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74 あの日の少年

「魔物どもよ! おれさまに従え!」


 空中に浮かぶドラゴン、その背に乗る魔王が真っ赤な目をギラギラ輝かせ、叫んだ。


「ウガガガ!」


 泥汚れたちは頭を抱え、(もだ)えた。

 こころが支配されていく。

 人間を守ろうという強い想いを押し出されないよう、必死に耐えている。


「もう終わりでやんす〜〜!」


 泥汚れの加護を失ったナーガス軍のいのちは、もはや風前の灯火(ともしび)だった。

 体力はほとんどなくなり、無限の魔物を抑えられなくなっていた。


 じりじりと削られていく。

 次々と殺されていく。


 そして、巨大な魔物がもう間近に迫っている。


「ベンデル……」


 カレーノは戦いながらつぶやいた。

 声は泣いていた。


「あなたは本当にやられてしまったの?」


 魔王はこう言って笑っている。


「ふははははは! ベンデルは終わった! もうおれさまを止められる者はいない! ひとり残らず死ぬのだ!」


 などと勝ち誇っていた。

 しかし!


「いや! 終わっちゃいねえぜ!」


「その声は——!」


 魔王が振り返った。

 カレーノがこっちを見た。

 空気全体がどよめいた。


「き……きさまは!」


「おう、よくも落っことしてくれたな! おかげで苦労したぜ!」


「ベンデル・キーヌクト!」


 おうよ、おれだぜ! ただいま絶賛疾走中だ!

 目指すはクソやろう一直線!

 最期のいのちを燃えたぎらせて、なんとしてでもヤツを討つ!


「そんな! ありえない! どうやってあの穴から脱出した! なぜスキルが発動している!」


「うるせえ! ぶっ殺してやらあ!」


「う、うわああーー!」


 魔王を乗せたドラゴンは空高く飛び上がった。

 逃げようってのかい? そうはいかねえぜ!


 おれは右手で剣を抜いて腰を落とし、上半身を左にギギギとひねった。

 そして、


「落ちろーー!」


 ブーメランみてえにして思いっきり投げた。

 剣はすげえ速度で飛び、お見事命中! ドラゴンの片翼に大穴を開けたぜ!


「ぎょおおおっ!」


「しまった! 高度が……!」


 ドラゴンは飛び上がる力を失い、滑空をはじめた。

 スピードはあるが、もう上には行けねえようだ。

 つまり、空には逃げらんねえってこった!


「くそっ、土竜(アースドラゴン)よ! 北に逃げるぞ!」


 ヤツらは北へ向かった。

 こっちに来たり向こうに戻ったり忙しいやろうだな。

 ま、なんだっていいけどよ! 高さが出ねえ以上、もうおれからは逃れらんねえ!


「待ちやがれーー!」


 おれは全速力で追いかけた。

 翼が傷ついてもそこそこ速度は出せるようで、ヤツは魔王城の上空にさしかかろうとしていた。


 だが、究極まで加速したおれには亀の歩みも同然だ。


「おらああああーー! おっ死にやがれえええーー!」


「来るなアアアーーーーッ!」


 おれは一気に跳躍(ちょうやく)し、ドラゴンの背中を叩いた。


 やった! とうとうやったぞ!


 ドラゴンの全身が灰色に染まった。

 スキル”無敵うんこ漏らし(ビクトリー・バースト)”が発動したおれに触れた者は灰になって死ぬ。

 そして、そいつと繋がっていた者も、同時に効果が及ぶ。


 ドラゴンが灰色になったってことは、あいつも……!


「……って、あいつどこだ!」


 いねえ! 一緒に灰になったかと思ったら、魔王の姿が見当たらねえ!

 いったいどこに……


 ——ドスン!


 およ、下の方で音がしたぞ!

 お、魔王のヤツ、城の屋上に飛び降りてんじゃねえか!

 すんでのところで逃げやがったな、ちくしょー!


 すぐにドラゴンが灰になって消えた。

 そんでおれは地上に降り立ち、魔王城を見上げた。


 ……まったく、しぶといやろうだぜ。伊達に百年も生きちゃいねえや。


 しかしまあ、これで本当に終わりだな。

 ヤツはいま城内にいる。

 もしおれがヤツの立場なら、スキルが切れるのを待って、隠れてやり過ごすだろう。

 逃げようにも、空飛ばねえ限り逃げらんねえ。


 でも、今回のおれは肉体の強化具合が半端じゃねえんだ。

 体力はもちろん、聴覚もすげえことになってる。

 くっと意識を集中すりゃあ、あのやろうが城のどこにいるのか、屋外からでもはっきりわかる。


 こうして耳を澄まして……


 ……おお、走ってる走ってる。

 階段を降りて……一階まで来たか……

 そんで? そこで止まって、およ、何匹か魔物がいる……

 なにかたくらんでんのか? 罠でも張ってんのか?

 まあ、どっちにしろ行くしかねえけどよ。


「よし、行くぜ!」


 おれは城に突入した。門は体当たりでぶち壊した。


 時間はまだ余裕がある。

 なにせ中身がずるずる肛門から降りてくるから、もうしばらくはスキルが切れる心配はねえ。

 とはいえ、急ぐけどよ。


 城内に入った。

 通路を疾走した。

 ヤツの止まった位置に、ぐんぐん近づいていく。


 そしてとうとう、この扉を開ければヤツがいる、というところまで来た。


「ノックはいるかな?」


 おれはだれに言うでもなく首をひねり、


「いーや、いらねえなあ!」


 ドカッ! とドアを蹴り壊した。


「おらあ! ぶっ殺しに来たぜ! 覚悟しやがれクソやろう!」


 おれは威勢よく言った。

 ヤツの隠れてる位置は正確にわかってっから、こっそりする必要はなかった。


 そんで、そのまま一直線に突っ走って、速攻で殴ってやろうと思ってたんだが……


「…………あ?」


 おれは勢いが止まった。

 立ち止まり、ヤツらの姿をじっと見つめた。


 中庭だった。


 あまり整備されてねえから、雑草は生え放題、ところどころ壁や窓が壊れてやがる。


 魔王は隠れずにそこにいた。


 広い中庭の真ん中で、背中を向けてうずくまり、しゃがみこんでいた。


 その周りに犬がいた。


 十匹近いブラック・ドッグが、魔王を囲うようにして、まとわりついている。


 数匹が魔王に寄り添い、ほほを舐めている。


 残りの大半がおれにむかってウーウー吠えている。


 そして、魔王はガクガク震えながら、


「助けて……殺さないで……」


 と、涙混じりにつぶやいていた。


(なんで犬……?)


 おれは一瞬呆気に取られたが、すぐにハッと理解した。


(もしかして……家族か?)


 魔王はかつて犬と暮らす孤児だった。

 それが、家族を殺されそうになってスキルに目覚め、そのときのショックで人間という生き物に恨みを抱いちまった。


 ある意味こいつも被害者と言っていい。


「怖いよ……怖いよ……」


 魔王は子供のように言った。

 声色は青年のままだが、言葉遣いがかなり幼い。

 たとえるなら母親に抱きつくガキだ。

 ガキがママに甘えるとき、こんなふうな声を出す。


 ……待てよ。

 こいつ、いろいろ突拍子(とっぴょうし)もねえヤツだと思っていたが………………ガキなのか?


 思い返せばガキ臭えやろうだった。

 てめえのことを”おれさま”と呼んだり、屁理屈こねて人類を滅ぼすとわめいたり、ほかにもいろいろガキ臭え部分がいっぱいある。


「来ないで……殺さないで……」


 魔王の背中が言った。

 それに合わせて犬どものうなり声が険しくなり、道を塞ぐように立ちはだかった。


 それで、わかっちまった。


 そうか……おめえ、ガキなんだな……

 百年生きて、肉体や知恵は成長したが、根っこにはあの日の少年が残り続けてるんだな……


 不幸の重なりで生まれた、本来だれにも敵意を向けることのない、純朴な少年……


 おれはぎゅっと拳を握った。

 目は静かにヤツらを見据えていた。

 殺したくねえと思った。


 だって、だれが裁けるよ。

 家族をズタズタに引き裂かれて、恨みに狂った少年を、だれが罰せられるってんだよ。


 むしろ、助けてやりてえじゃねえかよ!


 おれは苦しくなって頭を振った。

 どうしていいかわかんなくなっちまった。


 殺さなきゃならねえ。

 それは絶対だ。

 ここまで来て、同情してやっぱやめますなんてわけにはぜってえいかねえ。


 何人も死んだ。


 オーティが死んだ。

 ナーガス軍の兵士たちが山ほど死んだ。

 姉さんも死んだ。

 受付のあの子も死んだ。

 そしてこの百年のあいだに、途方もねえ数のひとが死に、数えきれねえ悲しみが襲った。


 どうやったって、許されることじゃねえ……


 ………………おれはこいつを殺す。間違いなく殺す。


 だが、せめて救いたい。


「なあ、魔王さんよ……」


 おれはゆっくりと歩いた。

 途端に魔王がビクッとし、犬どもが一斉に吠え出した。


「来ないで……!」


 大人の声色(こわいろ)で、子供の口調の、ちぐはぐな悲鳴が言った。


「怖い! 怖いよ! お願いだから、だれも殺さないで!」


「おれと友達にならねえか?」


「えっ……?」


 魔王の震えがピタリと止まった。

 犬どもの威嚇(いかく)が消えた。


 おれは、やさしく言った。


「実はおれも、死ぬんだ」


「え? えっ?」


 魔王の首が振り返った。

 ボロボロの涙顔は、ポカンと口を開けていた。


「いやな、あの穴から出るのにもうクソがねえから、中身を出しちまったんだ。わかるよな? ”人間の中身”だ。それと、血もほとんどよ。だからおれは、このスキルが切れたら、すぐに死んじまうんだ」


「……」


「そんでよ……おめえ、死んだらきっと地獄に行くんだろ? こんだけのことすりゃあ、しょうがねえよな。なんせいっぱい殺しちまったし、世界をボロボロにしちまった。でもよ……」


 おれはふっと鼻で笑い、胸をドンと叩いて、


「おれもいっしょに行ってやるよ。だから、友達になろうぜ」


「友達………………」


 魔王の目が悲しげに揺れた。

 きっと、耳にすることはあっても、見たことはないものだった。


「おめえ、”目隠し鬼”は知ってるか?」


 魔王はかぶりを振った。


「じゃあ”ボール通し”は?」


 ——ううん。


「”声当てゲーム”は? ”絵しりとり”は? ”石積み”は?」


 ——ううん、知らない。


「教えてやるよ、おれがぜんぶ。だから、友達になろうぜ」


 おれは握手を求めて手を伸ばした。

 死の握手だった。


 これに触れれば灰になる。

 これに触れればいのちを失う。

 もちろんそれは、向こうもわかってるはずだ。


 でも、触ってほしかった。

 どうしてもとなりゃ殺すしかねえが、せめて無理矢理じゃなく、希望を持って死んでほしかった。


「おもしれえんだぜ、ボール通し。おれァ遊びはみーんな知ってるんだ。だから、友達になってくれよ」


 そう言ってニッコリ笑った。

 精一杯の気持ちだった。


 だが、魔王は動かなかった。

 ただじっとおれを見つめ、じっと沈黙していた。


 ……ダメか。


 おれは静かに目を伏せた。

 そうだよな……こんなことで手を繋いでくれるはずがねえよな……


 ちくしょう……救えなかったか。


 そう思った、そのとき——


(あっ……)


 おれの手に、小さな手が触れた。


 おれは目を開いた。


 すると、目の前に、ひとりの少年が立っていた。


 ボロボロの服を着ていた。


 髪はぼさぼさで、灰色に染まった体でも肌が汚れているのがわかった。


 ほがらかで、どこか野生味のある表情、大きく笑った口の中から犬歯が覗いている。


 そして瞳はキラキラ輝いていた。


 少年は言った。


「そんなにおもしろいの?」


「……ああ」


 目の奥から熱いものがにじんだ。

 気がつけば、ブラック・ドッグたちは多様な雑種の犬に変わっていた。


 少年は、フフフ、と笑い、言った。


「約束だよ、お兄ちゃん」


「ああ、約束だ……」


 おれは握手にぎゅっと力を込めた。

 少年の手はとても小さかった。


 でも、力強い手だった。

 腕力はなくとも、未来に向けて走ろうとする、なにか秘めたものを感じる手だった。


「フフフ……うれしいなあ。ぼく、人間の友達ができるの、はじめてなんだ」


 そう言って、少年は灰になった。

 おれの手からサラサラとこぼれ落ち、犬たちのキュウンキュウンという声が寂しげに響いた。


 おれは手のひらに残るわずかな灰を見つめ、ため息をついた。


 だれも望んでいない、本人さえも望まなかった恐ろしい悪夢が、いま終わった。


 失ったものは大きかった。

 いや——得たものなどなかった。

 ただただ全員が失い続けた。


 そんな悪夢が、やっと、終わったんだ。


「……じゃあ、またあとでな」


 おれはそう言い残し、少年と家族に背を向けた。


 もうひとつの別れを告げるために、元来た道へと帰っていった。

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