気づいた。雅も、竜の気の流れが変化したのを感じた。
「何だ? 奴の制御を離れ始めているのか?」
竜がおかしな動きを始めたのは、薫の気を取り込んでからだった。
「闇が閉じれば光が溢れる」
薫が不意に目を開けて呟いた。
「薫さん?」
藍はその物言いの不自然さに眉をひそめた。薫が喋っているのではないようなのだ。
「藍、霊媒だ。その女に、誰かの霊が降りて来ている」
雅が指摘した。実人もそれに気づいていた。
「おのれ……」
彼は何故か表情を険しくして、薫を睨んだ。
「実人、先程はよくも私を騙してくれたな」
薫は藍から離れ、実人に詰め寄った。
「何? 誰なの?」
藍は雅を見た。雅は薫を見て,
「辰野真人だ。奴が自分の娘の身体を借りて、戻って来た」
「ええっ?」
藍はびっくりして薫を見た。
「お前が私を陥れようとしている事はわかっていた。だからこそ、薫に仕掛けをしておいたのさ。お前が私を出し抜いて、私の意に沿わぬ事を始めたら、竜の暴走を引き起こすようにな」
薫の表情が兇悪になり、真人の霊が彼女の背後に浮かび上がった。
「そこまで気づいていたのか……」
実人は歯ぎしりして悔しがった。真人はニヤリとして、
「お前は最終的には、必ず薫の竜の気を使うと予測していたよ。その通りになって、私は嬉しくて仕方がない」
「あんたは一体何をするつもりだ?」
実人が叫んだ。真人は、
「知れた事。私は最早この世の者ではない。ならばこの世がどうなろうと構わぬ。竜が暴れ回り、世界を滅ぼすのも面白い」
「何だと?」
実人は薫に掴みかかった。しかし、真人は薫をサッと退かせ、
「今更薫に何をしても無駄よ。自分の浅はかさを呪うがいい、実人よ」
言い捨てると、薫から離れ、消えてしまった。薫はバッタリと倒れ伏した。
「くっ……」
実人は夜空の竜を見上げた。竜はすでに自分の手を離れてしまっている。どうする事もできない。実人は脱力のあまり、膝を着いてしまった。
「どこまでも愚かな親子だ」
雅がそう呟くと、藍は薫に駆け寄り、
「雅、竜は何とかなりそう?」
「今の段階なら、大丈夫だ」
雅がそう答えた時、泉進が戻って来た。
「いや、手遅れ寸前だぞ、雅」
「何? どういう事だ?」
雅は泉進の言葉の意味が分からず、彼を睨んだ。
「祠の下に眠っている竜は、まだ全てが地上に出た訳ではない。まだ残っている」
「何だって?」
雅はハッとして祠の跡を見た。たしかにまだ地下から気が吹き出している。
「何故だ? これは一体……」
雅は唖然とした。すると実人が、
「あの男が、何かをしたのだ。この地の竜の気は、先程全て現出した。今地下で鳴動しているのは、別の竜の気。どこからか、集められたものだ」
「しかもどうやら、妖気を纏っているようだな」
雅が焦ったのは、その妖気を纏った竜の気があったからだった。
「陰陽の竜が揃ってしまうと、いくらこの剣でも、倒せない……」
「えっ?」
藍はギクッとして雅を見上げた。
「この神魔の剣は、確かに無類無敵の剣。しかし、竜が陰と陽の力を備えてしまえば、神魔の剣も通用しない」
「でも、姫巫女流は……」
藍が反論しようとすると、
「いくら姫巫女流の理が最強だとしても、それは扱う者次第だ。陰と陽の竜が相手では、俺では無理だ」
雅らしからぬ、弱気な発言だった。
「そんな……」
藍は思わず竜を見上げた。上空の竜は、更に巨大化している。そして、地下の竜も、次第に地上に気を放出し始めていた。
「どうすればいいの?」
藍は卑弥呼と台与に尋ねた。
『剣を分けなさい、雅』
卑弥呼が言った。雅はハッとした。
「えっ?」
『早く分けるのです』
今度は台与が言った。
「わかりました」
雅は二人の女王の言葉に従い、剣を分けた。
『それぞれの剣の気を高めるのです。姫巫女の剣は陰の竜、黄泉剣は陽の竜を打ちなさい』
卑弥呼が言った。雅は藍に姫巫女の剣を返した。
「あ!」
藍が剣を受け取ると、藍が持っていた姫巫女の剣と、返された姫巫女の剣が一つになった。
『姫巫女の剣合わせ身です。更に強き剣となりました』
台与が告げた。確かに一振りだけの時より、輝きが増している。
「いかん、もう一体の竜が出て来るぞ!」
泉進が叫んだ。地面が揺れだした。藍は雅と目配せし、薫を抱きかかえるとその場を離れた。
「お前にも力を貸してもらうぞ、実人!」
雅は打ちひしがれている実人に呼びかけた。
「あ、ああ……」
実人は力なく頷き、揺れる地面を走った。
「フオオオオオッ!」
咆哮をあげ、黒い竜が祠の残骸の下から飛び出して来た。大きさは実人が出した竜と変わらないくらいになっている。
「勝てるのか、こんな奴に……」
雅が呟いた。藍もそう思った。
「藍、少し時間をくれ」
雅はそう言うと、スーッと根の堅州国に消えた。
「雅?」
藍は雅に何か策があると考え、剣に集中した。
「儂も力を貸そう」
泉進が剣の柄に触れた。すると輝きが増した。それに呼応するように、黒い竜が暴れ出した。
「この剣の変化に、奴が反応しているぞ」
泉進の言葉に、藍は黒い竜を見上げた。陽の竜は、まだ大きくなっている。
「お前の父親は、一体何をしていたのだ?」
泉進の問いに実人は、
「わからん。私は何も知らぬ。父がここまで裏を読んでいたことすら知らなかった」
「フン、間抜けな奴だ」
泉進は容赦がなかった。そして、
「雅め、何をしている!? 陰と陽の竜が合わさってしまったら、勝ち目はないぞ」
二体の竜は、互いに牽制し合いながら、上空へと飛翔して行き、グルグルと回り始めた。
「……」
藍は不安そうに卑弥呼と台与を見た。
『雅を待ちなさい。それしかありません』
卑弥呼が諭すような微笑みで答えた。藍はそれに黙って頷いた。
「あ……」
薫が意識を取り戻し、フラフラしながら立ち上がった。
「大丈夫、薫さん?」
藍が気遣って近づいた。薫は苦笑いをして、
「大丈夫です。それより……」
空を見上げた。藍も空を見た。竜はさっきより激しく回っていた。
「いかん! もうすぐ一つになるぞ! 二体の気が、混ざり始めている!」
泉進が叫んだ。藍はそれでも雅を信じ、剣に気を送った。
仁斎は、刑事達が去り、剣志郎と美月が救急車で運ばれて行くのを見届けると、
「安本、お前も原田と一緒に逃げろ。ここも危ないぞ」
すると安本は、
「とんでもない。ここは私の家と同じです。逃げる事はできません」
「私もです」
原田が身を乗り出して安本に同意した。仁斎は苦笑いをして、
「揃いも揃って頑固だな」
「それはお互い様です」
安本はニッとして応じた。
「儂は孫を助けに行く。ここより先は、儂らの領分だから、ついて来るのは許さん」
仁斎はそう言い置くと、安本と原田を残し、学園の敷地に入って行った。
「理事長!」
原田はついて行こうとしたが、安本は、
「私達が行ったところで、足手まといになるだけですよ、事務長」
「はあ……」
不満そうな原田だが、いくら彼が強気でも、竜を相手に戦える訳ではない。諦めるしかなかった。
二体の竜は、互いに気をぶつけ合いながら、次第にその姿を変化させ、一つになり始めた。
「間に合ったな」
雅が現れた。彼の黄泉剣は、二周りほど大きくなっていた。
「妖気なら、あちらの方がたくさんあるのでな」
彼はその剣を中段に構えた。すると、その妖気に反応して、陽の竜が降下して来た。
「気に入らんようだな、この剣が?」
雅はニヤリとした。
「二段構えだ。俺はあの竜に仕掛ける。藍は黒い竜を押さえろ」
「ええ」
雅は更に泉進に、
「ジイさん、藍を助けてくれ」
「言われるまでもない」
泉進はムッとした顔で答えた。すると、
「儂もいるぞ」
仁斎がやって来た。
「お祖父ちゃん!」
藍が叫ぶ。薫が、
「私も力になれれば……」
「お前は私に協力してくれ。竜に気を戻すのだ」
実人の言葉に薫はビックリした。
「今、私とお前にできるのは、それくらいしかない」
「はい、兄さん」
薫は涙ぐんで答えた。
「行くぞ!」
雅が飛翔した。そして、
「黄泉路古神道奥義、黄泉比良坂越え!」
陽の竜の周囲に、黒い空間が現れた。
「グオオオオッ!」
陽の竜は、その空間の影響で苦しみ始めた。
「竜を分けるぞ!」
雅は、陽の竜が何体もの竜の気で成り立っている事を見抜いていた。杉野森学園の竜の気、剣志郎の竜の気、薫の竜の気。これが完全に融合する前に、分断する事を考えたのである。
「そこだ!」
雅は、本体と剣志郎の竜の気の境目を見切り、黄泉剣で斬った。
「私も!」
藍も飛翔し、陰の竜に向かった。
「神剣乱舞!」
剣撃が黒い竜を斬りつける。
「フオオオオッ!」
光の剣撃を受け、黒い竜は苦しみ出した。しかし、そこまでだった。
「キャッ!」
藍は黒い竜の尾の攻撃で、飛ばされてしまった。
「やはり、陰の竜は一つ故、手強いか」
仁斎はそう呟いた。
「だが、妖気を纏っているのなら、我が術も通じるな」
仁斎は榊を取り出し、
「姫巫女流古神道奥義、黄泉戸大神!」
光の結界が榊から伸び、黒い竜に迫った。
「クオオオオッ!」
竜はそれを察知し、上空へと逃れたが、結界の方が速かった。
「グワアアアアッ!」
陰の竜は、光の結界に縛られ、苦しみ出した。
「藍、そいつは剣撃では効かぬ。直接攻撃しろ!」
「わかった!」
藍は苦しんでいる竜に接近し、姫巫女の剣で斬りつけた。
「ガアアアアアッ!」
竜は光の攻撃を受け、一部が解れたようになって、溶け出した。
「効いたの?」
藍は竜の様子を見て呟いた。
「藍、気を緩めるな! そのくらいで消えてしまうほどの雑魚ではないぞ!」
仁斎が叫んだ。藍はハッとして、
「ええい!」
更に斬りつけた。
「よし!」
雅は剣志郎の竜の気を分離する事に成功し、
「黄泉比良坂返し!」
自ら生み出した奥義で、竜の気を根の堅州国に飛ばした。
「クウオオオオッ!」
身を斬られる痛みなどないのだろうが、陽の竜が雄叫びを上げた。
二体の竜が勢いを弱め、次第に下降し始めた。
「勝てそうだな」
泉進がホッとしてそう呟いた時だった。
「させぬーッ!」
光の竜の頭の部分に、真人の霊が現れた。
「何!?」
雅はギョッとした。泉進と仁斎もハッと息を呑んだ。
「父上!」
実人が叫ぶ。薫は唖然として何も言えない。
「何?」
藍も異変に気づいた。
「このような事で終わらせぬ! せめて日本は我が道連れにしてくれる!」
真人は何かの祝詞を唱えた。
「あれは……」
実人がグッと拳を握り締めた。
「何なの、兄さん?」
薫が訊いた。実人は真人を見たままで、
「縄文の昔から伝わる、竜寄せの祝詞だ。まだ抵抗するつもりなのか、父上は……」
「そんな……」
薫は竜の頭に取りついた父親を見て涙を流した。
「辰野真人、どこまで愚かな男なのだ!」
泉進が怒鳴り、印を結んだ。
「臨兵闘者皆陣列在前!」
彼は渾身の気の一撃を放った。
「無駄だ!」
竜の気が、それをあっさりと跳ね除けた。泉進は歯ぎしりした。
「おのれ!」
雅は真人に近づき、
「死人は死の国へ行け!」
「何ィッ!?」
真人が雅の方を向いた時、彼の背後に工藤代議士と大野組の組長がいた。
「な、何と!」
真人は仰天した。工藤と大野は、無言のまま真人に掴みかかった。
「や、やめろ!」
抵抗しても、工藤と大野は真人のみに見える幻であるので、どうする事もできない。
「何が起こっているんだ?」
それがわからない実人と薫は、父親の奇行を呆然として見ていた。