第十章 竜の足掻き
雅は実人を睨みつけて、
「光の最高神だと? 光の神は闇を食らうだと?」
「その通りだ」
実人は無表情のままで答えた。雅はフッと笑って、
「お前らの神は光の神などではない。只、欲望のままに力を欲して、その力に任せて暴走し、挙げ句滅んだ恐竜共の無念を集積させた化け物だ」
実人の顔が怒りの形相になった。
「我が神を冒涜するのは許さぬ。小野雅、お前の力を認めればこそ、岩手では殺さずにおいたのを理解していないようだな」
「ほォ。それはありがたい事だな」
雅は実人を挑発した。藍は雅の目的がわからず、二人の男の睨み合いに身が竦みそうになった。
「雅、そいつと遊んでいる暇はないぞ。まだこの化け物は、力を溜め込んでいる。早く決着をつけた方が良い」
泉進が口を挟んだ。雅はチラッと泉進を見て、
「焦るな、ジイさん。こいつはそんな簡単に殺してしまうのは惜しいくらいの獲物だ。それに、いろいろと礼をしたい。随分とこの俺をいたぶってくれたからな」
「減らず口を……。己の力を知らぬ事は、この上もないほどの愚かさだという事を知るが良い、小野雅!」
実人の身体から竜の気が発せられた。
「む?」
泉進はその様子を見て驚いていた。
「我が神は化け物ではない。最高の神なのだ。お前ら下賎の者共など、一瞬にして殺す事ができるのだ」
「こいつ、一体……」
仁斎も眉をひそめた。
「それほどの神であるなら、今すぐに俺を殺してみろ。できはしないだろうがな」
雅は更に実人を挑発した。
(どういうつもりなの、雅?)
藍は不安そうに雅を見た。
「雅は何かを手に入れたようだな」
仁斎が藍に近づいて呟いた。
「手に入れたって、何を?」
藍は仁斎を見た。仁斎は雅を見て、
「竜を退治するための剣だ」
「えっ?」
藍は驚いて雅を見た。
「……」
実人も雅が何かを隠し持っていると感じたのか、挑発には乗らずに睨んでいるだけである。
「お前の挑発に乗る程、私は愚かではない。我が辰野神教を愚弄した罪は、死ぬ程度ではすまさんぞ」
「ではどうする?」
雅はそれでも挑発を続けた。
「お前は殺さぬ。お前の周りの者を殺す」
実人の目が藍に向けられた。
「くっ!」
藍は剣を構え直して、実人を睨んだ。
「我が神の邪魔をする者は全て滅する。すなわち、ここにいる者は皆、消す」
実人は、藍、仁斎、泉進、美月、剣志郎、安本、そして薫と見て行った。
「兄さん……」
薫は震えていた。
「貴方は、自分の妹まで殺すと言うの!?」
藍が怒鳴る。実人はそれには答えずに、
「神よ、お裁き下さい」
柏手を一回打った。竜の気が輝きを増し、宙を舞った。
「藍、その剣を貸せ」
「えっ?」
雅の突然の言葉に、藍はキョトンとしてしまった。
「早く、時間がない」
「は、はい」
藍は剣を雅に渡した。すると雅は、
「いきなり本番では、どうなるかわからんが、方法はこれしかない」
と呟いた。
「もしや、雅……」
仁斎が目を見開いた。
(姫巫女流は、建内宿禰が黄泉路古神道を創始して分かれるまで、今より激しい流派であった。その前に戻すつもりか? その方法があったか……)
しかし、その源流とも言うべき流派は、誰一人として見た事もなく、伝える書もない。
「お前は、姫巫女流が人神だから辰野神教より劣るような事を言っていたが、それはとんでもない間違いだぞ」
雅は姫巫女の剣で実人を指し示して言った。
「何?」
実人は眉間に皺を寄せた。
「確かに、今の姫巫女流はその通りだ。人神を祀っている。しかし、その源流は違う」
「!」
実人の顔色が変わった。何かに気づいたのだ。
「我が神は最強である!」
それでも実人はそう言い放った。竜が藍目がけて光の玉を吐いた。
「待っていたよ!」
雅はそう叫ぶと、姫巫女の剣を左手に持ち、右手に黄泉剣を出した。
「まさか!」
藍は仰天した。嫌な記憶が甦る。吉野で力尽きて死んだ京都小野家の後継者である小野椿。彼女は光と闇の力を一つにした剣を振るい、建内宿禰が纏っていた神気と妖気を吹き飛ばし、その結果命を落としてしまった。
「ダメ、雅、それはダメ!」
藍はあらん限りの声で叫んだ。しかし、雅は二つの剣を融合させ、新たなる剣を出した。
「これが姫巫女流の真の最強の剣だ」
雅はその剣を中段に構え、舞い降りて来る竜に向かった。
「ぬあああっ!」
剣の斬撃が、光の玉を弾き飛ばした。玉は夜空へと飛び、消えた。
「バカな……」
実人は唖然とした。泉進が、
「やはり気づいたか、雅。お前が閉じ込められたのは、まさに光と闇が一つになるのを恐れての事。奴らの神は最強ではない。最強は、やはり姫巫女流よ」
雅はニヤリとし、
「そのようだな」
と答えた。
「雅、その剣は?」
藍は雅が死んでしまうと思ったので、恐る恐る尋ねた。
「これは以前椿が出したものとは違う。やり方は一緒だが、段階が違うのさ」
雅は藍を見て答えた。
「まず、黄泉剣は黄泉路古神道を修めた者でなければ、使いこなせない。そして、姫巫女の剣は姫巫女流の正統後継者が出したものでなければ意味がない」
「つまり、その両方を使える雅だからこそできる最終奥義、という事だ」
仁斎が言い添えた。それを聞いて藍はホッとした。
「そして、融合する剣は、その力の配分がよくないとやはり術者に影響する。姫巫女の剣に見合うだけの黄泉剣が必要だ」
藍はその言葉にギョッとして雅を見た。雅が出した剣は、椿が「神魔の剣」と言っていたものと同じだが、その剣から、かつて感じた事のある妖気を見たのだ。
「それは……」
雅が長く根の堅州国にいた理由がわかった。その剣には、小野源斎、小山舞、そしてあの建内宿禰の妖気が宿っていたのだ。
「そんな事が、できるの……」
藍は、雅が宗家に戻って跡を継いだ方がいいのではと思ってしまった。
「面白い。本当に最強なのはどちらか、試してみるか?」
実人はその顔を兇悪な顔に変え、叫んだ。彼の周囲に得体の知れない霊体が集まって来ている。
「さっきから何かよくわからない霊体が集まって来ているようだけど、何かしら?」
藍は仁斎に尋ねた。
「これはこの地上で生まれ、絶滅した生き物の霊体だ。恐竜を始めとするな」
「……」
藍は何か空恐ろしさを感じた。
「確かに、姫巫女流は源流に遡れば、更に強くなろう。しかし、我が神は、それより更に古くから存在するのだ。その積み重ねの長さを知るがいい!」
竜にたくさんの数の霊体が吸収されて行く。それにつれて竜は巨大化し、学園の敷地からはみ出す程になった。
「何だ、あれは?」
門のところで原田と押し問答をしていた刑事達は、夜空に現れた竜に気づいた。
「わわっ!」
百戦錬磨の原田も、さすがに度肝を抜かれた。
「さっきの閃光と言い、一体何が起こっているんだ?」
彼は安本達の身を案じた。
「人間の歴史など、この地球の歴史に比べれば、ほんの一瞬。その数倍の時を支配していた我が神の力、思い知るがいい!」
すでに竜は学園の敷地を覆い尽くし、夜空に君臨するかのように巨大化していた。
「雅!」
心配になって藍が叫んだ。
「藍、もう一度姫巫女の剣を出せ。止めはお前に任せる」
「えっ?」
「早くしろ!」
雅の怒鳴り声に藍はビクッとして、
「は、はい!」
十拳の剣と草薙の剣を出し、姫巫女の剣にした。
「何が止めは任せるだ。まだ勝てる気でいるのか? 愚かな」
実人は雅達の言動を嘲笑った。
「美月さん、手を貸そう」
仁斎は安本と協力して剣志郎を背負い、美月を伴って敷地から離れた。
「泉進、お前も離れろ」
「儂は大丈夫だ。お前は、その人達を頼む」
泉進は竜を睨んだままで答えた。
「わかった。死ぬなよ、泉進」
「当たり前だ」
泉進はニヤリとして応じた。
「嬢ちゃんも逃げろ。あんたまで巻き込まれる必要はない」
泉進は呆然としている薫に呼びかけた。
「は、はい」
薫が走り出した。その時である。
「お前は逃がさぬ。最後までこの兄に力を貸すのだ、薫!」
実人が竜の気で薫を縛った。
「キャッ!」
「させない!」
藍が走り、剣で竜の気を斬った。
「貴様!」
実人は次に邪魔をした藍に竜の気を放った。
「そんなもの!」
藍は竜の気を次々に斬り捨てた。
「おのれ!」
実人は激怒し、自ら藍に突進した。
「くっ!」
実人の蹴りが藍を襲う。藍はそれをかわしながら、反撃に転じた。
「ええい!」
姫巫女の剣が、実人の蹴りを弾いた。
「くうっ!」
バランスを崩し、実人は倒れた。
「薫さん、早く逃げて!」
「はい」
薫はまた走り出した。
「逃がさん!」
実人が立ち上がって叫ぶ。竜が咆哮し、薫に向かって下降した。
「薫さん!」
藍が走り出す。薫に迫る竜の巨大な口。
「ああ!」
藍は思わず目を伏せた。しかし、薫は竜に食われなかった。
「何?」
藍は薫の変化を見て、ギョッとした。
「あああ……」
薫がもがき苦しんでいる。彼女もまた、竜の気を纏っていた。
「まさか……」
藍は実人を睨んだ。実人はフッと笑い、
「薫も我が神の器様なのだ。竜神剣志郎ほどではないがな」
薫の竜の気が、彼女から離れ、竜に取り込まれた。
「ああっ!」
藍と雅は思わず叫んだ。竜が更に巨大化したのだ。
「おのれ、そういう事だったのか……」
泉進は歯ぎしりした。彼はその時、持っている恐竜の骨が、微かに震動している事に気づいた。
「これはもしや……」
泉進は、竜と藍達に気を取られている実人の背後に回り込み、祠のあった場所に走った。
「薫さん!」
薫は竜の気が全て抜けてしまうと、バッタリと倒れ伏した。藍が慌てて駆け寄る。
「ああ、理事長!」
原田は安本が戻って来たので、ホッとして声をかけた。
「皆さん、ここを離れて下さい。それから、近隣の人達に避難命令を出して下さい」
「何が起こっているのですか?」
刑事が安本に詰め寄った。安本は、
「詳しく説明している時間はありません。学園でガス漏れが発生したとでも言って、住民の皆さんを避難させて下さい」
「そんな……」
尚も説明を求めようとする刑事を無視して、安本は携帯を取り出した。
「安本と言います。警視総監に繋いで下さい」
仁斎は剣志郎を警察の車に乗せた。
「救急車の手配をしてくれ」
「はい」
有無を言わせぬ仁斎の迫力に、警官は何も言い返せずに従った。美月はその間ずっと、剣志郎を気遣っていた。
「わからぬか、小野雅。我が神の気は、日本ばかりではなく、世界各地にあるのだ。まさに無限に強くなられるのだ」
実人が言い放つと、雅は、
「わかっていないのは、お前の方だ。お前の神は、どこまで行っても所詮その程度だという事をな」
「何!?」
実人はムッとしたが、雅の虚勢と思ったらしい。
「哀れな。見苦しいぞ。勝つ見込みのない戦いに、いくら強がってみせても、何も得るものはない」
「そうかな?」
雅はニヤリとした。
「言ったはずだ、お前の言う神は、偽物だと。その理由を教えてやるよ」
実人はせせら笑って、
「ほう。では教えてくれ」
と言い返した。
「姫巫女流の真の祭神は人神ではない。太陽、いや、この宇宙そのものだ。宇宙そのものが、姫巫女流の理。姫巫女流の力の源だ」
「何だと?」
実人は目を見開いた。
「雅……」
藍は驚いていた。彼女に降りている卑弥呼と台与が、雅の言葉に同調しているのだ。
『雅の言葉こそ、我らが流派の真の理です』
「そうなのですか……」
藍は雅がどうしてそんな事を知り得たのか、不思議だった。
「辰野神教が、例え縄文の昔から続いていようと、その祭神が、中生代から続くものだとしても、宇宙の広さと歴史に比べれば、短い」
「そんな、バカな……」
実人は呆然としていた。
「ようやくわかったようだな、お前達の底の浅さが」
雅の言葉に、実人は項垂れていたが、
「いや。まだだ、まだ終われぬ! この国を、そしてこの世界を統べるまで、我が辰野神教は続くのだ!」
再び顔を上げ、叫んだ。
「懲りない男だ」
雅は哀れむように実人を見た。
「……」
藍は薫を抱き起こしながら、実人を見た。
遂に決着がつこうとしていた。