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75 風のゆく先

 おれはゆっくりと廃墟の城下町を歩いた。


 いまのおれなら数十秒でみんなの元に行けたが、そうしなかった。


 複雑な気持ちだった。なんせおれは死ぬ。

 世界を救ったものの、手放しではよろこべない。


 その気持ちの中心はカレーノだった。


 あいつといっしょに暮らしたかった。

 あいつの笑顔を毎日眺め、寝食をともにし、よろこびを分かち合いたかった。


 そして、あの手に触れたかった。


 目と目を合わせ、想いを重ねながら、手を握りたかった。


 それがもう、叶わねえ。


 もう二度とあいつとは触れ合えねえ。


 その事実が死の恐怖よりも重くのしかかり、あいつと会うのが怖くなっていた。


「はあ……」


 おれはため息をついた。

 いっそ、このまま消えてしまおうかと思った。


 そんなとき、


「おおーい! ベンデルーー!」


 遠く、おれを呼ぶ声がした。


 南の方角から、たくさんのひとと、多種多様な動物が駆けてくる。

 もちろん彼らはオーンスイの仲間とナーガス兵、そして顔を黒く汚した動物たちは、言うまでもなく泥汚れだ。


 ……そうか、魔王のスキルが切れて、戦いが終わったんだな。

 魔物は動物に戻り、魔眼の呪縛も消滅。

 それでおれがすぐに戻らねえから、なにがあったかと不安になって走ってきたわけだ。


 ……これでしょぼくれてちゃ、みんなに申し訳がねえや。


「おう、やってやったぜえーー!」


 おれは大きく手を振った。

 それに呼応して、みんなが「おおー!」と手を挙げた。

 遠くからでも全員が満面の笑みを浮かべているのがわかった。


 やがて、みんながおれの元を訪れ、ぐるりと囲い込んだ。


「やったでごわす! ベンデルは英雄でごわすよ!」


 キンギーが両手を上げ、ばんざいを連呼した。


「さすがベンデル、おいら信じてたでやんすよーー!」


 タイのやろうが走り回ってよろこんだ。


「やったわね。ほら見て、オーティもそう言ってるわ」


 ミギニオが眠るオーティを肩に抱え、涙声で言った。

 オーティは心なしか、さっき見たときより笑顔になっている気がした。


 ほかのみんなもわーわー騒いだ。


「英雄だ!」


「これで平和が来るぜ!」


「ガンガン飲みまくろうぜーー!」


 おれはそのすべてに笑顔で応えた。

 本当は、おれが死ぬことを言うべきだと、こころの端で引っかかっていたが、この空気を壊したくなかった。


 しかしおれは、あいつらがいねえのが気になった。


「なあ、カレーノは? それに女王さんも見えねえ」


 そう、あのふたりだ。

 おれに親しい人物なら、真っ先に顔を出すもんだろう。

 それが、いねえ。


 まさか、なにかあったんじゃ……


「おおーい、ベンデルーー!」


 ふと、聞き覚えのある男の声がした。

 えっと……だれだっけ? いまはカレーノたちが気になるんだが………………


「……あっ! オンジー!」


 おれを呼んだのはオンジーだった。

 あいつ、生きてたのか!

 雷を吐くドラゴンの(おとり)になって馬で走り去って、それからすっかり忘れてたけど、そっかー、生きてたのかー!

 よかったよかった!


「はあ、はあ……やったな! 君ならやってくれると信じてたよ!」


 オンジーは汗だくだくの息ハーハーで歩いてきた。

 なんでもドラゴンは何者かが倒し、それからずーっと走って戻ってきてたらしい。


「いやー、おれもおめえが生きてると信じてたぜ!」


「嘘つけ! 君のことだから忘れてただろう!」


「あははは! バレたか!」


「それに、君が一番会いたいのはおれじゃないだろう?」


「えっ?」


 なんだこいつ、突然妙にニヤけたツラして、意味ありげな言い方してよ。


「おれはあとで酒飲みながらゆっくり話させてもらうよ。それより、ほら」


 オンジーは親指を立てた拳でくいくいと背後を示し、スッと横にずれた。


「あっ……」


 そこに、あいつらがいた。


「あ、あ……」


 おれは涙ぐんじまった。

 だって、いねえから心配してた。

 もしや魔物との戦いで死んじまったんじゃねえかってよ。


 でも、生きていた。


 ふたり、歩いていた。


 女王さんが、足を引きずるカレーノに肩を貸し、一歩いっぽ、こっちに向かってきた。


 その肩から、


「ベンデルっ……!」


 カレーノが涙目で叫んだ。


「カレーノ!」


 おれもじわじわ潤む目で叫んだ。


 がっしりと見つめ合い、カレーノが言った。


「魔王を倒したのね!」


「ああ!」


「世界は救われたのね!」


「ああ!」


「うれしいっ! これであなたと、平和な世界で暮らせる!」


「……」


 おれはグッと笑顔を保った。

 根性のねえヤツなら、いまのひとことで悲しみに染まっていただろう。


「まったく、本当にきさまは大した男だ」


 女王さんがフッと笑った。


「女王さん……」


「スキルが切れたらきさまが背負えよ。重くてかなわん」


「えっ?」


「カレーノはな、魔物が動物に戻って、戦いが終わったとわかった途端、一目散に城へ駆け出したんだ。だがすぐに転んで、足をくじいてしまった」


「おめえ……そんなことがあったのか。大丈夫か?」


 おれは心配になってカレーノに言った。

 すると、


「……ううん、ダメ」


 カレーノは沈痛に首を振った。

 おいおい、まさか折れてんのか? それとももっと深刻な——


「だから、背負って」


 そう言って”てへっ”と舌を出した。


「あ、あははは! おめえってヤツは!」


「あははは! いいじゃない! あなたに背負ってほしいの!」


 そーかそーか、おれに背負ってほしいのか! しょうがねえやろうだ!

 愛するおめえの頼みとあっちゃ、いっくらでも背負ってやらあ!

 あはははは! あははははははは!


 ………………いや、できねえんだったな。


「……どうしたの?」


 ピタリとカレーノの笑い声がやんだ。


 おれの顔をじっと見て、不安そうに言った。


「ねえ、どうしてそんなに悲しい顔をしてるの? なにかあったの?」


 声がほんのり震えていた。

 なにかはわかってねえが、おれが恐ろしいことを隠していると気づいたようだ。


「おい、きさま。そのズボンはなんだ」


 女王さんが険しい声で言った。

 おれの下半身は体内からぶちまけた血糊で真っ赤に染まっていた。


「ベンデル……どうしたの? どうしてズボンが真っ赤なの? ねえ…………ねえ!」


 カレーノの顔から一切の笑みが消えた。

 おれは口を閉じ、目を伏せた。


 言いたくねえ。

 言えば、どんなに悲しいだろう。

 おれが逆の立場だったら、きっと崩れ落ちちまう。


 ……でも、言うしかねえんだよな。

 どっちにしたって、おなじなんだからよ。


「おれ…………………………死ぬんだ」


「えっ!?」


 カレーノと女王さんが凍りついた。

 ほかのオーンスイの仲間たちも、ナーガスの兵士どももびっくらこいてやがった。


「魔王の罠にはまっちまってよ……」


 おれはことの経緯を簡単に話した。

 すると、


「そ、そんな……」


 カレーノは両目いっぱいに涙を溜め、女王さんにしがみつき、


「あっ……ああああっ!」


 大声で泣いた。

 女王さんも「バカな……」と言って、泣きながらカレーノを抱き返した。


「あ、あたしが行けって言ったから……」


 とミギニオが胸に手を当てた。


「あそこで行かなければこんなことには……!」


「いや、それは違えよ」


 おれは本心から言った。


「あそこは行くで正解だった」


「でも!」


「あそこで行かなかったら、魔王はきっとドラゴンに乗って逃げてたよ。それに、おれひとりじゃなかったら、みんなのいのちが危なかった。だから、あれでよかったんだ」


「あんた……」


 おいおい、そんなに泣かねえでくれ。

 世界は救われたんだぜ? 判断は正しかったぜ?

 おれひとり死んでも、どっさりお釣りがくるじゃねえか。


「おいどん、悲しいでごわす……」


「ショックでやんすよー!」


「ベンデル……君ってヤツは……」


 キンギー、タイ、オンジー……

 おれのために悲しんでくれてありがとう。おれのために涙を流させて済まねえ。


 そして……オーティ。おれもすぐそっちに行くぜ。

 魔王にゃ地獄に行くって約束したから、おめえとは会えねえかもしれねえけど、もし顔を合わせたらよろしく頼むぜ。


 ……さーて、そろそろだ。

 もう”中身”は出し切った。

 パンツの中もほとんど蒸発し、一分も残っちゃいねえ。


 最期は笑って消えねえとな。


「みんな、ありがとう」


 おれは辺りをぐるりと見回した。

 後味が悪くならねえよう、できるだけ笑顔を見せた。


 でも、カレーノと見つめ合って、どうしても眉毛がしんなりしちまった。


「……ごめんな、カレーノ」


 おれは悲しかった。

 死ぬことなんてどうでもよかった。

 最愛のカレーノが、こんなに悲しい顔をしているのが耐えられなかった。


 カレーノはクッとうつむいた。

 胸の前で拳を握り、全身を震わせていた。


 ああ、本当につらいぜ……

 せめて最期におめえの笑顔を見て終わりたかった。

 せめて最期にその手に触れたかった……


 ま…………世界を救えたことだし、しゃあねーか。


 そう思い、目をつぶった。

 そのときだった。


 ——がばっ!


「えっ!?」


 おれの全身をやわらかな感触が包んだ。


 だれかがおれに抱きついた。


「な、え?」


 驚いて目を開けた。


 灰色に染まった長い髪が視界の端に見えた。


 正面では、女王さんが目を見開いて、ひとりこっちを見ていた。


 ……てことは、まさか!


「カレーノ! おめえ!」


 おれは反射的に肩に触れ、引き剥がそうとした。


「放さないで!」


「……!」


「抱きしめて! お願い!」


「お、おめえ……!」


 おれはパニックになりそうだった。だって、おめえ……おめえよお!


「なんでおめえ……なにやってんだよ!」


「だって、だって……」


 カレーノの腕が強く締まった。


 涙いっぱいの声が言った。


「だって、もう……いましかあなたを抱きしめられないじゃない……」


 おれのこころに稲妻が落ちた。


 同時に、切ないほどの温もりを感じた。


「おめえ……」


「ねえ、早く……ふたりが消えてしまう前に……」


「……」


 おれはぎゅっと、カレーノを抱きしめた。


 あたたかかった。


 やわらかかった。


 どんなしあわせよりも心地よかった。


「ねえ、ベンデル……」


「……なんだ」


「愛してるわ……」


「おれも、愛してる……」


 おれたちはゆっくりと顔を見合わせた。


 ふたりとも、ひどく悲しい笑みをしていた。


 クスリ、と同時に口が笑った。


 そっと、小さく、くちびるを求め合った……


 ——ねえ、ベンデル……


 ——なんだい?


 ——やっと、ひとつになれたわね……


 ——やっと、ひとつになれたな……


 ——これからは、ずっといっしょね……


 ——ああ、ずっと、いっしょだ……


 ——ずっと、ずうっと……いっしょ……


 ふわりと、やわらかな風が吹いた。


 おれたちの体は灰になり、風に乗って舞い上がった。


 風は青空の中をゆっくりと、どこまでも高く昇った。


 どこまでも、どこまでも、おれたちを乗せて、どこまでも……………………

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