70 青空の中へ
「待たせたな」
おれはゆっくりと振り返り、言った。
ゲーリィはあぐらをかいていた。
それが、静かに立ち上がり、剣を抜いた。
「なに、急ぐわけじゃない」
「どうして攻撃してこなかった」
そう、こいつは待っていた。
本来ならおれの勝機などぶち壊すべきなのに、このやろうはものひとつ言わず武器を納めていた。
「見たかった」
「なにを」
「人間がいのちを捨ててなにをするのか。そして、おまえが力を得る姿が」
「……勝ちたきゃ攻め一択だったぜ」
「勝つだけならな」
ゲーリィはふっと笑った。しかしそれは、おかしくて笑っている顔じゃなかった。
「素手のおまえを倒しても、それでは答えにならない」
「……そうだな」
ゲーリィは答えを求めていた。
おそらく勝つことより、自身の是非を知りたがっていた。
——自分は間違っていたのか、否か——
甘いか? 負ける可能性を上げてでも問うことか?
さあな。知ったこっちゃねえや。
けど、聞きてえんなら教えてやらねえとな。
おれのいのちを賭けて。
オーティの魂に誓って。
そして、世界の命運とともによ。
「ミギニオ、剣を投げてくれ」
「えっ? あ、ええ」
ミギニオは足元に落としていた双剣のかたわれをおれに放ろうとした。
しかし、
「いや、オーティのをくれ」
おれはオーティの剣がほしかった。
とくに鋼の質に変わりはねえ。持ち手や長さにも違いはねえ。
けど、おれはオーティのが使いてえんだ。
「……そうね」
多くを言わずとも理由は伝わった。
それは理由というほどのもんじゃねえが、きっとだれもが納得のいくことだろう。
ミギニオがオーティの背の鞘から剣を抜き、放った。
おれは軽々と、しかしたしかな強さでパシっと握った。
「……ありがとよ」
おれは薄汚れた刃をじっと見つめ、ぼそりと言った。
おそらくミギニオに言ったんじゃなかった。
「準備はいいか?」
おれはヤツに体を向け、ピシリと構えた。
すると、
「うっ……」
ゲーリィの肩がわずかに退いた。目に緊張の色が見えた。
「なんだ、この気配は……」
ヤツは気圧されていた。
巨大な山を見上げるように、体ぜんぶで息をのんでいた。
逆に、おれにはヤツが小さく見えた。
姿かたちはそのままに、膨れ上がっていた威圧感が消滅していた。
「わかるか。これが答えだよ」
おれは、どこまでも貫く刃のような視線を向けた。
一切風を起こすことのない、静寂の矢を放った。
それは、こころを射抜き、固く縫いとめる。
「……なぜだ……なにが違う! おまえはなにをした!」
「……熱っついクソを漏らしたのさ」
「う……う…………」
ゲーリィの息が乱れ、のどを塞がれたように顔をゆがめた。
このままでは地上で溺れてしまうだろう。
いまのヤツは胸の真ん中に杭を打ちつけられているのとおなじだ。
わずかも前に進めない。
だが、本気のこころは恐怖を超える。
「うおおおおおおおッ!」
ゲーリィの体が見えない杭にあらがった。
空気の壁を潜り抜けるように足を踏み出し、精神の束縛を逃れ、駆け出した。
「はあーーーーッ!」
渾身の一撃が舞い込んだ。
いままでのおれなら軽く吹っ飛ばされる、バケモノ級の斬撃だ。
しかし、
——ガキン! と受け止めたおれの体は微動だにしなかった。
「なに!?」
しかも、片手で剣を握っていた。
「な、なんだと!? おれの剣をそんなにも軽々と!」
「ああ、軽いなァ」
おれは目を細め、寝起きのように言った。
「おめえの剣は紙切れみてえに軽いや」
「な……っ!」
ゲーリィは目を丸くした。
現実を見る目じゃなかった。
そのまなざしが、ギリリッと吊り上がった。
「なんだとおおおおーーッ!」
猛烈な連撃がはじまった。
ヤツははじめて醜悪な顔を見せた。
怒り一色。
殺意もない。
恨みもない。
ただひたすら、衝動的な怒りを一心にぶちまけていた。
スピードだけなら過去最高だろう。
パワーも申し分ねえ。
だが、それ以上におれが強すぎた。
あらゆる刃がおれには軽く、遅く、貧弱に見えた。
………………いや、”おれ”じゃねえ。”おれたち”だったな。
「なぜだ! なぜおまえはこんなに強くなった! なぜこのおれが太刀打ちできない! おれは強いはずなのに! 強くなったはずなのに!」
ガキン! ガキン! と鋼が哭いた。
おれにはそれが、ヤツの涙に聞こえた。
ひどく哀れな泣き声だ……救ってやらねえと……
「いいや、おれも弱いさ」
「なに!?」
ゲーリィの苦痛にえぐれた表情がザッと退がった。
「ふざけるな! これのどこが弱いというんだ! 恐ろしく強いじゃないか!」
「ひとりじゃねえからさ」
「……!」
ヤツの息が一瞬止まった。
意味はわかってねえ——けど、なにかを感じている顔だった。
「教えてやるよ。人間ってのは、こころを重ねられるんだ」
「……」
「おれは弱え。けど、おれの背中にはいくつもの魂が重なっている」
「はっ……!」
ヤツの目が見開いた。
視線がおれの背後を漂っている。
「見えたか。おれたちの姿が」
そう、おれは知っていた。
見なくともわかっていた。
ヤツはいま見ている!
おれの肩にオーティが手を重ねている姿を!
ミギニオが背中を支える姿を!
キンギーの守ろうとする姿を!
タイの励ます姿を!
「見えるだろう! おれに重なるいくつもの想いが!」
「あああっ!」
「おれたちはひとりひとりじゃ弱え! けど、こころを重ね、ひとつになれば、どんな相手にだって勝てるんだ!」
「ああああっ!」
「だがおめえはどうだ!」
おれは思いっきり剣を振った。
ガードしたゲーリィの体が宙を舞い、土草の上を転がった。
「ぐあっ!」
おれは歩み寄りながら叫んだ。
「おめえのうしろにだれがいる! おめえはだれとこころを重ねている!」
「くっ……」
「だれもいねえじゃねえか! そうだろう! おめえが魔王か姉ちゃんかどっちつかずでフラフラして、本気のこころを持てなかったからだ! 本当は姉ちゃんを助けたかったのに、片方を選ぶことを恐れて逃げたからだ! てめえにゃ覚悟がねえんだよ!」
「う…………うあああああーーーーッ!」
ゲーリィは火柱のように立ち上がり、
「違う!」
火の玉みてえに突っ込んで、剣を振るった。
一切のわざを失った、感情任せの猛攻だ。
「おれは間違ってなんかいない! これがおれの使命なんだ! こうするしかなかったんだ!」
「逃げるなバカやろう!」
「魔族に生まれた以上、ほかに道はなかった!」
「そんなことねえっつってんだろ!」
「おまえになにがわかる! おれだって、おれだって…………はっ!」
ゲーリィの瞳がビクンと開いた。
「ね……姉さん!」
ヤツの動きが止まった。
両足がガクガク震え、じわりと涙を浮かべていた。
……そうか、おめえも背中を支えててくれたのか。
どうりで強くなれたはずだぜ。
「そ、そんな……どうして……」
ゲーリィは絶望に声を染め、ふらふらと後退った。
「どうしてそんな悲しい目をしているんだ……どうしておれをそんな目で見るんだ……! おれは……おれは……!」
ゲーリィは立ち尽くしたままうつむき、ボロボロと大粒の涙をこぼした。
そして、目を伏せ、
「姉さん……」
弱々しい嘆きの声を漏らした。
それは一切の戦意を失ったあかしだった。
……認めたな。てめえの弱さを……
「もうやめにしよう」
おれはおだやかに言った。
これ以上は無意味な戦いだった。
——だが、
「ああ、これで決着だ……」
ゲーリィは苦しげに剣を構えた。
勝つ気のない構えだった。
「おめえ……」
と、言いかけて、おれはぎゅっと口をつぐんだ。
………………けじめか。
「ああ、決着をつけよう」
おれは静かに右手を引き、剣を構えた。
空気がさあっと乾いた。
世界がふたりの向かい合う直線だけになった。
さわさわと、草がそよぐ。
周りすべてが白になる。
呼吸の音、心臓の鼓動がフェードアウトしていく。
そして……………………
………………
………!
「うおおおおおっ!」
「はあああああっ!」
瞬間、おれたちは光の筋を描いた。
ふたりは限りなく短い時を疾り、お互いのいた位置へと入れ替わった。
ガキン! と音がわずかに遅れて聞こえた。
小さく、風が吹いた。
どこからか鳥の鳴く声が聞こえた。
ピシリ、と音を立て、ゲーリィの刃が砕けた。
背後でヤツの体が灰色に染まり、ひざから崩れ落ちた。
そして、小さく言った。
「……おれは、間違っていたのか」
「……」
「おれは、言い訳をして、逃げていたのか」
「……」
「すまない、姉さん……」
ううう、と嗚咽が聞こえた。
自分への後悔の声だった。
「おれが、弱虫だから……おれのせいで、おれのせいで……」
おれは前を見ていた。
清々しいほどの空を見上げながら、どうにもできなかった自分を悔やんでいた。
……すまねえ、キレジィ。
弟を救えなかった。
苦痛から助けてやれなかった。
せめて、あの世で仲よく……
そう思ったとき——
「姉さん!?」
おれはヤツの声を聞き、振り返った。
そこに、あいつがいた。
ゲーリィの頭を、青く透明な手が撫でていた。
倒れそうな背中を、やわらかく抱きしめていた。
涙でぼろぼろになった灰色の顔を、白いドレスの胸元に引き寄せ、キレジィがやさしく微笑んでいた。
「そんな、姉さん! どうして!」
ゲーリィがキレジィの顔を見上げ、叫んだ。
「おれは……姉さんを……姉さんを……!」
そう、間違いとはいえゲーリィはキレジィを殺してしまった。
そこにいる亡霊は、その事故の結果だ。
だが——キレジィはにっこり笑った。
ゲーリィの頭をふわりと抱きかかえ、子守唄を奏でるように撫でた。
「姉さん………………!」
ゲーリィはぎゅっと目をつぶり、とめどない涙を流した。
遠くからでも熱い涙とわかった。
そして、赤子のようにしがみつき、
「ごめんよ、姉さん……おれが……間違っていた…………」
言いながら、さらさらと崩れた。
足元から灰になり、そしてキレジィとともに姿を消していった。
おれはふたりが最後のひと粒となって空気に溶けるまで、ずっと見ていた。
「最後に、救われたか……」
涙で濡れたおれのこころは、ささやかながら、青空に照らされていた。
どこまでも広がる、抜けるような青空だった。




